後.未来のかけら

「雨宮も食えば? 止むのを待ってたら昼休み終わっちまうよ」

「え……あ、うん」


 立ったまま食べて落としたらどうしよう、と思っていると、葛上くんはあっという間におにぎりを口に押し込み、二つ目を開封した。


「ん」

「……ん?」

「俺のと交換っこ」

「え?」

「急にツナマヨ食いたくなった」


 差し出されたおにぎりをおそるおそる受け取ると、彼は開封途中だったツナマヨを海苔で巻いてほうばった。


「うまー」


 大きな口でおいしそうに頬張る葛上くんを見ていると、私もツナマヨ食べたかった、と思ってしまった。


「鮭もうまいよ」


 彼はもう三つ目を開封していた。それにも「鮭」と印字されている。


「もしかして三つとも鮭なの?」

「俺、一番好きなやつだけ食べたいタイプだから」


 早く食えよ、と言われて手の中におにぎりを見つめた。いつものコンビニおにぎり、鮭だって食べたことあるのになんでこんなにドキドキするんだろう。


 パクリと頬張ると鮭の切り身が顔を出した。立ったまま食べていると夏の林間学校を思い出す。川魚つかみをしたら葛上くんはクラス全員の魚を捕まえてしまうくらい上手だった。最初からわかっていたけど、私は一匹も捕まえられなかった。


 焼いて食べたのは、葛上くんが捕まえてくれた大きな鮎だった。


「鮭、好きなんだね」

「うん、三年間ずっと鮭。でも明日からツナマヨにしよっかな」


 大きな瞳が私を見る。夏のおひさまみたいな目、思わず反らして二こ目のおにぎりをつかむ。


「それ、何味?」

「エビマヨだよ」

「どんだけマヨ好きなんだよ」

「葛上くんに言われたくないー」


 つい親友とはしゃぐときのノリで彼の腕を叩いてしまった。顔が熱くなって足元に視線を落とす。駐車場にできた水たまりにいくつも波紋が浮かぶ。


「ありがとな」


 ポケットに手をつっこんだ葛上くんが雨空を見上げながら言った。なんのことかわからない私は首を傾げる。


「最後の練習試合、応援してくれてた。その前も、そのずーっと前も」


 バレていた。気まずいやら恥ずかしいやらで動転した私は「あの……あの……」と声にならない言葉を口にする。


「あいつらと一緒にバスケできるの最後なのに、大会がなくなってさ、なんかもうどうでもいいやって思ってたんだ。でもあの日、雨谷が窓から体乗り出して応援してくれてさ、よーし最高のレイアップ決めてやるって思ったんだよね」


 窓から体――思い出した。21-23の接戦でボールが葛上くんに渡った。前方はがら空き、得意のレイアップシュートが決まる。私は我を忘れて手を叩く。そういえばあのとき窓から身を乗り出してたっけ。


「未来のかけら きっともう持ってるよ」


 葛上くんが言った言葉に、私の心臓は爆発しそうになった。それは私が小学校六年生の頃に書いた絵本の1ページ。失敗ばかりでどうせぼくなんかといじける熊を小さなウサギが励ますワンシーン。


 あれは自分に向けて書いた言葉のつもりだったけれど――


「雨谷が書いた絵本、好きなんだ。今悪いことばっかりでも、希望はあるのかなって思えるから」


 優しい声に胸がつまる。好きなバスケットボールが思うようにできなくて、仲間とも離れないといけないのに笑ってくれる葛上くん。


「なあ雨谷、俺にも『未来のかけら』あるかな?」

「うん……もちろんだよ」


 泣きそうになりながら、でも私が泣いてどうするんだと涙を飲みこみながら答えた。足早に流れる雲のすき間から太陽が顔をのぞかせる。


「よかった、俺、向こうでがんばるわ」

「ずっと……応援してるね」

「あ、その笑った顔好き」


 そう言って私の手を取ると小雨の中を歩き出した。雨粒は陽光できらめいて淡い虹になる。濡れた緑のTシャツと大きな肩を見上げて私もつぶやく。ずっと好きでした、でも言えなかったな。


「ん? なんて?」

「なんでもない」


 笑って答えると「ほんとは弁当持ってただろ?」と葛上くんは言った。


「気づいてたの?」

「荷物持とうとしたときチラッと見えた。雨谷と一緒に歩きたかったから言わなかったけど」


 いたずらっぽく言って私の腕を引いた。サンダルで水たまりを踏んで横断歩道を渡る。


「明日は俺と弁当食ってくれる?」

「……うん!」


 大きな手を握り返すと、葛上くんはにっかりと笑った。栗色の髪についた水滴が朝露みたいにはじけてきらめいた。


 ***


 翌年の夏、私はお弁当を片手に道立体育館に向かった。スターティングメンバーに選ばれた葛上くんがコートからこっそり手を振る。


 お弁当箱には鮭おにぎりが三つとツナマヨおにぎりが三つ。開け放たれた扉から熱をはらんだ風が吹き込んでくる。


 葛上くんと一緒に歩いたあの夏の日。あの街を一緒に歩いたのはただ一度きり、だけど夏は続く、今もこれからもずっと未来も。


 未来のかけらはあの大きな手の中にあるから。


 笛の音と共に試合が始まる。ジャンプボールからのこぼれ球、味方の速攻、葛上くんのレイアップシュート――


 君と一緒に歩いた、最初で最後の夏の日。


 二度と戻ることのない、あの日の空、君の笑顔、手の温かさ。ずっと忘れないよ。

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大きな手、未来のかけら わたなべめぐみ @picoyumeko

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