第二章 異世界で経営戦略を①

 薬の転売ぼくめつを宣言してから二週間が過ぎた日のこと。その日も私は朝から商家のむすめ風の格好にえ、街に出た。向かった先はりよう院じゃない。前に薬の転売をもくげきした店だ。

 私が店内に入ると、カウンターで新聞を読んでいた店主がちらっと顔を上げ、「いらっしゃい」と無愛想に応じた。間違いない。彼はこの間、エリクから薬を買い取っていた男だ。

「こんにちは。今、少しよろしいでしょうか?」

 私がカウンターの前まで来たことに気づいて、ようやく店主がげんそうに新聞を閉じた。

「なんだい? まだ若いのに、どこか悪くしてるのかい? それともだれかの使いか?」

「いいえ。私は売りに来たんです。アナリー様が治療院で作った、腹痛用のお薬を」

 店主の顔つきがいつしゆんにして変わった。用心深くなった視線が、私の頭からつまさきまでじろじろと観察する。ちょっといやだけど、ここはまん

 私がおとなしく待っていると、やがて店主がカウンターを指でトントンとたたいて言った。

「持ってきた薬をここに置きな。続きは中身を見てからだ」

 よかった。とりあえず話を聞く気になってくれたらしい。

 私が言われた通りにすると、店主はすぐ薬包を手に取った。中から出てきた粉のにおいをかいだり、指先につけてなめたりする。本当にアナリーが作った薬だと知っていても、結果を待ってる間はなんだかきんちようする。やがて一通りかくにんを終えた店主は、じろりと私を見て言った。

「あんた、うちのことは誰に聞いたんだ?」

「エリクさんに教えてもらいました」

「なるほど、あの男がね」

 知り合いの名前まで聞いて、やっと少しけいかいを解いたのか、店主の表情がやわらぐ。

「これはアナリー様の調合した薬にちがいない。使っている薬草の種類にとくちようがあるから、すぐにわかる。それにしてもあんた、どうやってこの薬を用意したんだ? 最近じゃあ、エリクもほかの連中も簡単には薬をもらえなくなったっていうのに」

「私にはちょっとしたつてがありまして」

 表面上はあいまいに答えつつも、店主の発言に転売防止策の効果を実感し、私は内心で親指をグッと立てた。この二週間というもの、私もアナリーもすごく頑張ったのよ。

 転売防止策のいつかんとして、私はまず治療院でカルテを作成したんだ。患者さんの情報を管理することで、少しでもあやしいりを見せた人には薬をわたさないよう、アナリーにたのんだの。

 それから薬のしよう配布をやめ、最低でも薬の原価に相当する金額をはらってもらうようにした。もちろん、患者さんの中には日々の暮らしに事欠いている人もいる。そういう人たちには薬草畑の手入れやせんたくなどを手伝ってもらうことで、薬代の代わりとしたんだ。

 こうして元手がかかるようになれば、転売で得られる利益も少なくなる。その結果、転売は割に合わない商売だと感じるようになったのか、転売用に薬をもらいに来る人も減ったんだ。

「それで、いかがでしょう? こちらの薬にご興味を持っていただけましたか?」

 私は営業スマイルをくずさないように気をつけながら、店主に尋ねた。彼はなやんでいたようだが、それでも薬が欲しかったのだろう。割とすぐにうなずいてくれた。

「アナリー様の作る薬は効能が確かで売れ行きもいいからな。できれば、あんたとは定期的に取引を続けたいんだが、今後も治療院から薬をもらってくることは可能か?」

「そうですね。それでしたら私が薬をお持ちするより、もっといい方法があります」

「なんだ、それは?」

「薬の調合法について、けいやくを結ぶのです」

「……は? あんたは薬を転売しに来たんだろう? それがどうして調合の話になる?」

「先ほどお見せした薬はあくまで見本であって、私が本当に売りたかったものは別にあります。そのお話をするため、私は今日アナリー様の代理として、こちらに参ったのです」

 アナリーの名を聞き、店主が再び警戒をあらわにする。私は気づかなかったりをして、カバンから取り出した書類をカウンターの上に置いた。

「アナリー様はご自身で考案なさった調合法を、多くの方に安価でご提供したいとお考えです。具体的な調合法はこちらに書かれています。薬の転売品をこうにゆうなさるより、こちらの書面通りの調合をご自身でなさった方がおたがいの利益になると思いますが、いかがでしょう?」

 店主は私の出した書類を食い入るように見つめている。かかった、と私は思った。

 私の聞き込み調査によると、この店主はアナリーの薬を入手できなくなったにもかかわらず、お客さんの中には薬を欲しがる人がいて困っているという。ここで彼が調合法を買う契約に同意すれば、転売品の薬を無理に購入する必要もなくなるわけだが、どうだろう?

 私がじっと答えを待っていると、やがて店主の口からかすれた声がこぼれた。

「契約は考えてもいい。だが、その前にこの調合法が本物かどうか確認させてもらえないか?契約したあとににせものだとわかったら、大変だからな。ダメか?」

「承知いたしました。どうかご確認ください」

 書類を店主の前に差し出す。彼の目つきが変わった。もしかしたら、契約せずに初見で調合法を暗記しようとしているのかもしれない。だけど、残念! それじゃあ、薬は作れない。

「おい! この調合法は未完成じゃないか! ここに書かれている薬草Ⅹとはなんだ!?」

 店主の悲鳴に、私は内心でニヤリと笑った。予想通りの行動にうれしくなっても、なおに喜んではいけない。私は有能なこうしよう人をよそおい、たんたんと説明を続けた。

「こちらの薬草Ⅹとは、アナリー様がさいばいなさっているとくしゆな薬草です。薬の調合に当たっては、この薬草Ⅹを追加でご購入いただく必要があります。本日中にご契約いただけるようであれば、初回分の薬草Ⅹは無料で差し上げますが、いかがいたしましょう?」

「あくまで薬草Ⅹの正体は教えず、アナリー様から直接買わないと調合できない仕組みを作ることで、調合法の無断使用をよくせいするというわけか」

 当たり! いくら契約書の中で、「薬の調合量に応じて使用料を支払ってください」とか、「他の方に調合法を教えるのはやめてください」とか書いておいたところで、調合法を暗記されたら最後、契約をされるリスクはけられない。

 その点、キーとなる薬草を治療院から提供するようにしておけば、いくら調合法を暗記されても、調合はできないものね。

「ただのおひとしの聖女様かと思いきや、なかなかおもしろい仲間がいるんだな」

「おめにあずかり、光栄です。契約はいかがいたしましょう? やめておきますか?」

「……………………」

 スヴェンみたいにニコニコしながら店主の答えを待つ。彼は私のがおをじっと見つめ、とつぜんせいだいき出した。え、なんで? 私、何か変なことをした?

 まどう私をしりに、店主は「あーあ」とつぶやき、両手をかたの辺りまで上げた。

「負けたよ、降参だ。薬屋の俺では太刀たちちできない。そうだな。まずはためしに調合百回分で契約を結ばせてもらおうか。それでうまく行ったら、長期契約に移らせてくれ」

「ありがとうございます! さつそくですが、明日あしたアナリー様と一緒に百回分の調合に応じた薬草Ⅹを持って本契約に参りたいと思います。明日もどうかよろしくお願いいたします」

「ああ、わかった。あんたは将来、いい商人になりそうだな。今後ともよろしく頼むよ」

 店主がしようしつつ、私の前に手を差し出してくる。結局、なんでさっき笑われたのかはわからずじまいだったけど、とりあえず契約が取れたから、よしとしよう。

 私は店主と固くあくしゆわしてから店を出た。その直後のことだった。

「ヴィオラ様って、本職はだったんですか?」

「……はい?」

 いきなりの失礼な発言に足を止め、思わずまゆをひそめる。発言の主は、店の外にいたラルスだった。万が一、交渉中に店主が逆ギレした場合に備え、こうして待機していてくれたんだ。

「あんなスムーズに人を言いくるめられるなんて、その技術をどこで習得したんです? そもそも転売が目的であれば、アナリー様の薬をあの薬屋におろすだけでもよかったのでは?」

「そうね。でも、それだとアナリーのつかれはまる一方ね」

 私の答えに、ラルスが「あっ」と小さく声を上げる。私はうなずき、説明を続けた。

「ねぇラルス、アナリーの望みはなんだったか思い出してちょうだい。彼女は薬を必要としている人のもとに必要なだけ届けたいと願っているわ。とはいえ、彼女が一人で薬を作り続けたら、きっとまた過労でたおれてしまう。そこで、これの出番というわけよ」

 私は調合法の書かれた紙をラルスの前でヒラヒラと振って見せた。

「これさえあれば、アナリーと同じ調合でたくさんの人に薬を作ってもらえるわ。しかも、治療院には調合法の使用料も入ってきて、だつ赤字を目指せるの。いいことずくめじゃない?」

 ニッと笑って、書面をカバンの中にしまう。私を見るラルスの顔に苦笑がかんだ。

「とりあえず、あなたを敵に回さない方がいいということだけは、よくわかりましたよ」

「あら、ありがとう。では疑問が解消したところで、次の商談に向かいましょう。薬の転売品をあつかっていた店は他にもあるんだから」

 ラルスがやれやれと肩をすくめる。私は契約成立のこうようかんに背中を押されるようにして、ずんずんと先に道を進んでいった。


    ◆◆◆◆◆◆◆


 翌朝早くから、私は足取りも軽くりよう院へ向かった。昨日は薬の転売品に手を出していた薬屋をラルスと順に回り、最終的に五けんの店と調合法のライセンス契約を結べたんだ。

 出だしは上々。仕事も楽しい。ただ、今の私にはちょっとした悩みがあった。

「おはようございます、お姉様! 今日もお早いですね」

 治療院のとびらを開けたたん、アナリーが顔をぱぁっとかがやかせ、私のもとにけ寄ってくる。一時の過労状態から解放された今、そのはだ薔薇ばらいろに輝き、れんさを増している。

 こんな美少女にしたわれて、すごく嬉しい。嬉しいけど、これが目下の私の悩みでもあった。

「おはよう、アナリー。そのお姉様って呼び方、まだ続けるの?」

「おいやですか? 私はお姉様のことを本物のお姉様のようにお慕いしているので、つい」

「いや、別にその呼び方がきらいってわけじゃないのよ。ただ、私には似合わない気がして」

「そんなことありません! お姉様は世界一のお姉様です!」

 アナリーが胸の前で手を組み、うわづかいで力説する。私は「うっ」とひるんだ。

 なんで私、一週間前に「お姉様」呼びを許可しちゃったんだろう?

 それがそもそものちがいだった。アナリーのような美少女から「お姉様」と呼ばれ続けていたら、なんだか今にいけない世界の扉を開いてしまいそうになる。今だって、ほら。

「お姉様とのお出かけ、ずっと楽しみにしていたんです」

 アナリーが外出用のぼうを手に取り、私の方を見てはにかむ。

「ああ、うん。お出かけと言っても、今日の目的は契約書のていけつだけどね」

「それでも構いません。お姉様といつしよに出かけられるなら、私はどこでも嬉しいです」

 なに、このかわいい生き物! 私がこうりやくキャラなら、今のセリフで確実に落とされてるよ。

 ヒロインがかわいすぎて困るって、私の立場的にはどうかと思う。そんなルート、ゲームには存在しなかったし、この関係が今後ゲームにどんなえいきようあたえるかもわからない。

 ただ、それでも私はアナリーをき放す気にはなれなかった。一度走り始めたプロジェクトを途中でほうり出したくなかったし、何より私はがんっている彼女の助けになりたかったんだ。

「昨日も話したけど、今日は本契約のために薬屋を五軒回るわ。いそがしいけど、頑張るわよ!」

「はい、お姉様! どこまでもついて行きます!」

 アナリーの素直でかわいい反応に、またもや私のほおゆるみかけた、その時、治療院の扉が開けられた。外で馬車の用意をしていたラルスが帰ってきたのだ。

「お二人とも、出発の準備が調ととのいました。どうかおいでください」

「ラルス、ありがとう。お姉様、一緒に参りましょう!」

 アナリーが私の手を引いて外に出る。げんかん前に、彼女がえん者から借りたという荷馬車がめられていた。その荷台には、契約相手の薬屋に配る薬草Ⅹが束になって積まれている。

「段差がありますから、お気をつけください」

 馬車を前にして、ラルスが当然のように手を差し出してきた。さすがゲームの攻略キャラ。こういうところが女性にモテるわけだ。私も治療院に通うようになってから気づいたことだけど、かんじやさんの中には明らかにラルスをねらっている女性も多いんだよね。

「ヴィオラ様? どうかなさいましたか?」

 あ、いけない。今はゆうちように観察してる場合じゃなかった。私はラルスにお礼を言って、彼の手を取ろうとした。その時だった。

「おーい、おまえら! どこへ行くんだ?」

 急に大声で呼び止められ、声のした方を向く。私は思わず「げっ!」とうめきそうになった。なんであの男がここにいるわけ?

 悪質なナンパ男にして転売ヤーのエリクが、こちらに向かって手をりながら歩いてきたのだ。しかも、その手にはなぜかこんぼうにぎられている。そんなぶつそうなものを持って、どうした? 薬の転売ができなくなったことをさかうらみして、治療院になぐり込みに来たとでも言うの?

 私と同じことを考えたのか、ラルスがアナリーを背中にかばい、身構える。エリクはその反応を面白がっているのか、顔に嫌なニヤニヤ笑いを浮かべながら話しかけてきた。

「そうビビるなって。俺は今日、アナリーにたのみ事があって来ただけだからさ」

「なんでしょう? 残念ながら、エリクさんにお薬をお出しすることはもうできませんが」

 アナリーがじようにもきっぱりと断る。エリクはその態度が面白くなかったのか、「ケッ」とき捨て、棍棒で肩をトントンたたきながら続けた。

「今日はおまえのところの場所代を回収しに来たんだよ。この川辺に店を構えている代金として、今月はダミアンさんに十万ラールを納めな」

 は? 場所代? って、固定資産税でもあるまいし、なんのつもり?

 疑問に思ってエリクを見ると、彼はなぜか胸を張って話を続けた。

「ダミアンさんっていうのは、ここら一帯を治めてるもとめだよ。おまえの治療院では今までもうけさせてもらってたから、その礼として場所代をめんじよされてたんだ。だが、薬によるもうけが出なくなった今、もうお目こぼしは期待できないぜ」

 ……この男、そういうわけか! エリクの発言に、私は今までのからくりを理解した。

 エリクは薬の転売で得た利益をすべて自分のふところにしまっていたわけじゃない。その一部を上納金として元締めのダミアンにわたしていたのだろう。

 しかし、私たちが転売防止策を講じたせいで、今までのような利益を上げられなくなった。その不足分を、今度は場所代として巻き上げるつもりなのかもしれない。

「場所代は税金のようなものだぜ。痛い目にいたくなかったら、十万ラールよこしな」

「そんなこと、急に言われても……」

「なら、どうする? 場所代の代わりに、その清らかな身体からだでも売るか……いたっ!」

 私は心の中でがつしようした。どうやらエリクには学習能力がないらしい。彼が話している間に、その背後に回り込んだラルスが後ろからうでをひねり上げたのだ。

「アナリー様、場所代をはらう必要はありません。こいつのたわごとに耳を貸してはダメです」

「放せよ、ラルス! ダミアンさんに逆らって、ただで済むと思うのか!?」

だまれ、人語を解するぶたが。ここは、おまえのようなうすぎたない人間が来ていい場所じゃない」

 こ、こわっ……! ラルスのその絶対れいまなしでかれたら、再起不能になるよ。

 これには、さすがのエリクもビビったらしい。ラルスが手を放したしゆんかん、五メートルほど先までダッシュでげた。しかし、そこで完全に立ち去らないのがエリクという男だ。

「薄汚い人間はラルス、おまえの方だろう? 俺は知ってんだぜ。おまえは本来、教会のになれるような、ご立派な人間じゃないってな」

 安全けんまで逃げたエリクがちようはつの言葉を投げかける。どうせまた適当なことを言っているんだろうと、私は思った。だけど、あれ? それにしてはラルスの様子がおかしくない?

 ラルスはエリクをにらんだまま、どうだにしない。その表情がこわばって見えるのは、気のせいだろうか。エリクはそんな彼の反応に満足したのか、かいそうに続けた。

「その様子、やっぱりうわさは本当だったのか。おまえの母親は旅のまいひめなんだろう? それがだんしやくに一夜限りの情けをかけられ、生まれたおまえを男爵家の前に捨てて消えた。そんなだれからも望まれない人間が騎士としておと候補のそばにはべっていいと……うわっ!」

「もう一度じよくしてみろ! その口を二度と開けないようにしてやる!」

 エリクとのきよを一瞬にしてめたラルスがそのむなぐらをつかんでさけぶ。

「ラルス、落ち着いて! エリクさん、息できてますか!?」

 アナリーがあわててちゆうさいに入る。ラルスは不本意そうだったが、それでも最後には理性がまさったのか、しぶしぶ手を放した。その一瞬のすきをついて、今度こそエリクは完全に逃げてしまった。

 あとで塩でもまいておこうかしら? エリクにはもう二度と来ないでほしいわ。

 ラルスの方を心配して見ると、彼はつらく苦しげな様子でエリクの去った先を見つめている。彼の過去に何があったか知らないけど、相当なダメージを受けたらしい。

 ただ、ラルスが傷ついていることはわかっても、私はみ込んで何かを言うことができなかった。その背中がいつさいなぐさめをきよぜつしているように思えたから。

 その後、私とアナリーはラルスがぎよしやを務める馬車で薬屋めぐりを開始した。幸い調合法のけいやくは順調に進んだものの、私たちのそばでラルスは一日中ずっと暗い顔をしていた。

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