第60話 消えた教徒たち(1)

 ほんのりと揺れる火が闇夜の地面を照らす。

 散らばった木片の前にカウルが座り込んでいると、土を踏みつける音と共に、一つの影が目の前に差した。顔を上げたところ、全身から白煙を出し体を再生させているアベルの姿が見える。

「いい動きだった。良くやったな」

 今までの無表情が嘘のように、明るく声高く笑みを晒(さら)す。さっきまで命をかけた殺し合いをしていたはずなのに、まるで全力で遊びまわった直後の子供のように清々しい態度だ。彼はそのまま自分の腰に右手を当て周囲を見渡し、

「想定以上に厄介な相手だった。お前がいなければ、対処は難しかっただろ」

 と、爽やかに声かけた。

「……俺もあんたがいて助かった」

 おとり役としての活躍に最後の妨害。彼が居なければ何度死んでいてもおかしくはなかった。自分の未熟さを痛感しながら礼を述べる。

「君のその力。ただの呪術ではないだろう。良ければ事情を話してくれないか」

 好奇心に溢れた青い目。そういえば“老人”を倒す直前にも、彼は妙な言葉を口走っていた。救えないだとか、諦めてただとか。あれはどういう意味なのだろうか。戦闘前と別人のように生き生きしているのも、きっとそのことと無関係ではないはずだ。

 命を預け一緒に戦った間柄。彼自身が不死身という呪いを帯びていることから、聖騎士へ情報が伝わる可能性も低い。事実を教えても問題ないように思えるが――。

「今はトンバロを助けることの方が先だ。落ち着いてから話そう」

 この疲労しきった状態ではまともな判断が出来るとは思えない。そもそも、彼は未だに素性も目的も何もかもが不明なのだ。完全に信頼出来ない以上、刻呪と自分の関係を説明するのは早計だと判断した。

 膝に手を乗せ立ち上がったカウルはアベルに向かって彼の剣を差し出した。借りていたものを返却しようと思ったのだが、アベルは右手を上げ、それを制する。

「持っておけ。俺は襲われても死なない。君が持っていた方がいいだろう」

「……そうだな」

 “老人”は倒したがまだ危険は過ぎてはいない。これから白面を避けつつ夜道を進み、トンバロをルシード街まで届けなければならないのだ。カウルは素直に剣を下げた。

 仄かな明かりを頼りにティアゴの姿を探す。彼を退避させていた場所まで来ると、隅の方で大人しくしていたティアゴはばっと顔を上げ、嬉しそうに鼻を近づけてきた。

 カウルは自分の顔を舐めようとする彼を抑えながら、その背中へ視線を向ける。覆いかぶさるように寝ていたトンバロは息はあるものの、辛そうに全身から大量の汗を流していた。

 やはり朝まで待っている余裕は無さそうだ。木に結び付けていた手綱を解き、手に持つ。そのまま先ほどの場所まで戻ると、アベルが“老人”の死体から何かを引き抜く姿が見えた。

「それは?」

「短刀のようだ。脇の裏に刺さっていた」

 アベルは刃を燃えている犠牲者の遺体に近づけた。

「刃からほんのりと死煙が滲(にじ)んでいる。かなり長い間“老人”と共にあったようだな。ほとんど呪具と化している。元になった人間の物かもしれない。ちょうど得物が無かったんだ。有効活用させてもらおう」

 死煙の呪具ということは、触れれば死ぬ可能性があるということだ。アベルは不死だから問題は無いが、他の物が扱うにはあまりに危険な代物である。カウルは念を押すように、注意の言葉を投げた。

「安易に投げたり捨てたりしないでくれよ。余計な被害が出る」

「ああ。そうだな」

 軽い雰囲気で言葉を返し、それを腰のベルトに差し込むアベル。鞘が無いから仕方がないのだが、言ったそばからの雑な管理にカウルは呆れの目を向けた。


 馬車の残骸で作った松明を頼りに大峡谷の中を進むこと二時間。

 道中、二度ほど白面と遭遇する事態が発生したものの、流石に特性を学習したため、それほど苦労することなく対処することが出来た。明かりを得たという要素も勝利の大きな要因だった。

 崖の終わりが見え、ようやく大峡谷を抜けられる場所まで来たところで、空がかすかに赤みを帯び始めた。それを見て、思わず濃いため息が口から漏れ出る。

 最大の難関は通り過ぎた。あとは純粋な時間との勝負だけだ。

 長時間餌をやれず、不眠のまま走らせているからティアゴにも大きな負担を掛けているが、ここからルシード街まではそれほど離れた距離ではない。何とかぎりぎり体力は持つはずだ。

「もう少しの辛抱だ」

 脂汗を流すトンバロを見上げ、カウルは彼を元気づけるように、そう言った。



 広めの天幕の中から治療師の女性が姿を見せる。

 彼女は眩しそうに朝日を手で避けた後、口につけていた布を首元まで下した。

「もう大丈夫。損傷箇所が腹部っていうのが幸いしましたね。腸の傷は痛みのわりに直接的な致命傷にはなり辛いんです。その分苦しさは増しますが、まあ立派な成人男性です。二か月ほど歯を食いしばれば、普通の生活に戻ることは出来ますよ」

 天幕の外で様子を見守っていたトンバロの友人たちは、その言葉を聞いて嬉しそうに声を上げる。

 とりあえず何とか命は取り留めたらしい。カウルはほっと胸を撫で下し、感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございます。助かりました」

 ずかずかと天幕の中へ入っていくトンバロの友人たち。彼女はそれを眺めながら、

「これは余計なお世話かもしれませんが、あなたたち二人の体調もかなり悪いように見えます。本当に診なくて大丈夫なんですか」

 カウルとアベルは一昼夜戦闘し続けたせいで、全身が傷や汚れまみれだ。アベルに至っては尋常ではない量の血液が服に広がっていた。

「大丈夫です。こう見えて、大した怪我はしていないんですよ。……治療費はこれくらいでいいですか」

 懐から硬貨袋を出し、いくらかのお金を取り出す。彼女はそれを受け取ると、

「十分です。まあ、問題ないとおっしゃるのであれば、無理強いするつもりはありませんが――……」

 と、どこか不満そうに了承した。

 彼女を見送った後、カウルたちは天幕の中へ足を踏み入れた。中ではベッドの上に寝ているトンバロを覗き込むように、彼の友人たちが立っていた。スキンヘッドの男がカウルたちの存在に気が付き、振り返る。

「おっ! 兄ちゃん。あんがとよ。もう二度とこいつの面拝むことはねえと思ってたんだ。まさか、本当に助けてきちまうとは……。漁師仲間として、礼を言うぜ」

「事情があってやったことです。そんなに感謝する必要はありません。それよりも、まだしばらくここに滞在する予定ですか?」

「本当は明日にでも避難用の馬車に乗って、ルシード街を離れるつもりだったんだがな。トンバロが見つかったんじゃあ、そういうわけにはいかねえだろう。回復するまでは街に残るつもりだ」

 となると、少なく見積もっても二週間はこの広場で天幕暮らしを続けるはずだ。

「助かって良かった。トンバロさんに宜しくお伝え下さい。また後で来ます」

「おう。伝えとくぜ。こいつも命の恩人の質問なら、何でも話すだろう」

 スキンヘッドの男は豪快に笑いながらカウルの背を軽く叩く。中々に強い力だったが、嫌な気はしない。カウルたちは喜ぶ彼らを横目に、静かに天幕の外へと抜け出た。

 朝日を浴び外の冷えた空気を吸うと、どっと疲れが全身に溢れてくる。腹も減っていたが、それ以上に今はとにかく柔らかいベッドの上に飛び込み眠りこけたかった。

「カウル」

 アベルが元気な表情でこちらの名前を呼ぶ。全く疲れが見えないのは、不死だからだろうか。疲労も回復する体質なのかもしれない。

「今日はもうよしてくれ。流石に限界近いんだ。どうせお互いトンバロに聞きたいことがあるんだから、明後日くらいにもう一度ここで待ち合わせしよう。それでいいか」

「わかった。構わない。“老人”の情報は、俺から聴聞師へ売ってもいいか。死門が滞在し続ける以上、また“老人”のような禍獣が発生するとも限らない。奴の特性と対策方法は広まっていた方がいいだろう」

 禍獣の情報は時として高値で売買される。仲介屋の調べで情報が真実だと確定すれば、正式に報酬が支払われることになるが、それまでには数日を要することも多い。金銭目当てというよりは、あくまで情報拡散が目的なのだろうとカウルは思った。

「そうだな。そっちは任せるよ」

「では、二日後に」

 片手を上げ会釈するアベル。しばらくその後姿を眺めた後、カウルは小さくあくびをして、歩き出した。


 宿を探すのには正直苦労した。

 死門停滞の影響で多くの兵士や退魔師、避難民がルシード街に集まっていたため、主要な宿の部屋の多くが埋まっていたからだ。

 一部の避難民たちのように天幕に泊まることも考えたが、窃盗の危険を考慮しそれはやめた。最終的には安宿の店員に頼み込むことで、何とか物置を寝床として確保することが出来た。長い間野宿生活をしてきたせいで、雨風がしのげて風呂に入れるだけでも十分に満足のいく待遇だ。

 荷物を下したカウルはそのまま木箱の上に引いた毛布に倒れこむと、気絶するようにすぐに深い眠りへと潜り込んでいった。



 二日後。朝食を終えてすぐに広場にある天幕の前に向かった。

 暗い顔をしている人達の間を抜け目的の天幕の前まで移動したところで、見慣れた金髪頭を見つける。

 彼は槍のようなものを天幕の側面に立てかけ、足をやや広げた姿勢で膝を落としていた。

 向こうもこちらに気が付いたようだ。カウルの姿を見つけるなりに、アベルは親しげに声を上げた。

「よう。二日ぶりだな」

「ああ」

 カウルが返事をすると、微笑みを浮かべたまま立ち上がる。何でか知らないが、“老人”戦であの笑い声を発した時から、彼はカウルに対して高い好感度を持っているようだった。

 アベルは紺色の外套の下にあるカウルの軽装鎧を見て、気が付いたように質問した。

「装備を新調したのか」

「“老人”に胸部の鎧を壊されたからな。剣も刃こぼれが酷かったから売って買い換えた。駄目だったか」

「いや君にあげたものだ。好きにすればいい。元々拾いものだしな」

 対して興味無さそうにアベルは言った。

 カウルはアベルが天幕に立てかけている槍を見た。先端には鞘が取り付けられていたが、どことなく見覚えのある形をしている。

「“老人”の体から出てきた短刀があっただろう。あれを加工して作ったんだ。槍の方が取り回しがいいからな」

「あんたは槍も使えるのか」

「一通りの武具は扱える。といっても、どれもたしなむ程度でしかないが。欲しいならあげてもいいぞ」

「いや。いい」

 カウルにとって、呪いが付与された呪具は相性が悪かった。呪具を持ったまま傷の呪いを発動し続けると、傷の呪いの影響で呪具が壊れるからだ。傷の呪いを抑えれば呪具を扱うことも可能だが、呪具を使うくらいであれば傷の呪いに頼った方がずっと効率良く戦える。そしてそれは祈祷術を付与された聖具でも同様だ。だから今までで入手した呪具や聖具はほとんど売り払い、生活費の足しにすることが多かった。

 カウルは天幕の入口に目を向け、

「トンバロは?」

「意識は戻ったようだ。食事はまだまともに取れないそうだが、元気そうにしていたよ」

 立てかけていた槍を手に取り、柄の端を地面に付けるアベル。「行くか?」と聞くように首を傾けてこちらを見返す。カウルが頷くと、彼は先導するように天幕の布を持ち上げ、中へと足を踏み入れた。

「お、兄ちゃん」

 カウルの顔を目にして、トンバロの看病をしていたスキンヘッドの男が嬉しそうな声を上げた。

「こんにちは。トンバロさんの体調はどうですか」

「悪くねえ。病み上がりだってのに、酒が飲みてえってわがままを言ってるぜ。まったく、腸が切り裂かれてるくせに酒なんて入れたら、激痛でもだえ苦しむってのに」

「元気そうで良かったです。少しだけ話をさせて頂いてもいいですか?」

「構わねえよ。元々そういう約束だ。――おいトンバロ。お前の救世主たちが来たぜ」

スキンヘッドの男がそういうと、ベッドの上で寝ていたトンバロが首だけをこちらへ傾けた。

「あんたらが俺を助けてくれた人達か……。おぼろげながら覚えてるよ。ありがとうな」

「意識が戻って良かったです。傷は痛みますか」

「今はそれほど大したことはない。けど、食事の制限がきついな。二日間は水だけで、それから二週間くらいは粥だけにしろって言われちまった」

「治療師の言う通りにした方がいい。胃液が傷口から体内に漏れだしたら、内側から内臓が焼かれることになるぞ」

 まるで経験したことがあるように、アベルがそう言った。

「わかってるよ。ただ不満を言っただけだ。……――あんたらには本当に感謝している。ご存じの通り避難中の身だからあまり大した額は出せねえが、もし金があったら財産の半分くらいはやってもいいって思ってるほどだ」

「お金は要りません。その代わり教えて欲しいことがあるんです」

「死門が止まった時の状況についてだろ。聞いてるよ」

 カウルの言葉を聞いたトンバロは、億劫そうに天井に目を向けた。しばらく沈黙を維持した後に、探るように声を発する。

「あんたらは災禍教の信徒ってわけじゃないんだよな」

「災禍教? 違いますが、どうしてですか」

「いや、連中がよく話を聞きに来てたからな。あんたらもそうなのかって、ちょっと思っただけだ。気にすんな」

 どこか話を濁すようにトンバロは言った。

 少々反応が気にはなったが、今のところ友好的な空気は保てている。ベルギットの死に魔剣の存在。そして大峡谷での“老人”との争いなど、王都グレイラグーンで噂を聞いてから随分と長い道のりだった。ようやく核心に迫る話を聞くことが出来そうだ。

 カウルはトンバロの顔を見つめ、期待と不安が入り混じった声で質問をした。

「教えて下さい。あの日。九大災禍“死門”が停滞した日に、あなたが何を見たのか」




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アナテマの獣 灰原アシカ @ironashi

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