王家の人々~エリュシアリア~
とても大事なものを沢山なくしたようだ。
お父さん、お母さん、馬鹿兄……ごめんね。あんずはもういなくなっちゃったよ。
……それなら今のこの私は誰?
…………ここは何処?
………………わからない。
悲しくて、悲しくて、私は泣いた。
泣いて、眠って、たまに笑って……どうやら3年が過ぎたらしい。
自我がしっかりしてきたところでやっと気がついた。
私は赤ん坊からやり直していたのだと。
ふかふかの大きなベッドで目が覚める。
そこは桜井あんずの部屋ではない。12畳程の木と花の香りのする部屋。
お布団はすごく寝心地が良くて、がっしりした木のベッドには上品な装飾が施されている。
私が今着ているふりふりのパジャマも、自然素材100%だがとても着心地がいい。
パンツの穿き心地は今ひとつだが……
部屋にはパソコンはない。エアコンもない。ただ、その部屋にある机やタンスといった家具が上等なものばかりであることはわかる。
飾られている花も瑞々しくて綺麗だ。
家電どころか化学製品がまったくない、けれどとても快適な部屋。
そこは日本ではない。それどころか地球ですらなかった。
でも私はこの世界を知っている。
コンコンコン。
ドアの向こうから控えめなノックの音がして、中学生くらいの女の子が入ってくる。
背丈は普通くらい。浅黒い肌に顔立ちこそまだ幼さが残るが、胸元は豊かに膨らんでいる。
丈の長い黒いスカートに白のエプロン。お下げを垂らした栗色の頭にはプリムと呼ばれる白いヘッドドレス。
メイドさんだ!
なんてね。正確には彼女は私のお世話をしてくれる侍女さんで、メイドと一括にすると失礼な身分にあるのだが……どうしてもそう呼んでしまう元日本人です。
彼女は私が目を覚ましているのに気が付くと、スカートの裾をつまんで優雅に腰を折る。
「おはようございます。エリュシアリア姫」
エリュシアリア……私のことです。
エリュシアリア・ミュウ・センチュリオン。この国の第4王女が今の私。
どうやらここは剣の国のエリュシアリアの世界で、私は主人公のエリュシアリアとして転生したらしい。
ここはセンチュリオン王国の王宮で、彼女はそこに仕える侍女だ。
エリュシアリアに転生して3年。身体の成長にともなって桜井あんずとして生きてきた記憶もはっきりしてきた。
けれど自分がエリュシアリアと呼ばれることには未だに慣れない。しかも何故か言葉が英語なのだ。
元々持っていた中学生程度の英語力と、毎日聞かされ続けたおかげで大体聞き取れるし、読み書きもそこそこできる。けど話すとなると語彙力とイントネーションがまだまだだ。まあ、周囲からはあまり気にされていないけどね。3才児だし。
私は侍女さんに拙い英語で朝の挨拶をする。
「おはようございまう。ちなりぃ」
彼女はほわんとした顔になった。
癒やされてる。癒やされてる。
そんな可愛い侍女さんに手伝ってもらって身なりを整える。
彼女の名前はシナリィ・ハーモニア。私専属の侍女さんだ。
ゲームでのシナリィはシステム画面なんかに出てくるアイコンだった。そこではもっと落ち着いた感じの女性のグラフィックだったが、どうやら今の私の年齢に合わせて若くなっているようだ。
ちなみにこの体、まだ発声が上手く出来ないから彼女を呼ぶときは”ちなりぃ”になってしまう。私可愛い。
シナリィが持ってきてくれた水と手ぬぐいで顔を拭いて、服を着替える。
「姫様。今日はこの服にしましょうか」
「ん」
彼女の手には水色のワンピース。勿論フリルいっぱいだ。
本当は自分で全部着替えたいがシナリィがやらせてくれない。
されるがままにパジャマを脱がされる。
この世界の服は伸縮性がなく、スナップやファスナーもない。この身体でひとりで着替えるのは大変そうだけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
自分でやるの! とか言って愚図った方が3歳児らしく見えていいだろうか?
お利口な姫様と思われてるみたいだからまあいいかな。
着替え終わると今度は鏡の前に座らさせられる。
「もう。エリュ姫樣は可愛いなぁ~~」
髪に櫛を入れるシナリィから心の声が漏れ出ている。
知ってる。そりゃ身体はエリュシアリアですからね。鏡に映る3歳児のエリュシアリアは人形のように可愛らしい。
けれど私は素直に喜べない。
鏡を見るたびに突きつけられる冗談のような現実。
確かに私はゲームの中のエリュシアリアに憧れていたよ? でも私がエリュシアリアになってどうするよ……
お姫様として蝶よ花よと育てられても嬉しくない。
この世界が剣の国のエリュシアリアの世界ならば、私のこの先の人生は数多のバッドエンドが手ぐすね引いて待っているウルトラハードモードだ。
中身が日本の引き篭もりJK、桜井あんずじゃ生き残る自信が全く無いのです。
普通転生するなら悪役令嬢の方でしょう?
そういうのネットでいっぱい読んだから私詳しいよ?
転生したのがベルフィーナだったら、エリュシアリアの邪魔なんか絶対しない。中身が私じゃ強くなんてなれないし、むしろ仲良くなろうと頑張るよ!
ベルフィーナとして過ごすエリュシアリアとの学園生活なんていいなぁ……
元不登校児が言うのもなんだけどね。楽しい学生生活に憧れが無いわけじゃない。
高校に入ってちょっと失敗しちゃっただけで、中学までは上手くやれてたんだ。
……まあそれは置いとこう。
ゲームの舞台になる王立学修院は全寮制だ。国のエリートが集まる学校だから勉強は大変だし、厳しい兵科訓練もある。王族も特別扱いされない。
でもね、女の子同士のイベントもたくさんあったんだよ。
同級生と一緒にお風呂に入ったり、夜、皆で部屋に集まって女子トークするの。寮監さんから隠れるために一緒のベッドに潜ったりしてね。
一緒にお風呂……
ベッドで密着……
「グヘヘ……」
突然にやけだした私に、シナリィが驚いている。
いかんいかん。
邪念を振り払って、無垢な笑顔を見せると。シナリィはまたほわんとした顔になる。
まったく、エリュスマイルは最強だね!
こんな可愛らしい侍女さんにお世話してもらっておいて、他の女の子のこと考えるなんて贅沢だ。
「髪型はどうされますか?」
髪をとかし終えると、シナリィは髪型について聞いてくる。いくらお姫様でも普通3歳で髪型のオーダーは無いだろうが、私には譲れない拘りがある。
「いつもの。ちっぽのやつ」
「畏まりました」
私がポニーテールにしてくれるように頼むと、シナリィはリボンを手にする。
微笑みながらも残念そうにしているのは、私がポニテ以外の髪型を許さないからだ。
「今夜エルドリア奥様が帰っていらっしゃるそうですよ?」
「おかーたまが?」
私も木の股ぐらから生まれたわけではありません。この世界での母親がちゃんといます。ここ一ヶ月公務で外国に行っていたのだが、そっか……帰ってくるんだ。
「おそらく夜遅くになるので、お会いするのは明日の朝になると思いますが、せっかくですから明日は髪型を変えてみませんか?」
なるほどそういうことか。シナリィはお母様に久々に会うからお洒落しましょうと口実を作って私に違う髪型をさせるつもりだな?
そうはいかない。エリュシアリアといえばポニーテールだ。シナリィが私の髪を色々弄りたがっているのは知っているが、これだけは譲れない。なんせデフォルトですから。
公式行事での華やかなドレス姿だと違うんだけど、ポニテキャラはたまに下ろすのがいいんだよ。
「や。ちっぽにちて」
「しかし姫様。たまには……」
「や」
「そうだ! 尻尾をふたつにしてみませんか?」
おいこらまて! ポニテとツインテは水と油、現実と虚構。きのこたけのこくらい相反する属性なんだよ! ツインテキャラのポニテ化は許されても逆はネタにしかならんのだ!
「ぜったいらめっ!」
「はい……」
しょんぼりシナリィにリボンで髪を束ねてポニーテールにしてもらうと、エリュシアリア3才児バージョンの出来上がりだ。髪は背中にようやく届くくらいだからまだ短いけどね。
身支度が終わると、シナリィは食事の用意を始める。
私の食事は大抵部屋で済ませる。
くそ忙しい王族ですからね。家族揃っての食事なんて大きな行事の時くらいだよ?
でもそれでいいと思う。ひとり飯は前世の頃から慣れてるし、国王であるお父様には奥さんが3人いて、私には腹違いの兄と姉が6人いる。
そんなのが揃って食卓囲むとか怖いじゃないですかーー!!
まあ、仲は悪くないんだけどね。新しい家族と言われても、なんかピンと来なくて、ここでシナリィと食べてる方が気楽なのだ。
調理場から運んできたパン、サラダ、ベーコンエッグ、マッシュポテト、オニオンスープ、それにりんごジュース。
それほど豪華なものではない。駅前喫茶のモーニングみたいだ。
王族でも朝はこんなもん。センチュリオン王国は豊かな国だけど、王族は国民の規範となるべき存在だからね。過度な贅沢はしないんだ。中堅どころの貴族の方が普段いいもの食べてるんじゃないかな?
その代わり王家主催の晩餐会とかだと豪華絢爛、最高級のものを用意する……らしい。
私はまだそういうの出たことないからからね。
シナリィが食べさせようとするのを断固断り、朝食を食べる。
おっと、食べる前に女神タグマニュエル様にお祈りだ。
筋肉の女神タグマニュエル様はセンチュリオン王国とその周辺国で信仰されている神様だ。筋肉の女神とか、乙女ゲーの世界としてどうよ? と呆れるところだが、強大な帝国に対抗するには、物理的パワーが必要だったのだろう。
強い肉体を作るには毎日の食事は欠かせない。食べる前のお祈りはスプーンの使い方より先に教えられた。
うっかり合掌していただきますなんて日本語で言ったら、異端審問に掛けられかねないから注意だけど……
右手の拳を左の手のひらで包むように受け止める。ここでパチンといい音を鳴らすのが大切だ。
(いただきまっする)
心の中で言うくらい許してもらいたい。
身体が3歳児なので、15歳の時の感覚で食べようとするとむせるし、食器も器用には扱えない。
白いエプロンを付けて、フォークとスプーンをぎこちなく扱って食べる姿をシナリィが落ち着かない面持ちで見守っている。正直こっちもかなり落ち着かないが、こうして見守るのも侍女の仕事だから仕方ない。まあ、それにも慣れてきた。
「ちなりぃ、あーん」
私は苦手なトマトをフォークに突き刺してシナリィに食べさせようとする。
「だーめーでーすー。好き嫌いしないで自分で食べてくださいー」
ちぇっ。最初のころはうまくいったけどもう通じないか。
そんなこんなしながら朝食を済ませる。
今日はあんまりこぼさないで食べれた。そして食べ終わった後のお祈り。
朝食の後は、お散歩、言葉のお勉強、昼食、お昼寝、お勉強……まったく、王女の一日は忙しい!
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