明るい原野生活

おにつち

第1話 大きな衝動買い

 ここは広大な北の大地でも田舎に分類される僻地。

 季節は本州、こちらからいう内地では梅雨真っ只中の頃。

 北海道には梅雨がないということになっているが、前線が届かないというだけで普通に天気は悪い。

 他にもある、台風が来ないというのは北上するうちに勢力が落ち、ただの低気圧になってしまうから。、

 そしてゴキブリがいないという定説は都市部では過去のものらしい、内地からの荷物に紛れ持ち込まれたとか。

 今日はこの時期としては例外で、ピーカンとはいかないが晴れ間がのぞき、いい天気と言っていいだろう。


 爽やかな屋外とはうらはらに、屋内では少し重苦しい状況になっていた。

 社長室らしきところへ通され、前に座っているのは目付きの鋭い初老の男性。

「株式会社 北星興産 代表取締役社長 堤和孝」、これがもらった名刺。

 不動産屋に物件を見せてもらいに来たつもりだったが、なにやら面接みたいになっている。

「天守(あまもり)さんだっけ、名前のほうの築はなんと読むの」

「きづくです、すじゃなくてつに濁点で」

 父がつけたこの名は気に入っている。

 なんで「ず」じゃなく「づ」なのか聞いたら、

「すってんてんにならないように」と笑っていた。

 漫才のネタじゃあるまいしだが、今となっては確認のしようもない。

「なかなかいい名前だね」

「で、希望されてる物件は土地ばっかりだけどさ、どういうのがいいの?」

「とにかく広い土地を、建物が付いていても別にかまわないですけど」

「自分の家以外に人工物が何も見えないようなところがいいです」

 こちらの希望を、ざーっと話す。

「まあ、なくはないけど……」

「そういう土地じゃ値段はあってないようなもんだから、担保価値ゼロでローンとかは組めないよ」

「ローンとか組むつもりはないんで、現金で払います、額によりますが」

「失礼だけど、お歳は?」

「今年で三十路です」

「仕事は何されてるの?」

「コンピュータ関係の仕事をしてます」

「ああ、インターネットの仕事をしてる人とか前に来たことあるよ」

「そういった仕事は通信回線があればできるかもですけど、それとは少し違いますね」

「じゃあいったいこっちでどうやってくの、ペンションとか喫茶店でもやるの?」

「そういうつもりもないです、おいおい考えるつもりで……」

 人づきあいが嫌いで過疎地の土地を探してるのに、わざわざ接客なんてありえない。

「ご家族は? 奥さんとか子供さんは?」

「自分ひとりです」

「少し前に母を亡くして、気にかける存在もなにもなくなり、昔からやりたかったことやろうと」

「ふーん、じゃあ行こうか」

 どうやら、社長自らが案内してくれるらしい。

 これまで知っている不動産屋の感覚からすると、すっかり調子が狂う。

 田舎の学校の校舎のような平屋の事務所を外に出て、玄関脇に停めてあった中型のセダンに乗るように言われる。

「ちょっと待ってください」

 少し離れた木陰に駐車しているステーションワゴンまで行き、窓を少し開けてから戻る。

 気温は高くないが日射しが強めで、車内は少し暑くなるかもしれなかったからだ。

「ウォン、ウォン!」

 外へ出してもらえるものと思った相棒が、不平の声を上げる。

「犬がいるの?」

「ええ」

「どんな犬?」

「ラブラドールです」

「盲導犬とかになるやつかな」

「そうです」

「ふーん……」

 なにやら思うところがあるふうである。

 助手席に乗せられ、出発した。


 この不動産屋、「北星興産」は主に温泉の掘削と別荘地の開発分譲を業務とする、いわゆるデベロッパーというやつ。

 別荘地以外にも中古住宅や山林物件も扱っている、特徴としては仲介でなく自社物件が多いこと。

 田舎暮らし情報誌に広告も出しているし、なにより自社ホームページでの物件紹介が充実している。

 自分も、「北海道 土地」で検索してたどり着いた。


 市街から離れ少し走り、あらかじめネットで資料請求していた数件を見せてもらう。

 土地面積と金額だけで選んだそれらの物件は区画された別荘地だったり、殺風景な離農した農地か何かの土地だった。

「この読み方がわからない物件はどうですか」

 そこは資料請求こそしたが、まだ案内されてはおらず、値段のわりに広大な土地物件だった。

 ただ、「※日常生活が困難」と但し書きがついていた。

「あー、あそこは隣の村で少し離れてるよ」

「少し走るけど、行ってみようか」

 クルマはかなりのスピードで走行しているにも関わらず20分以上経過した。

 この北の大地では市街地を離れると、だいたい1キロ走行するのに1分かかるという感覚でいい。

 信号も渋滞もないので1時間あれば60キロ走行できる。

 ということは、すでに20キロ以上走行したことになる。

 興味半分で買うかどうかもわからないのに、ちょっと申し訳ない気になってきたところで到着した。

 そこは見渡す限り灌木と笹薮が続く丘陵地だった。

 初めて希望に近い物件に巡り会え、少し心ときめく。

 ぶっちゃけ何もないが、それでも道はつけられている、もちろん未舗装だったが。

 泥濘んでいて普通のセダンではかなり厳しいところもあったが、それでもドロドロになりながら中に入る。

 ライフラインは無いとのことだったが、すでに電柱が何本か立っていた。

「電気来てるんですね」

「そうだね、別荘か何か建てた人もいるから引いたのかな」

「独占企業がやってるもんだから、電力会社は嫌だろうけどもなんとかなるんだ」

「電気があるなら、あと水は井戸掘ればいいですね」

「井戸もいいけど、温泉があるよ」

 少し移動した先にあったのが小さな小屋、その中には配管とバルブ。

 それをひねると、まさしく湯気を上げたお湯が出てきた。

 配管を敷いて、月々の利用料を払えばすぐ使えるとのこと。

「温泉なんてここらはどこでも出るんだ、どれだけ掘るかだけなんだ、うちはこっちが本業だからさ」

 火山が近くにある温泉地帯なので、たいてい何処でも出るらしい。

 ただ、源泉にぶち当たるまでどれだけ掘るかは運次第で、費用もそれに応じるらしい。

 電気もあって温泉まである、気配はないがすでに住んでいる人もいるらしい。

 こうなってくると途端に、温泉付き分譲別荘地みたいな気がしてきて興が冷めてしまった。

 かつては森で、伐採された後それなりに植林されているが、人工的でどことなく殺風景なのもマイナスだった。

 また30分ほどドライブして北星興産の事務所まで戻り、社長室へ。

「で、こっち来て生計はどうするの?」

 また面談に戻る。

「蓄えは少しはあるし、とりあえず住んでみて、仕事なんかはそれから考えようかと」

「自給自足みたいなこと考えてる?」

「いや、そこまでは、でもそれに近い感じの生活は」

「別にこのまま永住するかどうかもわからないんで」

「ふーん、そういうこと……」

 少し考え、どこかへ電話をかける。

 しばらく世間話らしきものをしていたが、その実は自分の運命を左右する内容。

「土地見たいっていう若い人がいるから、そっち行かせる」

「犬も連れてるみたいだし」

「うん、そうそう…」と、電話が終わった。

「うちの物件じゃないんで案内はしないけど、よければ見てきて」

「地図はこうこう、向こうに行ったらここへ電話して」

 コピーされた地図と、電話番号のメモ書きをもらい事務所を後に。

 クルマから相棒を一度降ろしてやる。

 敷地の隅の白樺に長々と放尿し、器に入れてやった水をガポガポ飲んだところで再びクルマに乗せる。

 降りる時はなんとか自分で降りるが、乗る時は抱え上げてやらないとダメなお坊ちゃまぶり。

 お前、運動神経・身体能力ともに抜群(のはず)のラブだろう。

 まだ散歩じゃないのかと不満そうなヤツを乗せ、教えられた場所に向かった。


「もらった地図だと、このあたりのはずだが……」

 指定された位置は、東西に延びる道から北の山の方へ続く道の分岐点、周辺は森と牧草地しかない。

 目印として記入されていた牧場の表札からは、すでに1キロ以上離れている。

 場所と一緒に教えられた番号に電話をかける。

 なかなか応答がなかったが、長い呼び出し音のあと繋がった。

「もしもし、土地を見に来たものですが」

「あー、すぐ行くから、そこで待ってて」

 しばらくしてガラガラいうディーゼルエンジンの音をさせ、これで車検に通るのか首を傾げたくなる貫禄満点のピックアップトラックが、山の方へ続く道からやってきた。

 車種はトヨタのハイラックス、国内販売されなくなって10年ほどになるので、車齢はそれ以上。

 かなりリフトアップされ、ごついバンパーとロールバー、前にウィンチ後ろにトレーラーヒッチとフル装備。

 ボディは傷だらけでボコボコ、ところどころ錆びて穴も開いている。

 停まった車からは、大柄で髭面の熊のような風貌の男性が降り立ち、ドアの隙間から犬が飛び出してきた。

 その犬、イエローのラブラドールはあたりをせわしなく走り回りマーキングしたあと、こちらの乗客に気づいたのか飛び上がって窓の中を覗き込んでいる。

「土地を、探してるんだって」

 こちらを値踏みするような視線が遠慮なく舐め回す。

「ここから上は、ほとんど俺の土地なんだ」

「売ってもいいのは、この道路の交差から始まって、200メートルくらい東の牧草地との境界まで」

「北はやっぱり200メートルくらい行ったところに小川が流れてるから、そこまで」

「きっちり正方形じゃないし測量したわけでもないけど、一万坪くらいあるはずだから」

 そこには原生林とまでいかないが、鬱蒼とした雑木林が広がっていた。

「笹薮でよくわかんなくなってるけど、取付道路があって50メートル程行けばちょっとした広場みたいなのが木を切ってできてるから」

「まあ、買うか買わないかということと、値段の話もあるし……」

「犬連れてるんだろ、こいつと少し遊ばせてくれんかな、お茶でもいれるから」

 言われるまま、ハイラックスのあとに続き、男性の家に向かった。


 敷地の端まで約1キロの舗装路、その先の進入路を100メートルほど走行し到着。

 そこは、この地区を見渡せる丘陵地で、牧場のような飛行場のようなだだっ広い草地が広がっていた。

 ここらで一般にD型と呼ばれるカマボコ型の倉庫が三つと、鉄筋コンクリート二階建ての母屋、他にも小屋がいくつか。

「ようこそ、わが砦へ」

 男性はニカッと笑った。

 ここまで来て名刺をもらう。

「黒薮巌」というのが本名で、肩書はハンティングガイド・カスタムナイフ製造となっている。

 ここへきてようやく相棒を外へ出し、水を与えてフリーにしてやる。

「うちのはキングっていうんだ、そいつはオスかい?名前は?」

「黒丸(くろまる)です、自分はマルって呼んでます」

 母は自分がつけた名前なのに、やはり呼びにくかったのかクマちゃんって呼んでいた。

「一度ラブラドール飼うと、他の犬種は飼えないよね」

 同意を求められたが、微妙に曖昧な相槌を打っておく。

 キングは一歳になったばかり、犬付き合いを覚えさせたくとも近所に飼い犬はおろか人家もないので困っていたとのこと。

 二匹は互いのお尻の臭いを確認仕合い、相手に乗っかろうと組んず解れつしている。

「まあ、犬は犬同士遊ばせよう、入ろうか」

 家の中は、まあなんというかカオスな空間であった。

 一階は大きな吹き抜けのLDK、壁には剥製やら写真やらところせましと飾られている。寝起きもここでしているらしく、ソファーベッドの上に寝袋が広げられている。

 犬用のケージと、作業テーブルには銃弾の手詰に使うプレスが2台。

 目を引くのはコレクションテーブルのナイフ類。

 カスタムナイフは、見ただけで有名なビルダーのものもあるが、無銘のものも多い。

 そして壁には刀剣類と火縄銃から始まり歩兵銃そして少し旧式の突撃銃までがびっしり。

 たぶん無可動銃だろう、銃身を塞いだりして発射できないように加工されたものが売られている。

 ステンレスの二重構造のマグカップでコーヒーが出される。

「それは俺が作ったの、ナイフは好き?」

「好きですね、あまり使う機会はないですけど」

「猟はしないの、銃は?」

「まだ何も、こっちに来たらぜひ始めたいんです」

「都会でサラリーマンやっているとまず無理、猟銃持ちたいっていうだけで危険人物扱いされるんで」

 ここで母の顔が思い浮かぶ。

 猟銃の所持許可を取るには同居家族の同意が必要なのだが、大反対されるのが見えていた。

「そうかもな、こっち来たらぜひ始めるといいよ、銃は引退する人から安く譲ってもらえるし」

 そのあとしばらく銃やナイフに関して雑談をする。

 窓の外では草地を走り回る二匹の姿が、上下関係のケリはもうついたのだろうか。

「土地のことなんだけど」

 おもむろに黒薮氏が切り出す。

「実際の契約は堤んとこを通してもらうことになるけど、坪あたり千円ざっと1万坪として1千万でどうかな」

「きちんと整地された別荘地にすれば坪1万、そのくらいがこの辺りの相場なんだ、悪くないと思うけど」

 舗装路に面した大きな起伏もない雑木林の土地。

 敷地の端に小川が流れていて、周囲に道路と電線以外の人工物はない、ほぼ希望通りというか願ってもない物件だ。

 適正な価格どうかは分からないが、法外な感じはしない、金額も出せる範囲だ。

「じゃあ、それで」

 お願いしますといいかけたところ。

「ただし、条件がいくつかある」

 その条件とは?

 転売したり切り売りしたりしないこと、樹木の伐採や土地の造成は最小限に留めること、さらに!?

「温泉を掘ること」


 そして再び北星興産へ戻る。

 土地の件と温泉の件を社長に話したら、すでに知っていた。

 というか二人は古くからの友人同士で、実は最初からグルだった。

 黒薮氏は、いろいろ事業をやっていたがうまくいかず、最後に残ったのが値段の有るような無いような北海道の土地だけ。

 生きていくのに金は必要だし土地くらいしか売るものがないが、ひやかし客にこられても鬱陶しいので物件は非公開、これぞという人間にだけ紹介するよう、旧知の社長に依頼していたらしい。

 そして、お眼鏡にかなったのが何故か自分だったと、どうりで面接じみていたはずである。

「土地のことはいいとして、温泉ってどういうことですか」

「薮のとこ、あそこまわりの木も切っちゃって吹きっさらしだったでしょ」

「おかげで冬は猛烈に寒くて、そもそも家が冷え切って暖房しても暖まらないのさ」

 堤社長の説明では、元々はバブルの頃に建てた家なんで、灯油をボイラーで焚きまくって床暖房と給湯をするような設計になっていた。

 そして、そのボイラーが故障してしまったが金がなくて修理できない。

 仮に動いても日々の灯油代にもことかいている有様で、とてもかつてのような浪費はできない。

 暖房は後付けの小さいストーブで、風呂は格安で入れる10キロほど行ったところにある地域運営の温泉でなんとかしているらしい。

 でも冬は風が強く、吹き溜まりですぐ道路が通れなくなってしまう。

 風呂のために命がけで出かけるわけにはいかないが、寒いから風呂には入りたい、近くでどうにかならないかと。

「それはわかりましたけど、だから温泉掘れって、そんなに簡単なことなんですか?」

「うん、普通はまあそうなんだけど」

「何年か前に地熱の調査があって、あの近くをうちでボーリングしたことがあるのさ」

「そのとき出るなって感触があったんで教えてやったんだけど、先立つもんが無いから」

「ポンプ設置して、家まで配管引くとしても相当な金額になるからね」

「とりあえず、その場ではそれまでの話ってことになってたの」

「でも、あなたが掘るなら」

「ちょうど源泉の出が悪くてボーリングすることになってたホテルが不渡り出しちゃって」

「うちで準備してた人や機材が浮いちゃったの、工事の時期さえまかせてもらえれば安くできるよ」

 ここでパズルのピースがはまってしまった気がした。

 温泉掘削とそれに付帯する工事費を教えてもらう。

 土地と合計しても、都会だと郊外のマンションが買えるかどうかという程度だ。

 払えない金額ではない、が、有り金の大半をはたくことになる。

「即答できませんので、持ち帰らせてください」

 ビジネスライクな口調で返事はしたが、かなり心揺さぶられていた。

「まあ、少しなら待てるから、よければ電話して」

 その場は、これにて退散することに。

 北星興産が取扱う中には源泉付きの物件というのもあって、土地建物の評価に対し1千万から2千万ほど高い。

 それが源泉分ということだろう、別荘地などなら契約先へ供給して収入にもなるらしい。

 周辺に人家もない地域で、それは無理だろうが温泉の利用方法はいろいろ考えられる。

 しかし本当にいいのか、会社も辞め先の収入のあてもないのに虎の子を使ってしまっていのか。

 しばし自問自答するが、結論は最初から出ていた。

 預金などあっても、なんだかんだつまらないことで使ってしまうに決まっている、あとに残るものにさっさと換えておくのだ。

 それが自分の生き方だ、いけるとこまで行ってみよう。

 翌日、堤社長の携帯へ連絡する。

「買います」

 人生最大の衝動買いだった。

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