幼馴染《あなた》にだけは譲れない! ~私達のアニソン戦争~
傘木咲華
第1話 対戦相手は幼馴染
──ついにこの日がやってきた。
と、彼女は心の中で呟く。
でもどこか実感が湧かないというか、ふわふわとした感覚が襲っていた。
今日は彼女──声優アーティスト、
アニメタイアップを賭けて原作ファンの前で曲を披露し、その作品のOPやEDを決める『アニソン戦争』。今までノンタイアップの曲しか歌ってこなかった遊子は、今日という日を待ちわびていた。
緊張ももちろんあるが、それ以上に絶対に負けられないという気持ちの方が強い。その理由は、タイアップを掴みたいからというだけではなかった。
「…………よし」
アニソン戦争が始まる約一時間前。遊子は対戦相手に挨拶をするため、控え室の前まで来ていた。小さく深呼吸をしてから、遊子は扉をノックする。
「はい、どうぞ」
ややあって聞こえてきた懐かしい声に、鼓動が高鳴るのを感じる。ドアノブを掴もうとした手をピクリと震えさせてから、遊子はゆっくりと扉を開けた。
「声優の姫野川遊子です。今日はよろしくお願いします。……
そこにいたのは、対戦相手であるアニソンシンガーのKURohA──またの名を、
高校時代に喧嘩別れした、遊子の幼馴染だった。
「初めまして。アニソンシンガーのKURohAです。よろしく」
──初めまして、ときたか……。
こちらに一瞥もくれないままに挨拶をするKURohAに、遊子は眉根を寄せる。
艶やかな黒髪のロングヘアーに、威圧感のあるつり上がった瞳。あの頃と何も変わらない容姿の幼馴染は、涼しい顔でスマートフォンを弄っていた。
「…………」
どうやら彼女は会話をする気がないらしい。さてどうしたものかと立ち尽くす遊子に、KURohAはようやくチラリとこちらを見つめる。
「いつまでそこにいるの。帰って」
「……仲瀬、あなたねぇ……」
「は?」
思わず本名を呟くと、KURohAの瞳はますます鋭いものへと変化した。
「う……」
遊子は苦笑を漏らす。
いくら彼女の態度に腹が立ったとはいえ、今は声優とアニソンシンガーの身。幼馴染であっても、今日は歌で戦う相手なのだ。
ついつい本名で呼んでしまったのは失敗だった。幼馴染だろうが何だろうが関係ない。作品に相応しい歌を歌う。ただそれだけなのだから、こんな気持ちは捨てなければいけない。
そう、思っていたのだが。
「
──ぐちゃり、と。
心の中の何かが崩れる音がした。
確かに、先に本名で呼んでしまったのは遊子だ。でも、だからといって乗っかってくることはないではないか。
「私の名前、姫野川なんだけど」
「それは芸名でしょ。野川遊子。あたしは幼馴染としてのあんたのことを言ってんの」
「……あなたって人は、本当に」
はあぁ、とわざとらしくため息を吐く。
もう初めましての他人行儀モードは終了だ。こうなったらとことん言わせてもらう、と遊子はKURohAを睨む。
「あなた、誰にでもそんな態度なの?」
「んな訳ないでしょ。あんたにだけに決まってるじゃん。てゆーか、姫子ちゃんは相変わらずそんな髪型で売ってるんだね」
遊子のマロンブラウンのツインテールを指差しながら、KURohAは小馬鹿にするように口の端をつり上げる。ちなみに、『姫子ちゃん』というのはファンの人や声優仲間から呼ばれている愛称だ。
「あなたに姫子ちゃんとか呼ばれたくないんだけど」
「でも、その髪型も愛称も、結局はアイドル声優やりたくてやってるんでしょ」
「…………勝手に決め付けないでよ」
自分の声が震えるのがわかった。
アイドル声優なんて、簡単に言わないで欲しい。──と言っても、彼女には通じないのだろう。それがわかっていたから、遊子は何も言うことができなかった。
自分達の間には大きな溝がある。でも、今日は決してその溝を埋めに来た訳ではない。
アニソン戦争を通じて、彼女に伝えたいのだ。
──これが私の歩んできた道なのだと。
二人は幼い頃から歌を歌うのが好きだった。アニメが好きになったのは、確か小学生の高学年くらいからだったか。やがてアニメソングに夢中になって、中学生になった頃にはアニソンシンガーに憧れるようになっていた。
幼馴染で、いつも一緒の友達で、同じ夢を追いかけるライバル。
それが遊子にとってのKURohA──黒羽だった。
「あたし達、ライバルだね!」
「うん、絶対負けないよ」
当たり前のように笑い合う日々。何度もカラオケに行ったし、黒羽の姉と三人でライブに行くこともあった。
でも、それは中学生までの話。
高校生になると、遊子は声優に興味を持ち始めた。歌でアニメに関わることももちろん夢だ。しかし、アニメに触れれば触れる程、歌だけじゃなくてキャラクターを演じる側になってみたいと思うようになった。
今思えば、素直にその気持ちを黒羽に伝えれば良かったのだと思う。でも、高校生の頃の黒羽はあまりにも歌に対してまっすぐだった。ギターを始めて、作詞作曲にも挑戦して、その頃からアニソンのオーディションに応募し出して……。
このまま遊子が声優を目指したいと告白したら、逃げたと思われるのではないか、と。そう思ってしまうとなかなか言い出すことができず、最終的に伝えられたのは高校三年の冬になってしまった。
「いつか同じステージに立つの、夢だったのにね」
高校の卒業式の時に言われた、黒羽の最後の言葉がよみがえる。
五年後の今、まさかアニソン戦争という名の戦いのステージで共演することになるなんて。運命というのは、時に意味不明なものだと思う。
「仲瀬、あの時は……」
気付けば、遊子の口は勝手に動き出していた。
いったい自分は何を言おうとしているのだろう。――あの時はごめん、だろうか。確かに、声優になりたいと告げてからの黒羽は明らかに不機嫌になった。「何で」とか、「ありえない」とか、いつもより低めの声でたくさん言われた覚えがある。あの頃の遊子は、それをわがままだと受け取ってしまっていた。
でも、少しは大人になった今ならわかる。
黒羽はただ、寂しかっただけなのではないか、と。
「…………」
心なしか、黒羽──KURohAの瞳が鋭くなったような気がした。まるで、これ以上言うなという圧力のように感じる。
だから遊子は言葉を呑み込んだ。
その代わりに、彼女の瞳をまっすぐ見つめ返す。
「KURohAさん。この勝負、私も譲る気はないので」
声優アーティストとしての自分のことも、幼馴染としての自分のことも。
すべての答えは、アニソン戦争で出せば良い。
KURohAと視線が交わると、胸の奥が熱くなるのがわかった。緊張する瞬間なんて声優になってから山程経験してきたはずなのに、今は緊張以上の何かを感じている。
──この戦い、絶対に負けたくない。
相変わらず涼しい顔をしているKURohAを見つめながら、遊子は密かに闘志を燃やしていた。
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