五分間の乗り継ぎ駅

深水えいな

五分間の乗り継ぎ駅

「まもなく次の駅に停車します。反対側のホームの車両到着を待っての発車となるため、次の駅では五分間停車いたします。お乗り換えの際は……」


 サラリーマンや学生たちが忙しく行きかう中、向かいのホームの列車の中に、一人の女子高生が立っていた。

 夏空みたいに青いセーラ服を着て、しゃんと背筋を真っ直ぐに伸ばし、吊革をつかむ女の子。

 僕は電車の中、参考書を読むふりをしながら、彼女のことをいつも目で追いかけていた。


 さらさらと細く長い黒髪、ほんのり桜色をした、血色の良い色白な頬。少しうつむくと、長いまつ毛が柔らかく影を落とす。

 百合みたいに真っ白で、清楚で、彼女のことを見ているだけで、まるで時が止まるようだった。


 会えるのはお互いの電車が向かい合わせに止まるたった五分。

 僕はいつも五分間、ずっと彼女を見つめていた。

 一度も話したことも無いし、名前すら知らないのにおかしいけれど。

 でも僕は、辛いことがあった日は、このまま学校をサボって君のいる列車に乗り込み、一緒に手を取ってどこか遠くへ行きたいと思っていたんだ。

 どこか遠く、誰も知らない場所へと。

 ある時は、二人で青い海と白い砂浜、ヤシの木の見える南の島へ。

 またある時は、レンガ造りの素敵な教会がある、おとぎの国のような小さなヨーロッパの国へ。

 二人一緒に南極に行って、シロクマと一緒にオーロラを見る想像をしたこともあった。

 あの女の子と二人きりの時間を妄想することは、僕にとって受験の重圧から逃避する一種のストレス発散だった。


 その日も、いつものように青いセーラー服の女の子を見つめていた。

 女の子は鞄から赤い表紙の参考書を取り出す。

 列車が別々の方向へと走って行く中、僕は表紙に書かれた大学の名前を何度も繰り返し読んだ。

 あの大学に入れば、僕の空想は本物になるかもしれない。

 そんな望みを持って僕は受験勉強に励んだ。

 あの子は、ひょっとしたら彼氏がいるかもしれない。想像と違って性格が悪いかもしれない。

 そんな事を考えもしたけど、彼女と同じ大学に入りたいという気持ちは揺らがなかった。


 そして僕は彼女と同じ大学に入り、僕らは出会った。

 でも彼女にはこの事は永遠に内緒にしておくつもりだ。

 だって一歩間違えればストーカーみたいだし、何より恥ずかしいからね。


 ***


「まもなく次の駅に停車します。お乗り換えの際は……」

 いつもの駅に電車が止まる。

 いつもの席に、彼が座っているのがひと目で分かった。

 私は気づかれないように、こっそりと彼の様子をのぞき見た。

 背が高くて、すらっと長い手足。サラサラの髪の毛。すうっと通った鼻に、涼しげな目元。

 参考書を見てるってことは、私と同じ高校三年生だろうか。

 ――と、ふと彼と目が合ったような気がして目を伏せる。

 ふー、危ない、危ない。

 向かい合わせの電車の男の子をじっと見てるなんて、変な女の子だと思われちゃう。

 それにしても、顔がなんだか熱い。ドキドキと心臓が鳴り止まなくて胸が痛い。

 これってもしかして――ううん、そんなのありえない。だって彼とは話したこともないし、名前も知らないんだから。

 私は必死で参考書に視線を戻す。だけど、内容なんてちっとも頭に入ってきやしない。


 そしてそれから私は、毎朝入念に髪の毛をとかしてから家を出るようになった。

 電車の中では決まって同じ窓際に立つようになった。意識して綺麗な姿勢を保つようになった。スキンケアにも気を使うようになった。

 おかしいよね、一度も会ったことのない人なのに、こんなにも彼が気になるなんて。

 そのうち私は、この電車を飛び降りて彼の手を取り、一緒にどこか遠くへとでかける妄想をするようになった。

 彼と辺り一面にラベンダーの花の咲く綺麗な丘を眺めたり、月の見える静かな砂漠を二人でらくだで旅したり、二人でサンゴ礁とカラフルな魚の泳ぐ海でダイビングをしたり。 

 馬鹿みたいだけど、そんな妄想ばっかりしてた。


 そしてある日、私はある作戦を思いつく。

 いつものように窓際に立った私は、わざと彼に大学名が見えるように赤い参考書を開く。

 毎日この大学名を見ているうちに、彼もこの大学が気になってくるんじゃないかっていうサブリミナル効果を狙った馬鹿げた作戦。


 だけどこの作戦はまさかの成功をとげる。

 私と彼は、偶然にも同じ大学で出会ったのだ。

 でもこの事は彼には内緒にしておくつもり。あまりにも馬鹿げてるし、何より恥ずかしいからね。


 ***

 

「まもなく次の駅に停車します。お乗り換えの際は……」

 僕はゆっくりと電車の外を見た。

 向かいのホームには青いセーラー服の女子高生が立っていて、僕は祖母の三回忌の日ことを思い出していた。


 法事が終わり、疲れたと言って一人で廊下に出た祖父に、僕はずっと気になっていたことを尋ねてみた。

「ねえ、おじいちゃん、おばあちゃんから聞いてた? おばあちゃんが、わざと電車で大学名が見えるように毎日参考書を開いて立ってたって」

 僕の問いに、祖父はたいそう驚いたように目を見開いた。

「そうか、それは知らなかったな」

 そして祖父は、祖母には内緒にしていたという、彼の五分間の話をしてくれた。

「へえ、じゃあおじいちゃんとおばあちゃんの、駅でのあの五分のおかげで、お父さんが生まれて、僕が産まれたんだね」

 祖父はそうだね、と笑った。

「あの五分間のことはずっと内緒にしてたけど、あいつ亡くなってしまった今となっては伝えておけば良かったとら今更ながら思うよ」

 そして祖父は縁側から遠い夜空を見上げながらこんなことを言った。

「あいつが亡くなってからずっと、世界が少し寂しくなったと感じていたよ。もう一緒にどこか遠くへ旅立ってくれる人はいないんだと思うとね」

 だけど――と、祖父は続けた。

「だけど、今は前ほどは寂しくない。お前があの五分間のことを知ってくれたからかな?」

 訳が分からず首を傾げると、祖父は笑った。

「それまでは、僕が死んでしまえば、あの五分間の出来事を知る人はいなくなる。そしたらあの五分間は何も起こらなかったみたいに、消えて無くなってしまうんじゃないかって今までは思ってた。でもそうじゃなかった」

 空には、嘘みたいに澄み切った満点の星空が広がっていた。

 祖父はうっとりと空を見上げる。

「だけどきっと、あの五分から物語は始まり、子供や孫のストーリーが続いていくんだ。例え僕らが居なくなっても、五分間は終わらない。永遠となる。きっとゼロなんかじゃないんだって。それって、終わらない旅みたいだなって」


 それから間もなくして、祖父もまた亡くなった。

 だけど僕は、ちっとも悲しくなかった。

 きっと二人は旅立ったのだ。二人手をとって、同じ方向へと進む列車へと――。


 ***


 孫と話を終えたあと、僕は一人縁側に腰掛け空を見上げた。


 愛し君よ。


 今夜は雲がなくて、星が綺麗に見えるよ。

 果てしなく広がる星空。今日みたいに澄んだ空の夜は、胸が押しつぶされそうになるよ。

 だけどそんな夜は君を思うことにしている。続いていく物語を。無限に広がる宇宙を。あの向こうに君が居るんだって。


 もうお爺ちゃんなのに、バカみたいって思うかもしれないけれど、僕には夢がある。

 いつか僕が君の元へと逝く時は、列車で迎えに来てほしい。

 そしたら僕は、あのころ夢見たみたいに君の手を取り、同じ方向に進む列車へ乗り込むから。

 がたんごとん、揺れる最終列車に乗って、二人で同じ景色を眺める。

 手を握り、寄り添って、二人でどこまでも旅に出るんだ。

 あの高い空のかなたへ。きらきらと輝く銀河鉄道に乗って。そしたらもう絶対、君の手は離さないから。

 そこで僕は打ち明ける。僕と君、出会ったのは高校時代。

 君に出会ったのは偶然じゃなく必然だったんだよって。一日たった五分の純愛物語を。


 ほら、見てごらん。もうすぐ列車がやって来る。今度こそ僕は君に伝えられるだろうか。ガタゴト揺れる列車に乗って、今夜、僕は君に告白する。

 


【完】

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