第4話 私達の関係性

 ──こんなにも心臓に悪い瞬間はないな、と思った。

 ドラムロールが流れる中、遊子は祈るようにして手を合わせる。

 ステージの中央に立つ遊子の隣には、流石に緊張しているような面持ちのKURohAが並んでいた。


 今回のアニソン戦争は、原作者の一票、アニメ制作サイドの一票、観客の一票という計三票で決まる。

 そして今、原作者票とアニメ制作票の二つが開票されていた。結果は、遊子とKURohAが一票ずつ。

 残る観客票ですべてが決まる、という状況だった。


 一秒一秒が果てしもなく長く感じる。

 確かに、さっきのKURohAの表情は衝撃的だった。ただそれだけで、今まで頑張ってきて良かったと思えた──と言っても、過言ではないのかも知れない。

 でも、それはそれ、これはこれ。

 一番大事なことは、もちろんアニソン戦争の結果だ。

 遊子はすでに二つの夢を叶えている。声優デビューと、アーティストデビュー。演技も歌も好きだった遊子にとって、これ以上幸せなことなんてない……なんて、思いそうになってしまう。

 だけど、そんな訳がなかったのだ。

 大好きな作品のアニメソングを担当するという、絶対に譲れないもう一つの夢。


 その夢が、今――スポットライトによって、光り輝く。


「え…………あ……っ」


 眩しい。

 まるで、自分が光を浴びているかのようだった。

 頭がついていけないまま、遊子は思わずKURohAを見つめてしまう。KURohAも一瞬だけ唖然としてから、すぐにしかめっ面になった。


 自分はKURohAに勝ったのだと。

 声優オーディションでは落ちてしまって悔しい思いをした『白薔薇さんは染まりたい』のOPテーマを歌えるのだと。

 ふわふわとした気持ちの中に、少しずつ実感が紛れ込んでくる。


 本当はずっと、不安だった。

 どんどん前に行くKURohAの背中を追いかけたくないから、自分は声優という道を選んだのではないか、と。自分はKURohAのようにはなれないから、逃げ出しただけなのではないか、と。

 心のどこかで、もやもやが渦巻き続けていた。


「私、間違ってなかったんだ」


 ぼそりと、遊子は呟く。

 アニソン戦争が終わり、舞台袖に下がった途端に零れ落ちた言葉だった。我ながら、震えた声だなと思う。

 弱々しくて、情けない。

 そんな自分はもう、過去のものだ。――なんて言い切れる程、遊子はやっぱり強くはない。

 でも、今この瞬間、確かに遊子は大きな一歩を踏み出した。


「ねぇ」

「……え?」


 ふいに背後から声をかけられ、振り返る。

 声色からして察してはいたが、そこには思った以上に不機嫌な様子のKURohAが立っていた。

「アニソン戦争は作品に相応しい曲を決めるための戦いだから。あたし達の勝敗とか、そういうの関係ないんだよ」

「……それって、負け惜しみってこと?」

「まぁ、そうとも言うね」

 意外にも素直な言葉を零すKURohAに、遊子の調子は狂いそうになる。更には表情が至って真面目なものだから、ついつい訝しげな視線を返してしまった。

「……何」

「いや、その。アニソン戦争は終わったんだし、あなたのことだから何も言わずに立ち去るのかと思ってたから」

 負けじと遊子も素直な言葉を返すと、KURohAはわざとらしくため息を吐いた。

 少しの沈黙のあと、KURohAはきっぱりと言い放つ。

「負けたからには、捨てゼリフを言っておかなきゃと思って」

「……はぁ」

 遊子は無意識に、「何言ってんだこいつ」みたいな視線を送ってしまった。

 頭の中がぐるぐると回転する。もしかしたら、捨てゼリフを言いたくなる程に悔しいと思ってくれているのだろうか。

 KURohAの意図が読めず、遊子は眉間にしわを寄せる。

「そんなことよりも、さ」

 しかし、KURohAは動じる素振りすら見せなかった。


「ねぇ、遊子」


 ドキリ、と鼓動が跳ねる。

 その呼び方は、遊子が声優になりたいと告白する以前に呼ばれていたものだった。

 何で。どうして。

 そんな思考が襲いかかる前に、KURohA――黒羽は、口を開く。


「またこういう機会があったら、今度は絶対に負けないから」


 室内だというにも拘らず、ぶわりとした強い風に吹かれたような感覚だった。

 覚悟に満ちたその声が。

 自信たっぷりに零れる笑顔が。

 まっすぐ遊子を見つめるその視線が。

 これでもかという程に、遊子の心を包み込んでいく。相変わらず目つきは挑戦的なのに、温かい気持ちが溢れて止まらない。


 ――あぁ、嬉しいんだ、私。


 その事実に気付いてしまったのが、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 だから遊子は、黒羽の真似をして口の端をつり上げる。


「次も負けないよ。黒羽にだけは譲れないから」


 得意げに言い放つと、黒羽は「ん」とだけ言い返し、去っていった。

 その瞬間、遊子は思う。

 あぁ、これで良いんだ、と。


 二人の道はとっくに違った方向へ進んでいて、きっと……もう戻ることなんてできないと思う。

 でも、遊子はあの頃に戻りたかった訳ではなかった。


 ――ねぇ、黒羽。


 遠ざかっていく背中に、遊子は密かに語りかける。

 随分と時間がかかってしまったけれど、遊子はやっと気付くことができた。


 一つだけ、幼馴染の頃から変わらないものがある。



 ――これからもずっと、私達はライバルだ。



                                     了

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幼馴染《あなた》にだけは譲れない! ~私達のアニソン戦争~ 傘木咲華 @kasakki_

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