第10話 またね

暫く沈黙が生まれた。


手持ち無沙汰な俺は、特に飲みたくないも水を口に含む。


「はい、アメリカン2つねー」


相変わらず快活な店員さんは、俺たちの間を阻む沈黙を裂くように、注文した2つのコーヒーを目の前に置く。


彼女はいただきますと小声で言い、コーヒーカップを手にしフーフーと冷ます。

そして、啜るようにして少量を口にする。


俺は湯気の立つそれを眺めたまま、彼女の名前を呼んだ。


「何?」


「俺達、付き合ってた…んだよな?」


「あたしはそう思ってるけど?」


たったの1ヶ月だったけどね、とはるかは自嘲気味に笑った。


「1ヶ月!?」


まるで中学生のような交際期間の短さに驚愕して、思わず声を出してしまった。


「そんなにも短くなかったっけ?」


いや知らん。


知らんけども、何がどうしたらそんな短期交際になるのか、俺は気になって仕方がない。


はるかは、静かにカップをコーヒー皿の上に置いた。


「でも、、、正直言うと、ちょっとだけ後悔してる」


コーヒーを飲もうと、カップを口に運ぶ手が止まった。


「あの時、元カレと寄りを戻してなかったら、こんな最悪なことになってなかったのに…」


覆水盆に返らずだね、と無理して明るく振る舞う彼女が、見ていて痛々しい。


「結婚する相手、美波ちゃんでしょ?」


首肯する。


「美波ちゃん、明のことずっと大好きだったもんね。悪いことしちゃったよね…」


「悪いこと?」


「悪いことだよ。明と美波ちゃんが付き合っているのを知っていながら、あたしが明を奪っちゃった。なのに…結局あたしが明を振る形になって、、、」


"奪った"と言う言葉の表現に嫌悪感を抱く。


「はるかだけの責任じゃないよ。

俺だって、最終的には俺の意思で美波と別れて、はるかと付き合ったのだから。

その後、はるかも色々考えた上で、俺と別れることを選んだのだろ?

誰も傷付かない恋愛なんて、きっと存在しないから、、、そんなに自分を蔑まないでよ」


俺の所論にはるかは肯定も否定もせず、湯気の立つ黒い液体の一点を見つめてる。


実の入った会話をしている内に、この世界線での出来事がだんだんと整理がついてきた。


【αの世界線】

明と美波が交際中

→明がはるかを選び、美波と破局

→はるか元カレと復縁、明と破局

→明と美波、復縁

→明と美波婚約


【βの世界線】

明と美波が交際中

→明がはるかを選び、美波と破局

→はるかと結婚。美波も結婚


この世界はα世界線で、

元のいた世界はβ世界線。


頭の中に書いた俺の拙い分析表によると、分岐点は、はるかが元カレと寄りを戻したところだ。


と言うことは、先日俺は美波に、元カノの所在を必死になって聞き出していたことになるんだな、、、


はるかにフラれて、のこのこと美波の元に"帰らせて頂いた"浅ましい男の癖に。


知らなかったとはいえ、ほんと「サイテー」だわ、俺。




パチパチと薪が爆ぜる音が耳に心地よい。

酸味の強いアメリカンコーヒーも、俺好みの味だ。

小音量で流れる、このログハウスの雰囲気にあったカントリー調の曲が、居心地の良さを際立たせている。 


はるかがここのカフェの常連になる気持ちが分かる。




あの後、俺ははるかの近況を聞いた。


地元の病院で緩和ケア医として勤務している事。

大変だけどやり甲斐のある楽しい仕事で、

自分の性格上合っていると自負している事。

スマホのゲームにハマり、初めて課金してしまったことに敗北感を感じている事。

離婚調停中で今は実家に住んでいる事。


更には離婚調停中に他の異性と会うと、調停で不利に働いてしまうことまでも教えてくれた。


既にコーヒーカップを空にしているはるかを前に、俺は1/3ほど残った冷めたコーヒーを、一気に飲み干した。


伝票をレジに持って行こう手を伸ばしたが、奪うようにしてはるかがそれを先に手に取った。


「あたしから誘ったから、あたしが払うよ」



ログハウスカフェの前で、ましてや寒空の下で立ち話をする気はもう、彼女にもないだろう。


「今日俺、電車で来たから」


「そうなんだ」


「それじゃあ…」


はるかの家と逆の方向にある駅に足を向け、歩き出そうとした俺に、「明」と呼び止める。


冬の太陽の逆光に照らされたはるかが、「幸せになってね」と俺に言った。


もう2度と会うことのない「またね」を最後に、彼女は一度も振り返ることなく去っていった。


積雪に残る彼女の足跡を、俺はしばらく眺めていた。

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