グランドール王国再生録 破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです

第二章 異世界で経営戦略を④

「よぅ、お嬢ちゃん。いよいよ審（しん）判（ぱん）の時が来たぜ」

　ダミアンが漁港の一角に集まった関係者一同を見回し、そう告げたのは、最初に彼と出会ってから一ヶ月半が過ぎた頃（ころ）のことだった。

「それでお嬢ちゃん、今日は俺にどんなご馳（ち）走（そう）を食べさせてくれるんだい？」

「こちらをどうぞ」

　私は緊（きん）張（ちよう）しながら一本の瓶詰めをダミアンの前に差し出した。鮮（あざ）やかな黄緑色のオリーブオイルで満たされたその瓶詰めは、私と職人さんたちの努力の結（けつ）晶（しよう）だった。

　先日ダミアンに大（おお）見（み）得（え）を切ったものの、私は瓶詰めの正確な作り方を知っていたわけじゃない。そこで、彼に紹（しよう）介（かい）してもらった職人さんたちの手を借り、実験を繰（く）り返したんだ。

　具体的には、まず魚屋のおじちゃんに頼んで廃棄予定の魚に丁（てい）寧（ねい）な下処理を施（ほどこ）してもらった。それを水やオリーブオイルと一（いつ）緒（しよ）にガラス瓶に入れたら、次は瓶詰め職人の出番。

　加熱処理と密封を徹底するため、封に使うコルクの種類や加熱殺菌にかける時間を少しずつ変えた上で、何パターンもの試作品を作ってもらった。私はそれらすべての製法を記録に取り、各製法に対する試作品の経過観察を行った。

　プロの職人さんたちが的確な作業を行ってくれたとしても、実験がすべて成功するわけじゃない。試作品の中には一週間も経（た）たずに腐ってしまうものもあった。

　そういったものは試食してお腹（なか）を壊（こわ）す前に匂（にお）いでヤバいとわかる。私は腐った瓶詰めの製法には大きくバツをつけて、同じ失敗を繰り返さないように気をつけた。

　そうやって数日おきに瓶詰めの中身を確（かく）認（にん）してはダメだった製法にバツをつけ、腐っていない瓶詰めだけを残していった。その結果、最後まで残った瓶詰めが今、ダミアンの前にある。

「ほぅ、これが完成品か。ありがたくいただくぜ」

　私が固（かた）唾（ず）を吞んで見守る中、ダミアンが渡（わた）された瓶を開け、中の魚をフォークで突（つ）き刺（さ）す。

　その仕上がりは、前世の一人暮らしでお世話になったツナ缶の味にオイルサーディンの食感を足したような出来だった。果たして、ダミアンは気に入ってくれるだろうか？

　たった数秒の待ち時間が何倍にも引き延ばされて感じる。今にも緊張で心臓が止まりそうな私の前で、ダミアンが魚の匂いをかぎ、ゆっくりと口に入れた。そのたくましい喉（のど）仏（ぼとけ）が上下する様を、手に汗（あせ）を握（にぎ）りながら眺（なが）める。

　やがてダミアンは魚を飲みこみ、一言つぶやいた。「悪くないな」と。

　よかった、腐ってない！　気に入ってもらえたんだ！

　そばにいた職人のおじちゃんたちが満面の笑みで私に親指を立ててみせる。ホッとして座り込みそうになった私の肩（かた）を、ラルスが横から支えてくれた。

　そんな私たちを見て、ダミアンは愉（ゆ）快（かい）そうに笑いながら両手を上げた。

「お嬢ちゃんの勝ちだな。この指輪は約束通り返そう。こいつにはなかなか面（おも）白（しろ）い細工がしてあったな。もしよければ今度、どこで作られたものか教えてくれ」

　ラルスのお母さんの形見だけあって、相当な値打ちものなのだろう。ダミアンが名残（なごり）惜（お）しそうにしつつも、ポケットから取り出した指輪をラルスに渡す。

　それを見た私は、今度こそ本当に心の底から安（あん）堵（ど）した。私のせいでお母さんの形見を換（かん）金（きん）されたらどうしようと、ずっと気が気じゃなかったんだ。

　ダミアンは瓶詰めが意外と気に入ったらしい。残りの魚をひょいと口に入れて飲みこみ、改めて私の方を向いた。

「職人たちの手を借りたにしても、こうやって新種の保存食を作り出しちまうとはたいしたタマだぜ。見た感じ、いいとこのお嬢さんっぽいし、人生経験もあまりなさそうだから、ただのはったりで終わると思ってたのによ」

　これでも人生二回目だから……とは口が裂（さ）けても言えない。私は代わりに「ありがとう」と言って、素（す）直（なお）に頭を下げた。

　そんな私のことをダミアンはまじまじと見ていたが、ふとその表情が真（しん）剣（けん）味（み）を帯びた。

「そういえば、あんたはあの極（ごく）悪（あく）王女と同い年だったな」

「え？」

　私と同い年の極悪王女といえば、一人しか心当たりがない。つまり、私だ。

　なんで今、私の話題が出るの？　まさか私がヴィオレッタ王女だと気づかれた？

　ダミアンの意図が読めずに緊張する。そんな私に構うことなく、彼は話を続けた。

「どうせ同い年なら、あんなクソみたいな女じゃなくて、お嬢ちゃんが王女だったらよかったのにな。あの極悪王女、最近はお忍（しの）び歩きを覚えて、城下で遊び呆（ほう）けてるようだぜ」

　ちょっと待って！　その情報、どこから出てきたの？　私の外出を知っている人はそれほど多くないのに。しかも、その情報の伝わり方に明らかな悪意を感じるんだけど。

　私はダミアンを問い質（ただ）したい衝（しよう）動（どう）に駆（か）られた。だけど、実際には何もできなかった。

「あの極悪王女、街で会うことがあったら覚えておけよ！　八つ裂きにしてやる！」

　ダミアンが拳（こぶし）をたたき合わせながら忌（いま）々（いま）しげに吐（は）き捨てる。その様子を見ていて、私は思い出したんだ。数あるヴィオレッタ王女の最（さい）期（ご）の中でも、特にひどかったラストを。

　王位簒（さん）奪（だつ）の末に玉座を追われたヴィオレッタ王女は町（まち）娘（むすめ）に変装して逃（とう）亡（ぼう）する。その途中で民衆に正体を暴（あば）かれ、殴（なぐ）り殺しにされてしまうのだ。もしかしたら、そういった民衆の先頭に立つのは、ダミアンのような人間なのかもしれない。

「おっと、急に物（ぶつ）騒（そう）な話をして悪かったな。お嬢ちゃんとあの王女は無関係なのによ」

　硬（こう）直（ちよく）している私を見て恐（こわ）がっていると勘（かん）違（ちが）いしたのか、ダミアンが謝ってきた。

「お嬢ちゃんとは末永く仲良くしていきたいと思ってるよ。これからこの瓶（びん）詰（づ）めをたくさん作って一山当てなきゃならんしな。他（ほか）にもいい話があったら、いつでも相談に乗るぜ！」

「……ありがとうございます。今後とも、どうかよろしくお願いいたします」

「なんだよ、急に改まった口調になって。ま、よろしくな！」

　ダミアンが笑顔で握（あく）手（しゆ）を求めてくる。私は恐（おそ）る恐るその手を取った。それは今まで様々な修（しゆ）羅（ら）場（ば）をくぐり抜（ぬ）けてきたことが容易に想像できる、固くて大きな男の人の手だった。

　この手を敵に回したくない。そのためにも、正体がバレないように気をつけなきゃ。

　　　　◆◆◆◆◆◆◆

「瓶詰めの生産、うまくいきそうでよかったですね」

　ラルスがそう私に話しかけてきたのは、二人並んで帰り道を歩いている時のことだった。

「無事にここまで来られて、本当によかったわ。この一ヶ月間というもの、指輪を返してもらえなかったらどうしようと悩（なや）んでばかりいて心臓に悪かったもの」

「心配したのはそこですか？　あなたらしいですね」

　ラルスが穏（おだ）やかに微笑（ほほえ）む。その横顔に、私はつい見とれてしまった。

　初めて会った頃のツンツンした態度とは雲（うん）泥（でい）の差だ。治（ち）療（りよう）院や瓶詰めの問題を一緒に解決したことで、仲間意識が芽生えてきたのかな？　もしそうだとしたら、すごく嬉（うれ）しい。

　特に会話はなくても、優（やさ）しい空気が私たちの間を満たす。私はこのまま治療院へ戻（もど）って、アナリーも含（ふく）めた三人でお祝いをしたい気分だった。だけど、今日はもう遅（おそ）い。

　王都の中心を走る目抜き通りまで来たところで、私は足を止めた。今日も私は通りの端（はし）に馬車を待たせている。ここから先は一人で行かなければならない。

「じゃあ、私はここで。また明日（あした）ね！」

　私はいつものように手を振（ふ）り、別れようとした。その手をラルスがつかんだ。その顔からは穏やかな笑（え）みが消え、ひどく真剣な様子で私を見つめている。急にどうしたんだろう？

　ラルスが私をつかむ手に力を込める。ややあって、彼は何かを決意した顔で口を開いた。

「お願いです。どうか今日は最後まであなたを送らせてください。王宮へ帰るのでしょう、ヴィオレッタ様？」

「…………！」

　全身から血の気が引いていった。

　なんで？　王宮のことは一言も話していないはずなのに、なんでバレたの？

「その様子、やっぱり……。前に家までお送りしようと申し出て断られたことがありましたよね？　あの時、女性の夜歩きは危険だと思い、後ろからついて行ったんです。そうしたら、あなたは馬車に乗って王宮に入って行きましたので、もしかしたらと思って」

　そういえば、初めて会った時にもラルスは私のことをヴィオレッタ王女ではないかと疑っていた。王宮に入る私を見たことで、その疑いが確信に変わってしまったらしい。

　どうしよう？　ダミアンほどではないにしても、ラルスもまたヴィオレッタ王女に対して良い感情を抱（いだ）いていなかったはずよね。正体がバレた今、私はどうなるの？

　恐（きよう）怖（ふ）で口の中が乾（かわ）き、瞬（まばた）きすらできずにラルスを見つめてしまう。彼は震（ふる）える私の手を右手でつかんだまま、もう片方の手を伸（の）ばしてきて──その両手で私を優しく包んだ。

「……ラルス？」

「人の噂（うわさ）とは当てにならないものですね。噂の中のあなたはひどい悪女のようですが、俺は俺自身の目で見た、あなたという人間を信じることにします」

　……嘘（うそ）。本当に？　私の正体がバレても、ラルスは私を仲間だと思ってくれるの？

「今後、何か困ることがあったら、真っ先に俺を頼（たよ）ってください。約束ですよ？」

　握った手に力がこもる。ラルスの目は真剣そのもので、とても嘘をついているようには思えない。触（ふ）れた手の先からも彼の誠意が伝わってくる気がして、私は泣きそうになった。

「ラルス、ありがとう。私を信じてくれて」

「俺は何もしてません。ただ、あなたが俺にしてくれたことを返しているだけです」

　ラルスの言葉が嬉しすぎて、胸が詰（つ）まる。私はこんな時にどんな顔をしたらいいかわからなくて、思わず下を向いてしまった。

　そんな不器用な私のことを、ラルスはいつまでも静かに見守っていてくれた。