エリュシアリア計画~後編~
「国を割る……その通りです。我々はエリュシアリアを当主とした大公家を興そうと考えています」
クランシェラとソフィアの目が鋭さを増して王へと向けられた。
「我が国は大国となりました。また帝国という国が一丸となって戦う外敵の脅威も無くなった今、我が王家だけで国をまとめるのが困難な状況になっているのです」
「それは地方貴族のためにですか?」
ソフィアの言葉に王は頷く。
センチュリオン王国の貴族社会は大きくふたつに分けられる。中央貴族と地方貴族だ。中央貴族は王都周辺に領地を持つ歴史ある貴族で、地方貴族は後に褒賞として土地を与えられ貴族となった者や、併合された国の支配者層などが当てはまる。
特に40年前の帝国分断時には、王国は帝国の配下にあった小国や緩衝地帯を併合し領土は増大。その統治や武功への褒賞のために新しい領土には多くの新興貴族が誕生した。
だが現在王国では中央貴族と地方貴族の溝が深まっており問題となっている。
中央貴族の多くは王都で国の要職を受け持ち、社交を重視する所謂貴族らしい貴族だ。対して地方貴族は領土に籠り、閉鎖的な者が多い。彼らは与えられた土地の管理で精いっぱいで、また王都からも遠いことから社交界からも取り残されている状態だ。どちらが豊かであるかは言うまでもない。
元々武功で名を上げた連中だ。戦が起これば彼らは報酬と名声を得ることができるだろう。だが平和な時代では中央貴族との経済的な格差は広がる一方だった。
戦で手柄を立てて一国一城の主となりました。めだたしめでたし……と、世の中そんな甘くはなく、彼らの苦悩はそこから始まったのである。
「彼らの土地は広く豊かです。甘やかす必要などありません! 彼らが自らの殻を破り、先達の教えを受けに行くようにならなければ、この先到底領主として続けることはできません!」
ソフィアの言い分は尤もだ。中央貴族達は地方貴族達の未熟な領地経営を歯痒く思っている。中には田舎者、新参貴族と馬鹿にするものもいるが、多くは彼らが自ら貴族である自覚を持ち、社交界に歩みでてくることを望んでいる。
中央貴族にとって、地方貴族は領主の務めを果たしているとは言い難い。だが地方貴族にとっては中央貴族は王家に取り入り、贅を尽くす浮ついた連中にしか見えていなかった。
「……不器用な連中なのだ」
「それで済むわけないでしょう。領主の都合で苦しむのは民なのですよ?」
「もっともだ。だが……彼らは王家への忠誠は厚いが、他の貴族に対しては不信感を持っている。それを払拭できずこれまで放置してきた王家にも責任がある」
「なるほど。それでバーテックですか」
クランシェラの言葉に王が頷く。
センチュリオン王国における王家の力は絶大である。それは元々軍事国家であり、王家に権限が集中するような仕組みが作られてきた結果なのだが、その結果、貴族社会で他家を引っ張れるようなリーダー足りうる貴族家が育っていなかった。
他国ならば公爵家や侯爵家等の力のある貴族がその役割を果たすところだが、センチュリオン王国ではそうはいかない事情がある。まず、センチュリオン王国においての公爵位については独特で、センチュリオン王国の公爵位は王位継承権を持つ貴族家の当主に与えられる爵位と定められている。つまるところ王家になにかあった場合の予備だ。その為領地を持たず、権威はあれど金は無い。また公爵位が認められるのも精々一代か二代までだ。だがそれも、王家を中心に国が一丸となるには都合がよく、戦乱の時代には問題なかった。
現在センチュリオン王国にはふたつの公爵家が存在する。どちらも国の要職に就いており、地方の面倒など見ていられない。また次代が公爵位を認められる保証もなく、そもそも他の貴族家に比べて豊なわけでもない。しかしだからと言って現在の公爵家を特例的に優遇すれば、他の貴族家からの猛反発が起こるだろう。
では侯爵家だが、センチュリオン王国の侯爵位は、併合された国の王家や、元々その土地を治めていた豪族に与えられる爵位である。その為歴史的な事情から王家に恨みを持つ家も多く、王家から領地を与えられた他の貴族を不必要に下に見たりと、何かといざこざが絶えなかった。これでは地域のリーダーになりえない。
既存の貴族家に王家がテコ入れしても角が立つ。そこで王家の分家として相応しい新たな血族を作ろうという話が持ち上がった。だが、ただ名門というだけの貴族や、外国の血筋では武闘派上がりの貴族はついてこない。大公家には脳筋共をまとめあげ、名実ともに第2の王家となるだけの資質が求められる。
そこで白羽の矢がたったのがバーテック辺境伯家だ。
辺境伯とは国境を護る為、国王以外に唯一軍事統帥権を持つ爵位である。王家から最も信頼された武門の一族であり、国境の守護者。国内で唯一の辺境伯の爵位を与えられし者。それがバーテック辺境伯家なのだ。
長年帝国との戦いの最前線を支えてきた救国の英雄バーテック。領地には国内最大の海軍基地を持ち、王国の軍船の半分はバーテックの所有であるという。
かつて王都が帝国に占拠される事態が起こった際、バーテック辺境伯は陸では周辺諸侯と残存兵力をまとめ上げて補給線を絶ち、海では帝国の大艦隊と渡り合って勝利する八面六臂の活躍をみせてついに帝国を撤退させることに成功した。また、40年前の帝国の分断時には、共和国とセンチュリオンの間で孤立した帝国配下の小国郡と講和を促し、センチュリオンへの併合のお膳立てを行うなど、その武勇伝は数知れない。
地方貴族の多くはかつてバーテックの下で戦い、その戦果を認められて貴族になった者の子孫だ。現在でも海賊の取り締まりで名を馳せるバーテックの名は、武闘派上がりの地方貴族達に強い影響力を持っている。
そこに王家の血が加わればどうなるか? 地方貴族にとって絶対的なカリスマの誕生である。
国を割るというクランシェラの危惧は決して大げさではないのだ。
「はい。エルドリアはそれを理解した上でとても良い子を産んでくれました。エリュシアリアはまだ幼いが賢い子です。将来は必ず大公の役割を果たしてくれるでしょう」
クランシェラもそれには同意する。
「なるほど。それでエリュシアリアの伴侶はどうするのです? まぁ、簡単に決められないから伏せているのでしょうけれど」
センチュリオン王国では女性でも爵位を与えられ、当主になることが出来る。しかし、男性が一夫多妻が認められているのと違い、女性当主は一婦一夫が原則となる。血脈を重視する貴族社会において、誰の血筋かわからなくなることを防ぐためだ。
王族の婚約など政略結婚が普通だが、今回ばかりは簡単に決めることができないだろうとクランシェラもソフィアも思った。何せ大公家だ。今ここにいる大臣達も、自分の血筋を選ばせようと水面下で壮絶な足の引っ張り合いを行っているに違いない。
逆にさっさと決めても今度はそれが表面化し、下手すれば国内紛争もありうる。社交界を司るソフィアとしては頭が痛い話だ。
「私は自身のパートナーをエリュシアリアに決めさせようと考えている」
「「はぁ!?」」
だが王の考えは彼女達の斜め上にあった。
声を上げたのはソフィアとクランシェラだけだったことからどうやら大臣達は知っていたらしい。
「エリュに自由恋愛を認めるおつもりですか?」
「そうだ。流石に平民とはいかないが、貴族であれば誰もがチャンスが与えられる。貴族社会に良い刺激となるだろう」
「……それは劇薬でしょう? 皆はそれで納得しているのですか?」
クランシェラが呆れたように言うと、それまで黙っていた宰相も頷く。彼はラーキン・プロト・エンフィールド。名門エンフィールド公爵家の当主であり、アルフォンス三世の従兄でもある。王妃を除けば王と最も親しい間柄だ。
「はい。皆思うところはありましょうが、王の考えに賛同しております。姫様の恋物語を民は熱狂的に受け入れることでしょう」
「全く……おめでたいことね」
「母上。どうあっても揉めるのです。ならば恋物語として美談にしてしまえば新たな大公家の始まりにも相応しいですし、選ばれなかった者も納得せざる得ないでしょう」
「なるほど。公表しなかったのはエリュの立場に釣られて来る輩を排除するためなのね」
「ええ、その通りです。エリュシアリアには普通に恋をして生涯のパートナーを見つけてもらいたい」
「はぁ……私は今から頭が痛いわ」
男共はまさか貴族の恋愛が甘いロマンスで終わると思っているのだろうか?
将来どんな愛憎劇が繰り広げられるのかとクランシェラは頭を抱えた。
「そこにはガーランドも含まれるのですか?」
「勿論です。我々の思惑が介入せず、誰にでもチャンスを平等に与えることがこの計画の肝なのですから」
ガーランド侯爵家は元は帝国の属国だったガーランド公国の末裔である。ガーランド公国はメルト共和国の独立によって地政学的に孤立したところに飢饉が発生。宗主国であるイグレス帝国の支援も受けられず、多数の餓死者が出たところで、宿敵だったバーテック辺境伯の仲裁でセンチュリオン王国に併合された経緯を持つ。
現在のガーランド侯爵家にセンチュリオン王国からの独立の意思はないだろう。山間にあるガーランド領は穀物の栽培に適した平地が少なく元々貧しい。その上元敵国。独立したところでセンチュリオン王国からも共和国からも相手にされず、極貧国が誕生するだけだからだ。
だが、女大公となったエリュシアリアを手に入れたらどうだろう?
センチュリオン王国との関係を保ったまま公国再興の可能性が出てくる。他の貴族家と比べて最も内外への影響が大きい。それがガーランド侯爵家だ。
「確かガーランドにはエリュと歳の近い男子がふたりいましたね?」
「数多の候補の中のひとつに過ぎません」
「もう! 知りませんよ!?」
「覚悟の上です」
王はそれまで黙っていた妻へと向き直る。
「ソフィアもこれまで黙っていたことは悪かったが、これも国のためなのだ。わかって欲しい」
ソフィアは為政者としての才能に恵まれており、王は彼女からこれまで幾度も助言を受けてきた。その為王は、彼女に計画を打ち明けたいと思っていただが、大臣達の中にそれを良しとしないものがいた。ソフィアは友好国とはいえ国外から嫁いできた身だ。彼女から情報が漏洩し、国外から横槍が入るのを防ぎたかったのである。
まあ、実際賢しい国はエリュシアリアの存在に気付いていたのだが……
「陛下の考えはわかりました。ですがネリスは知っているのですか?」
「うむ。彼女の子供達には申し訳ないからな。あとセラフィナにも……それが申し訳なくてどうしてもお前には言いづらかったのだ」
王とソフィアの間に生まれた第一子であるセラフィナには、これまで通り王族として政略結婚を求めることになる。それはネリスの子も同様だが、王としては長年支えてくれたソフィアには中々それを言い出すことができなかった。
「陛下。私のこともセラフィナのこともかまいません。ですがはっきり言わせていただきます」
「う、うむ……」
王を見つめるソフィア。そこにあったのは怒りだ。彼女は大きく息を吸いこむと、それはそれは大きな雷を落す。
「何やってるの!! そんなの国の将来をエリュに丸投げしただけじゃない!!」
空気を震わす怒声と気迫。王とソフィアは幼少の頃からの付き合いだが、彼女がこれほどの怒りの表情を見せたのは初めてだった。
「全く情けない!! それならさっさとエリュを女王にしてあなたとアルフォートが地方のために尽くせばいいのよ!! 大公家を興すより余程手間がかからないわ!!」
大臣のひとりがその手があったかと膝を叩くが、睨まれて黙る。ソフィアも本気で言ったわけではない。
「何が言いづらかったよ。昔からあなたは変なところで甘いんだから……」
「ソフィア」
クランシェラがソフィアを諫める。ソフィアはまだ言い足りなさそうだったが、王は小さくすまんと謝罪を口にする。
「アルバート。もう決まったことならば私達もこれ以上反対はしません。ですが私もこれだけは言っておきます。エリュを国のための道具として考えているのならすぐにそれを改めなさい。お前が言うようにエリュシアリアはとても賢い。今は天使のように可愛いけれど、将来怪物となって国に牙をむく可能性を考えたましたか? もしそうなったら、あなた達やアルフォートであの子を止められるかしらね?」
王は答えられなかった。他の大臣達もだ。中には顔が真っ青になっている者もいる。
エリュシアリアは既に読み書きを覚え、大人の言うこともよく理解している。彼らはそれを神童の誕生と考え、舞い上がっていた。
誰もがエリュシアリアに期待し、将来中央や王家が彼女に飲み込まれる可能性を彼等は考えていなかった。
「王家に生まれた以上、重責を担うことは仕方がないことです。ですが父としてエリュに愛情を注ぐことを忘れてはなりませんよ? あなたはエリュが夜ひとりで泣いていることを知っていますか? あの子は人前で涙を見せません。3歳の娘がですよ? しかし朝になれば、必ず枕に涙を流した跡が残っているそうです。あなたはそれを知っていましたか?」
エリュシアリアは人前で泣かない。その為賢く、強い娘であると思われている。だがそれは間違いだ。彼女が見えないところで声を殺して涙を流していることを母親や侍女達は知っている。
「あの子の心は決して強くはありません。むしろとても繊細な子なのだということを覚えておきなさい。あの子に将来力を与えるつもりであるならなおのことです。でなければ取り返しのつかないことになる。あなたが王であると同時に父親であるということを、決して忘れるんじゃありませんよ?」
母と妻に咎められ、返す言葉も見つからず、遂に王は堕とされた。
胸に手をやり、深く首を垂れる。
「……肝に銘じます」
A.O.C1775年春……センチュリオン城はたったふたりの女傑によって陥落したと後に歴史書に記される。
✤✤✤
夕方、珍しくお父様が私の部屋にやってきた。
お父様はいつもならもっと遅い時間まで仕事をしていたはずだ。それなのにわざわざ私の部屋に来たのは、お母様が急に仕事で外国に行ってしまったことで私に気遣ってくれたのかもしれない。
「本を読んでやろうと思ってな」
お父様が手に持っていたのは昼間モブールお兄様からもらったのと同じひいお爺様の伝記だった。
でも普通この歳の娘に持ってくるなら絵本なんじゃないかなと思ってしまう。
「なんだ。もう持っていたのか。なら別のにするか」
私の手元に同じ本があったのを見てお父様は別の本を取りに行こうとするが、私はそれを引き留めた。
「まっておとーたま! ご本、読んでくだたい!」
「そうか。ではこっちにおいで」
私はお父様の膝の上に収まる。王の玉座にならぬ、王を玉座にってすごいよね。
でもそういうのじゃなくて、普通にお父様が私を気遣ってくれたのが嬉しかった。
お父様が持ってきた本は何度も読み返したのだろう。かなり年季が入っている。これまでお兄様やお姉さま達もこうして本を読んでもらったのかもしれない。
私はその後数日をかけて、ひいお爺様の伝記を読み聞かせて貰ったのだった。
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