第6話 【飽きた】

ホテル部屋に備え付けられているメモ帳を1枚ちぎり、赤文字でその3文字を紙の中心に書く。


その紙を右手で握り、自分の理想とする"もしもの世界"を想像しながら眠りにつく。


目覚めた時、飽きたと書かれた紙が右手に残っている且つ、火に炙られたように紙が焦げていれば、自分が選択しなかった分岐点の先の未来、所謂パラレルワールドに移動できたことの成功を示すという。


オカルトサイトに書かれていることを、明は馬鹿馬鹿しいと思いながらも実践した。


後日、同僚との飲みの席での話のネタにでもなればいいと、軽い気持ちで行った。


兎にも角にも、明は現実逃避がしたかったのだ。




特にはるかに不満はない。


そのはるかを失ってまで、美波と寄りを戻したいとも思わない。


でも、美波を選んだ世界を見てみたい


俺を好きでいてくれていた美波に会いたい。


美波


美波


美波



聞き覚えのないアラーム音が頭上から鳴っている。


(今何時だ?)


枕元に置いていたスマホの画面をタップして時間を確認するも、充電切れなのか反応せず、暗い画面のまま沈黙している。


充電をし忘れるなんて、自分としては珍しい失敗だなと、虚な頭で何故充電しなかったのか考えていると、

あぁそうか、マンションを飛び出してきたから充電器を持ってこれなかったのかと、昨夜の記憶が蘇った。


同時にここはいつもの寝慣れた寝室ではなく、さびれたビジネスホテルの一室であることも思い出す。


この聞き慣れない電子音も、お世辞にも寝心地が良いとは言えなかったベッドに備え付けられたアラーム機能かと、俺は大きなあくびと背伸びをした後に身体を起こし、そのアラームの停止ボタンを押した。


その時、クシャクシャになった紙が右手からこぼれ落ち、枕の上に着地した。


見覚えのない紙が一瞬、得体の知れない生物に見えドキッとしたが、昨夜、現実逃避のために仕込んだ"オカルト用紙"であることを思い出し、胸を撫で下ろす。


アラームを止めた際に時間を確認したが、現在の時刻は午前10時。


バスローブと言ってもいいのかよくわからないペラペラな絹の生地の寝衣をベッドの上に脱ぎ捨て、昨夜自宅から飛び出した際に着ていた、クソダサい部屋着に着替える。


荷物は何もない。

強いて言えば電池の切れたスマホだけだ。


チェックアウトの時間が10分過ぎており、急足で部屋を後にしようとドアノブに手を掛けた時、枕の上に鎮座するクシャクシャになったオカルト用紙のことを思い出した。


ホテルのスタッフが部屋掃除の際に、赤い文字で


[飽きた]


とだけ書かれた紙を見つけてしまったらさぞかし怖いだろうなと、スタッフの心の安寧を気遣った俺は、ベッドへ踵を返しその紙を拾い上げ、デニムパンツの尻ポケットの中へ回収した。




不思議と一晩寝たら気持ちはスッキリしていた。


今は美波のことより、はるかに連絡をとりたい。


すぐにはるかに謝罪をしたい。


いきなり感情的に俺の劣等感をぶつけられて、はるかも困惑しただろうな、、、。


でもはるかはこんな甲斐性のない俺でも、未来を信じて結婚してくれたんだ。

なんて馬鹿なことを口走ったのだろうと、俯瞰して愚かな自分を見ることができた。


自責の念で押しつぶされながらも自宅に向けて足をひたすらに運び、俺とはるかの住むマンションに到着した、、、時に気が付いた。


しまった。鍵がない、、、!


昨夜スマホしか持ち出さなかったから、鍵は家の中だ、、、。


しかもはるかは仕事で不在だ。インターホンを鳴らしても意味がない。


「最悪だ、、、」


寒空を見上げ、ため息をつく。


白い息が漂うのを目で追いながら、はるかが帰宅するまでどこで時間を潰そうか俺は考えた。


とりあえず、この沈黙し続けるスマホを叩き起こすことが先決だ。


俺は簡易充電器を購入しようと、徒歩5分程度に位置するコンビニまで歩を進めた。




余計な出費と感じつつも、はるかに連絡を取るためには必要経費だと思うようにして、簡易充電器をレジまで持っていく。


ていうか、そもそも昨日俺が阿呆なことをしなければ、ビジネスホテル代も、今日限り使用しないであろうこの充電器も購入せずに済んだのに。


コンビニから出るや否や充電器をパッケージから取り出し、ケーブルを充電端子に挿入する。


電源ボタンを長押しし、暫くすると真っ暗な画面にロゴが浮かび上がる


"不在着信12件"


"新着メッセージ24件"


「え、何だこれ、、、」


俺が驚いたのは不在着信の件数でも、新着メッセージの数でもない。


俺ははるかとの結婚式の時の、ウェディングケーキを2人で入刀する、幸せ溢れるその瞬間を切り取ったワンシーンを、スマホの待ち受け画面にしていた。


なのに今、俺の目に映るその待ち受けの画像が、

全くもって見覚えのない、撮影した記憶もない、

仲睦まじく"美波"と顔を寄せ合うツーショットの写真に変わっていた。


不在着信も、新着メッセージも全て美波からであった。


24件にも及ぶ彼女からの一方的なメッセージを読み遡ると、恐らくだが、昨夜俺と美波は喧嘩をしたみたいだ。それで俺が家を飛び出した、と。


メッセージの殆どが俺に対する罵詈雑言だったが文章を読み解くと、何となく経緯は理解できた。

が、意味がわからない。はいそうでしたかと鵜呑みにできるはずもない。


俺の脳みそがバグってなければ、昨夜は間違いなくはるかといた。


俺のクソみたいな劣等感をはるかにぶつけて、家から逃げ出して、、、。


やはり今ははるかと連絡を取ることが最優先事項だ。

説明の付かない摩訶不思議な出来事が身に降りかかっていることは分かっている。

信じたくはないが、まずは冷静に。

とにかく冷静になってはるかと連絡を取るんだ。


しかし、毎日のように妻と連絡を取っていたのに、トークルームが見つからない。

見つからないどころか、はるかの連絡先そのものが存在していない。


まじで世界が変わったのか、、、?


頭痛がしてきた。


両手で頭を抱える左手が震えるとほぼ同時に、短い電子音が鳴った。


スマホを見ると、新たな美波からのメッセージで、帰宅を促す旨の文字が表示されている。


はやく帰ってこいって言われても、"この俺"はどこに帰ればいいのか皆目見当もつかない。

はるかと住むマンションにか?

それとも以前俺が住んでいたアパート?


もしはるかがこのしがない顔を見てしまったら、100年の恋も冷め切ってしまうだろうと卑下してしまうくらいに、顔全体の表情筋が情けなく弛緩しているのが分かる。


などと自虐していても埒があかないと、力の抜けたこの顔をギュッと引き締め、俺は唯一連絡がついている美波に電話をかけた。


『ねぇ、昨日の夜どこ行ってたの!?ていうか今どこ!?誰と何してるの!?』


ワンコールで電話に出た上に、矢継ぎ早に所在を確かめてくる。


スピーカーから聞こえる声は、間違いなく美波のものだ。

だけどこの美波は、俺の知っている美波と同一人物なのか?


「美波、、、だよな?」


『は?何それ?今どこなの?』


「あ、コンビニ、、、」


あのさ、と明は続ける


「車で迎えに来てくれない?」


『はぁ!?自分で出ていったんだから自分で帰ってきなよ!』


だからその帰る家がわかんねぇだよ!


と反射的に言いそうになったが、そんなことを口にしてしまったら余計に事態が悪化してしまう。


言ってしまえば、この美波との電話が頼みの綱なのだ。


今俺が置かれている、この頭痛を催す謎の状況を少しでも把握するためには、まず俺の知っている人物に会って話をすることだ。


怒らせて電話を切られたりしたら、言葉通り万事休すだ。


でも確かに美波の言う通り、勝手に出て行った奴が車で迎えに来いだなんて、厚かましすぎる。


次の言葉が見つからず、黙り込んでしまう俺に、


『どこにいるの?迎えに行くよ』


ため息混じりに、美波は言ってくれた。


俺は大まかな場所と、コンビニの支店名を説明した。


通話を終えてスマホをデニムの後ろポケットに入れた。


するとクシャッ、と紙の潰れる音がした。


俺はその小さく丸まった紙をポケットから取り出して、広げてみた。


【飽きた】と書かれた文字のところが、

火で炙られた如く黒く焦げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る