第6話 ヤクザ・オン・セン

「ニンキョウスキル! 魄車醒将はくしゃせいしょう!」


 牧歌的で整備されていない草原を、黒塗りの高級車が走る。石ころを跳ね上げ、大地にこの世界に存在しない轍をつけていく。操縦するのは元ヤクザのリュウ。今はコゼット姫一行の御者代わりだ。


「きゃはははっ! 馬より早いし、クリィの肩車より快適ぃ〜!」


 後部座席ではしゃいでいるのが、コゼット。遠出だというのに大きすぎる王冠と、身長より長いマントを付けてきた。実際、高級なものをつけていないと姫だと分からないほど彼女は幼い。


「お嬢、ずいぶんと楽しそうやな。仕事で行くんやろ? なんやっけ、乳頭?」

「入湯税だよ、リュウ。知らないの〜? 温泉に入るには、税金もかかるんだよ」

「温泉には縁がなくてのう……」


 ヤクザは温泉お断りだ。異世界には関係なさそうで、リュウはホッとした。税の取り立てだから、入る暇は無いだろうけど。


「じゃあ、ちょうどいいじゃない! リュウも入ってこ!」

「あ……? おい、仕事って言ったやないか」

「楽しみだねぇ、クリィも入るよね?」

「はい! 姫さまのお背中を流すのもメイドの務めです!」


 コゼットは後部座席の隣にいる、クリィにもたれかかった。クリィはコゼットのズレた王冠を直してあげているのを、リュウはルームミラーで確認した。


「無視やんけ! ったく……」


 運転するリュウの前方は、代わり映えしない草原ばかりなのに後ろはずいぶん楽しそうだ。


「ねえ、クリィ。膝枕してぇ」

「いいですよ、どうぞ」

「うひゃ〜柔らかーい! ん……? おおお!?」

「姫さまどうしました? そんな見上げて……私の顔に何かついてますか?」

「揺れとる! クルマの振動でこやつの乳が揺れとる〜」

「ひあああ! ツンツンしないでくださいー!」


 大胆に開けられたクリィの胸元が、コゼット姫によって弄ばれているに違いない。チラッと鏡を見ると、確かに揺れていた。コゼットがツンして揺れる、ツンしなくても小刻みに振動しているのだ。

 リュウは名残惜しくも、目線を前に戻す。まずい、これ以上は脇見運転になってしまう。


「……さっきから黙って、どうしたんやペチコート?」


 リュウは助手席に座る、ペチコートが目の端に映った。彼女は微動だにせず窓を眺めている。いつも兄貴兄貴と懐っこい女騎士にしては静かだ。


「兄貴ぃ……吐きそうっす」

「ウッソやろ! お前、馬乗れるやんけ! なんで酔うねん!」


 こっちを振り返ったペチコートは顔面蒼白だった。今しがた討ち死にでもしたような絶望の表情を浮かべている。


「自分で操縦するのと違っ……んぼぉ」

「あほんだら! 車とめっから少し待つんや! 無理? 無理か! エチケット袋を……あああ! この世界にレジ袋なんてないやんけ! こうなったら! に、ニンキョウスキル! って、うわあああ!」


 リュウが踏み込んだブレーキペダル。黒塗りの高級車はドリフトでもするかのように、抉り取りるようなカーブを描く。勢いに乗ったまま、柱に激突した。その柱の上には看板がついていて、『ようこそ! 温泉の街セイクへ!』と書かれていた。



「はぁ……死ぬかと思ったで……」


 街の真ん中に大きな川が一本通っている。シックな雰囲気の宿や土産物屋が折り重なるように乱立し、独特な雰囲気がまさしく温泉街といったところ。リュウは今しがたかいた変な汗を流したかった。


「おんせーん! 温泉だー!」


 道を歩くコゼットは既にノリノリである。が、彼女を後ろを歩くペチコートはヨタヨタとしていた。


「ひ、姫……! ごめんなさいっす! 今度からはもっと早く、吐きそうって言うっす」


 ペチコートは素っ裸だった。車の中でぶちまけたのだから仕方ない。いつものスリットが入ったスカート付きの軽装鎧は使い物にならなくなってしまった。彼女は形の良い胸を自分の片腕で潰れるほど押し付け、もう片方は股間に押し当てている。


「ペチ、そのままでいるのよ。これは罰なんだからね」

「うぅ……クリィ? 替えの下着、持っているっすよね?」

「姫さまのパンツの予備は、メイドたるもの常時常備しております。しかし、姫さまが罰と称している以上。貸すわけには参りません」


 コゼットにぴったり付き添っているクリィに断られると、ペチコートは潤んだ瞳でリュウを見てきた。まるで捨てられた子犬のようだ。やめろ、その格好で近づくな。


「前に回り込もうとするなや! み、見えるやろが……!」

「兄貴ぃ〜! 兄貴のスキルで服とか出せないっすか〜!」

「……やるだけはやって見てもええか」


 スーツがあれば貸しても良かったが、生憎ペチコートの内側から出る飛沫によってダメになってしまった。煙をあげる高級車の中に放置し、ニンキョウスキルの解除と共に消滅するだろう。今のリュウはシャツ一着だ。

 リュウはポケットから、ハンカチを取り出した。王家の紋章が入った、高級品だ。城で勤めている役人なら誰でも持っている支給品だ。その触り心地抜群の布切れを、リュウは握りしめた。できる限り男女兼用の衣服を念じる。今まで出したことのない、未知の領域だ。


「ニンキョウスキル!」


 リュウの手の中で光が輝く。ハンカチの小さな布面積が、光と共に肥大化していく。それはとても細長く純白で、手に収まり切らなかった。


「おおお! って、なんすかこれ? 包帯?」

「いや、サラシや。殴り込みにいく時はな、こいつを巻くんや。もし斬られても、内臓が飛び出ないようにするためや。騎士のお前にはぴったりやろ」

「ありがたいっすけど、ただの布切れじゃないっすか」


 サラシを渡すと、ペチコートは己の体に巻きつけていた。尻肉をキュッと引き締め、股間を一周する。腹周りは布が足りないために斜めに縛って、ヘソが見えたままだ。美乳を締め付け、バストサイズが二段階も下がったように見える。

 これはこれで結局エロい。リュウは目のやり場に困った。


「――おかしい、ここは観光地よ。なんで誰も出歩いてないのよ」


 コゼットの言う通り、温泉街は閑散としていた。宿泊客が影も形がないし、土産物屋も開いていない。そして何より、温泉の煙すら見えないのだ。


「オフシーズンってことはないんか?」

「そんなわけないわ、調べてきたもの」

「人の気配はします。入湯税が国庫に入らないのも、何か事情があるのかもしれません」


 クリィが建物を細かに観察しながら言う。ここは店が立ち並ぶ中央通り、住人が忽然と消えたわけではないのだろうか。レンガで舗装された道には、所々に血の跡があった。


「そう引きこもっているのね。この私が来たというのに、出迎えもないなんて! 言語道断! 許せないわ!」


 コゼットは道の真ん中で立ち止まった。小柄な体をグンと逸らせ、大きく深呼吸をししていた。そして、張り上げる。


「――我が名はコゼット・ヴェネラブル・カレル・デ・ドールマン! カレル王国の絶対君主であるこの私が、この片田舎まで来てやっているというのに出迎えの一人もいないとはどういうことか! これは命令である! 今すぐ全員揃って、外に出てくるのよ! さもなくば、竜を拳で殺せる私の部下が一軒一軒吹き飛ばしていくぞ!」

「おいおい、俺をダシに使うなや」

「でも、リュウならやってくれるでしょ?」

「姫のご命令とあらば」


 コゼットは息を整え、リュウに目くばせをする。住民に事情があるのだとしても、リュウは姫に従う。コゼットの力になると、リュウは誓っているからだ。


「姫様……本当に姫様がいる」

「偽物じゃない。この街に来てくださるなんて……」


 コゼットの怒号に気づいたのか、続々と人々が建物から出てきた。彼らは手に棍棒や鎌、挙句にはお鍋の蓋を盾のように構える者までいた。戦闘態勢をとっているが、コゼットに対する殺意はありそうには見えない。


「頭が高い!」


 通りに溢れた国民を見て、コゼットが一喝。人々はその場に武器を置いて、土下座でもするかのように地面に伏した。


「ははぁ〜」

「よろしい、我が親愛なる国民たち。では説明をしなさい」


 一旦顔を伏せた人々の中から一人、老人が挙手をして顔を上げた。


「陛下、私は町長です。出迎えも出来ず申し訳ありません。このような厳戒態勢になっているのは、泉の精霊が殺されたことに端を発します。加護のなくなった街に、モンスターが攻め込んでくるかもしれない。私たちはその恐怖で、引きこもっているのです」

「精霊が殺された……その辺のモンスターに殺されるほど虚弱な存在じゃないわ」

「しかし、実際に水が枯れ、温泉も止まりました。このままでは私たちはこの街で生きていけません」

「えー! 温泉入れないの! 楽しみにしていたのに! むぅうう! だから入湯税の支払いがなかったのね! リュウ! クルマを出して!」


 コゼットは不機嫌そうな顔をしていた。まさか、このまま帰るつもりじゃないだろうか。リュウは心配した。


「どこに行くつもりや?」

「こうなったら、新しい温泉を掘るのよ!」

「ほぅ? 精霊の加護ってやつは大丈夫なんか?」

「精霊は超自然的存在よ。新しい水脈には新しい精霊が誕生する。つまり、温泉を掘り当てればこの街を救えるの! こんなことも分からないの? 察しが悪いわね」

「まったく……」

 

 偉そうなことを言っておきながら、コゼットは国民のことは考えているのだろう。

 通りにいる街の人々から歓声が上がった。


「姫様が私達を救ってくださるぞ!バンザイ! バーンザイ!」

「さあ、行くわよ。リュウ、クリィ! 今までもらった入湯税分は、働くよ!」


 リュウは通りに落ちている武器のいくつかを接収した。刃物に使われている金属や、丈夫な皮を材料にスキルを発動する。光が手の中に満ちて、まるで召喚術のようにこの世にはない外骨格の物質が形成される。

 

「ニンキョウスキル! 魄車醒将はくしゃせいしょう!」


 この街に来る時に乗ってきた、黒塗りの高級車。それの再形成、ドアを開ければ新車そのものだ。ペチコートが吐いた後もなければ、事故って凹んだ箇所もない。

 リュウは後部座席の扉を開き、執事のようにコゼットの乗車を促す。


「待って、ペチ。なんで乗ろうとしているの?」


 助手席のドアを勝手に開けた、ペチコートがコゼットによって咎められた。


「え? 私も手伝いに行くっすよ」

「ペチはお留守番! 街が大変なんだから、騎士としてここにいなきゃダメでしょ? まったく、バカなんだから」

「それはその通りっすけど、私この格好……」

「言ったわよね、罰だって? その辺の旅館から服とか借りちゃダーメだから」

「は、はいっす……」


 コゼットは笑顔で、車の中に入っていった。

 ペチコートの顔は真っ赤になっている。胸と股間をサラシで巻いただけの、高度な変態としか見えない格好。そんな女騎士に、街人の男連中が群がっていた。


「姉ちゃん、そんなハレンチな格好で騎士なんてなあ」

「俺たちを守ってくれよぉ……はぁ、はぁ」

「ひぃいい!」


 いざとなればこの街の誰よりも、ペチコートは強いはず。騎士に手を出して無事な者などいないだろうから、大丈夫なはず。リュウは車に乗り込んた。





「オラオラっ! 邪魔じゃボケぇええ!」


 温泉街から出発した黒塗りの高級車。草原の大地をタイヤが抉り取るほどのスピードをあげる。殺風景なフィールドに、緩慢に散在するモンスター。二つ首の巨大なトカゲ、涎を垂らしながら人の肉を探しているのだろう。漆黒のバンパーで吹き飛ばした。


「ひゅう〜! 超エキサイティン!」


 後部座席のコゼットは、車に衝撃が来るたびノリノリだった。

 二つ首のモンスターはフロントガラスに多量の血を残し、面白いように大地を跳ねる。この辺の魔物は車で轢くだけで倒せる。大したことはない。運転するリュウは意気揚々とアクセル全開で踏み込んだ。


「お嬢、目的地は森の中やな?」

「うん、多少街から遠いけど可能性があるとしたらそこだわ」


 リュウはブレーキを踏んで制動をかけ、森の前で車を止めた。細かい木々の間を、この車体では通りぬけ出来ない。

 一行は車体から降りた。


「こないな森ん中に、あるとしたらまさしく秘湯やな」

「大丈夫、あとは任せるわよクリィ」

「はい、了解しました」


 クリィは森に入るや否や、四つん這いになった。大きな乳房が重力によって垂れ下がる。顔を地面に近づけ、まるで動物のようにクンクンと匂いを嗅いでいる。


「違う! 返事はブーよ! トリュフを探すブタのように、息を荒げて言いなさい!」

「ぶ、ブゥう!」

「私は卑しいメスブタです! はい、返事は?」

「わ、私は卑しいメスブタですううう!」

「返事はブーって言ったわよね!」

「ふわわわっ! ご、ごめ……ブウウウ! ブヒ!ブヒ!」


 四つん這いで突き上げられたクリィのお尻を、コゼットは蹴飛ばした。クリィは鳴き声を上げながら、進んでいく。


「何をしてるんや……」

「クリィはね、とても五感が敏感なの。匂いと音で、地下に眠る水脈を探してくれるわ」

「なるほど、確かに鋭敏な子やな」


 リュウは以前、クリィの身のこなしを間近で見たことがあった。まるで忍者のようだった。スペシャリストであるからゆえ、姫にこき使われるのだろう。それは自分も同じか、とリュウは自嘲した。

 しかし、温泉がどこに眠っているのか分かるのだろうか。芳しい葉っぱの匂いと、湿り気のある土の匂い。生命が息づいている、混じり合った芳香。リュウに違いは分からなかった。


「ぶ、ブヒィ!」

「お、見つかったのね!」


 森の奥に入って暫くすると、クリィの体が電撃を受けたように跳ねた。勢いよく彼女は駆け出す。と言っても、四つん這いのままだが。

 クリィは一際大きい、木の元で止まった。大樹だった。木漏れ日を受けて、葉が虹色に輝いている。まるで神話に出てくるような幻想的な木の下で、クリィは鳴いた。


「ここ掘れ、ブー!」

「リュウ! 力仕事を任せたわ!」

「任しときい!」


 リュウは街から持ってきたスコップを、振り上げた。もちろんそのまま、力任せに掘削するなんて面倒なことはしない。


「ニンキョウスキル! 地地突武魂じじつむこん!」


 スコップの金属が溶けて、長大なアームを形成していく。鉤爪のように出っ張った頭をつけ、竜のようにアームの首がもたげる。持ち手にある滑り止めのグリップは、あらゆる大地に対応するキャタピラと化した。スコップの何倍も大きく膨らみ、全ての土木工事の主要機。しかしリュウはそんな用途で使っていない。敵対組織の事務所に殴り込みに使った、ショベルカーだ。


「ほほぉ! でっかい! かっこいい! いいぞ、リュウ!」

「ブヒ! ブヒ!」


 リュウは透明な操縦席に乗り込んだ。エンジンが唸りをあげ、アームを振り上げた。クリィの指定した位置に向かって、機械式のショベルが抉り抜く。手でやるのの何倍の土を一気に掬いあげると、出来上がった穴がすぐに水で埋まった。間欠泉の如く、勢いよく吹き出した。ショベルカーの操縦席に大量の水滴がつき、リュウはワイパーを動かす。


「当たりやな?」

「暖かいブヒ!」


 クリィの声が聞こえた、どうやら本物らしい。泥だらけのメイド服が、降りしきる温泉の雫で浄化されていく。


「きゃああああああ!」

「おいおい、お嬢はしゃぎ過ぎやろ」


 温泉の飛沫が霧のようになってよく見えない。水幕の向こうで、コゼットの小さな身体は誰かに密着していた。それはクリィではなかった。


「た、助けて……!」

「お嬢!」


 小さいコゼットは羽交い締めにされ、宙に浮いていた。首筋にナイフが突きつけられている。黒いローブに、雷の紋様を写す仮面をつけた男がコゼットを拘束していた。


「いやっ……やめて! ごめんなさい! ごめんなさい! 良い子にするからぁ!」

「王女様がなんて声を出しやがる。ワガママ放題の暴君の癖に、自分の身は大事なようだなあ」

「……温泉の匂いに気をとられていなければ……姫さま! 今、お助けします!」

「おっと、動くなよメイドの姉ちゃん! 動けば大切な王女様の首を切り裂く」


 クリィの両脇に二人の黒ローブの男が近づいてきた。彼女の腕を取って拘束する。敵は一人ではない。


「何が目的ですか……?」

「我らは邪教集団ブリッツドナー、国家転覆を企てる者なり」

「精霊を殺したのは貴方達ですね」

「そうだぜ、精霊の加護だと? この国が守られてちゃ困るんだよ」


 リュウの乗るショベルカーにも近づいてくる人影がいた。「そこから出てこい」と言う。


「ざけんなオラぁ! この反社どもが! 誰に喧嘩売ってんのか、覚えとけや!」


 リュウはショベルカーのアームを振り回した。近づくローブの男は、ショベル部分に直撃してひしゃげるようにして飛んでいった。


「貴様! 王女様がどうなっても知らねえのか!」

「やってみろよ! オルアアア! テメェに地獄を教えてやる……!」


 どれだけの目的があろうとも、小さな子を巻き込む集団など許しておけない。二度と自分のミスで大切な人を殺させるわけにはいかない。リュウはそう決意していた。

 レバーを動かし、コゼットの元へショベルカーを前進させる。


「ひっ……! 近寄るな! ほ、本当にやるぞ……! な、何だ?」

 

 コゼットを拘束する男は、ショベルカーではなく穴の方を見た。

 先ほど掘った穴は、温泉の噴出が収まってきていた。出来つつある水溜りに、ぶくぶくと泡が浮かぶ。魚が跳ねるように何かが飛び出した。


「せい……れい?」


 か弱いコゼットの声。水溜りから飛び出したのは、透き通った水晶のような身体。尾っぽのついた人の形。しかし顔はなく、内部に逆巻く水だけが、血管のように拍動している。

 今しがた掘った大地に、精霊が誕生したのだろう。感情があるのかは分からない、ただ「ウフフ」と透き通った歌声を発した。


「助けて!」


 つんざくようなコゼットの悲鳴。それに呼応したかのように、精霊は水流を弾丸のようにして飛ばした。邪教の男にぶつかり、その勢いでコゼットは引き剥がされた。


「ぐおお! あ、あつい! 温泉か!?」

「お嬢!」


 リュウは再びショベルカーのアームを振り上げる。倒れる邪教の男を、跳ね上げた。奴は木の幹にぶつかって動かなくなった。

 リュウは慌てて、運転席から飛び降りてコゼットに駆け寄る。


「ひっぐ……うっぐ……」

「生きとるか? 怪我はないんか?」

「怖かった……リュウ! リュウ!」


 泣きじゃくるコゼットを抱きしめてやる。濡れてはいるが、怪我はないようだ。


「よしよし、大丈夫やで」


彼女を抱っこしながら、リュウは吹き飛ばした邪教の男に近づく。木に激突していた彼は血反吐をはき、息も絶え絶えだった。


「おい、テメェには聞きたいことがあるで。楽に死ねると思うなや。こちとら拷問には慣れとるんや」

「ガハッ! ははは……我らは邪教に身を捧げた……同士のためにも情報を吐くと思うな――ギアッ!」


 邪教の男はナイフで自らの首をかき切った。激しい血が稲妻模様の仮面を汚し、男は動かなくなった。ショベルで吹き飛ばした、もう一人の方も同様だった。


「クソッ! クリィ! そっちはどうや!?」

「ダメ……全員、死にました」


 クリィならば遅れを取ることはない。リュウが思った通り、彼女は邪教集団を倒していた。しかしクリィが踏みつける彼らは、全員既に事切れていた。

 下衆な奴らだが、潔さはあった。襲いに来た四人以外にも、邪教集団は残っている。そうリュウには思えてならない。


「ウフフ」


 温泉を纏う精霊は、無感情に歌うのみだった。






「待ちにまった日が来たのだー! 温泉だーい!」


 数週間後、新しい露天風呂が完成した。コゼット一行は、再び温泉街まで来た。


「命を狙われたというのに、よく来る気になったのう」


 リュウは感心した。見た目よりも強い子だ。


「何のために、多額の税金を使って温泉街を大きくしたと思うの? 私が入るためじゃない!」


 温泉街の大きさは前の二倍ぐらいになっていて、森まで地続きになっている。新しい露天風呂まで簡単にいけるようにだ。あの歌っているだけの精霊にはしっかりと加護があるらしく、モンスターも今のところは寄り付いていないらしい。


「私は来たくなかったっす……街の皆んなにはエロ騎士って言われて、顔を覚えられているんすよ!」


 ペチコートはワーワーと騒いでいる。彼女だけは酔うとダメなので黒塗りの高級車でなく、一人で馬を乗ってきた。現地集合だ。


「大丈夫ですよ。一番風呂は私たちだけの貸し切りですから」

「そ、そうなんっすか! よかった!」


 森の中にできた人口の道を通りながら、クリィはペチコートの肩を叩く。新しい観光資源を創設した為政者の特権だ。

 出来た当初はただの水溜りでしかなかった場所に、大きな家屋が建っていた。新しい旅館だ。新築の空気を嗅ぎながら、リュウ達は中に入る。スタッフも最小限、正式なオープンはまだ少し先だ。

 脱衣所の前で、リュウだけは立ち止まった。


「俺は外で待ってるで」

「えー! リュウも入ろうよ! 混浴だよ!」


 コゼットにスーツの裾を引っ張られた。


「そういう問題じゃねえんだ。一度、極道に身を落としたからには、そうゆうもんとは縁を切ったんや」

「リュウが前いた国の決まりなんて知らないわ。ここはワタシの国、ワタシがルールなの。私の命令が聞けないの?」

「だがな……」

「リュウ! ワタシ怖ーい! また邪教集団に襲われちゃったらどーしよー!」


 わざとらしいコゼットの棒読み。本当に恐怖を克服しているのだろう。


「ああもう、分かった分かった。一緒に入ってやるで」

「わーい!」


 コゼットは先に女性用の脱衣所に入っていく。クリィとペチコートは残ったままだった。


「リュウさん、先に行っておきますけどジロジロ見ないでくださいね?」

「兄貴、みんなの前じゃダメっすからね!」

「うるさい、姫のご意思や。自重するから気にするなや」


 リュウは男性用の脱衣所に入る。すぐにスーツを脱いで、木で編んだカゴに入れる。丸裸になって風呂場へと向かう。

 ただの水溜りだった場所は、石が敷設されて出来た立派な温泉になっていた。木漏れ日で虹色に輝く大樹の元にある。とても幻想的な露天風呂だった。

 曇るほどの湯煙の中、彼女達の裸体は眩しく見えた。コゼットは思った通りの貧相な身体で、しかし肌は瑞々しい。腕を組んで湯船の中にいる。

 ペチコートは温泉のヘリに顔と手を置き、うつ伏せになるように浸かっている。引き締まった果実のようなお尻が見えた。

 クリィの胸のボリュームは凄く、水の上で浮かんでいる。小さな波紋が温泉の上を滑るたびに、少し揺れている。


「おっそいぞー、リュウ――って、凄い……それ」

「兄貴ぃ、かっこいいっす!

「やだ……思っていたより、立派です」


 

 リュウは湯船に入る前に、身体を流す場所に腰掛ける。小さな椅子がたくさんある。そこにいると、彼女達に背中が丸見えになる。


「ああ、これか? 俺が温泉に入れなかった理由や。モンモンや。刺青って奴や。公共の場で、カタギとは一緒に入れねえんや」


 決まりだからだけじゃない。刺青は忍耐の証。掘る痛みを耐え切った精神の表れであるから、無闇矢鱈に誰かに見せるものじゃない。リュウはそう教わってきた。

 でも、彼女達には背中の般若を見せてもいいと思った。それだけの信頼があった。


「ふふ、そんな背中のアートにびびるほど、ワタシは臆病じゃないわ。身体を洗ったら、こっちに来なさいな」

「ありがとな、お嬢」


 リュウの頭上に、熱いお湯が降ってきた。もちろんシャワーなんて便利なものはない。見上げるとある大樹。その枝には精霊が跨っていて、熱いお湯をまるでシャワーのように降らせてくれた。

 これはいい、満員御礼間違いなしの名物になる。リュウはそう思った。

 充分に身を清めてから、リュウは湯船に浸かった。


「ふぃぃい!」


 初めての温泉は芯から温まる。ただのお湯とは違う、溶けてしまうような心地よさだった。


「どう? いいもんでしょ、温泉って」


 コゼットはリュウの隣に寄ってきてくれた。小さな子供の裸は、前のお嬢のお陰で見慣れている。


「美女に囲まれながらやと、格別やで。なんせ絶景やからな」

「兄貴ぃ、エッチっすよ!」

「こっち見ないでください!」


 ペチコートとクリィからは猛抗議が来た。しかし、反対にコゼットは湯船から立ち上がり、モデルのように身体をくねらせた。


「そうでしょ! ほら、もっとワタシのナイスバディを目に焼き付けるがいいわ!」

「発展途上や」

「むぅううう!」


 コゼットの顔が茹でたタコのように真っ赤になった。彼女は足を振り上げ、お湯がリュウの顔にかかる。


「あはは、ごめんて」

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