第2話 いきなり試される
外は強風が吹き荒れて、ゴーゴーと唸りが聞こえてくる。
しかし、雪がはりついた車の窓を開け、隙間から外を覗く限りではそれほどのこともない。
後部座席はパワーウィンドーではなく古の手回しハンドル式、なのでキーをひねる必要はなく、こういうときだけは便利。
外は雪で遠くまで見通せない、こんな状態がもう昨日の日付のかわる前あたりから続いている。
今は十月後半、季節はまだ秋のはずのはずだが、ここは北海道東部の内陸部であった。
朝方には氷が張るらしいので、雪が降ってもおかしくはない、とはいえ………
数ヶ月前、土地を買うことを決意してからは目まぐるしい日々だった。
人生初めての不動産購入のための契約もろもろと支払い。
土地は代金全額支払い済みで晴れて自分のものとなり、温泉掘削関係は着手金だけ。
そして七年勤めた会社の退職。
自分の職種はいわゆるシステムエンジニア、SEといわれるやつ。
一応かたちだけは引き止められたが、出入りの激しい業界なのであっさりしたものだった。
騒ぎになったのは取引先というか、実質的には出向先といっていい某メーカー。
新卒入社してしばらくはあちこちにヘルプ的に派遣された後、ここへ配属された。
当時は大規模なシステム改修が始まったばかり。
開発が終わり、家から近かったこともあって運用保守要員にスライド。
なんやかんやで五年以上駐在していたので、自分の会社より馴染んでいた。
というか、自社に席はあるものの、たまに会議やら事務処理やらに戻るだけでほとんど座ったことない。
ほぼ毎日出社し、システム部の隅っこに席もあり、従業員食堂で飯も食っていたので、他部署からは外部の人間と思われていなかったかもしれない。
これだけ長期に渡って関わっていると、実業務のほうにも精通することとなり、業務担当者とも顔見知りを超え、いわゆるツーカー阿吽の呼吸で動けるので重宝された。
自分の今後のことを気にかけてくれる人も若干いたが、大半の関心は今後のシステムの面倒を誰が見てくれるのということ。
「ちゃんと引き継ぎしておくので大丈夫です」
と答えはするが、
「後のことは知ったこっちゃない、誰かがなんとかするだろう」
というのが本音。
今は引き継ぎを終え、溜まった有給の消化に入ったところ。
年末に挨拶にいって、お別れ。
そして現在へ戻る、今回来たのは温泉掘削に関するもろもろの手続きと確認のため。
堤社長とやってきた晴れて自分のものとなった土地、というより原野というか山林にて掘削位置の確認。
もっとも掘るところは決まっているらしく、道路の取付から五十メートルほど中へ入ったところ、ほぼ平坦な三十メートル四方ほどの広場のほぼ中央部、かつて伐採されたらしい雑木が脇に積まれている
その中央辺りに目印替わりか杭が打ち込まれている。
「ここでいいね、他所だったらすぐに出る保証ないから」
否が応もなく、ただ言われるがままに頷く。
以上で確認の儀、終了。
現地解散の後、町まで買い出しに。
途中の道の駅でポリタンに水も汲んできた。
今夜はここをキャンプ地とする。
周囲にはシカやキツネしかいない自分の土地、誰に気兼ねもせず思う存分焚き火ができる。
キャンプテーブルと椅子を出す、テントはなしで、車中泊。
後輪駆動時代の古いボルボエステートは、後部座席の座面を跳ね上げ背もたれを倒すとフラットで広大なスペースが出現する。
さすがに乗用車ベースなので高さはそれほどないが、一人と一匹が寝るには充分以上。
この時期の日没は早く、午後四時には薄暗くなってくる。
燃やすものは周囲に山ほどある。
盛大にやっても後片付けが大変なので、携帯スコップで少し地面を掘り下げ、石で炉を組みこじんまりと焚き火。
夕食はコンビニで買ってきた弁当とカップ麺。
まず缶ビール、続いて赤ワインへ。
寒くて飲んでも酔えない。
上はフリースとパタゴニアの化繊中綿のジャケットに火の粉対策でさらにシェラデザインズのマウンテンパーカ、下はユニクロのフリース裏地のナイロンパンツで冬場のワンコ散歩には欠かせない俗にシャカパンと呼ばれるやつ。
これだけ着込んでいても寒い、確実に氷点下。
さらに風がでてきたので、焚き火にざっと水をかけ土をかぶせて消火。
凍りつくとまずいものは車内へ、少し早いが我々も午後九時過ぎに寝ることに。
冬用の寝袋でも車内は冷える、こういう時にありがたいのは添寝犬。
クロマルががっつりのしかかってくる、重いが暖かい。
なんともいえない安心感、やがて眠りに。
夜半すぎ、寒いのと尿意で目が覚める。
車窓は我々の息で結露しバキバキに凍っている。
脇で寝そべっていたヤツも少し前からそわそわし、外とこちらの顔とをチラチラ交互に見だしていた。
「ブホッ」
咳払いした後、ハァハァ、さらに濡れた鼻を押し付けられる。
「行くのか?」
LEDランタンを点灯。
「勝手に行ってきな」
といきたかったが、外はすでにタイヤが隠れるぐらいの積雪、フカフカの軽い雪なのでドアが開いたのは幸い。
岡山生まれ関西育ち、生まれてはじめて見る真っ白な雪に戸惑っているクロマルを突き落とす。
無様に着地した奴は雪まみれになって起き上がり、ブルブルッと雪をはらう。
しかし、固まってしまいその場を動こうとしない。
「もう、そこらでしてくれよ」
愚痴をこぼしながら、ヘッドランプを装着で車を降りる。
細かい雪が舞っているが、風はそれほど感じない。
新雪を踏み硬めながら数メートル進み、スコップで一畳ほどのスペースをつくって、まず自分が立ちション。
黒い塊が入れ替わりにやってきて片足を上げる、さらにくるくるっと回ったかと思うと背中を丸めた。
ミッションコンプリート。
やれやれ、これでまたおとなしく寝てくれるだろう。
抱きかかえて先に車内へ押し込み、自分も続いて入る。
長靴を履いているわけでもないので足が雪まみれ、車内にもかなり吹き込んだ。
スマートフォンの画面を見ると、深夜二時過ぎ。
目が冴えてきたので、そのまま天気と道路状況を検索する。
明日すでに今日か、無事に帰れるのだろうか。
数時間後、再び耳元でブホッと咳払いのような声。
最近の定時である六時、マシンのように正確に起こされる。
外はまだ明るくなりきっていない、暖かい寝袋から這い出る。
風はおさまり、そこには白銀の世界が広がっていた。
幸い雪はさほど増えていないが、深夜に掘り広げたトイレスペースはすっかり埋もれていたため、同じ作業を方向を少し変えて繰り返し、連れション。
テーブルの雪をはらい、古いEPIのガスバーナーに点火する。
小型でロケットのように直上に炎が吹き出す、コンロというよりバーナーと呼ぶほうが雰囲気にあっている。
最近のモデルのようにチタンとかで軽いかわりにペナペナの造りでなく、五徳はステンレスで剛性感がある。
ユニフレームのキャンプケトルに水を入れ上に乗せる。
しばらくして湯が沸いたので、カップにインスタントコーヒーを入れクーラーボックスから牛乳を出して少し垂らす。
犬用食器にしているMSRのコッヘルセットの小さいほうには、たっぷり注ぐ。
その間に奴は雪に慣れたのか少し離れたところまで自力で行き、朝のミッション。
すっきりした顔で戻ってきた犬は、コッヘルをたちまち空にし、次を待つ。
犬に牛乳は良くないとは聞くが、こいつの場合は平気のようだ。
ジップロックに小分けにしていたドライフードを入れてやると、吸い込むように平らげる。
そしてコッヘル大に水をたっぷり注いでやる、カッポカッポと顔を洗うように飲む。
人間のほうは元来寝起きは食が細いのだが、これからの重労働に備えとりあえず何か腹に入れておかねばならない。
ストーブにプリムスの折りたたみトースターを置いて、その上で食パンを焼く。
軽く焦げ目がついたところでチューブ型のバター入りマーガリンを塗ってスライスチーズをのせて食べる。
脇では、きちんとお座りしたクロマルが自分への配給を今か今かと待ちわびている。
パンの耳、というかほぼ半分近くは愛犬の胃袋へ、これで朝食は終わり。
コーヒーを飲みながら、ネットで情報収集。
気象庁の発表では、この地方の積雪は平野部で十センチ程度、山間部で二十センチ程度とのこと。
この時期に積もるのは珍しいようだが、さしてニュースとしては大きくは扱われていない。
本来ははもっと北のほうで降るはずが、風のいたずらで雪雲が流れ込んだらしい。
だが、眼前にはどうみてもその倍以上の雪がある。
どうにも解せないが、現実とは対峙せねばならない。
舗装された町道までは約五十メートル。
ここを突破しない限り、下手するとこのまま越冬ということになりかねない。
来た方向はわかる、道らしきものの位置も木が伐採されているのでわかる。
しかし、舗装されているわけでもなく雪の下に何があるかわからない状況では車を出す気にはならない。
幸い雪は軽い、掘るというより左右にはらっていく感じで、帰る道を少しづつ除雪する。
クロマルはその後をついてくる、お前がラッセルしろ!
約二時間、折りたたみの小型スコップでは辛い作業だった。
住みだし冬を越してわかったが、後背が丘という地形の関係で風は頭上を通り過ぎてしまう。
そのため直接に強風を感じることは少ないが、運ばれてくる雪がどんどん落ちてきて溜まっていくのだった。
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