第一章 転職先は悪役王女?②

 その日から一週間ほど、私はる間もしんで受験生並みのもうべんきようを続けた。

 スヴェンから渡された本の量は確かにようしやなかった。ただ、それらの本は家庭教師である彼の選書だけあって、様々な分野における知識をわかりやすくもうし、解説していた。

 それらの資料と前世の知識を照らし合わせて考えた結果、この王国は産業革命前夜のヨーロッパに近いじようきようらしいと、私は判断した。蒸気機関の使用こそまだ本格化していないものの、その生産体制は手工業から工場での大量生産へ移行しつつある。

 猛勉強のおかげで、こういった社会情勢に関する知識は深まった。でも残念なことに、ゲームを思い出すための手がかりはなかなか得られなかった。そりゃそうだよね。いくら机にかじりついて学んでも、ゲームのたいとなる下町を実際に見たわけじゃないんだもの。

 街を歩けば何か思い出せるかもしれないけど、仮にも王族がほいほい気軽に出歩いていいはずもないし……うーん、困った。どうしよう?

「険しい表情をなさって、どうなさったのですか? 何かわからないしよでも?」

 後ろから声をかけられ、私は背筋をピンと伸ばした。振り返ると、今日も通常運転でニコニコ笑顔のスヴェンが立っていた。彼には、音もなく人の背後にしのび寄るスキルがあるらしい。

 私はドクドクいっている心臓をドレスの上から押さえ、どうようを押しかくして答えた。

「いつも私のことを気にかけてくださり、ありがとうございます、先生。ちょっと難しい箇所を読んでいたせいで、けんにシワが寄っていたのかもしれません」

「そうですか。最近は毎日熱心に勉強なさっていて、感心します」

「国王試験を受ける身ですから、これからはちゃんとしようと思いまして」

「それは、それは。勉強熱心な教え子ばかりで、私も教師みようきるというものです」

 スヴェンの顔にはいつも同じような笑みが浮かんでいるせいで、その発言は本音か建て前か、区別がつかない。づかれした私は陰でこっそり息をき、「おや?」と首をかしげた。勉強熱心な教え子といえば、レナルドが筆頭に来るはずなのに、今日は朝から姿を見かけていない。

「レナルド様でしたら、今日はいらっしゃいませんよ」

 まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、スヴェンが答える。私が図書館でレナルドを見かけるたびに、そわそわと近寄ってあいさつをしようとしては、いつもれいに逃げられている様子を目に留めていたのかもしれない。

「レナルド様は朝から城下の視察に出かけていらっしゃいます。もちろん、お忍びで」

 へー、そうなんだ。私はスヴェンの説明にあいづちを打とうとして、ちゆうで言葉をみ込んだ。

 ちょっと待って。確かゲームの中で、レナルドは下町を散策中にヒロインと出会い、それ以降は彼女に会うため、お忍びで下町に通い続けていたわよね。ということは、二人はもう運命の出会いを果たし、ゲームの本編をスタートさせてしまっているの?

「ヴィオレッタ様、いかがなさいましたか? まさかあなたも視察にご興味がおありで?」

「え?……あ、はい! 先生、お願いです! どうか私にも外出許可を出してください!」

 今のはなんて最高のフリだろう! 私はゲームのしんちよくかくにんできる機会に全力で食いついた。ただ、その反応を見たスヴェンの方はわずかにまゆを持ち上げ、無言になってしまった。

 レナルドとちがって、今まで散々民を鹿にしてきた私のことだもの。そんな人間を城下で野放しにするのは危険だと心配になったのかもしれない。この様子、やっぱりダメか。

 私がらくたんしかけた、まさにその時、スヴェンが口を開いた。

「少々お待ちください。街歩きに必要な服と馬車の手配をしてまいります」

 え、本当に? こうも簡単に私の外出を認めちゃっていいの?

 あっさりすぎるスヴェンの反応に、私はかえってめんらった。しかし、彼は余計なことはいつさい言わず、宣言通りにさっさと図書館を出て行ってしまった。


 それから一時間後、なんと私は王都のき通りを一人で歩いていた。

 何か起きた場合に備え、王族であることを示す、薔薇ばらもんしようの刻まれたネックレスをスヴェンは私に渡してくれた。でも、それ以外の格好はよくいる商家のむすめさんそのものだ。

 個人的にはゴテゴテしたドレスより、こういうスッキリした服装の方が、何かあった時に走って逃げられそうで好きだわ。もっとも、たくを手伝ってくれたじよたちにその感想を正直に伝えたところ、正気を疑われたけど。私の変化に慣れるまで、まだしばらくかかりそうだ。

 私はこみ上げてきたため息を吞み込み、街の散策を続けた。

 初めて見る王都の街並みは、おしゃれな映画のセットのようだった。広いいしだたみの通りにはブティックやカフェが並び、上品な貴婦人やしんたちが楽しそうにだんしようしながら歩いている。

 私は辺りを観察しながら、時々後ろも確認した。……やっぱりだれもいない。

 スヴェンのことだから、てっきり隠れて護衛をつけてるんじゃないかと思ったけど、それらしい気配がまるでないんだ。私は一応王女なのに、さすがに不用心すぎない?

 それとも、スヴェンは国王にふさわしくない私をこっそり始末するタイミングをうかがい、わざと一人歩きをさせているとか……完全に否定できないのが悲しい。背後には気をつけよう。

 私は時々店をのぞいては後ろを確認しつつ、目抜き通りを端まで歩いて行き、足を止めた。

 上品な格好をした人たちの多くが、私と同じように途中でUターンしている。なぜなら、この先にあるのは貧しい人たちの住まう地区だから。

 私はゴクリとツバを吞み込み、服の下に隠していたネックレスをにぎりしめた。護衛のいない今の状態で、この先へ進むことはためらわれる。でも、私はどうしても行きたかったんだ。

 ヒロインが薬局を開くゲームの中心舞台は、下町の中でも特に貧しい人たちのつどう地区だった。ゲームの手がかりを得るためにも、この先の現実は見ておいた方がいい。

 私は大きく息を吸うと、ポケットの中に入れておいた護身用具を確認し、先へ進んだ。

 目抜き通りからはなれるにつれ、王都の街並みは大きく様変わりしていった。道のりようわきに並ぶ店は、しっかりした店構えのものから簡易な小屋に変わっていき、行きう人々の中にも、ぼろをまとった人やものいの姿が目立ってくる。

 仕事を求めて農村から出てきたものの、王都の産業がまだ十分に発達していないせいで職にあぶれ、日々の暮らしにも事欠いている人たちが大勢いるらしい。きらびやかな王宮とはまるで違う光景をの当たりにして、私は背筋が寒くなった。

 こういう経済的格差のひどい状況下では、たとえ私がゲームのような悪事を働かなかったとしても、いずれ民衆の不満がばくはつし、暴動や革命が生じるのではないかと思ったんだ。

 そうなったら最後、民衆の不満は今まで甘いしるを吸ってきたおうこう貴族に向かうだろう。フランス革命で、マリー・アントワネットがギロチン台のつゆと消えたように。

 私は自分の想像にゾッとして、思わずりようかたきしめた。まさにその時だった。

かたいこと言わないでさー。ちょっとくらい付き合ってくれても、いいだろう?」

 とつぜん聞こえてきた男の声に、私はがくぜんとした。なに、この古典的なナンパ。

「あの、私はここへお薬を届けに来ただけなんですが」

「わかってるって。だから、俺に薬のお礼をさせてよ」

 声は近くの路地から聞こえてきているらしい。つい気になって路地を覗いた私は、目が点になった。なに、このベタな展開……。

 そこでは、十代半ばの美少女が人相の悪い男にからまれていたんだ。少女は心底おびえているのか、青ざめた顔にプラチナブロンドのかみがかかり、アクアブルーのひとみうるんで見える。その様はれんで、思わず守ってあげたくなるほどかわいいけど、だいじようかな?

 一応ここはおとゲームの世界だ。ここまでベタな展開が続くのであれば、きっとすぐにイケメンが現れ、彼女を助けてくれるだろう。……と思ったのに、どうして誰も来ないのよ?

 イケメンどころか、私以外に足を止める人すらいない。やっぱり現実はゲームのようにいかないってわけ? いや、でもこれってほうっておいていい案件じゃないよね。あの子、大丈夫?

「私、もう本当に帰らないと」

「いいから、いいから」

 男が少女の手をつかみ、自分の方に引き寄せる。……もう無理! だまっていられない!

「ちょっと、あんた!」

 私は路地に向かって大声を張り上げた。気づいた男がり向き、こつに顔をしかめる。

 この人相の悪さ、絶対にかたじゃないよね。自分がとんでもないことをしでかした気がして、足がすくむ。でも、こちらを向いた少女の顔があからさまにホッとしているのを見て、私は思いとどまった。ここで見捨てたら、女がすたるというものよ。よし!

 私は意を決し、ツカツカと路地に入っていって、少女の空いている方の手をつかんだ。

「いつまでも遊んでんじゃないわよ! 薬を届けたら、すぐもどって来いって言ったでしょ!」

「え……」

「いいから、ここは話を合わせて」

 私はまどう少女の手を引いて路地を出ようとした。その前に、問題の男が立ちふさがった。

「おい、おまえは何者だ? 急に出てきて、人のこいじやしやがって」

「私はこの子の姉です。帰りがおそいので、むかえに来たんです。そうよね?」

「へ? あ、はい」

 私のはくりよくに押されたのか、少女があわててうなずく。うん、これでいい……と思ったのに。

「待てよ、アナリー! おまえはてんがいどくの身だって、前に話してなかったか?」

 いつしゆん流されかけた男が、立ち去る私たちの背中にしつこく声をかけてきた。

「おまえ、俺をだましたな!? ほかにも何か隠してることがあるんじゃないのか!?」

「い、いえ! 姉はいませんが、両親がいないのは本当のことでして」

「ちょっと! なに正直に説明してんのよ!」

「あの、うそはいけないと思って」

「そういうのは、嘘も方便って言うのよ!」

 私はアナリーと呼ばれた少女の手を握りしめ、走り出した。

 男が「待て!」とさけび、追いかけてくる。そう簡単につかまってなるものですか!

 私はこの時、まだどこかで期待していたんだ。隠れている護衛が出てきてくれることを。しかし、私たちと男のきよが縮まっても、一向に誰も助けに来てくれない。

 嘘でしょう!? 仮にも私は一国の王女なのに!

 王家にとって不要な人間だと宣告されたようで悲しくなる。でも、落ち込んでるひまはない。誰も助けてくれないなら、自分でなんとかしないと!

 私はアナリーを連れて走りながら、ポケットの護身用具に手をばした。その時だった。

「きゃっ!」

 なんて間が悪い。アナリーが道の真ん中で転んでしまった。ここ、何もないのに!

「ご、ごめんなさい」

「いいから! 早く立ち上がって!」

 私がアナリーをかす間にも、男はな笑いをかべながら近づいてくる。私はアナリーの手をつかんで立たせようとした。でも、その手はパシッとはたかれてしまった。

「アナリー?」

「変なことに巻き込んじゃって、ごめんなさい。私はもう一人で大丈夫ですから」

 それこそ、嘘だよね? 気丈に振るっていても、こわいのは丸わかりだ。アナリーの顔は青ざめ、全身が小刻みにふるえている。こんな子を置いて、一人でげられるわけないじゃない!

「待たせたな、アナリー。そっちの姉ちゃんも来いよ。かわいがってやるからさ」

 男が私たちの前で足を止め、これまた気持ちの悪いセリフをく。ばんきゆうす。仕方ない!

 私はアナリーを後ろにかばい、ポケットから小さなびんを取り出した。ふちの辺りまで赤い液体で満たされているそれは、私の手作りとうがらスプレー。

「悪く思わないでよ!」と内心で叫びながら、男の顔に照準を合わせる。

「うわっ! いてっ!」

 男が叫ぶ。しかし、それは私の唐辛子スプレーが命中したせいじゃなかった。

 やっぱりあるんだ、こういう展開……。

 私は口をあんぐり開けて、目の前の光景に見入ってしまった。なんと男は、とつじよとして現れたイケメンに後ろからうでをひねり上げられてしまったのだ。

「帰りが遅いからと、心配して来てみれば……これはどういうことだ?」

 イケメンが静かないかりをはらんだ口調で男にすごむ。年のころは、二十歳はたち手前くらいだろうか。はらりと落ちてきた茶色の髪が額にかかる。その下のとびいろの瞳はしんけんそのもので、元の顔立ちの良さや引きまった肉体と相まって、すごくしい。

 彼の着ている服は、教会所属の団のものかな? こうたくのある青い布地に金のラインが入ったその制服を、私は前にスヴェンがわたしてくれた本の中で見たことがあった。

 なぜ騎士がこんなところに? 街の警護をしている最中に、困っているアナリーを見かけて……というわけじゃないよね。彼はアナリーを迎えに来たようなことを言っていたし。

「自分のおもいがむくわれないからといって、女性に手を上げていいと思っているのか?」

「ご、ごめんよ、ラルス! さっきのはほんの出来心で!」

「出来心も三度目となれば、やましい下心にしか思えないな。今日という今日は許せん!」

 ラルスと呼ばれたイケメンが、男をつかんだ手に力を込める。

 男はナンパの常習犯なのか。なら、同情の余地はない。一度おきゆうえた方がいいと私も思った。しかしその時、男をつかんだラルスの手に、可憐な白い手が重ねられた。アナリーだ。

「ラルス、もう十分よ。エリクさんも反省してるみたいだもの」

 アナリーがエリクと呼んだ男に「ね?」と同意を求める。ついでに、ラルスからすごい目つきでにらまれ、エリクはこわれた首振り人形のように何度もコクコクとうなずいた。それを見たアナリーが顔におだやかなしようを浮かべる。

「反省したのなら、今日のことは水に流します。次のお薬はりよう院まで取りに来てください」

 え? この子、本当にそれでいいの? 今まで散々恐い目にったのに。

 見ると、ラルスも私と同じ思いだったらしく、苦虫をつぶしたような表情になっている。ただ、当のエリクだけはこの無罪判決にホッとしたらしい。

「ありがとうございます、アナリー様。あなたがおきれいなものだから、今日はついクラクラきちまいましてね。すみませんでした。次の薬もどうかよろしくお願いします」

 てのひら返しも、ここまでくれば見事なもの。ちゃっかり呼び方まで「様」づけに変わっているあたり、エリクは要領のいいお調子者らしい。

 何度も頭を下げながら去って行くエリクを見て、ラルスが深いため息をこぼした。

「アナリー様はおやさしすぎます。あのようなやからは放っておくと、つけあがりますよ」

「大丈夫よ。何かあったら、また今日のように話し合うわ」

「……その話し合いは、せめて俺のいる前でお願いします」

「ラルスは心配しようね。今日もお迎えに来てくれて、ありがとう。それから、私を助けてくれた方にもお礼を言わないと」

 アナリーが私の方を向き、花のほころぶような愛らしいがおで頭を下げる。

「エリクさんに手をつかまれた時、本当はすごく恐かったんです。助けてくれて、ありがとうございました。私はアナリーと言います。あなたは?」

「私はヴィオ……ラよ」

 危ない。もう少しで本名を答えるところだった。ヴィオレッタはよくある名前とはいえ、正直に名乗って、王女だとバレるリスクは最低限におさえておきたいものね。

 アナリーは「ヴィオラ様ですか」と、うれしそうに私の名前をり返している。一方、ラルスの方は、彼女のようにてんしんらんまんな性格をしているわけではなかったらしい。

「その髪と目の色。名前もふくめて、あのごくあく非道な王女に似ていますね」

「……………………」

 騎士とはかんがいいものなのかな。いくら王女の絵姿がちまたに出回っているとはいえ、商家風の格好をした今の私と、王女の私をそくに結びつけて考えるなんて。

 ラルスに見つめられ、冷やあせが背筋を伝う。やがて彼はふっとかたの力をいて笑った。

「おかしいですね。あの王女は平民のことなど虫けら同然にしか思っていないはずなのに。そんな悪の王女がこんな下町にいるはずがないですよね?」

 もしかしたら、ラルスは私のことをヴィオレッタ王女だと疑った上で、私の反応をうかがっているのかもしれない。どうしよう? こういう場合、やつになって同意するのも変だし。

 私が答えにまった、まさにその時、となりでアナリーが少しおこったような声を上げた。

「ラルスってば、そういう風に人のことを悪く言ってはダメでしょう? 王女様にも何か事情があるのかもしれないし、ヴィオラ様だって意見を求められて困っていらっしゃるわ」

「……はい、そうですね。あんな王女の話題で不快な思いをさせてしまい、すみません」

「あ、いえ。別に気にしてないので、だいじようですよ。ハハ……」

 アナリーに注意されても、「あんな」呼ばわりは変わらないんだと思ったら、ついかわいた笑いがこぼれてしまった。それだけ、ラルスの中でヴィオレッタの印象は悪いのかもしれない。

「じゃあ、アナリーも無事だったし、私はこれで」

 このままいつしよにいたら、いつボロが出るかわからない。私はさっさと二人に別れを告げようとした。それなのに、どうしてこういう時に限って、最後が締まらないんだろう?

 きびすを返した私は、いしだたみが割れて盛り上がっている部分に足を引っかけ、せいだいに転んでしまったのだ。ずかしい……!

「ヴィオラ様、大丈夫ですか? 今、足首をくじかれたのでは?」

 アナリーが慌ててけ寄ってくる。彼女のてき通り足首が痛くても、ここはまんだ。

「たいしたことないから、大丈夫よ。これくらいなら、つうに歩けるし」

ねんを甘く見てはいけません。せっかくですし、治療院で手当てをしましょう」

「そうですね。アナリー様を助けてくださったお礼もしたいですし」

 私の希望を無視して、アナリーとラルスがさくさくと話を進める。次のしゆんかん、私は心臓が止まるかと思った。なんとラルスがいきなり私の肩に手を回してきたのだ。

 待って! 顔、近いから! こんなイケメンを間近で拝み続けるなんて、心臓に悪いわ!

 ラルスは、私の様子がおかしいことに気づいたらしく、すぐにパッと手を放してくれた。

「すみません。女性の身体からだに断りもなくれるなど、失礼なことでした。改めてうかがいますが、あなたの肩を俺に支えさせてもらえないでしょうか?」

 この人は天然なのか。それとも、騎士とはこういう生き物なのか。ラルスに悪気はないとわかっていても、恥ずかしくなってしまう。そんな私の答えは、もちろん「ノー」だ。

「それでは無理なさらず、ゆっくり歩いて行きましょう」

 どうやらアナリーの中で、私が治療院へ立ち寄ることは決定こうになっているらしい。

「さっきから薬とか治療院とかいう単語が出てるけど、アナリーはお医者さんなの?」

 断るのが無理なら、せめて行き先のしようさいかくにんしておきたい。そう願う私の質問に対し、アナリーはほこらしげに胸を張って答えた。

「私はくすのようなものです。治療院がどんな場所かは、ぜひご覧になってください」


 私が連れて行かれた先は、目抜き通りから歩いて三十分ほどのきよにある、川辺の一角だった。あまりゆうふくな地区ではないのか、道行く人も並んだ家も全体的にくたびれて見える。

「ここが私の治療院です。どうぞお入りください」

 アナリーが微笑ほほえみ、うすい木のとびらかぎを差し込む。そこは、私が治療院という単語から想像していたものとは大きく異なる、古びた一けんの小屋だった。

 中に入ると、ハーブのような独特のにおいが鼻をつく。昔、映画か何かで観たじよの家のように、てんじようからは乾いた薬草の束がいくつもつるされていた。

「ヴィオラ様、どうかそちらのにおけになって、足をお見せください」

 アナリーが扉の近くを指さし、ラルスが私のために椅子を引いてくれる。

 なに、このシチュエーション。美少女とイケメンにかしずかれるなんて、ごうすぎて照れる。

 私は気恥ずかしさにえきれず、椅子に座るとすぐにくつぎ捨て、スカートをひざの辺りまで持ち上げた。気分はまるでまな板のこい。さっさと終わってほしいと願ったのに……。

「ヴィ、ヴィオラ様?」

 アナリーがほおを赤らめ、ラルスが「ぐふっ!」と変なむせ方をする。

「二人ともどうし……あっ!」

 いけない! 私はあわててスカートをくるぶしの辺りまで下げた。人前で足をさらすことは、この国では下着を見せるのと同じくらい恥ずかしいことだった。

「ごめんなさい! 私ったら、つい勢い余って」

「あ、いえ。ちょっとおどろいただけですから、大丈夫です」

「俺は、その……急用を思い出したので、出かけてきます」

 ラルスが耳まで真っ赤になりながら、小屋を出て行く。

 ごめんよ、ラルス。急に変なものを見せられてビックリしたはずなのに、気をつかってくれて。ヴィオレッタ王女かと疑われた時は気が気じゃなかったけど、それはアナリーを心配していただけで、彼も根は誠実でいい人らしい。

 私が扉の方を見ていると、アナリーが目の前でしゃがんだ。彼女は軽く熱を帯びた足首をて、またすぐに立ち上がって言った。

「軽い捻挫のようで、安心しました。すぐに薬を調合しますから、少々お待ちください」

 アナリーは私を安心させるように笑いかけると、干していた薬草の葉を何種類かちぎって近くのすりばちに入れ、ゴリゴリとすり混ぜ始めた。

 アナリーはまだ若くても、薬草に関する豊富な知識を有しているらしい。本を調べることもなく、すぐに調合を開始できるなんて、慣れてなきゃできることじゃないよね。

 私が感心してながめていると、横の扉から冬の冷たい空気が入ってきた。

「アナリー様、こんにちは! お母さんのお薬をもらいに来ました!」

 元気よくそう言って中に入ってきたのは、まだ十歳くらいの愛らしい少女だった。

「リーズ、こんにちは。お母さんも治療院まで来てくれて、ありがとうございます」

 アナリーが薬草を混ぜながら、少女とその後ろから来た女性に声をかける。

 私は二人の登場を少し意外に思った。この国には生活保護のようなセーフティネットも、国民かいけんのような制度もない。つまり、薬のこうにゆうはすべて自費になる。

 親子の服はつぎはぎだらけで、生活にゆとりがあるようにはとても思えないけど、それでも薬を買いに来られるということは、見た目ほど生活に困っていないのだろうか。

 私がなんとはなしに観察していると、隣に来たお母さんがにっこり話しかけてきた。

「こんにちは。あまりお見かけしない顔ですね。アナリー様のおと候補のお友達ですか?」

 え? 乙女候補って、光の乙女のことよね? それがお友達って、いったい……。

 首をかしげる私を前にして、お母さんは自分の誤解に気づいたらしい。

「ごめんなさい、あなたもかんじやさんでしたか。そりゃあ、そうですよね。こんなところにまで来てくれる乙女候補はアナリー様くらいのものですもの。しかも、私たちのような人間に無料で薬まで分けあたえてくれるなんて、本当にご立派な方です」

「待ってください! 今の話、本当ですか? アナリーが光の乙女候補って……」

 がくぜんとしてアナリーを見る。彼女は少し照れたように笑いながら、首を横にった。

「私はそんな立派な人間ではないですよ。光の乙女候補に選んでいただきながら教会を飛び出してきてしまった、ただのねっ返りですから」

「そんなこと言っても、アナリー様には護衛の様がついているじゃないですか。たいして有望でもない乙女候補に貴重な人材をくほど、教会はやさしくないですよ。あなたもそう思いますよね?……あれ? どうかなさいましたか?」

 お母さんが私の顔の前でパタパタと手を振る。私はショックすぎて何も反応できなかった。

 どうして今まで気づかなかったんだろう? ヒントはそろっていたはずなのに。

 ゲームのこうりやくキャラの一人にいたんだ。光の乙女候補となったヒロインを守る、護衛の騎士が。一方のヒロインは、街で貧しい人たちのために薬草の調合やりようを行っていた。

 まさにアナリーこそが、このゲームのヒロイン。光の乙女の生まれ変わりに選ばれ、ゲームのラスボスにして悪役王女となった私をたおす少女なんだ。

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