僕も毎日賭けをしていました。
紙をくずかごに投げて、うまく入ったらきっと良くなるとか、次の角を曲がって向かいから歩いてくる人が女の人ならきっと大丈夫とか、そんな意味もないような賭けが心を少しだけ軽くしてくれた。
僕は臆病だから、声に出せない言葉だってたくさんあったし、本当に聞きたい事はとても聞けなくて、僕は願いを込めて賭けをした。
本当はどこかでわかっていたけど、でも正しさだけでは切なすぎるから、僕は願った。僕は思った。きっとこの賭けに勝つ事が出来たなら、僕らは理不尽にだって勝てると言い聞かせて……。
嶌田あきさんの『カクヨムの恋』を読んで僕はそんな事を思い出しました。
本当はなんとなく正しい方がどちらなのか? わかっている。それでも人は神様に背中を押してもらいたくて賭けをするのかもしれない。たとえそれが馬鹿げていたとしても。
おすすめです(●´ω`●)
なんかノリで言っちまったよ……大丈夫かこれ?
何はともあれ、作者さんはものすごい『可能性の獣』を解き放ちやがりましたねぇ!
みんなが知ってか知らずか、憧れていたか諦めていたか、そんな『可能性』を『見える化』しちゃったわけですよ!
もしくは新しい『価値観』の提供?もともと小説家の本懐はそこにある気もするし。
否!断じて否!
その『価値観』はすでに『存在』していた『潜在的』なものなれど、皆が気付いて、あるいは『視て見ぬフリ』をしてきたものであるから、それを見事に掘り出した作者さんは稀代の『スコッパー』と言えるのやも知れぬわ!
だがしかし
僕も私も『夢見ていいんだよね?』というのは少し待ちましょう!
この『概念』が、広く日の目を見ることが【大・前・提】です!
ならこのレビューを見た皆さんがすることは分かっていますね?
カク×コイが正常となる世界の為に!
「結局、紙の本の方が上」
ネット小説が広まった今だって、そんな風に思っている人は沢山いる。実際、多くのネット小説家は書籍化を目指しているのではないだろうか。もちろん私だってそうだ。
では仮に、この作品が紙に印字され本になり、それを私が読んだとして、今ほどこの小説を好きになれただろうか。多分、無理だろう。
楽譜が同じでも楽器が違えば別の曲になるように、媒体が違えば伝わり方は変化する。紙の本とネット小説は似ているけれども別物で、それぞれ特性と魅力がある。
この小説は、ネット小説というものを、もっと言えばカクヨムというものを最大限に利用した作品だと思う。
今、ここでしか生まれないであろう物語に、出会うことができた幸運に感謝したい。
主人公は、カクヨムにラブコメを投稿する一人の作家。
この界隈には何処にでもいそうな彼は、不思議な縁を持っていた。
彼女は、自分より早く、同じ作品にレビューコメントを残す高校生。
それが10も続けば、何が起こっているんだろうかと思わずにはいられない。
時に励まし、時に痛みを伴う針を刺す。
そんな関係性だった二人は、いつしか惹かれていたのかもしれない。
全4話に籠められたのは、未来から過去への手紙。
大切な誰かを泣かさないための布石。
実際、わたしも近況ノートや応援コメントを通じて何人もの作家様と交流を持っています。年齢も性別も様々で、その交流はとても楽しいものです。
彼らにも、彼女らにもネットにはないリアルがあり、そこでは別の人間関係を築いている。
それでも、きみの幸せを願ったならば……
未来では、カクヨムにそんな機能が付いているのかな?
もしかしたら、あなたが今読んでいる物語は、未来からの手紙かもしれませんよ?