夢魔の試練~敵~

 ゲームと全く変わらぬ姿で、悪役令嬢、ベルフィーナ・ファイ・ガーランドはそこにいた。


 白銀の髪、群青色の瞳、彫像のように整った顔。動きやすさを重視した丈の短い薄い水色のドレスは彼女の抜群のスタイルを引き立てる。


 私は一瞬その非現実的な美しさに目を奪われる。だが、彼女と目が合った途端に恐怖でそれも吹き飛んだ。

 

 この瞬間もう勝負は決まっていた。私は気に呑まれ、心も体も完全に委縮してしまっていたのだから。


 せめて足が震えているのを見せまいと力を入れて、私は油断なく身構える。


「な、なんであんたがここにいるのよ?」

「それはあなた様があまりにも腑抜けていらっしゃるからですわ」

「あんた喧嘩売りに来たの!?」

「ええ、その通りです」


 彼女が動いたと思った瞬間、鳩尾に拳を叩き込まれた。表情を変えることは無く、静かに無駄のない動き。身構えていたつもりだったけど、彼女にとってはただその場に突っ立っているのと変わらなかったようだ。


「っ!?」

「……私はあなたと喧嘩をしに来ました」


 衝撃と痛みは後からが来た。私はその場に膝から崩れ落ちる。


 痛みに悶える私をベルフィーナはただ冷たい瞳で見下ろす。

 

 ゲームでもベルフィーナはこういうキャラだった。


 悪役令嬢のくせに高笑いすることもなく、取り巻きと一緒に馬鹿にしたりすることもない。


 全ては兄とエリュシアリアを結ばせるため、手段を選ばずエリュシアリアの恋路を邪魔をする冷徹な令嬢。それがベルフィーナだ。


 喧嘩なんて冗談じゃない。こっちは素人だ。


 逃げよう。どうせ適わない。


 背を向けて逃げ出そうとする私だったが彼女はそれを許さなかった。襟首を掴まれ、無造作に後ろに引き倒される。

 

「あうっ! ……こ、こないで!」


 正面から迫るベルフィーナ。私はもう逃げる気すら失っていた。


 戦っても無駄。 

 逃げても無駄。


 私にできるのは怯え、懇願することだけだった。


「やめて……なんで、こんなことするの?」

「言ったでしょう? 私はあなた様と喧嘩をしに来たのだと」


 ベルフィーナに制服の襟首を掴まれる。引き剥がそうとするが、彼女の力に全く歯が立たない。


「や、やめて! 放して!」


 懇願も抵抗も意に返すことなく、ベルフィーナは片手で軽々私の身体を持ち上げる。


「少し重くなられましたか?」

「し、失礼ね! あんたよりよっぽど軽いわよ!」


 設定だとベルフィーナの体重は60キロ。私より10キロ以上重い。


「良かったですわ。まだ、そんな口が叩ける気力があるようですね」

「きゃっ!?」


 彼女は無造作に私を空中へと放り投げた。


 奇麗な花畑をぐしゃぐしゃにして、数メートル先の地面に落下する。受け身もまともにできない私だが、花がクッションになってくれたおかげでダメージはそれほどでもなかった。


 どうして私がこんな目に?


 悔しくなってその場の土を握りしめる。


 まだ甚振り足りないのか、ベルフィーナがゆっくりこちらに近づいてくる。私は彼女めがけて私は掴んだ土を投げつける。だが、それは予測されていたかのように躱された。


 身体は痛む。けれど私は起き上がって、彼女の奇麗なすまし顔に向かって殴りかかる。でも所詮は素人の喧嘩パンチだ。容易く受け止められてしまう。


「なっていませんね。どうしたのです?」


 彼女は不思議がるように小首をかしげた。全然可愛くなんかないよ!


「うるさい! 放して!」


 ベルフィーナの指は形よく伸びているが、皮は厚く固い。鍛えられた戦士の手だ。掴まれた私の拳は押しても引いてもびくともしなかった。


 何が喧嘩よ! 力の差がありすぎるじゃない!


 私がエリュシアリアだったらベルフィーナとも少しは戦えたかもしれない。だけど桜井あんずの非力な身体では相手が悪すぎる。


「……なによ! 弱い者いじめして楽しいわけ?」

「弱い者いじめ? そんなはずないでしょう? 私はあなた様を弱いと思ったことなどございませんわ。思い出してください。毎日のように戦ったあの日々を」

「何言ってるの? ……痛っ」


 掴む手の力が強くなって、私の小さな拳が悲鳴を上げる。彼女がその気になれば、簡単に私の手の骨を砕くことができるはずだ。これが弱い者いじめでなくてなんだというのか。


 痛みと悔しさで零れそうになる涙を堪えて、彼女を睨みつけると彼女の口元がわずかに上がった気がした。


 彼女が、笑った? 


 一瞬気を取られた瞬間、世界が反転した。

 私は彼女に投げられて、気が付いたら大の字に倒れていた。


 鮮やかな一本背負いは花達も流石に衝撃を吸収しきれなかったようだ。遠のいていく意識の中、私を見つめるベルフィーナを見た。


 彼女には私が誰か別の人に見えているのだろうか?


 彼女は僅かに笑みを浮かべ、頬を朱に染めていた。


 それはまさに恋する少女の顔だった。


 奇麗……


 心からそう思った。


 ベルフィーナは倒れた私を抱き起し、前髪をなでる。だけど既に意識を失った私はそれに気づくことはなかった。


「こんなにもお慕いしていますのに、どうして気づいてくれないのですか? エリュシアリア様」


 そう言って、彼女は私の額にキスをした。



✤✤✤



 気が付くとベルフィーナに膝枕されていた。何故? 

 びっくりした私は後ずさって距離を取る。

 幸い身体に大きな怪我もなく無い。彼女はずっと手加減していたのは分かっている。

 その気なら私なんか瞬殺だ。


「……どういうつもり?」

「私はあなた様に目を覚まして欲しいだけですわ」

「……気絶させられたんだけど」

「まさかこれほどやわになっているとは思っていませんでしたので」


 意識を失う前に見た彼女は幻だったのか?

 私を見る彼女の表情はいつもの鉄面皮だ。


「うるさいゴリラ! エリュシアリアでも適わないのに、桜井あんずで勝てるわけないじゃない」

「ゴリラ? サクライアンズ? どなたですかそれは? あなた様は……エリュシアリア様でしょう?」

「っ!?」


 どうやらベルフィーナには私がエリュシアリアに見えているらしい。


「人違いよ! 見た目も声も違うでしょ? わからないの?」


 私は黒髪で黒目の日本人。体格にしても、日本人の女子の平均身長より若干高いくらいで、スタイルもちょこっと良いといったところだ。欧米サイズのエリュシアリアと比べればやはり小さく細い。重ねてみるにしては無理があるだろう。

 それにエリュシアリアの声は人気声優が演じており、それはそれは可愛らしいものだった。

 だがそれでもベルフィーナは納得しない。


「いいえ、間違いありません。幾度となく剣を交えた日々をあなた様はお忘れになられたのですか?」


 そういえばさっきもそんなこと言っていたっけ? 


 わたしがプレイヤーとしてエリュシアリアを操作していたという意味ならば、確かに私は何度も彼女と戦った。私がエリュシアリアであるというのも間違っていない。そう意味なのだろうか?


「さあ? なんのこと?」


 すっとぼけたら、腕を捻りあげられた。


「痛い痛い痛い!」

「ふざけないでください。私はあの日々が忘れられず、また貴女様と剣を交えたくて、こうして参ったのです。なのにどうして貴方様はこんなにも惰弱になられてしまったのですか?」

「これが本来の私だから! 元々私は普通の小娘なの! あんたと喧嘩できる程強くないの! もう! わかってよ!」

「まだそんな戯言を」

「うぎゃああああああっ!」


 彼女は私に本気を出させようとしているのかもしれないが、無いものは無い。拷問のような時間が過ぎていって、やがてベルフィーナの力が緩み、腕が開放される。


 私がエリュシアリアでないことを理解してくれたのか? そんな淡い期待を抱いたのも束の間、耳元に一振りの剣が突き立てられた。


「ひっ!?」


 それはバイスの入った片刃の長剣。ゲームのエリュシアリアが持っていた剣だ。


「私の我慢もそろそろ限界ですわ」


 ベルフィーナの手にも剣があった。

 彼女の冷たい雰囲気にも慣れてきたと思っていたが、それは甘かったと知る。剣を手にした彼女の気はこれまでとは全く異なっていたからだ。


「さあ、我が愛しのエリュシアリア様。あの日の続きをやりましょう!」


 鋭い切っ先を向けるベルフィーナ。


 殺される!?


 そう思った私は、突き立てられたその剣に手を手に取った。

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