エリュシアリア計画~前編~
王都の中心にそびえるセンチュリオン城は、帝国の侵略から北西諸国を守るための最後の砦であり、幾度となく帝国の侵攻を食い止めてきた巨大城塞だ。上から見れば六芒星の形をした城壁の内側には国の中枢としての機能の他に、農場や獣舎まで存在し、いざとなれば王都の民を丸ごと収容して数年戦えるだけの食料を備蓄している。
太平の世となりその鉄壁の守りを発揮する機会は失われたが、その勇壮な姿は国民の誇りであり、国の象徴であることに変わりはない。
その日、城壁の上から監視していた衛兵は、跳ね橋の向こうに豪奢なドレスを纏った貴族とみられるふたりの婦人の姿を発見する。
ひとりはの灰色の髪をした老婦人。そしてもうひとりは艶やかな金色の髪の妙齢の女性。その頭上には白銀のティアラが光輝いている。
「王太后殿下とソフィア王妃!?」
見間違えることが許されない人物を目にして衛兵は叫んだ。
堀の向こうの周囲の人々もそれに気づき人垣ができ始めているが、ふたりは護衛のひとりもつけずに徒歩で城へと向かってくる。
城を見つめる王妃の視線が自分へとむけられた気がして、衛兵は射すくめられたかのように腰を抜かして叫んだ。
「コ、コ、コ、コード13!! カラーレッド!!」
「え!? なんだって!?」
同僚が状況を理解できずに固まったのに苛立ち怒鳴りつける。
「聞こえなかったのか!? コード13だ!!」
「りょ、了解!! コード13!! カラーレッド発令!!」
伝令が走り、ラッパが鳴る。それは瞬く間に城中を駆け巡った。
コード13。それは予想外の政治的脅威襲来。カラーレッド。極めて深刻(不機嫌)。
「コード13!! コード13だ急げ!!」
「当直の近衛騎士は直ちに出動!! 王妃の直衛に向かわれたし!!」
「警邏兵、職員は直ちに一般人をホール外へ誘導しろ! 来賓は貴賓室へ!!」
「陛下は円卓の間へ!! 閣僚も全員そこへご案内しろ!!」
「手の空いている騎士、衛兵は南門へ集合!! 即席で隊列を組め!! 栄・誉・礼!!」
「厨房は大至急ケーキの準備を!! 王太后殿下の好物はモンブラン。ソフィア王妃はシュークリームだ!! 間に合わなければ城下に買いに行ってこい!!」
城中が戦場のように慌ただしく動き出す。
城門からエントランスまでの中庭には姿勢を正した騎士が並び、業務は一時中断され、一般人は職員の誘導によって王妃達の進路が確保される。
国王や大臣といった国の中枢を担う者達は城の中心にある円卓の間と呼ばれる会議室に集められた。
城の最深部にある円卓の間は戦時下において指令室として使われる場所である。堅牢な壁と扉で閉ざされており、飾り気もない簡素な部屋だが防諜対策が完璧で、常に国の大事はこの場所で決められてきた。現在でも重要な会議はこの部屋で行われている。
やがて護衛の騎士を引き連れた王太后クランシェラと、第1王妃ソフィアが姿を見せると、宰相と閣僚達は立ち上がって礼をする。
騎士を部屋の外に残し重い扉が閉じられる。
「雁首揃えて、どうやら覚悟はできてるようね」
円卓の間に集められた、国王アルフォンス三世。宰相のエンフィールド公爵以下、閣僚達の顔を確認するとクランシェラは不敵に微笑んだ。
38歳になる国王であるアルフォンス三世は、赤みの強い栗色の髪に、端正な顔立ち。長身で体格もよく、剣の国と呼ばれるセンチュリオンの王として相応しい美丈夫だ。
だが平和な時代に生まれた初の王ということあり、内面的には心優しく、甘いところがあると先代や先々代を知る者達からは陰で囁かれていた。
先代である父、アルフォンス二世の急逝の後、父と同じくアルフォンスの名を継いだのも彼らの不安を払拭するためだ。
自身が祖父であるアルフォンス一世に強い憧れを抱いていたのもあるが……
張り詰めた空気の中、居並ぶ国の重鎮達に全く臆することなく、ソフィアが夫である国王、アルフォンス三世の前に出る。
「陛下、エルドリアをハーベルに向かわせたそうですね? エルドリアは昨夜帰ったばかり。些か無理をさせすぎかと。聞けば大司教様がお倒れになったとのことですが、それで王妃を派遣するのは尚早ではありませんか?」
「エルドリアには申し訳ないと思っている。だが大司教殿は高齢故に万が一もありうる。これも務めであると理解してほしい」
厳しい表情の妻の問に、王は緊張した面持ちで答える。
「王妃の顔は軽いものではないのですよ?」
「わかっているつもりだ」
夫の言葉にソフィアは納得していない様子だ。そこにクランシェラが口をはさむ。
「アルバート。あの方のことでまだハーベルの顔色を気にしているのかしら?」
アルバートとは現王アルフォンス三世の幼名だ。今やその名を呼ぶのは実母であるクランシェラと、ベッドの中の妻達だけである。
「……ハーベルは北西諸国連合の盟主。外交上の懸念はできる限り払拭したいと考えています。それにあの方はインベル大司教の従妹に当たります。王家からお見舞いの使者を出すのは道理かと」
だがクランシェラはそれを鼻で笑う。
「我が国は1000年の間北西諸国の盾として帝国と戦い続けて来ました。あなたの父が巫女のひとりふたり攫ったからとお前が気にすることはありません。それにあの方が幸せであったことは大司教様も認めていたことです」
40年前、先王であるアルフォンス二世とハーベル法国の巫女が恋に落ち、強引に巫女を国に連れ帰るという事件が発生した。
センチュリオン王国はその頃帝国分断を成し遂げたことで勢いに乗っており、また民衆もこのラブロマンスを歓迎したこともあって、ハーベルとしても認めざるを得なかった。
だが巫女はアルフォンス二世の第1王妃へと収まるものの子供を生すことはできず、王太后の座は第2王妃であったクランシェラに譲ることになる。
その後アルフォンス二世の崩御の後、巫女は王籍を離れたのだがそれがハーベルには面白くなかった。我々から巫女を連れ去っておきながら追い出すとはどういうつもりだと……
巫女の従兄が大司教の座に就いたこともあり、それ以後センチュリオンとハーベルの関係はややぎくしゃくしたものになっていた。
「ですが、父上亡き後あの方を王宮から追い出したと……母上がそう思われているのですよ?」
「あの方はこの国の法と慣習に従い、納得の上で王宮を出たのです。だいたい、あなたも含めて生まれてきた王家の子供の洗礼は全員あの方がやっているのですよ? 不仲を疑う方がおかしいでしょう。口出しされる謂れなどありません!」
「それはそうなのですが……」
「それだけではありません。エリュシアリアのこともです。あなた達はいったい何を企んでいるのです?」
クランシェラは居並ぶ王と大臣達を鋭い視線で見まわした。何人かの大臣が俯き、視線を逸らす。
その様子に溜息を尽くクランシェラ。
「エルドリアは良い娘です。ですが私はバーテックとの縁談には反対でした。生まれてくる子供が国を割りかねないだけの影響力を持つことはわかっていましたね? それでもあなた達はバーテックの娘を王妃に迎え、エリュが生まれた。エリュのことも公式での発表を伏せたままで一体何を考えているのです? いい加減白状なさい」
暫しの沈黙の後、王は小さく息を吐いて口を開いた。
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