第3話 これが私の生きた道

 遊子がちゃんと『白薔薇さんは染まりたい』を知ったきっかけは、声優オーディションだった。

 ――絶対に、この役を勝ち取ってみせる。

 そんなにも強い意志を持ったのは初めてのことだった。まるで一目惚れのように、電流が走ったかのような感覚。普段だったらこんなことはしないのに、オーディション前に原作コミックスを全巻購入して、何度も読み返してオーディションに臨んだ。


 だからこそ、役を掴めなかったとわかった時、心の中が真っ白になった。


 多分きっと、後にも先にもここまで落ち込むことはないのだろうと思う。オーディションに落ちることなんて慣れているはずなのに、涙が溢れて止まらなかった。


 このアニソン戦争は、遊子にとって奇跡の塊なのだ。

 悔しい気持ちが形になって神様に届いたのではないか、と。本気でそんなことを思ってしまう。


 ――白薔薇さんのことは、私が一番理解している。


 自分には、KURohAのような作詞や作曲の能力はない。

 でも、遊子にはアーティストデビューの時からお世話になっている音楽チームがいる。今回は、まさしく遊子のデビュー曲を担当してくれたクリエイター陣が曲を制作してくれた。遊子の「こういう曲にして欲しい」という大雑把な要望にもしっかりと応えてくれて、誰よりも『白薔薇さんは染まりたい』のファンである遊子も納得のいく曲が仕上がったと思っている。


 あとはもう、自分の歌声次第だった。


「声優アーティストの姫野川遊子です。私にとって初めてのアニソン戦争。緊張もありますが、今日は白薔薇さんへの想いを込めて歌います。それでは聴いてください。……しろ薔薇ばらにもとげがある」


 ステージの中央で、遊子はスポットライトを浴びる。

 純白のドレスと、白薔薇の髪飾り。『白薔薇さんは染まりたい』の世界観に合わせた衣装に包まれた遊子は、両手でマイクを握り締めながら客席を見回す。

 アニメPVとともに流れるのは、先程とはガラリと印象の変わったピアノのイントロだった。

 敢えてアップテンポではなくシリアスなメロディーにしたのは、遊子たっての希望だ。キャラクター同士の愉快な会話劇も、もちろん作品の大きな魅力ではある。しかし、一番は思春期特有の心の動きだと遊子は思うのだ。特に白薔薇さんの心は繊細で、この曲で彼女の心情を表したい。

 そんな想いを胸に、遊子は静かに歌い始めた。


 名前も白。容姿も白。心の中も白。

 そんな浮世離れした白薔薇さんにも、悩みを抱えていたり、ほんの小さな闇を隠し持っていたりする。

 遊子はそんな彼女に寄り添うかのように歌った。透明感がありながらも、どこか不安定な声。だけど内に秘めた信念はしっかりとあって、自分の考えは曲げない。

 それをキャラクターソングとしてではなく、アーティスト・姫野川遊子として歌う。それがどれだけ大変なことなのかは、自分が一番わかっていた。それでも遊子は、白薔薇さんにスポットを当てた曲にしたかったのだ。

 曲を通じて、ヒロインの魅力を伝えること。──それが、声優になった遊子だからできる表現方法なのだと信じて。


 遊子は歌った。

 まっすぐ、観客の一人一人に届くように。

 時には声を震えさせ、白薔薇さんの心を表すように。

 最後には、主人公に出会えて良かったという明るさを込めながら。


 遊子は歌って、伝えた。

 でも、客席のペンライトは白一色にはならなかった。先程のKURohAと同じように、白の中に別の色──遊子のイメージカラーのピンクが混ざっているのだ。


(まぁ、こればっかりは仕方ないか……)


 心の奥で、遊子は苦笑した。

 観客の中には、遊子のライブグッズを身に着けている人もちらほらと見かける。ファンならば応援したいという気持ちが芽生えるのは当たり前のことだ。だから、どうしてもピンクを振りたくなってしまうのは仕方のない話だと思う。


(…………あっ)


 すると、遊子は一人の観客に気が付く。

 最前列にいる、遊子のライブTシャツを身に付けた男性。彼はお渡し会などにも参加してくれていて、遊子の記憶違いでなければ、彼もまたアニソン戦争きっかけで原作が好きになった人だった。


 そんな彼が、手元のペンライトをピンクから白へと変えている。

 ただの気まぐれかも知れない。深い意味なんてないのかも知れない。でも、彼は一瞬でも「変えなきゃ」と思ってくれたということだ。

 ちゃんと届いたんだ、と。

 遊子は胸の奥が温かくなるのを感じる。


 手応えはあった。

 緊張やプレッシャーにも負けず、自分のパフォーマンスをちゃんと届けることができたと思っている。

 それだけ、一生懸命だったということだ。

 遊子はただまっすぐ、客席だけを見つめていた。


 だから、気付くのが遅れてしまったのかも知れない。


(…………えっ)


 自分のステージが終わり、振り返った瞬間──。遊子はようやく、KURohAの表情を確認する。

 きっと涼しい顔で見てるんだろうな、と思っていた。

 でも、違ったのだ。


 まるで驚いているように、瞳を丸々とさせる──なんて。

 そんな表情、見たことがなかった。

 KURohAになってからも、仲違いをしてからも──なんなら、仲が良かった幼馴染の時でさえも。


 彼女はずっと強くて、何よりも自分に自信が持てる人だった。

 なのに彼女は今、遊子のステージを見て動揺を露わにしている。

 近いようで、あまりにも遠い。

 KURohAのことはずっと、幼馴染の頃からそう思っていたから。


(あぁ……。仲瀬に比べて私は、本当に弱いなぁ……)


 じわりと染みるのは、やはり嬉しいという気持ちなのだろうか。

 心の中に眠っていた何かが報われた。そんな気がして、遊子は小さく微笑んだ。

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