第7話 パラレルワールド

目覚めた時、飽きたと書かれた紙が右手に残っている且つ、火に炙られたように紙が焦げていれば自分が選択しなかった分岐点の先の未来、所謂パラレルワールドに移動できたことの成功を示す




迎えにきてくれた美波の軽自動車の助手席に座る俺は、昨夜閲覧したオカルトサイトの、パラレルワールドへ行く方法のページを見返していた。


力なく指と指の間に挟まれたその焦げた紙とスマホに、俺は車に乗り込んでから目線を行き来させている。


「少しは反省してる?」


オカルトの方に行っていた意識が、美波の声によって現実に呼び戻された。


「え、何の反省?」


あ、しまった。

不可抗力だ。

俺はこの世界線での昨夜の出来事は全く知らないのだ。

頼むからその試すような問い方はやめてくれ。


案の定、美波のハンドルを握る手に力が入ったのが分かった。


「明っていっつもそうだよね。都合が悪くなるとすぐ忘れた振りする」


「ごめん、悪かったよ」


「悪いと思ってないくせに」


うん、まぁ実際に何が悪いのか知らないから。

喧嘩の原因は何なのだろうか?


俺はパワーウィンドウのスイッチを操作し、窓を半分開けた。


外の景色は何ら変化はない。

空の色、空気も、建物の並びも。

見慣れた景色が時速40キロで目の前を通り過ぎていく。


「ちょっと。寒いんだけど」


美波は一瞥もくれず言う。


彼女に言われるがまま窓を閉めて、俺は沈黙を車内に閉じ込めた。




乗車してから10分が経過した。


相変わらず2人の間に会話は生まれず、俺はカーステレオから流れてくる、興味のない流行歌にひたすら耳を傾けていた。


そういえば、俺が記憶する美波と付き合っていた2年間では、一度も喧嘩したことがなかったな。

このような美波の不機嫌な姿を見るのは、初めてのことかも知れない。


減速した車は左方向にウィンカーを出し、見たことも、当然行ったこともないアパートの駐車場に入った。


車から降りて、まず俺は今までの重苦しい空気を吐き出し、新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。


美波は車を施錠した後、こちらを見向きもせずアパートに向かって歩き出した。


俺としては美波が前を歩いてくれて助かる。

いくつもある扉のうち入るべき部屋がどれか、正解がわからないから。


美波の後ろを2m程度の間隔を開けて歩く俺は階段を上り、一番奥に位置する角部屋の中に入った。


本当に俺は美波を選択した世界にきてしまったのだと、

見覚えのありすぎる俺の私物が、初めて訪れる部屋の至る所に置かれているのを見て確信した。


「何キョロキョロしてるの?」


早くこっち来て座りなよと、先にこたつに入る美波は、訝しげに部屋を見渡す俺に隣に座るよう催促する。

不機嫌を隠しきれない声色で。


美波の隣に座り、電源をつけたばかりの、まだ温んでいないであろうこたつの中に足を突っ込んだ。


赤いドレスを身に纏い、華麗なポージングをきめる、スタイル抜群の外国人モデルが掲載されるページが開かれたパンフレットが、俺の前に差し出された。


「私、やっぱりドレスは赤色がいい」


ん、急にどうした?


当然声には出さない。


「明は青のマーメイド型が似合ってたって言うけど、私はこの色でこの形のドレスがいい」


俺は勘がいい方だ。

昨夜の喧嘩の原因は恐らく、ドレス選びの意見の食い違いだと推測した。

だとしたら、そんなことで家を飛び出すこの世界線の俺は、なんて忍耐浅い奴なのだろう。


「改めて見ると、、、確かに美波には青より赤の方が似合うかもな」


この世界の俺には大変申し訳ないが、

"こんなこと"で揉め続けて、この世界に長く居座るつもりは毛頭ない。


はやく美波と仲違いを解消して、はるかのいる元の世界へ帰る手立てを考えたい。




はるかとの結婚式の取り決め事の際には、俺ははるかの意見を一番に尊重し採用した。


というのも、俺は結婚式は花嫁が主役だと考えていたから、はるかの望む挙式になるように、決定権は彼女に託していた。


普通の新郎ならそういう考えに至るはずなのだが、どうやらここの俺は俺とは気が合わないみたいだ。


ドレスの色の意見を合わせた後、彼女の機嫌は嘘のように良くなり、半年後に執り行われる結婚式を想像しては、楽しそうに話をしてくれた。


いつもの、俺の知る美波に戻ってくれて、少し安堵している俺がいる。


だが、聞かなければいけないことがある。


「はるか先生って、知ってるよな?」


俺は妻のことを彼女に聞く。

冷静を装うが、心臓が破裂しそうな程に拍動している。


恐くて、、、知らないと答えられた時が恐ろしすぎて、尋ねるのを躊躇していたが、まずははるかがこの世界で存在しているのか、それが分からないことには始まらない。


頼む、知っていてくれ、、、!


そんな俺の期待をよそに、美波は大きくため息をついた後に首を傾げた。


彼女のその仕草を見て、呼吸が止まってしまった。


心臓も止まってしまったのか、一瞬にして全身が冷たくなり、震え出してきた。


「、、、当然知ってるけど、急にどうして?」


首をひねた理由は、俺が唐突にはるかの話題を出したことに対する反応だったみたいだ。


絶望の淵から生還した俺は、呼吸を忘れてしまった肺の中に大量の空気を送り込み、美波の問いには答えず、問答を続けた。


「どこにいる?麻酔科?俺らと同じ病院のだよな?」


間断なく問う俺に、美波は怪訝そうに眉をひそめる。


「いや、だから突然何なの?なんでいきなりはるか先生が」


「俺の質問に答えてくれ!」


俺の怒声に、彼女の細い肩がビクッと強張った。


「ごめん美波、今は何も聞かずに答えてくれ、、、」


乱れる呼吸を無理矢理に整え、物柔らかな口調に変えて、彼女の返答を懇請する。


「2年か3年か前に結婚して退職した。だから今は同じ病院にはいない。でも違う病院にはいるって噂ではきいたけど、その病院はどこだか知らない」


これで満足ですか?と美波は俺から目線を外し、手に取ったウェディングブックに視線を下ろし、ペラペラとページを捲る。


結婚、、、退職、、、


これ以上にない絶望感が俺を襲う。

疲れもどっと出てきた。

意気消沈してしまい、床に坐する姿勢をも維持できなくなった俺はこたつに突っ伏した。


何であんなことをしてしまったのかと後悔の念が押し寄せる。

ポケットに入れたままの「飽きた」と書かれた紙が怨めしいが、本当に恨むべく対象は、他の誰でもない俺自身だ。


全部俺が蒔いた種だ。

俺自身で解決しなければならない。


絶望という暗闇の中に射し込む微かな光、

"はるかがこの世界に存在している"

という光に目を向け、元の世界に戻るために次にやるべきことを考えようと、俺は顔を上げた。


「サイテーだね」


美波は俺にそう罵る。


俺は勘がいい方、と勘違いしている鈍感野郎の俺は、その「サイテー」の意味を後になってから分かるのであった。



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