春の嵐とパジャマパーティー★コミカライズ1巻発売記念★

 窓枠がガタガタと揺れ、雨粒が窓ガラスを打ちつけている。

 私、ヴィオレッタ・ディル・グランドールは、不安な気持ちで荒れた空をながめていた。

 ここは王宮でも、薬師をしているアナリーの治療院でもない。初めて訪れた村の、初めて泊まる宿屋だ。

 事の発端ほったんは、アナリーが王都の外れにある森まで薬草を採取しに行くと言い出したことだ。薬の転売撲滅計画が順調に進んでいるおかげで、彼女も少し心に余裕ができたらしい。患者さんの少ないタイミングを狙って、足りなくなってきた薬草の補充をしたいという。

 今の私は王女の身分を隠し、商家の娘の振りをして、治療院の経営改革にたずさわっている身だ。せっかくの機会に一度現場を見ておきたくて、アナリーについて遠出をしたんだけど……まさか帰る途中で春の嵐に遭い、崖崩がけくずれで道をふさがれてしまうなんて!

 嵐の中、こうして宿を取り、着替えのネグリジェまで貸してもらえたことはラッキーだと思う。でも通行止めになったということは、王宮にも連絡が取れないわけで……これって無断外泊よね?

 こんなことがバレたら、ただでさえ最悪な私の評判がさらに悪くなって、断頭台が近づくかも……いやぁぁぁ! 何かもっともな言い訳を考えて、明日王宮に戻ったら速攻でスヴェンに釈明しゃくめいしないと!

 外の嵐もビックリするぐらい荒れた心を持て余しながら、私は三つ編みにした頭を抱えた。その時、部屋の扉がコンコンとノックされた。

「お姉様、入ってもよろしいでしょうか?」

 この声はアナリーだ。

 心配の種は尽きなくても、この取り乱した姿を見せて、彼女を不安にさせてはいけない。ただでさえ彼女は「私のせいでお姉様をずぶ濡れにさせてしまったなんて!」と自分を責めていたのだから。

「アナリー、どうぞ入って。着替えはもう終わっ……」

 にっこり取りつくろった笑顔で扉を開ける。私は思わず目を見開き、固まった。

 ……え、何? 天使が宿屋に舞い降りたの?

 淡いピンクのネグリジェをまとったアナリーが、扉の後ろからおずおずとこちらを見上げている。もともとの可憐かれんさも相まって、その姿はまばゆいばかりにかわいらしい。

 よくあるネグリジェ姿にこれほどの威力を持たせるなんて、さすがゲームのヒロインだ。

「あの、お姉様? 私、何か変でしょうか?」

 あ、いけない。無言でジロジロ見られたら、そりゃあ戸惑うよね。

「ごめんなさい、アナリー。あなたのネグリジェ姿がなんだかその、すごく新鮮でかわいかったから」

「へ? そ、そんな……! お姉様こそ、すみれ色のネグリジェがとてもお似合いです!」

 アナリーがこぶしを握りしめ、力説する。そんなに気を遣わなくていいのに、本当にいい子だなぁ。

 私はアナリーを部屋に招き入れると、ティーポットのお茶をカップに注いで渡した。

「お姉様、このお茶は?」

「宿の人にお願いしてれてもらったの。雨で身体が冷えたでしょう? これを飲んで、少しでもあたたまってちょうだい」

「そんな! ここの宿代を出していただいた上に、お茶までいただくなんて」

「いいの、いいの。ちょうど私も喉がかわいていたし、つき合ってくれたら嬉しいわ」

「お姉様……、ありがとうございます」

 アナリーがカップを両手で包み、遠慮がちに口元に運ぶ。コクンと喉が鳴ったその瞬間、緊張していた顔に花のほころぶような笑みが広がった。

「とてもおいしいです」

「おかわりもあるから、たくさん飲んでね。あ、あとその髪」

 私はつい気になって、アナリーのプラチナブロンドの髪に触れた。

「お、お姉様?」

「やっぱり毛先がもつれているわ。アナリー、少しそこに座ってもらえる?」

「え? あ、はい」

 部屋の中央に敷かれたラグの上に、アナリーがおずおずと座る。私は背後に回ると、まだ湿っぽかったその髪を丁寧に布で拭き、くしを通した。

 すごい。前世の小説で「きぬのような髪」という表現をよく見かけたけど、アナリーに限ってはそれも誇張じゃない。淡く金色に輝く髪は、肌に吸いつくようにしっとりしていて気持ちいい。つい放しがたくて、髪を三つ編みにしてしまう。

 すると、その様子を見ていたアナリーがフフッと笑った。

「アナリー、どうしたの? くすぐったい?」

「いいえ。この三つ編み、お姉様とおそろいだと思ったら嬉しくて。ありがとうございます、お姉様! 大好きです!」

「………………!」

 なに、このかわいい生き物! 私の心臓を止める気?

 アナリーは自分がいかにかわいいか自覚していないのだろう。思わず胸を押さえた私を不思議そうに見上げている。

 私は息をフーッと吐いて心を落ち着けると、宿の人に用意してもらったクッキーをアナリーの前に差し出した。

「お姉様?」

「今夜はパジャマパーティーよ。たまにはこういうのもいいでしょう?」

「パジャ……お姉様と二人でパーティーですか? はい、ぜひ! お姉様と一緒に過ごせるなんて、この突然の嵐にも感謝しなければなりませんね」

「………………」

 アナリーがほほを赤く染めてはにかむ。その愛らしい仕草を前にして、私はさっきとは別の意味で、胸がわずかにうずくのを感じた。

 こういう素直で純粋な反応を目にすると、改めて気づかされる。「グランドール恋革命」というこのゲーム世界において、彼女こそがヒロインなのだと。

 ゲームがシナリオ通りに進んだ場合、ラスボスにして悪役王女の私は、光の乙女となった彼女に倒される。

 頭ではそうわかっている。でも……!

「このクッキーもすごくおいしいです、お姉様!」

 アナリーがクッキーを頬張りながら、笑いかけてくる。その様子に、私は心がじんわりと温かくなるのを感じた。

 たとえ敵対する運命にあったとしても、目の前の彼女を嫌いになることなんてできない。問題は山積みでも、今夜だけはすべて忘れて、この瞬間を楽しもう。そして、また明日から頑張るんだ!

 アナリーにつられて笑顔になりながら、私もクッキーに手を伸ばす。

 気づけば、いつの間にか嵐はやみ、窓の外にはきれいな三日月と星々が輝いていた。

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