夢魔の試練~杏~

 私、桜井あんずは日本の地方都市のそれなりに良い家庭に生まれた普通の女子高生だった。


 家族は父、母、兄の四人。

 自分でいうのもなんだが、勉強も運動もそれなりに出来たし、友人関係も良好で、見た目も悪くなかったと思う。


 中学の時に告白された回数は3回。これが多いか少ないか普通なのかはわからない。


 全部「ごめんなさい」したけどね。


 春に第一志望の高校に合格して、順風満帆な高校生活をエンジョイしていた私に転機が訪れたのは、入学して2ヶ月も経たずのことだった。


 友人がいじめを苦に自殺未遂を起こした。


 その友人は 眼鏡をかけた、線の細い大人しい男の子で、私の初めてのボーイフレンドだった。


 私に恋愛感情は無かったよ。繊細すぎる子だったから、友人以上の関係として受け入れるのは無理だったと思う。


 クラスで志望校が同じだったことから一緒に受験勉強して励ましあったくらいの仲だったし、高校に入ってクラスも違った。


 会うことも少なくなって、私は彼がいじめを受けていたことすら知らなかった。


 ただ彼はそれほど社交的じゃなかったから、友人と呼べるのはもしかしたら私くらいだったのかもしれない。


 私はその日彼からメールによる遺書を受け取っていた。


 そこには虐めを受けていたけど誰にも相談できなかったというつらい胸の内と、これから旅立つという意思。虐めた相手への恨みの言葉。そして私のことが好きだったけど自分に自身がなくて言えなかったという内容が書かれていた。


 私がそのメールに気が付いたのは彼が自殺未遂を起こした後のことだった。


 彼は大量の睡眠薬を飲んで朦朧とした状態で、車道に飛び出したらしい。

 彼が運び込まれたという病院で、私は彼の両親と出会った。

 最初はお見舞いに来てくれるガールフレンドがいたことを彼等は喜んでいた。だけど、私が遺書のことを伝えると彼らの顔色が変わった。


「どうして助けてくれなかったんだ!」


 彼の父親は人目があるにも関わらず私を怒鳴った。


「知るか! 何もできなかった馬鹿親に言われたくないです!」


 父親の理不尽な言葉に私はかっとなって私も声を上げた。


 確かに私は助けてあげられなかった。でもあんたらにそれを責める資格は無い。


 メールが私のもとに送られた意味を考えてほしい。


 頼りにならなかったからだろう? あんたらが。


 私の言葉に母親は泣き崩れ、父親は掴みかかろうとしてきた。それはその場にいたお医者さんや看護師さんに止められたけどね。


 その日はそれで家に帰ったんだけど、後日その親は学校に抗議に来たらしい。


 生徒指導室に呼び出された私の前には、私の担任と彼の担任、あと校長先生がいて、彼等から彼の両親に謝罪するよう求められた。


 担任は若い男性教師で、自分も一緒に謝ってあげるからと、言葉だけは優しかった。


 けれど私はそれを断った。


 絶対に謝る気なんてなかった。むしろ謝るのは向こうだと。


 その時の先生方の顔はあれだよ。苦虫を潰したようなっての。


 先生方は、彼の親の怒りの矛先が私に向いていることに、これ幸いと考えていたのだろう。


 いじめを苦にしての自殺未遂。本来なら謝罪会見ものの不祥事だ。幸い彼は一命をとりとめたし、虐めた生徒の名前は遺書に書かれていたため判明している。後は両親の怒りが収まればこの件は落着する。その怒りを収めるための役割を、学校側は私に求めたのである。


 そんな馬鹿な話があるかと思うかもしれないけれど、その後の展開を見ると、どうやらこの学校の連中は馬鹿ばっかりだったようだ。


 学校からの要請を無視して、私はその日から自主的に自宅で謹慎することにした。


 さぼりともいう。


 勉強する気にもならなかったから仕方ない。学校からの電話や訪問は全部無視した。


 拗れた状態のまま彼は回復し、学校を辞めた。以後一切連絡は取っていない。


 だが事態はそれで終わらなかった。


 学校にいる先生のうちの誰かがそれらの出来事をネットに流したのだ。


 遺書を受け取った女生徒に責任を押し付ける最悪のいじめ対応として……


 その誰かの告発で、彼の両親と、学校側に非難が殺到しているという。


 私はそれを同じ学校に通うひとつ上の兄から聞いた。


 両親は私に気にする必要は無いと言って、転校も進めてくれた。兄も知らぬ存ぜぬで通したらしい。


 でも、私は数日後学校へ戻った。


 家族に心配をかけたくはないし、私には同情的な意見が多く寄せられたから、悪いようにはならないだろうと思ったからだ。


 久しぶりに顔を出した私は、先生方からは腫れもの扱いだったけど、クラスメイト達は大変だったねと言ってくれた。


 特に何事もなく一日が過ぎて、平穏な日常が戻ってきたものと私も気を緩めてしまった。


 だけど、それが甘かった。


 翌日、私は休み時間に3年生の生徒5人に呼び出された。男子生徒2人、女子生徒3人。彼らは生徒会だと名乗って私に近づいた。


 ここで油断せず、助けを呼んでいればその後の展開も人生も変わっていたのかもしれない。


 たぶんもっと悪い方に。


 人目の無い校舎裏に連れ出した先輩達は私を取り囲んで言った。


「お前が謝らなかったせいでみんなが迷惑している」


 生徒会長だという女生徒は私の胸倉をつかんで言った。


 その高校はちょっといいところの進学校だったが、今回の一件で評判は地に落ちた。受験生である彼女達にとってそれが気に入らなかったらしい。


 この学校の生徒会はただの飾りだ。メンバーは学校側が決めるため、選挙が行われることもない。仕事といえば、学校行事でほんのちょっと雑用をするくらい。


 入学式の日には、校門の前で新入生にリボンを配ったり、生徒会長が新入生歓迎の挨拶をしていた。けど、挨拶の内容は学校側が用意した毎年同じものらしい。


 成績が微妙な生徒を推薦入学で進学させるため、内申書に箔を付けるために存在している。それがこの学校の生徒会なのだ。

 

 そんなわけで生徒会長達は、今回の件で良い大学から推薦枠が取れなくなることを恐れたようだった。


 私は学校に謝罪し、全て自分が悪かったと認めることで、学校の名誉を回復させることを求められた。


 馬鹿かこいつら!? そんなの出来るわけがない。


 謝罪すべきは私ではなく学校側だ。名誉を回復したければ、学校側が私へ責任を擦り付ける対応をしたこと謝罪し、世間に対し誠意を見せるべきだろう。そんなことも分からないのだろうか?


 でも、すぐに私は理解した。


 言えないんだ。良い大学に推薦してもらう為に、こいつらは学校に尻尾を振る事しかできないんだ。


 こいつらだけじゃない。私があの時謝っていれば良かったんだって思ってる連中がきっと大勢いるだろう。


 お前があの時謝って、事態が早期に収束していれば学校は不名誉を被ることは無かった。


 お前が謝らなかったせいで、全校生徒が迷惑した。


 お前が謝らなかったせいで推薦が貰えなくなったらどうする!?


 勝手なことを言う彼等に、最初は私も抵抗した。けど生徒会長から平手打ちされ、壁に頭を打ち付けられた。そしてにやにや笑みを浮かべる男子生徒に服を脱がされかけて、私は暴力に屈した。


 職員室へ行き、謝りたい旨を話したら担任はうんざりと溜息を吐くように言った。


「いまさら……」


 蒸し返したくないのか、どういうつもりかはわからない。


 だけどその時私の中で何かが弾けた。


 このくそ野郎!


 気が付いたら私は担任の顔を拳で殴りつけていた。


 担任が殺気の籠った目で私を睨んできて、私は反射的に逃げ出した。


「桜井!!」


 なりふり構わずその場にあった書類をまき散らし、椅子を蹴飛ばし、他の先生を押しのけて職員室を飛び出だす。


 職員室の外では生徒会の連中が見張っていた。私は職員室を出た勢いのまま、助走をつけて生徒会長の鼻柱を殴りつけると、彼女は吹っ飛んで倒れた。


 ざまぁみろ!!


 それから私は兎に角逃げた。


 先生が何人か追ってきたが、内履きのまま外へ出て、校門を抜けるとそこからは追ってこなかった。


 誰もいない家に帰ると、部屋に鍵をかけた。


 暗い部屋の中で赤く腫れた手を握って、私は泣いた。


 学校から連絡が入ったのだろう。暫くして両親が返ってくると、私は全てを話した。両親は学校の対応に憤り、すぐに兄も呼び戻した。


「全部任せておけ」


 父の言葉に私は甘えた。


 ここから先は後から聞いた話だが、学校から面会したいという要請をうちの親は断固として断ったらしい。


 教育機関として信用できるレベルじゃないと全く受け付けなかった。その後兄も転校を決めた。


 私が殴った生徒会長が何やら騒いでいたらしいが、私に謝罪するように暴力で強要したことが明るみになり、他の連中と共に処分を受けることになったようだ。


 呼び出された私を心配したクラスメイトが後をつけて見ていたらしい。その場で助けてはくれなかったけどね。


 でも、どこかで助けられていたり、中途半端な和解が成立してしまうより良かったんじゃないかなって思う。これでようやく学校は非を認める対応をしてきたのだから。


 これが私の引きこもりの始めるまでの顛末だ。


 家族には感謝しているよ。


 私はその優しさに応える余裕がなくて、随分困らせた。


 いつか恩返ししたいと思ってたんだよ。


 でもあの日、落ちてきたトラックに潰されて、桜井あんずは木端微塵になって死んだ。


 恐怖も痛みも感じる暇はなかったよ。


 それから私は転生してこの世界でエリュシアリアとして新たな生を受けた。


 お姫様としての生活は楽しいし、新しい家族はみんな優しい。まるで楽園のような世界だ。でも夜になると、もう帰ることのない故郷。会うことの叶わぬ家族を思い出して、未練と悔しさで私は人知れず涙を流す。


 それに私はこの国の未来を知っている。


 滅亡まであと10年。


 焦る気持ちと不安は日々募っていく。


 全て捨て去って逃げ出せたらどれだけ楽になれるだろう?



✤✤✤



 夢の中のエリュシアリアの感情は精霊を通してハンナにも伝わっていた。


 深い絶望と孤独、その苦しみは艱難辛苦を経験してきたハンナにも耐えがたいものだった。


 その中でハンナは見た。見慣れぬ異界の地と、黒髪に黒い瞳の少女の姿だ。


 ……ああ、なんてこと!?


 何故年端のいかぬ娘が何故これほど悲しい感情を秘めているのか? ハンナはその理由を理解した。エリュシアリアが年齢の割に成熟していた理由にも。


 さぞ辛かったでしょう。


 目から涙が零れた。


 ハンナは少女に同情すると同時に試練の失敗を悟る。


 絶望し、諦めてしまった者に女神は手を差し伸べることは無い。



✤✤✤



 あれれ~~? おかしいぞ~~?


 眠りの精霊は不思議に思った。


 娘の記憶から悪夢を作り出そうとするのだがそれがうまくいかないのだ。何故か、ただの記憶のリプレイにしかならない。


 ああ、そうか! この子はとっくに悪夢の中で生きていたんだね!


 忘れられない過去、捨てられない現在。


 終わった世界と、これから終わる世界に生きる娘。それがエリュシアリアだ。


 うーん。どうしようかな?


 おや? 誰かがこの子の中に入ってくるぞ?


 あ、ちょっと!? ぼくのおもちゃを盗らないでよ!?



✤✤✤



 私は気が付くと私は制服姿で、知らない場所に横になっていた。


 この制服に憧れて、頑張って入ったのに、どうしてこんなことになったんだろう?


 そこは見渡すばかりの一面の花畑。私は寝ころび空を眺めていた。


 ここは天国なのかな?


 周囲には誰もいない。鳥の囀りさえ聞こえない静かなその場所は、ただ美しく、穏やかだった。


 青い空を見上げて、雲を眺めるだけの時間を過ごす。楽園でひとりぼっち。それでも私は解放された気分になっていた。


 ずっとここにいたい。そう思った。


 なのに……


「何、惰眠を貪っていらっしゃるのですか?」


 突然背後から声をかけられる。


 鈴の音のように美しく、けれどつららのように冷たく尖った声が私の心に突き刺さる。


 本能的な恐怖が私を襲う。


 振り返ると、奴がいた!

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