第4話 劣等感
明は自分自身でも驚いていた。
美波が結婚すると聞いて、異常なほどに狼狽した自分に。
もし、あの後に緊急手術がきていたらと考えるとゾッとする。
あの告白により、小パニック状態で冷静に対処できる、自分の姿が想像付かないからだ。
夜勤明けだが、明の頭の中は美波のことで頭がいっぱいになり、眠りにつけず、そして何もやる気が起きなかった。
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その日の夜8時、明のマンションのインターホンが鳴る。
重い頭を無理やり起こし、ベッドから重い足取りでリビングに備え付けられたインターホンのモニターまで向かう。
モニターに映し出されているのは、はるかだった。
明は何も言わずに施錠解除のボタンを押し、再び寝室に戻るとベッドに横になった。
「ただいま」
声で分かる程に疲労困憊したはるかが、寝室を覗いて言った。
明は「うん」とだけ答え、布団に包まる。
いやいや、はるかが帰ってきたんだから明るく出迎えろよ、、、!
はるかに俺のこの私情は全く関係ないだろう、、、!
と明は自分を叱責するのだが、身体が起き上がらない。
「ご飯、ないね。どうしよっか」
夜勤明けや休みの日の人が夕飯を作る、という結婚する前からの暗黙の了解が2人にはあった。
しかし、その日、初めて明はその暗黙の了解を破った。
はるかの問いに明は何も答えない。
「体調悪いの?明、大丈夫?」
ベッドが沈み、はるかが自分の側に座ったことがわかった。
彼女の優しい言葉が、他の女のことを考え落ち込んでいる自分の心に突き刺さり、自己嫌悪に陥る明。
休日から連日の勤務で疲れているのは彼女の方だ。
それなのに、俺ははるか以外の女の嫁入りごとで悶々として、何もしないで横になっているだけで、、、。
「あたしなんか適当に買ってくるよ、、、」
「はぁ、、、」と深々にため息をついて立ち上がったはるかに、どうしてか明は
「、、、何?そのため息。自分だけが疲れてると思ってんの」
はるかに対する自分の気持ちと裏腹な言葉を、はるかに浴びせていた。
突然のことで、はるかはポカンとした様子だ。
「自分より稼ぎが少ないくせに、飯作らず寝てんじゃねぇよって思ってるんだろ?誰のおかげでこんな良いマンションに住めてると思ってるんだよって、腹ん中じゃそう言ってるんだろ?」
「ちょっと、何言って、、、」
「キャリアが欲しいからまだ子どもはいらないってのも、ほんとは俺みたいな劣った遺伝子を残したくないからなんだろ!?」
と、ベッドから起き上がった拍子に、毛布と掛け布団がフローリングにずり落ちた。
唐突で理不尽な罵倒に困惑するはるかに一瞥もくれず、明は寝室を飛び出し、廊下を突き抜けて、玄関の扉を乱暴に開いた。
冷えた空気が一気に肺に入り込み、明は咳をひとつした。
劣等感だった。
明がはるかに対して、結婚する前からずっと抱いてきた劣等感。
自分は看護師で相手は医師。
給料から、責任の重さから、社会的地位から、名誉から、世間体から、何もかもがあいつより劣っている。
俺はあいつの旦那なのに。
何気ないはるかのため息に、何故に劣等感が沸き出し、理不尽な怒りをぶつけてしまったのだろうと考えるが、すぐに答えが出た。
美波が結婚することの、行き場のない嫉妬とやるせ無さからくる、八つ当たりだ。
明は、自分の器の小ささに、心底辟易していた。
あてもなく歩き続け、興奮状態も徐々に落ち着いて冷静を取り戻し、周りを見渡す余裕ができた頃には、夜の23時だった。
明日は非番でよかったと、今日以上に思えたことは今までにないが、、、さて、この後どうしようか。
閑散としたこの田舎駅のベンチで、この時期寝たら、冗談抜きに凍死してしまう。
そこに都合よく美波が現れて、以前のように部屋に泊めてもらう、などという鼻で笑ってしまうような、あり得もしない妄想でも、再び拍動が強くなり、苦しくなる。
いやいや、どうしたんだよ俺、、、
あいつにもう未練なんかないだろ、、、
今更はるかの待つマンションに戻る勇気もなく、今、明の目の前にあるビジネスホテルで素泊まりすることが、現実逃避には最適であると明は考え、少し古びたホテルの自動扉を潜った。
今日は平日だからか、喫煙部屋か禁煙部屋の選択ができる程に部屋は空いていたようだ。
明は、今夜宿泊する禁煙部屋に着くと、ホテル1階の自販機で購入したビールを早速開封し、半分近く一気に飲み干した。
BGM代わりにテレビをつけて、そして思い出に浸るのだ。
今日だけ。
美波との過去を供養するために。
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