第三章 笑顔と信頼はプライスレス②

 ダミアンに連れて行かれた先は、き通りから少しはなれたところにあるカフェだった。

 木製の家具と白いかべで統一された店内は落ち着いた見た目と裏腹に活気があり、商談や議論をしている人たちで昼からにぎわっている。

 ダミアンはここの常連なのか、あちこちで知り合いに呼び止められている。その都度、彼は私のことをしようかいして奥へ進み、最後にニヤリと笑って言った。

「お嬢ちゃん、あいつだ。奥の席で本を読んでる奴。おーい、レナード! 元気してたか?」

 ダミアンに大声で呼びかけられ、青年が顔を上げる。そのしゆんかん、青年の整った顔がこおりついた。私も一緒になって息をむ。

 うそでしょう? まさかこんなところで会うなんて……。

「なんだ? 二人とも顔見知りだったのか?」

 異変に気づいたダミアンが不思議そうに聞いてくる。実際には顔見知りどころの話じゃない。レナードと呼ばれた青年は、この国の第一王子にして従兄いとこのレナルドその人だったのだ。

「悪いな、ダミアン。おまえが珍しく女を連れてるからおどろいちゃってさ。こんな美人とどこで知り合ったんだよ?」

 先にしようげきから立ち直ったレナルドがいたずらっぽく笑う。

 え、何これ? 人違い? こんなくだけた話し方をするレナルド、見たことないんだけど。

 私はますます混乱したが、ダミアンにとってはいつものことだったのか、彼はじようげんでレナルドのかたをたたきながら話を続けた。

「今度、売れ残りの魚を使って瓶詰めを作ることになったって話しただろ? そのきっかけをくれたのが彼女──ヴィオラだったんだよ」

「へー。あんた、ヴィオラって言うんだ。いい名前だね。俺はダミアンの友人で、レナードって言うんだ。名前を覚えてもらえたら、うれしいな」

 レナルドが席を立ち、がおで手を差し出してくる。何も知らない第三者が見たら、彼が私を口説いているように感じたかもしれない。現に、ダミアンも「おや?」という顔をしている。

 しかし、レナルドの真意を知っている私は背筋が冷たくなった。彼は念を押しているのだ。自分はめいを使い、身分をかくしているのだから、決してダミアンに正体をバラすなよ、と。

 ここはげるか? いや、ダミアンの手前できない。なら、私の取る道は一つしかない。

 私はかくを決め、差し出された手に自分の手を重ねて微笑ほほえんだ。

「はじめまして、。どうぞよろしく」

「こちらこそよろしく、

 レナルドが手のこうに口づけを落とす。うわづかいに私を見上げる仕草はひどく色っぽいが、そこに甘さはじんも感じられない。これは、私たちの共犯関係が成立したあかしの口づけ。私には、彼と共に最後までこの場を演じきるというせんたくだけが残されたのだ。

 こうなったら、仕方ない。私もよそ行きの笑顔を装備して、レナルドに話しかけた。

「ダミアンから聞いていた通り、気さくでてきな方ね。あなた、誰に対してもこうなの?」

「いいや、俺は気になる女性に対してしか、こういう態度を取らないよ。君みたいに美しくて高貴な女性がダミアンの仕事のパートナーだなんて、けるな」

 訳すと、「君のことが信用ならないから、けいかいしているんだ。君みたいに平民をぎらいしている王女が、どうしてダミアンと一緒にいる?」ってところかしら?

 もちろん、このほんやくはダミアンにだけ通じていない。

「おいおい、二人して何いいふんになってんだよ? 俺の存在も忘れないでくれよ」

「悪いな、ダミアン。気になる女性を紹介されたら、彼女のことをより深く知りたいと願うのは自然の流れだろう?」

 ダミアンがヒューッと口笛をく。これはどう見ても誤解されてるよね?

 レナルドのしばに乗ったはいいけれど、あとのフォローが大変そうだ。今からでもおそくない。やっぱり「お花をみに」とでも言って、この場から逃げた方がいいかと思った、その矢先、レナルドが私のためにを引いてくれた。

「いつまでも立たせていて、すまない。どうぞこちらへ」

 ずいぶんしん的な仕草だけど、本心では私を逃がしたくないだけだよね?

「なぁ、ヴィオラ。君はどこに住んでるんだ? ダミアンと知り合ったきっかけは?」

 えーと……一歩ちがえたらアウトみたいな、この事情ちようしゆは何? さすがにこわいんだけど。

 私は引きつりそうな口元を気合いでおさえながら、こっそり深呼吸をして答えた。

「ダミアンとは、その……彼が治療院に来た時に知り合ったの」

「治療院? そういえば、下町の方で聖女様が貧者のための治療院を開いたって聞いたけど、まさかそれのことを言っているのか?」

「ええ、まぁ……」

 レナルドはまだアナリーと出会ってすらいない。今の段階で治療院のことをどこまで話していいものか……。悩んでうつむく私を見て、なぜかダミアンがクックッと笑った。

「いつもだいたんてきなお嬢ちゃんも、レナードの前じゃとしごろむすめらしくじらうんだなー」

 ちょっと! 誤解を招くような言い方しないでよ! レナルドの視線が恐いじゃない!

 私のしようそうなんて、ダミアンには通じない。彼は私の肩を後ろからごうかいにたたいて言った。

「このお嬢ちゃんはな、見かけによらず、すごいんだぜ! 俺の手下が治療院に『場所代をはらえ』とせまったことにげきして、俺のほんきよまで乗り込んできたんだから!」

「彼女が? 本当か?」

 レナルドが目を丸くする。私は肩身のせまさを感じて、胃が痛くなった。

 ダミアンは私が止める間もなく、びんめ勝負のくだりまで、り身振りを交えながら生き生きと語った。彼が話すと、なんだかほうもない武勇伝に聞こえるんだけど……!

「へー。ヴィオラは見かけによらず、ごうな性格をしてるんだね」

「だよなー。俺もお嬢ちゃんのかつやくには感心するのを通りして笑っちまったぜ」

 悪かったわね! 私もあの時は必死だったのよ!……と大声でこうできたら、どれほどスッキリするだろう。レナルドの前で、そんなことはできないけど。

 もんもんとする私とダミアンを見比べ、レナルドがふと真顔になった。

「あんたたちの関係はだいたいわかったよ。それで、今日は俺に何をたのみに来たんだ? 俺を訪ねてきたってのは、つまりそういうことなんだろう?」

「さすがレナード、話が早くて助かる。実は今、俺たちは瓶詰めの納品先を探していてさ。おまえ、軍につてはないか?」

「……軍?」

「ああ、長期保存のく瓶詰めは行軍のけいこう食にピッタリだし、ろうじように備えての保存もできていいって、お嬢ちゃんが言ってたんだ。な?」

「へー、ヴィオラが軍とのつながりを求めていると」

 こちらを見るレナードの目におんな光がよぎる。彼が警戒するのも当然だ。

 私だって、前世を思い出す前の自分が軍と手を組んだら……と想像するだけで恐くなる。現に、ゲームの中のヴィオレッタ王女は軍を使って王位さんだつを成功させてるわけだし。

「安心しな、レナード。軍の関係者を紹介してもらったところで、そいつとお嬢ちゃんの仲を取り持ちはしないから。それ以前に、お嬢ちゃんはつうの男の手に余るだろう」

 ダミアン、あなたは変なかんちがいをして、余計な気を回さなくていいから!

 真面目まじめな場面だというのに、私はがっくりテーブルにつっしそうになった。こんなことになるなら、私が直接軍に声をかけた方がまだマシだったかもしれない。

 レナルドはしばらくの間、づかれしている私とかいそうにしているダミアンを見比べ、なやんでいたようだったが、最後に何か吹っ切れたような表情で口を開いた。

「事情はわかった。ダミアン、あんたに軍の関係者を紹介することは構わない。だが、それ以前の話として、俺なんかよりヴィオラの方がよっぽど軍に顔が利くんじゃないのか?」

 ……そうきたか。腹のさぐり合いは、やっぱりまだ終わっていないらしい。

「何を言ってるんだ、レナード? 俺やお嬢ちゃんのようなしよみんに、軍人の知り合いなんているわけないだろう?」

 何も知らないダミアンが困った顔でかたをすくめる。レナルドは動じることなく、テーブルに身を乗り出し、密談のように彼の耳元で話しかけた。

「いいか、ダミアン? あんたは本当にヴィオラが普通の女だと思ってるのか? 普通の庶民の女が瓶詰めの開発を一ヶ月足らずで成功させるなんて、どう考えてもおかしいだろう?」

「……そりゃまぁ、お嬢ちゃんは驚くほどゆうしゆうだけど」

「ヴィオラ、君の真の目的はなんだ? 瓶詰めの売り先として、じゆんすいに軍人を紹介してもらいたいだけなのか? ここは正直に話してくれよ。なぁ、ダミアンだって気になるだろう?」

 レナルドが私の方を意味ありげに見る。ああ、そういうことか、と私はなつとくした。

 レナルドは、私に対する不信感をダミアンに植え付けることで、彼が私に近づくのを止めたいんだろう。でも、私だって今ここでダミアンに疑われるわけにはいかないのよ。せっかくどうに乗りそうな瓶詰めのはんばい計画をつぶされちゃかなわないわ。

 レナルドもダミアンもしんけんおもちで私の答えを待っている。私はスヴェンを真似まねしようで本心を隠しながら、ゆっくりと口を開いた。

「レナードが言うように、確かに私は普通の庶民の女性とはちょっと違うわね。ありがたいことに、私は十分な教育を受けさせてもらったから。だけど、瓶詰めの販売でダミアンをだますつもりなんてこれっぽっちもないわ。そこのところは誤解しないでほしいの」

「その根拠は?」

「瓶詰めのもうけをどくせんするつもりなら、そもそも最初からダミアンきで工場の建設計画を立てたし、一割の特許料で満足なんてしないでしょう? 違う?」

「……そっか、それもそうだな」

 ちょっと、ダミアン! その顔はレナルドにせんどうされて少し疑ってたでしょ!

 あからさまにホッとした顔つきになるダミアンを見て、私はムッとした。けれど、今はそういう細かいことにいちいち構っている場合じゃない。

「ダミアンも考えてみてよ。そもそも軍に知り合いがいたら、私が他人にしようかいを頼むと思う?」

「思わないな。おじようちゃんは見るからに自分からグイグイ行くタイプだもんな」

「そうでしょう? わかってくれたのなら、嬉しいわ」

 よし、これでダミアンの方はだいじようだろう。

 レナルドの様子をうかがうと、彼はゆうどうに失敗したことをくやしがっているのか、口のはしを不満そうに曲げている。そんな彼を見て、ダミアンがまた愉快そうに笑い出した。

「俺がお嬢ちゃんの性格をよく理解してるからってくなよ、レナード。なんなら、おまえも瓶詰め計画に一枚むか? そうしたら、いつでも好きな時にお嬢ちゃんに会えるぜ」

「……それも悪くないな」

 は? 何この流れ! 二人のやりとりに、私はギョッとしたなんてものじゃない。

 レナルドが瓶詰めの販売計画に加わったら、私は彼に始終かんされてしまう。そんなことになったら、ゲームのシナリオにどんなえいきようが出ることか!

 でも私といつしよの時間が増えるということは、レナルドに今の私をたくさん見てもらえるってことでもあるのよね。そうしたら、私が改心したことも伝わるかも。

 いやいや、変な期待はよそう。相手はあのレナルドだもの。今までみたいに無視されるだけよ。だけど、もし本当にチャンスがあるのなら……。

「俺も瓶詰めの販売にたずさわるのであれば、軍の紹介は考えておく。それでいいか?」

「ああ。頼むぜ」

「ちょっと待って! まだ話は決まってないのに!」

 われに返った私がさけぶ。その発言を無視して、レナルドが席を立った。その顔はいかなる反論も許さない、絶対れいの微笑におおわれている。え、ちょっと……。

 レナルドはまどう私の手を取り、ひどく芝居がかった仕草で口づけを落として言った。

「しばしのお別れです、。またお目にかかれる日を楽しみにしています」

 うーわー、いくら顔がよくても、こんなしようわるの王子様には二度とお目にかかりたくないわ。……と思っても、そんなわけにはいかないのは百も承知している。

 レナルドは最後まで私に流し目という名の警告をあたえて、カフェを去って行った。それを見たダミアンが「いやー、春が来たなー」などと余計なことを言っていたので、私はその足を思い切りんづけてやった。それが、今の私にできるせめてもの腹いせだったから。

 今ここでダミアンの誤解を解くわけにはいかない。そんなことをしたら、私とレナルドの身分まで話さなくてはならなくなってしまう。

 本当のことを打ち明けられないもどかしさと今後の不安との間でいたばさみになり、どっと疲れた私は目の前のテーブルに力なくつっ伏した。

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