王家の人々~その他のお兄様と聖樹の剣~
午後からはお勉強の時間。私も3歳児らしく文字や言葉の練習をする。『剣の国のエリュシアリア』は日本のメーカーが出したゲームで、豪華声優陣による日本語フルボイス仕様だった。ところが転生先のセンチュリオン王国の言語は何故か英語。だいぶ慣れてはきたものの、会話はまだぎこちないため、私は毎日子供向け教育番組のような英語のレッスンを受けている。
「姫様。これはなんですか?」
シナリィが木でできたりんごの模型を私に見せる。王家の子どもたちが代々使ってきたという、由緒正しい木製の教材だ。模型の裏側には幼児にもわかりやすい書体でAppleと書かれている。
「おもちゃ」
私が答えるとシナリィが困った顔をしたので私は意地悪するのをやめる。
「あっぷる」
その答えにシナリィはにっこりと笑みを浮かべる。
「うーん惜しい! 正解はあっぽぉ(Apple)です。はい、あっぽぉ~」
やっぱりこうなった。
前世でも英語の発音が苦手だったんだよね。
「ほら姫様! あっぽぉ~」
「あ、あっぽ~」
「りぴ~とあふたみ~。あっぽぉ~」
「あっぽ~」
「あっぽぉぉぉ~~」
「あっぽぉぉぉ……」
「あっぽぉ」
「あっぽぉ」
「はい。よく出来ました」
こんにゃろ! 覚えてろよ!
まあ、それでも前世で勉強していた英語なだけまだマシだったのかもしれない。ゲームでは日本っぽい国も存在していたから、きっとそこでは日本語が使われているのではないだろうか?
この世界では地球のように沢山の国や民族が存在していて、言語も無数にある。近隣の国でも言葉が違ったりするから、王族なら3ヶ国語は話せて当たり前。お母様とかそれ以上話せるらしい。
続いてシナリィが手にしたのは、丸に三角を組み合わせた人形がふたつ。それぞれ青と赤に塗られている。
「姫様。これはわかりますか?」
シナリィは右手に持った青い方を私の目の前で揺らしてみせる。これはどう見ても……
「トイレ」
「はい?」
「男子トイレ」
「姫様。真面目にやってください。これは紳士。じぇんとるめんです!」
人形を裏返すと確かにそう書かれているけど……わかるか!
「姫様。じぇんとるめ~ん!」
「じぇんとるめ~ん」
「はい。ではこっちは?」
続いて赤い方。
「女子トイレ」
「姫様!」
怒られた。
「これは淑女です! れでぃ~す。おーけー? はい、れでぃ~す」
「れでぃ~す」
こんな調子で楽しいレッスンは続く。だけど今日は小さな乱入者が現れて中断されることになった。
「失礼します」
「おう! 邪魔するぞ!」
やってきたのは第2王子のモブールお兄様と第3王子のオーゼルお兄様だ。実は7人兄妹の中で、私が一番仲が良いのがこのふたりだったりする。年齢が近いのはクリスティン、アリスティンお姉様達なんだけど、お互い幼いこともあって自由に出歩けないためあまり会えない。その点、自由に出歩けるお兄様達はよくこうして遊びに来るのだ。
9歳のモブールお兄様はネリスお義母様に似てミルクティー色の髪と、整った顔立ちをしているのだが、何故か印象に残りづらく影が薄い。
誰に対しても丁寧な話し方をして、とっても優しいんだけどね。
隣にはオーゼルお兄様6歳。髪はお父様と同じ赤みの強い栗毛。やんちゃな性格で、何やら腰にいい感じの木の棒を差している。騎士の真似だろうか?
「ようこちょ。モブールおにーたま、オーゼルおにーたま」
私がふたりを迎えるとシナリィがすかさず口を挟む。
「姫様。うぇるかめではありません。うぇいかぁむです」
うるさいな!
「勉強中にすみません。遊びに来てよかったですか?」
「勿論です。殿下達も一緒に勉強していかれますか?」
シナリィの言葉に勉強嫌いで有名なオーゼルお兄様がうげっという顔をする。モブールお兄様はそれを見てクスリと笑う。
「せっかくですけれど、今日はエリュに頼まれていた本を持ってきただけですから」
そう言って、小脇に抱えていた本を私に手渡す。それはひいお祖父様の事が書かれた伝記だった。
センチュリオン王国は、大陸の制覇を狙う帝国から北西諸国連合を守るために建国され、それから1000年もの間、王国は帝国と戦い続けた。しかし、今から40年程前に帝国の一部が共和国として独立したことで、センチュリオン王国は北西諸国連合の盾の役割から解放される。その立役者が、ひいお祖父様であるアルフォンス一世なのだ。
平和な時代の礎を築いた偉大な王。ひいお祖父様のことが書かれた本は数多く出版されている。お兄様が持ってきたのはその中でも最もポピュラーな本らしい。
「わーい。ありがとうございまぅ。おにーたま」
やっぱりお願い事するならモブールお兄様だね! 普通の3歳児だったら読まないような本でもこうして持ってきてくれるんだもの。
私は喜んで本を受け取る。ゲームのシナリオでは王国は将来帝国の侵略を受けることになる。この本にはその未来を回避するヒントが書かれているかもしれないし、もしかしたらシナリオとは違った歴史をたどっている可能性だってある。本当はもっと本格的に歴史を勉強したいところだが、今の年齢だと流石に違和感がありすぎだ。
お父様やお母様達が私を天才とか神童とか言っているのは知っている。でも、そんなのは精神年齢と前世知識のアドバンテージがある今だけだ。ゲーム開始時の15歳になる頃には、見た目が良いだけの凡人になってるはずだからあまり期待されても困る。
目立つことはしたくない。でも、この世界のことは知りたい。そこで子供でも読みやすい歴史が書かれた本がないか、お兄様に相談していたのだ。
「姫様? 読んで差し上げましょうか?」
「自分で読める」
シナリィがお膝の上でご本を読んであげますモードで待機しているが、私はそれを断って、自分でページを捲ってみる。
シナリィが残念そうな顔をする。もちもちの太ももの上は魅力的だが、今はお兄様の目があるからね。
ひいお祖父様の伝記は絵本とまではいかないが、十分にわかりやすい文章で書かれていた。
シナリィはもう慣れたのか、私が年齢にそぐわない本を読んでいても気にしないが、お兄様達にはやはり衝撃的だったようだ。
「優秀だとは聞いていたけれど、本当だったんですね。玩具を使った言葉の勉強なんて今更エリュに必要なんですか?」
「確かに姫様は読み書きは完璧にこなしていらっしゃいますが、発音に辺境のノヴァ族やイーオン族の喋り方に似た不思議な訛りがございます。王家の姫としては早めに矯正したほうがよろしいかと」
「はぁ。なるほど」
悪かったね!
「それに、専門の家庭教師がつけられたら私が姫様と遊べないじゃないですか」
「え? 何か?」
「いえ、なんでもございません。本格的なお勉強はもう少し歳が上がってからとエルドリア様もおっしゃっております」
モブールお兄様には聞こえていなかったみたいだけど、こっちにはしっかり聞こえていたぞ?
「うん。確かにそうですね」
モブールお兄様って簡単に人の言うことを聞いてしまうんだよね。
以前、欲しいおやつがかぶったとき、あっさりと私に譲ってくれたことがあった。そのときあまりにも気前が良かったので、私が本当にいいのか聞いてみたところ、「いいんですよ。第2王子ってのは何事も諦めがよくないとやってられません」と爽やかな笑顔で返されてしまった。
こうして本を持ってきてくれたり、優しいのだが9歳でそれは達観しすぎでしょう? モブールお兄様はもしかしたら兄妹で一番大人なのかもしれない。
「なぁ、本当にエリュは読んでいるのか? クリスもアリスもようやく文字を覚えてきたところなんだぞ?」
逆に人間が出来ていないオーゼルお兄様は、どうやら私が本当に本が読めるのか疑っているようだ。腹は立つけど、本来これが普通なんだと思う。
「ん。読んでる」
「本当か?」
もう、しょうがないなー。
A.O.C1698年。9月1日。明けの明星が輝く頃。センチュリオン王国代46代国王エリオンと王妃アルミナの第二子としてアルフォンス・シグマ・センチュリオンは誕生した。生まれた当時王子はとても小さく、後に偉大な業績を残す王となるなど誰も予想しなかっただろう……
本に書かれた最初の一文を読みあげる。滑舌は3歳児だし、発音はどっかの駅前民族なのはご愛敬。
「おお! すっげえ! 本当に読めるのかよ!?」
根は素直なオーゼルお兄様は目をまんまるにして身を乗り出してくる。
ドヤァ!
「あはは! オーゼルも既に負けてるんじゃないですか?」
「お、おれだってこれくらい読めるさ!」
「ほう? ではここなんて書いてありますか?」
モブールお兄様が示した一文をじっと凝視するオーゼルお兄様。どうやら難しかったようで、オーゼルお兄様の表情はだいぶ面白いことになっている。
「え? えっと……おうこく、ながい、夜、あしたは晴れ?」
こりゃ駄目だ。
もっとも、オーゼルお兄様もまだ6歳で地球なら小学校1年生だ。この本の内容がまだ難しくても仕方がない。
でも、ここまでとは……
勉強から逃げ出したオーゼルお兄様を、侍女さん達が首根っこ掴んで連れ戻してるのをよく見かける。私はあれオーゼルお兄様の趣味だと思ってたんだけど、どうやらお兄様は本気で勉強が嫌いなようだ。
モブールお兄様とシナリィが揃ってため息をついた。
「じゃあ、エリュ読んでみて」
「おうこくはながいよるがあけた、あたらちいぢだいがはぢまる」
王国は長い夜が明けた。新しい時代が始まる。きっとひいお爺様の名言のひとつだろう。
明日の天気は何処から出てきた?
「うん。よく読めたね」
「さすが姫様です」
モブールお兄様に頭を撫でてもらう。精神的には15歳でも可愛い男の子は大好きだからね。
役得役得。
「オーゼル殿下はそろそろ本腰を入れて勉強に打ち込んだほうがよさそうですね」
「そうですね。僕もできるだけ勉強を見てあげることにします」
馬鹿にされたと思ったのか、オーゼルお兄様の顔が真っ赤になる。
ふたり共、あまり追い詰めない方がいいと思うよ? やんちゃでも真っすぐ良い子に育ってるのに捻くれたらどうする。お家騒動はごめんだよ?
「本くらい読めなくてもいいんだよ! 将来おれは騎士になるんだからな!」
周囲の心配をよそに、愛すべき馬鹿は何処までも真っすぐ斜め下を突き進む。
この国で騎士とは貴族に仕える私兵のことを言う。王子様がいったい誰に仕えるの?
「勉強もできないと近衛騎士団には入れませんよ?」
お兄様は王子様なのだ。騎士になるのではなく、騎士を従える立場。いずれ臣籍降下するにしても、国内に残るなら公爵だし、外国に婿入りするにしても良いとこの貴族家だ。騎士として他家の臣下に下ることは許されないだろう。例外が王家に仕える近衛騎士団だけど、当然入団には学科試験もある。
だけどオーゼルお兄様は首を振った。
「おれは旅に出る。そこで困ってる人を助けて回る正義の騎士になるんだ!」
それただの無職だろう。オーゼルお兄様は将来廃嫡されるつもりなのかな? 今のまま勉強サボってるとあり得るから笑えない。
「正義の騎士になって悪い魔法使いから綺麗なお姫様を助け出すんだ! 将来はそのお姫様と結婚して幸せに暮らすのが俺の夢なんだよ!」
いいね。そういった物語は好きだよ。でも、お父様もネリスお義母様も心配するから、やっぱり勉強した方が良いと思うな。
「やめときなさいオーゼル。元々、僕たちは将来国のため、お父上が決められた姫君のもとに出荷される身です。あまり夢を見るものではありません」
モブールお兄様はちょっと自虐が過ぎます。そこはポジティブなオーゼルお兄様を見習った方がいいかもしれない。将来闇落ちしてお家騒動はごめんだ。
「そ、そんなの嫌だ! 俺は絶対騎士になるんだからな!」
オーゼルお兄様も納得できない様子で、腰に差していた木の棒を抜く。
「「「はあ」」」
木の棒をかざしてポーズをとるオーゼルお兄様。私達は一瞬ぽかんとその様子に目を奪われて、また揃ってため息をついた。
「殿下。王宮内での抜剣は禁止ですよ? ですからこれは没収です!」
シナリィがオーゼルお兄様の持っていた棒を取り上げてしまった。
「あ! 返して! 返して!」
「だーめーでーすー!」
手を伸ばして取り返そうとするオーゼルお兄様だけど、シナリィはそれを許さない。王宮内では警備の近衛騎士以外の帯剣は許されていないし、それも正当な理由もなく抜くことも認められていないのだ。
「まあ、これは幼いエリュが居る部屋で棒を振り回したオーゼルが悪いですから仕方がないですね」
「そんな! 兄上まで!? それにあれは棒じゃない。聖樹の剣だ……あ」
「「「聖樹の剣?」」」
オーゼルお兄様がしまったという顔をするがもう遅い。大丈夫。私は理解がある方だよ。6歳で中二病を恥じることはない。
「まあなんてことでしょう! 聖樹の剣だなんて! 殿下はそのような強力な聖剣を幼い姫様がいる部屋で抜かれたのですか!?」
相変わらずシナリィはノリがいいね。
顔を真っ赤にして泣きそうな顔になったオーゼルをお兄様をシナリィは小脇にひょいと抱える。
「こ、こら! はなせ! はなせー!」
「規則を破った殿下には罰を受けて頂かなければなりません。姫様すぐ戻りますので、お留守番をしていてもらえますか?」
「ん」
じたばたと暴れるオーゼルお兄様を抱えてシナリィが部屋を後にする。
「僕も証人としてついていきます。またね。エリュ」
「またいらちてくだちゃい」
「はい。ここは本当に楽しいですから」
柔和な笑みを浮かべてモブールお兄様も部屋を出ていく。
余談だけど、この後オーゼルお兄様の聖樹の剣抜剣事件は公式に記録に残ることになった。
没収された聖樹の剣は証拠物件としてラベル付きで証拠品保管庫に収納されたらしい。オーゼルお兄様はその後しばらく謹慎が命じられて、部屋でみっちりと勉強をさせられることになったようである。
本物の騎士と同じような扱いを受けて本望だったんじゃないかな?
今回の件に限らず、王宮の警備を担当する騎士の詰め所にある日報には、そういった王族の黒歴史が数多く記載されているらしい。本当に平和なんだね。
私は静かになった自室で、ひいお祖父様の伝記のページを捲る。
中盤までは飛ばして最後の方へ。そしてそこには私の知りたかったことが書かれていた。
A.O.C1728年。1000年にわたって続いたイグレス帝国と
帝国から独立した地域はメルト共和国を建国。
戦線が共和国に移ったことで
帝国領内の反乱分子と手を組んで、共和国を建国の立役者となったのがひいお祖父様なのだ。
やっぱりゲーム設定通りだった。ならば今後の世界情勢もゲームのシナリオに沿って流れると見ていいだろう。
ゲームでは今から13年後。私が16歳になるとき、メルト共和国に親帝国派政権が誕生する。新政権は
私にそれが変えられるの?
不安と責任に潰されそうな気持ちで、私は本を閉じた。
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