第8話 2度目の【飽きた】

日付の変わる午前0時に、この世界線に来てしまったあの"呪術"を、ベッドで眠る美波に気付かれないよう執り行ったが、結論から言うと失敗に終わった。


目が覚めた時、紙は右手の中にしっかりと収められていたが、それは黒くは染まっておらず、何より美波が仕事に行く準備をしている姿を見て失敗を悟った。


出勤する気が全く起きなかった俺は、職場と美波に人生初の仮病を使った。


「マジでどうするか、、、」


ほぼ八方塞がり状態の俺は、誰もいない部屋で困窮を極める独り言を虚しく響かせた。



そろそろベッドと背に根が張るんじゃないかと本気で心配になってきた頃、恐らく昼休みに入ったのであろう美波から、俺の体調を気に掛けるメッセージが届いた。


今朝から病人を装う俺は、

『良くなってきた』

心配かけてごめん、とすぐに返事をし再び天井を眺める。


幾ら考えても元の世界へ戻る術を見出せない俺は、頭を掻きむしり苛立ちを表出させた。


『明が死んじゃったら私生きていけないから』


彼女からの2通目の、大袈裟すぎる文面に俺は呆気を取られた。


そして懐旧の念にかられる。


美波と付き合っていた2年間、誰にも聞かれたくない、自分すらも思い出したくない程の、恥ずかしくも甘い言葉を互いに伝え合ってきた。


文面ではあるが、俺からしたら約3年ぶりの"明がいなきゃ生きていけない"発言だ。


胸が締め付けられる、とにかく懐かしい気持ちに、無意識に涙が溢れ出す。


何でこんなにも泣けてくるのかわからない。


たぶん、この短い期間に色々ありすぎて、情緒が不安定になっているのだろう。


そう思うことにした俺は、今は自分の気持ちに正直に、涙を出すことにした。




仮病で休んでしまったことを禊として、俺は夕食の買い出しを行い、美波が帰宅してくる時間に合わせて夕食を完成させた。


テーブルこたつの上に、彼女の好物の料理を見栄えよく並べている時、仕事から帰宅してきた美波が部屋に現れる。

そして開口一番に、すごーい!と口に手を当て感動を隠しきれない様子を見せた。


「全部私の好きなもの!覚えててくれて嬉しい、、、!」


美波の瞳がうるうるしている。


「明の手料理何年ぶりだろう。本当に楽しみ」


でも身体の方はいいの?と美波の優しさに、俺は抱擁で応える。


身体を硬直させた美波は、すぐに俺の背中に腕を回し、俺の胸に左の頬を当て添え、硬直した身体を脱力させた。


「なんかこういうの、久しぶりだね。ずっとしてなかった」


「え、そうなの?」


「そうなのって、あなた彼氏でしょ」


美波は含み笑いをする。


「同棲しちゃうとさ、家族みたいになって、なんか、、、こういうカップル的なことしなくなっちゃうよね」


美波の切なさが漂う言葉で、俺ははるかとの結婚生活を振り返ってみたが、、、

うん、結構バカップルみたいなノリで色々楽しんでいるぞ。

変なダンスとか踊ったりして。

恥ずかしくて誰にも言えないけどさ。


「やっぱり明の匂い落ち着く。好きな匂いだ」


美波の俺を抱きしめる腕が一層に強くなった。


俺は沈痛な思いで一杯になる。


なぁ、この世界線の俺。

美波を選んだのであれば、責任持って美波を幸せにしてやれ。

飯くらい作ってやれ。

抱きしめてやれよ。

匂いを感じさせてやってくれ。


それができないのであれば、、、


言葉を紡ごうとした時、はるかの笑顔がフラッシュバックした。


眉を八の字にしてくしゃっと笑う、俺が大好きなあの笑顔。


我にかえった俺は、美波を身体から離し言った。


「よし、飯食うぞ」




夕食を食べ終えた俺と美波は、2人掛けソファにゆったりと座り、クイズバラエティ番組を見ている。


女性アナウンサーが、穴埋め問題の答えであったレム睡眠とノンレム睡眠について補足説明をしている。


「そういえばさ、」


クイズの内容に触発されたのか、美波は「2日前に不思議な夢を見たんだよね」と切り出し、語り始めた。


「明と同棲してるはずなのに、全然知らない人と、全然知らない場所で、私暮らしてるの」


俺はテレビのリモコンを手に取り、ボリュームを絞る。


「その知らない人とは婚約してて、もうすぐ結婚する予定だったの。明とはただの同僚で、」


気を悪くした?と訊ねられた俺は首を横に振り、話の続きを促した。


「夢なのにすごくリアルで、でもどこか曖昧で、何日も何日も夢を見続けているような気がして、目が覚めた時、明が隣にいなくてホントに焦ったんだ」


美波のドレスの色で揉めて、"俺じゃない俺"がこの家からトンズラした日だ。

つまり"俺"がこの世界線に飛ばされた日。


彼女も元の居た世界からこちらの世界に飛ばされてしまったのか?


いや、恐らくそれは違う。


何故なら美波は俺とは違い、この世界線での過去の記憶を持ち合わしている。


でも美波が見たというその夢は、俺の世界で生活する彼女の日常を彷彿とさせる。


「明、大丈夫?」


脳をフルに活用し考察に耽る俺に、美波は心配そうに声をかける。


「美波」


名前を呼ばれた彼女は、なぁに?と返事をする。


俺の足らん脳では、この謎めいた現象を解明することは到底できないが、


「その夢での美波は、幸せそうだったか?」


「…まぁ、割と」


気持ちを汲み取ることはできるのだから。


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