あなたに贈るサプライズ★コミカライズ2巻発売記念★

 多くの露店でにぎわう広場に、春の穏やかな日差しが降り注いでいる。

 パンや果物のような食料品を扱っている店から、鍋のような日用品を売っている店まで、様々な露店がのきを連ねる中、店主たちが行き交う人々に「安いよ、安いよ!」とか、「お買い得だよ!」とか声をかけている。

 これが、週末に立つと噂の市かぁー。

 グランドール王国の王女にして、今日も商家の娘、ヴィオラにふんした私――ヴィオレッタ・ディル・グランドールは、初めて目にする王都の市に感嘆の吐息をこぼした。

 最近の私は王女の身分を隠したまま、下町にあるアナリーの治療院を手伝ったり、ダミアンやレナルドたちと一緒に瓶詰め工場の建設計画を立てたりしている。そんな私がよく行く場所は、港近くにあるダミアンのアジトや、工場の建設予定地ばかりで、こういう庶民の集まる市場に来たことは今までなかった。

 いいよね、活気のある市場って。これだけいろんなお店が集まっていたら、買い物も一度で済んで助かる。えーと、今日買うものは……。

 私がスカートのポケットからメモを取り出そうとしていると、隣で明るくはずんだ声が上がった。

「楽しいですね、お姉様。こんな風に、また二人でお出かけできて嬉しいです」

「……いやいや、待ってアナリー。またとは言っても、前回は街の薬局との契約で、今回はただの買い出しだから」

 目をキラキラ輝かせているアナリーに、私は思わずつっこまずにはいられなかった。

 そもそも私が今日ここへ来たのは、アナリーの荷物持ちが目的だった。今朝、治療院で大量の買い物リストを作成しているアナリーを見かけて、放っておけなかったんだよね。あの量を女の子一人に持たせるわけにはいかないもの。

「買わなきゃならないものはたくさんあるんだし、ほら行きましょう」

 私が買い物メモを広げて催促さいそくすると、アナリーはなぜかしょんぼり肩を落としてしまった。

「アナリー? どうしたの?」

「……お姉様はお買い物、楽しくありませんか?」

「へっ? そんなことはないけど」

 どちらかと言えば、いろいろな店を見て回るのは好きな方だ。特に最近は、悪役王女の私にいい感情を持っていないレナルドと、私の正体を知らないダミアンの二人を相手に、ヴィオラとして瓶詰め工場の打ち合わせをする――という、自分でも「なぜこうなった⁉」とつっこみたくなるような状況のせいで、ストレスが溜まっていたし。

「久々に青空の下を歩けて、私もいい気分転換になるわ」

「本当ですか? それなら、よかったです。最近のお姉様は、どこか思い詰めていらっしゃるようでしたから」

「え……?」

 私は驚いてアナリーの顔を見つめた。彼女は照れくさそうに微笑ほほえむだけで、余計なことは言わない。だけど、今の一言でわかった。遠慮がちな彼女が私の荷物持ちを認めてくれたのは、きっとそれが私の気分転換になると思ったからだ。

 自分も治療院の仕事で忙しいのに、私の心配までしてくれるなんて本当にいい子だなぁ。それに引き換え、私ときたらアナリーのせっかくの気遣いにも気づかなかったなんて……。

 よし! アナリーの真意がわかった今、私の取るべき行動は一つしかない。

「お姉様? どうかなさいましたか?」

 買い物メモをポケットにしまった私を見て、アナリーが首をかしげる。そんな彼女に向かって、私はにっこり笑いかけた。

「せっかく二人で市に来たのに、リストにあるものを買うだけじゃ、やっぱりつまらないわ。もしよければアナリー、私と一緒に気になるお店を見て回ってくれない?」

「……はい! もちろんです、お姉様!」

 アナリーの顔が喜びにぱぁぁぁっと輝く。

 うん、やっぱりアナリーには笑顔が一番似合う。その姿を見ていたら私もなんだか嬉しくなって、二人して足取りも軽く、近くの露店に向かった。

 治療院の患者さんたちから噂で聞いていたけど、ここの市では本当になんでも売られているらしい。しかも王都の相場にうとい私でもわかるくらい安いとくれば、みんな来るはずだ。

 私とアナリーの二人は買い出しの合間に珍しい絨毯じゅうたんのお店を覗いたり、季節のフルーツを使ったジュースを飲んだりしながら市を見て回り……その途中で、ふとアナリーの足が止まったことに気づいた。

 急にどうしたんだろう? 知り合いにでも会ったのかな?

 不思議に思って、私もアナリーの見つめる先に視線を向ける。そこにあったのは、色とりどりのリボンやカチューシャといった髪飾りを売っているお店だった。

 あのラベンダー色をしたレースのリボン、品があってオシャレだな。あ、隣にある水色のリボンは、光沢があって、アナリーのプラチナブロンドの髪に似合いそう。

 もしかしてアナリー、あのリボンが欲しいのかな? 普段は働き詰めでも、やっぱり年頃の女の子だもの。かわいい装飾品を身につけたくなることもあるよね。

「ねぇ、アナリー」

 私は、熱心にリボンを見つめているアナリーに聞いてみようとした。だけど、その質問は続けられなかった。

「あ、アナリー様! ヴィオラ様もこんにちは!」

 元気いっぱいの明るい声が私たちを呼び止めた。この声、知ってる。

 振り向いた先にいたのは、やっぱり! 治療院に通っている患者さんの子どもで、時々薬草畑の手伝いもしてくれる女の子――リーズだ。

「こんにちは、リーズ。今日はお母さんのお使いですか?」

 アナリーが笑顔でたずねると、リーズは「うん!」と勢いよくうなずいた。

「アナリー様、前にお母さんの身体にいい果物を教えてくれたでしょう? それが『市で安く売られてるよ』って、近所のおばちゃんが教えてくれたの。でも……」

 言葉の途中で、リーズが困ったようにうつむく。

「あたし、その果物がどの店で売られてるかわからなくて……もう売り切れちゃってたら、どうしよう」

 リーズの顔がふにゃっと泣きそうに歪む。慌てたアナリーがその肩に手を置いた。

「大丈夫ですよ、リーズ。今から探せば、きっと間に合います」

「でも……」

「心配なら、私が一緒について行って……いいでしょうか、お姉様?」

 今度はアナリーが少し困ったような顔をこちらに向ける。私は答えの代わりに、彼女の手から買い物メモを取り上げた。

「お姉様?」

「あなたはリーズを手伝ってあげて。私は残りの買い物をしておくから」

「そんな! お姉様一人に荷物を持たせるなんて……」

「これも役割分担よ。買い出しは私一人でもできるけど、患者さんに必要な果物のことは、薬師のあなたにしかわからないんだから。ね?」

「お姉様……ありがとうございます! それでは、お言葉に甘えて行ってきます!」

 ぺこりと頭を下げたアナリーが、私との合流場所を指定してから、リーズの手を取って人混みの中に消えていく。

 アナリーは本当にいい子だなぁ……。たまに律儀すぎたり、責任感が強すぎたりするところが心配になるけど、そういった面も含めて彼女の魅力だと思う。

 よし! もともと私はアナリーの荷物持ちをするために来たわけだし、彼女の負担を軽くするためにも、今のうちに残りの買い物を済ませてしまおう。

 そう考えた私は、長いメモを片手に買い物を進めていき……さっき見た髪飾りの店まで戻ってきたところで足を止めた。

 あのきれいなラベンダー色のリボン、売れちゃったのかな? もうないや。

 あ、でも隣にあった水色のリボンはまだ残ってる。このリボン、お世辞抜きでアナリーに似合いそうなんだよね。

 私からプレゼントしたら、どう思うかな? アナリーのことだから、恐縮しちゃうかしら? だけどこの色、本当に似合いそうだし……うん、こんなところで悩んでいても仕方ない。せっかくだし、買っちゃおう!

「おじさん、すみません。そこにある水色のリボン――」

 私は買い物の仕上げにリボンを手に入れ、ほくほくした気分でアナリーとの合流場所に向かった。


「お姉様、お待たせしてごめんなさい! 思った以上に時間がかかってしまいました」

 リボンを手に入れてから約十分後、合流場所である広場の隅へ来た私のもとに、アナリーが息を切らしながら駆け寄ってきた。

「大丈夫よ、アナリー。私も今来たばかりだから……って、ダミアン? どうしたの?」

 アナリーの後ろに思いがけぬ姿を見つけて、私は目を疑った。こんなところで会っただけでも驚きなのに、ダミアンはなぜかオレンジやリンゴのいっぱい入った、かわいらしい感じのかごを持っている。

 え、なにこの絵面? こう言っては失礼だけど、いかにも「海の荒くれ男」といった容貌のダミアンと、フルーツ満載のかわいい籠の組み合わせは、合成写真のように浮いて見える。彼のビジュアルには、どちらかと言えば一升瓶の方が似合って……って、この世界に一升瓶はないか。

 私のもの言いたげな視線に気づいたのか、目の前に来たダミアンが苦笑しながら肩をすくめた。

「お嬢ちゃん、そんな不審者を見るような目をしないでくれよ。久々に市を見て回っていたら、そこでアナリーに会ってさ」

「果物がすごく安くなっていたので、私もリーズと一緒に買いすぎてしまいまして……途中で会ったダミアンさんが荷物持ちを手伝ってくださったんです」

 あ、本当だ。恥ずかしそうに頰を染めたアナリーの腕にも、フルーツのいっぱい入った籠が抱えられている。

「聞けば、アナリーはお嬢ちゃんと二人で買い出しに来てるって言うじゃないか。なら、ここは一つ荷物持ちを手伝おうと思ったんだが……いやぁ、やっぱりお嬢ちゃんはたくましいねぇ」

「……一言余計よ、ダミアン」

 両腕いっぱいに紙袋を抱えた私を見て、ダミアンがニヤニヤ笑う。せっかく「いいところあるな」と見直したのに!

「それで、リーズは目的の果物を買って帰れたのね?」

 私が気を取り直してアナリーに向き合うと、彼女は満面の笑みで「はい」とうなずいた。

「満足のいくお使いができて、リーズは大はしゃぎでした。お姉様の方は」

「必要なものはだいたい買い終わったわ。何か他に気になるものがあれば、一緒に見て……ぎゃっ! なにこの風!」

 春の風が勢いよく露店の間を吹き抜ける。私はとっさに片手でスカートを押さえた。そのおかげで最悪の事態は防げたけれど、腰まである髪の方はなすすべもなく風に巻き上げられて、私の顔にまとわりつく。

「アナリー、大丈夫?」

「はい。ですが、こういう風の強い日には、どうしても髪が乱れてしまいますね」

 アナリーが苦笑しながら、視界をおおった髪を手で払う。

 アナリーの言う通りだわ。肩までしか髪のなかった前世と違って、今世では突風が吹くと、長い髪が本当に邪魔で……そうだ!

「ねぇ、ダミアン。悪いけど、ちょっと荷物を持ってくれない?」

「ん? 別にいいが」

 いぶかるダミアンの腕に、私は持っていた紙袋を渡した。

「お姉様? どうなさい――」

「ごめん、アナリー。ちょっとじっとしていて」

 私はそう言うと、買ってきた水色のリボンをポケットから取り出した。そのまま驚いているアナリーの後ろに回って、乱れた髪を手櫛でさっと直してから、ポニーテールにしてリボンでまとめる。

「お姉様、このリボンは……」

「これは、いつも頑張っているあなたへのプレゼント。今日みたいに風の強い日や薬の調合をする時に、髪をリボンでまとめたら便利だと思って……って、アナリー⁉ どうしたの⁉」

 私はギョッとしてアナリーを見つめた。さっきまで楽しそうにしていたアクアブルーの瞳が、今にも泣きだしそうにうるんでいる。

「もしかして髪に触られるの、嫌だった? それともリボンが気に入らなかったとか」

「ち、違います! これはちょっと驚いてしまっただけで、実は私も……」

 アナリーが慌てた様子でスカートのポケットに手を入れる。次の瞬間、私は驚きに目を瞠った。

 えっ! そのリボン!

 アナリーがポケットから取り出したのは、上品なラベンダー色をしたレースのリボンだった。てっきり知らない人に買われたとばかり思っていたのに……。

「お姉様は最近、お仕事中に髪が落ちてきてお邪魔そうにしていらっしゃったので……。まさかお姉様も私と同じことを考えていらっしゃるとは思わなくて、すごくビックリしました! 私たち、両思いですね」

 頰をほんのり赤く染めたアナリーが嬉しそうに微笑む。私は思わず「うっ」とうなって、服の上から心臓を押さえた。

 な、なんてかわいいの……! こんな健気なことを言われたら、攻略キャラじゃなくても、みんなアナリーにれちゃうよ! この笑顔のためなら、いくらでもリボンを買ってあげたくなる……じゃなくて!

 私はコホンと一つ咳払いをすると、真剣な顔つきになって、不思議そうにしているアナリーの両肩にガシッと手を置いた。

「お姉様? 急にどうなさい――」

「いい、アナリー? 今みたいなセリフ、他の人に軽々しく言っちゃダメよ? 万が一勘違いされたら大変だから」

「へ? ……そ、そんなこと、私だってお姉様以外の方には言いません!」

「本当?」

「はい! 私にとってお姉様は特別ですから」

「…………!」

 私は思わず天を仰いだ。アナリーに他意はないと知っていても、すねたように頰をプクッと膨らませる姿がかわいすぎて……これはもう、私にどうしろというの?

 行き場のない感情に身悶えして、頭を抱える。そんな私の耳に、クックッと笑う声が聞こえた。……あ、いけない。ダミアンの存在を忘れていた。

「ごめんなさい、ダミアン。荷物を預けっぱなしにしていたわね」

「いや、それは別にいいけどよ。こりゃあ、思わぬ伏兵が現れたもんだな。レナードの奴も前途多難だ」

「……どうしてレナードの話が今出てくるのよ? 私たちはそういう関係じゃないって、何度も言って――」

「へい、へい。今はそういうことにしておくか」

「だーかーらー! ダミアン!」

 なんとか誤解を解こうとしたのに、ダミアンはおもしろがるばかりで、まるで聞く耳を持たない。もう!


 結局この日、私は「せっかくですから、お姉様も」と言うアナリーに髪を結ってもらって、おそろいのポニーテールで残りの買い物をして回った。

「私たち、まるで本物の姉妹みたいですね」とはしゃいで笑うアナリーの横顔は、やっぱりすごくかわいくて……いや、もう本当に私はどう反応すればいいんだろう?

 とりあえず、私の窮地を目にしてはニヤニヤと意味ありげに笑うダミアンの脇腹を、私はせっせと小突いておいた。

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