第六章

 北千住にある四階建てのデザイナーズマンションの一室で、女性の遺体が発見された。部屋にはイスとテーブル四脚の他に、業務用の大型冷蔵庫が置かれていたという。不釣り合いにも何故かぽつりと置かれたその中に、折りたたまれた死体が入っていたようだ。

 顔面の損傷は激しかったものの、彼女の所持品らしきバックや財布、携帯などが放置されていたため、身元はすぐに特定された。

 名前は三間坂みまさか月々奈るるな、二十八歳でテレビなどにも出ているタレントだと判明した。しかしこの女はただの芸能人ではなかったようだ。

 裏で地位や名誉のある男性や金持ちと肉体関係を持ち、その後脅迫などをして金などをせしめていたらしい。しかも彼女のバックには質の悪い半グレ達がついていたという。

 お金の支払いを渋ったからなのか、彼女によるハニートラップにかかった被害者の中で、ネットに晒され社会的制裁を受けた人物もいたようだ。

 また彼女の死体が発見されたマンションの壁の一部から、とんでもないものが発見された。連続誘拐・監禁事件に関わっている疑いがかかり、参考人として行方を捜していた手塚大也、さらには官僚の山戸純次、政治団体代表の梅ノ木雷太の骨である。

 その上マンションの下水道からは、彼らのものと思われる肉片が見つかり、血液反応もあったようだ。彼ら三人の肉体は殺害された後、細かく砕くなどされてトイレに排出されたらしい。

 見つかった骨は細かく砕かれており、壁の補強材に使われる珪藻土に混ぜられ塗り込まれていたという。それらをDNA鑑定した結果、失踪届が出されていた三人と一致したことから、身元が判明したそうだ。

 ただ何故か三間坂の死体だけは処理されず、冷凍保存されたまま放置されていた点が謎だった。彼女の首からはスタンガンによって付けられたとみられる火傷の跡が見つかったという。他には手足を拘束されたまま、顔の形が判別できないほど殴打された後、首を絞められ殺されたことが分かっている。

 死体が発見された部屋にはロフトがあり、頑丈な柱部分にはクッション材が巻かれていて、ロープの跡が付いていたそうだ。また手動のウインチも見つかったことから、おそらく他の三名もスタンガンで気絶させられ、その後監禁された部屋で首を絞め上げられて殺された可能性が高い、と警察は発表した。

 手塚を除く三人の共通点から考えて、犯人は反社会的な人物を制裁するために拉致・監禁した後に殺すという、極端な思想を持っている人物だろうと推測された。

 手塚はこのマンションに以前住んでいてトラブルを起こした住民であり、その後逮捕されていることが分かっている。そして彼が失踪するより前に、カーシェアリングを使用するために作成された会員証が発行されていたこと、そして山戸が拉致された時期などから彼は犯行に関わっていないと判断されたようだ。

 彼の行方を捜査する過程で、会員証の郵送先がかつて住んでいた二〇一号室になっていることが判明していたようだ。その時郵便ポストから彼の指紋が検出されたことから、当初は犯行に関わっているとみていたらしい。

 しかしその後の情報から他の殺人計画を実行する際の隠れ蓑、または身代わりとして利用するため、拉致されて殺されたのだろうとの見解が示されたのだ。

 女性の遺体が発見された部屋の契約者は、その上の部屋の住民でもありマンションの実質的なオーナーであるという。警察発表で表面上は名前が伏せられていたが、マスコミは直ぐに身元を特定していた。

 はやし秀夫ひでお、五十一歳。大手保険会社の課長として勤務していたが、うつ病となり五年の休職期間を経て退職。現在は退職後に購入したマンションの実質的オーナーとして生活していたようだが、現在行方をくらましているという。

 林の部屋にはパソコンやその他の荷物などを持ち去った形跡があったようだ。それらのことから、何らかの事情を知った上で逃亡、または他の被害者達と同様に拉致されている可能性もあるとみて、警視庁は参考人として彼の行方を捜していた。

 しかしこれまで起きた事件の流れから複数人の犯行だと思われるはずだが、警察は単独犯である見込みも捨てきれないとし、林の人間関係を辿って捜査していると発表したのだ。

 警視庁の記者クラブ席に座っていた須依と烏森は、この事件について話し合った。

「しかし余りにも展開が早すぎるな」

「全くです。警察は犯人と思われる人物の告発通りに捜査したところ、多くの事が判明したと言っていますが、事件に関わった犯人達の中で仲間割れでもあったのでしょうか」

「そうだな。犯人達しか知りえない情報があったから、これだけの証拠が明らかになった。そうでなければコンクリートの壁に砕かれた骨が埋まっている事や、殺された人物達の肉体がトイレに流されていた、なんてことがこんなに早く分かるはずがない」

「しかし危なかったですね。警察が一連の事件に関わる人物として、大也さんを追っているという記事がもう少し遅れていれば、彼が既に殺されていたという警察発表の方が早かったかもしれません。そうなると大スクープが完全に没ネタになる所でした」

「ああ。しかも須依が書いた記事の後、しばらくして警察が彼は利用され殺されていたという見解を示したおかげで、スクープの価値もぐんと上がったからな」

「それにしても警察は彼の行方を捜査する中で、あのマンションに訪れていたことは驚きですよね。手塚が以前住んでいた二〇一号室には鑑識も入れての捜査までしていたのに、何も気づかなかったのでしょうか。まさに連続殺人が行われた現場の真下の部屋だったわけですよね」

「ああ。確かに大失態だろうな。山戸の拉致監禁が発覚してからの捜査だったから、あのマンションが怪しいと気付いていれば、梅ノ木の事件は防げたかもしれない。少なくとも四人目の犠牲者まで出ることはなかっただろう」

「そうですね。しかし何故、最初の犠牲者が大也さんだったのでしょうか」

「それはあのマンションについて、誹謗中傷の書き込みをしたのが手塚だったからじゃないか。おそらく山戸以降の計画は既に立てていたのだろう。しかしその前にすぐ捕まっては支障をきたす。そこでミスリードさせる為に、彼の名義を利用しようと拉致して殺したのだろう。実際警察は彼が計画に関わっていると信じて、相当力を入れて捜索していたようだからな」

「そうでしたね。計画を練っている時に犯人の一人と目されている林の邪魔をした人間として、彼らの怒りを買った結果なのでしょうか。それともたまたまだったのでしょうか」

「確かに偶然だったのか、必然だったのかは微妙だな。それに林が犯人側なのか、それとも手塚同様、利用されていた被害者側なのかでも、犯人像が大きく変わってくる」

「その辺りを調べて見る必要があると思います。それにこうなると、大也さんの母親が言っていたことが気になります」

「なんだ? どういう点が引っ掛かった?」

「彼が逮捕された件で、身に覚えのないものまで書き込んだことにされた、と言っていましたよね」

「ああ、実際やったこと以上の罪を着せられたって話か」

「弁護士も言っていたようですから。本当に警察の捜査が強引だったのかも気になります」

「彼が書き込みをして逮捕されたこと自体、何かあるかもしれないということか」

「否定はできないと思います。そうでないと彼が実行犯として疑われるよう利用されたのは、単なる偶然かまたは別の意図があったことになります。しかし綿密な計画を練っていたと思われる犯人が、短絡的な事をするとは思えません」

「難しいな。偶然じゃないとすれば、何故彼を貶める必要があったのかが分からない」

「だから調べるんですよ。それだけじゃありません。彼はあのマンションでトラブルを起こして追い出された。それを根に持ち書き込みをしたことになっていますが、あのマンションでどんなトラブルがあって、どんなことが起こっていたのか。しかも一連の事件の舞台は、まさにあのマンションの一室です。そこに何かがあると思いませんか」

「それは林がマンションの実質の持ち主だったから、使い勝手が良かったからじゃないのか。林が犯人の一味なら殺人計画を立てて、その為に購入したのかもしれない。利用されていたとすれば尚更だ。犯行を実行する場所として最適だっただろう。あのマンションはリフォームで防音などの対策にかなり費用をかけたと言う話だからな」

「林はずっと独身で、退職時の年収は一千万を超えていたと言います。さらに彼が休職中、運悪くツアー旅行中に事故で亡くなった両親、特に父親から相続した多額の遺産もあり、経済的には相当裕福だったようですね。人を殺す目的で購入し、その為に防音にもこだわったと言うことも考えられます。ですが、本当にそうだったのでしょうか」

「彼の経歴はうちの他の記者も裏取りしているから間違いないが、退職理由から考えても精神的に少し問題がある人物なのは確かだ。自暴自棄になって強引で無茶な計画を実行し、狂気的な殺人を行ったと思われても仕方がないだろう」

「でも、確か彼は退職してすぐマンションのオーナーになった訳ではないですよね。しばらくは賃貸マンションに住んでいたようですし。それに手塚家での話では、大也さんが入居してから最初の一年は何もなかった、と聞いています。事件を起こすまでの間は、準備期間だったのか、そうではなかったのか。その辺りも取材する必要があると思います」

「なるほど。林が犯人の一味と仮定すればオーナーになったからこそ、今回のような事件を起こすことが出来たともいえる。しかし計画を立てたからオーナーになったのか。それともその後なのかによっても変わってくる。それがどちらなのかをはっきりさせたい訳か」

「はい。林という人物をもう少し掘り下げて調べる事で、事件の背景が見えてくるのではないでしょうか。林が犯人の一人とすれば共犯者は誰なのか。うつ病にかかってまだ療養中だった人間が、どうやってそういう人物達と繋がったのか。計画を立てた動機は何なのか、始まりはどこからなのか、も気になります」

「犯人ではなく、被害者だったかもしれない。だからその両面で取材する必要もある」

「他にもありますよ。警察へ密告した人物が誰なのか。犯行について詳細な情報を伝えていたようですから、犯人の一味であると思われます。でも何故か警察は単独犯である可能性も視野に入れている、というのもおかしな話ですよね」

「確かにそうだな。いつものことだが、捜査本部で隠している事実があるのかもしれない」

「その点も是非調査したいですね」

「分かった。それには俺の協力がいるってことだな」

「いつもすみません。頭で考えて口に出すまでは出来ますが、いざ実行するとなると、私一人ではどうにもならないことが多いので」

「それはいい。機動力は俺の得意分野だ。須依は俺を含めて他の奴らとは、それこそ目の付け所が違う。そこがお前の武器だ。遠慮なんかせず、俺を上手く使えばいい。それにお前のおかげで俺だってしっかり恩恵は被っている。片足を失ってから遊軍にばかり回されているけれど、須依との共同だがスクープを連発しているから、社内の評価も上々だ」

「そう言っていただけると助かります」

「じゃあ早速動くとするか。まずどこから手を付ける?」

「最初は大也さんの事件を扱った弁護士に話を聞いてみましょう」

「分かった。車を出そう」

 手塚家を訪問した際、母親から大也への不当な取り調べなどがあったかどうかも取材したい旨は伝えている。そして須依達は両親の許可を得た上で犯人の一味のように追われている彼は、被害者なのかもしれないとの見解を含めた記事を載せたのだ。

 すると後に彼は殺されていて、さらに被害者と見られると発表されたため、須依達はお悔やみで再び訪れてみた。そこで須依達が書いた記事を好意的に取ってくれた母親に、お礼を言われたのである。

 その彼女から事前連絡をしてもらったため、担当弁護士との面会もすぐに取り付けることが出来た。そこで烏森と二人で話を聞き、裁判で出された検察側の証拠なども見せて貰うことができたのだ。

 するとやはり不自然な点が多くみられた。弁護士に対して大也本人が掲示板に書いたと認めたのはほんの一部であり、その他の過激な書き込みなどしていないと主張している。

 しかしそれらを否定する立証は難しく、無罪を勝ち取ることも困難だと弁護士は判断したそうだ。そこで検察の主張を受け入れて裁判を早く終わらせれば、罪は軽くなって執行猶予付きの刑で済むと見込み、泣く泣く全面的に非を認めたという。

「それらの書き込みは、大也さんが実際に書き込んだものとIPアドレスは一致していたのですか」

 おそらく五十代だろう。長いキャリアを持つ白髪交じりのベテラン弁護士が答えた。

「そうです。その為に検察は動かぬ証拠だと主張していました。それを反証するには、専門的な知識を持った機関に分析依頼を掛ける必要があったのです。しかしそれには相当な費用と時間がかかる。そこで本人はもちろん御両親とも相談をし、否認しない方向で裁判を進めました。私達も忸怩じくじたる思いをしましたが、その後に拉致されて殺されていたと聞き、驚いているところです」

「私達は謂れのない罪まで被った件が、彼を含めた今回の連続誘拐殺人事件に繋がっているのではないかと考えています。しかし警察や検察は自らが証拠と出して追及し認めさせたものに対し、調べ直すことなどまずしないでしょう。よってそうした視点からの捜査はなされていないと思われます」

「そうでしょうね。彼らの沽券こけんにかかわることですから」

「真相を究明するには、大也さんが使用していたパソコンを調べ直すなど第三者機関に依頼する必要があると思います。大也さんは何故罪をかぶせられたのか。そして殺されなければならなかったのか。生き返らせることはできませんが、事実を明らかにすることで彼の名誉を取り戻すことならできるのではないでしょうか。ただ再調査すると言っても、時間とお金がかかることになります。先生、手塚夫妻に協力してもらえるよう、私達と一緒に説得していただけませんか」

 この調査に力を貸すことは、本来弁護士の仕事ではない。それに手塚夫妻が別途報酬を支払うと言わない限り、一銭の得にもならないだろう。だが須依達は苦汁を舐めた弁護士の矜持きょうじに訴えた。

 しばらく悩んでいた彼は、少し考える時間が欲しいと即答を避けた。それでも代わりと言ってはなんですが、といくつかの貴重な情報を教えてくれたことは幸いだった。

 そのため二人はそのまま事務所を出て車に乗り込み、烏森は悔しげに言った。

「弁護士が協力してくれないと、かなり時間がかかっちまうな。しかも俺達だけで調べるとしても、金がかかりすぎる」

「そうですね。ただ手塚夫妻も息子さんが何故殺されたのか、そして息子さんの無念を晴らしたいと言う思いはあるはずです。まずは信じて待つことにしましょう。調べることは他にもありますから」

「そうだな。次はあのマンションの管理会社だ」

「正確には一つ前の、ですよね。先ほどの弁護士の説明では、大也さん達が入居していた頃のトラブルは、今の管理会社ではないようですから」

「らしいな。手塚に対する損害賠償請求などの対応をしている間に、他にもトラブルが多発していたことで林と揉め、別の管理会社と契約し直したと言っていたな。しかも新しい管理会社は、警察OBの天下りが多いと噂されている会社だそうだ」

「事件の起こったマンションに関しての取材はほとんどできなかった、と他の記者から聞いていましたが、そういう訳だったのですね。警察から圧力がかかっていたのでしょう」

「そのようだ。あのマンションでは七つある部屋の内、林の他に四部屋は入居していたらしい。しかしその住民達から話を聞こうとしたが、マンション全体が完全に立ち入り禁止にされて近づけなかったそうだ。しかも住民全員が逃げるように直ぐ引越ししたと聞いた。おそらく警察関係者の手引きがあったのだろうと噂されている。さらに誰一人と引っ越し先も分からないようだから、取材しょうがないと嘆いていたよ」

「そこも調べたいですよね。時系列で考えると、大也さん達が拉致されて殺されたのは、林がマンションを購入してから約二年後で管理会社が変更された後です。それにいくら住民トラブルがあったとしても、管理会社の変更はそう簡単にいかなかったはずですから」

「ああ。調べた所によると、あのマンションの名義は管理も兼ねていた不動産会社になっていた。林はほぼ一括払いのような形でマンションを購入していたが、ほんの僅かだけローンを組み、月々その不動産会社に返済をしていたらしい。だから登記簿上の所有者の欄に林の名はない。税金対策なのか良く分からんが、月々返済しながら自分もマンションの一室に賃貸料を払いながら賃貸契約者と同じ形で入居していたようだ」

「そのような形態を取るケースは他にもあって、理由は税金対策だけではないかもしれません。個人名義だと近所や町の自治体との関係が発生するため、それを嫌がって一借家人として住む場合があるそうです」

「精神を病んで会社を辞めた元転勤族の人間なら、それが主な理由だったとしても不思議ではないな」

「その辺りを含めて、マンションでのトラブルがどの程度だったか、それと別の管理会社に変わった経緯も詳しく取材したいですね。警察の天下り先であると知らずに契約したのでしょうが、よりにもよってそんな管理会社に代わった後、連続拉致監禁殺人を実行した理由も知りたいところです」

「そこに何かある、と須依のカンが言っている訳だな」

「はい。当たるといいのですが」

 須依達は目的の管理会社を訪問し、当時の担当者を呼び出して取材依頼を行った。だがこの会社から情報を得るまでには時間がかかった。というのも、他のマスコミによる取材がすでに殺到していて、林という人間がどういう人物かを尋ねに来ていたからである。

 恐らく現在の管理会社に対して取材が出来ない分、記者達が皆こちらに流れて来たのだろう。その過熱ぶりが余りにも酷かった為、管理会社は既に取引を終えた相手であることを理由に、途中から取材を受けなくなってしまったのだ。

 これには須依達も閉口した。しかし他社とは切り口を変えて粘り強く交渉した所、なんとか話しだけでも聞いてもらえることに成功したのである。

 応接間の一室に通された二人は、かなり待たされた。やがて当時のマンション管理の担当者である中村なかむらとその上司、そして会社の顧問弁護士までもがやって来た。そして席に着くや否や、弁護士が先に口火を切ったのだ。

「基本的にこちらでは、林さんのマンションで起こった事件に関する取材はお断りしています。ですが今回は手塚大也さんの事件を担当していた弁護士さんから連絡を頂いたので特別許可をしました。しかし話の内容によっては、すぐにお帰り頂きます。そこはご了承ください」

「お忙しい中、時間を割いて頂き有難うございます。そちらにご連絡差し上げた弁護士さんからも聞かれたと思いますが、私達は御社が不利益になる記事を書くつもりは毛頭ありません。それどころか、御社も一連の事件に巻き込まれた被害者だと考えております」

「そう伺いましたが、どういうことでしょうか?」

 須依達はここに至るまでに調べた手塚大也の事件について述べ、彼が誰かに嵌められたのであれば、マンションで起こったトラブル自体にも何か仕掛けがあったのではないか、と推測している事を伝えた。

 もしそうであれば管理会社を変更させられたのも、その一連の流れで起こった公算が高い。要するにそちらも嵌められたのではないか、それを確認するため取材したいと申し出たのだと再度説明した。

 そこまで告げると思い当たる節があったのか、中村が上司に耳打ちして弁護士と相談した上で話し出したのだ。

「そういうことであれば、お話しします。林さんがあのマンションを購入されて、一年ほどは全く問題がありませんでした。それどころか中古でも前オーナーが急病になったため、やむなく早期に手放した比較的新しい物件だったこともあって、とても気に入られていたのです。特殊な構造をしていた点もそうでした」

「と、いいますと?」

「一階は駐車場でエレベーター付、三階と四階は二部屋、二階は三部屋と、変則な形をしたデザイナーマンションで、二階の二〇二号室は二〇一と二〇三と隣接していますが、上階はありません。そして三〇一、四〇一号室、三〇二、四〇二号室は上下だけと接しています。間に階段とエレベーターがあることで、二階以外は隣と接していない構造となっているのです。接する部屋が少ないことは、他の住民の生活音に悩まされる確率が減少するから、そこが気に入ったとおっしゃっていました。以前住んでいた賃貸マンションで、少しご苦労されたそうです」

「なるほど。それでなるべく他の住民の生活音に悩まされないマンションを探していたと言うことですね。しかしそれまで賃貸だったのを、急に購入して住むことをお考えになられたのは何故か、ご存知ですか」

「はい。当初は静かな生活をしたければ、一戸建てや分譲マンションを購入した方が良いと思うけれど、そうすると否が応でもその地域やコミュニティーに参加しなければならない義務が発生するから否だ、とおっしゃっていました。これまで転勤族で長い独身生活を送ってこられたらしく、住む場所が転々とすることには全く抵抗がなかったそうです。それに仕事をしていた頃は、平日にほとんど部屋にいることなど無く、休日を除いては寝に帰るだけの場所でしかなかったから余計だったとおしゃっていました」

「やっぱり。だからマンションの実質的オーナーだけれども、僅かにローンを残して名義は不動産会社にされていたのですね」

「そうです。今までも町内会費などは支払っていたものの、周辺住民達とコミュニケーションを取ることもなく、今後もそのような機会をできるだけ避けたいとのご要望でしたので。所有者でなく一借家人として住むのであれば、今まで通りの生活ができるとおっしゃっていました。確か林さんの母親の実家が田舎だったそうで、同じ地域で長く住むことによる、コミュニティーに参加させられる弊害を嫌というほど経験されたとも聞きました」

 須依は驚いて尋ねた。

「かなりプライベートなことまで、お話しされていたんですね」

 すると彼は複雑な心境だったのか、心苦しそうに説明してくれた。

「そうです。私は林さんがあのマンションの購入検討される際、相談を受けて契約を交わした担当者でもあるのです。そこでいろいろお話をさせていただく間に信頼していただいたのでしょう。その後の管理の窓口もあなたがやってくれるのなら購入するとの条件をつけられたので、本来なら管理会社に所属する別の担当者になるところを、私がやることになったのです。当社が本体の不動産部分と管理会社がほぼ一体化していたからできたことですが」

「そうでしたか。林さんの印象はどうでしたか」

「最初は口数の少ない方でしたが、物件をとても気に入られて話が具体化するにつれ、私には良く身の上話をしてくださるようになりました。例えば先程の続きですけど、近所付き合いも悪いことばかりでは無く、お互いが声を掛け合い助け合うことで平穏に暮らせるという利点もあるとか、でもお節介なのか単なる好奇心からなのか、人の家に土足で踏み荒らすようなプライバシーなど全く考慮しない行動を、図々しいものだと思っているなどとおっしゃっていましたね」

「それを聞いてどう思われました?」

「少し人嫌いというか、他人と接することに疲れているのだろうな、と感じました。あとはマナーに厳しい方だとの印象もありましたね。退職された経緯なども少し伺いましたから、ある意味おっしゃる通りだと思いましたよ。それに今は独身で一人暮らしの自分にとっては、近所付き合いにメリットなどほとんどない。それどころかデメリットの方が多い。さらに身内もいないため、誰かに土地や財産を残す必要も無い。だから家という固定資産を持つことは、利点よりも失うものが大きいと思っていらっしゃったようです」

「そうですか。それなのに何故マンションを丸ごと購入されることにしたのでしょうか」

「はい。最初は否定的でした。第一に自由度を失う。例えば購入した一戸建て、または分譲マンションで気に入らない住民が近くにいたなら、すぐに引っ越す訳にはいかない。そうなれば安息な生活を守るために、トラブルを解消させようとするだろう。しかしそれには大きな労力がかかる場合が多い。一人身でしかも治療中でもある林さんにとっては非常に辛いことだとおっしゃっていました。また分譲マンションでは、古くなった場合や自然災害などにより、建物の共有スペースを直さなければなりません。その時の為に備えなければならないので、管理費とは別に修繕積立金を支払って用意されます」

「確かにそうですね」

「しかし林さんは阪神大震災の時、損害を受けた分譲マンションの多くがトラブルになったケースを良くご存知でした。修繕するか取り壊して立て直すか等、住民の中で意見が対立してまとまらず、遅々として復興が進まない問題が多発したことを身近に感じていたようです」

 そこで須依は事前に他の記者達が調べてきた、彼の経歴を思い出しながら尋ねた。

「確かあの頃、保険会社の社員として関西に住んでいらっしゃったようですね」

「そうです。保険会社に入社して最初に配属されたのが兵庫県の明石市だったと伺いました。その頃震災が起こったそうです。当時は応援の為に全国の支社などから人が駆け付け、有馬や明石、最後には三宮と、住む宿を転々としていたそうです。しかし会社として地震の災害対応についてある程度落ち着くと、人々はどんどんと引き揚げていったと寂しそうにおっしゃっていました。近くに住んでいた林さんは、神戸を中心とした新しい町のその後を見て感じたそうです。日々復興しながらも、苦しむ人々はまだまだ沢山いると。そんな様々な情報を耳にしていたから余計でしょう。そうした自らの経験から、“分譲マンションに住みたいとは考えた事が無く、賃貸マンションなら環境が気に入らなければ、すぐに変わることができる。町内行事などに参加する必要も無く、お金さえ払えっておけば一人で静かに暮らせるから、自分のニーズに合っていると思っていた”とおっしゃったのです」

「そんな林さんが何故、あのマンションを購入することになったのですか?」

「先程お話ししたような契約の方式なら、問題がクリアされると思い直されたようです。それに住民の騒音問題も、購入と同時に防音などの改装を施せば何とかなるとお考えになったのです。またそれでも目に余る場合は、実質のオーナーとしての権限で追い出すことが出来るともおっしゃっていました。そういう経緯があったので、トラブルが起こった際は少し強引な手を使ってでも、できるだけ林さんの意向に沿うようにしなければならなかったのです」

「なるほど。それがあのマンションでのトラブルに繋がる訳ですね」

「はい。本当に最初の一年は全く問題なんてありませんでした。しかしある時から連鎖的にトラブルが勃発し始めたのです。でもあなた達からお話を伺い、冷静に考えて今振り返ってみれば、確かに奇妙だったと思います」

 そこから彼は三〇一号室に住んでいた会社員の家賃が突然滞納され、結局退去した事を発端に、二〇一号室の入居者だった手塚が使う芳香洗剤に対して苦情が入った件。そして新しく三〇一号室に入った住民と揉め始めた為、彼に退居してもらった経緯を話し始めた。

 さらに手塚の後に入った住民が余りにも煩いと、以前からいた隣の二〇二号室からクレームが入り、管理会社に対して不満を持ったらしく更新を機に出て行ったこと。さらには新たに二〇二号室へ入居した住民が、隣の二〇三号室の子供の声が煩いと言い出したこと。他にもマナー違反をしていると言う苦情が入ったために忠告した所、その住民が怒って出て行ってしまったことも教えてくれた。

 そして何のトラブルも無かったはずの他の二部屋も契約更新をせずに退居したと思ったら、入って間もなかった三部屋の住民までもが途中で出て行ったという。そのため林が激怒し始めたそうで、そこから彼との関係がぎくしゃくし出し、他の会社へ変更すると通告されたらしい。

 しかし別の管理会社に変わってからも、林の住む部屋を除く六部屋の内、四部屋は埋まったようだが、残りは埋まらなかったという。そこで林は部屋のすぐ下を自分で借り、その下の部屋は空室のままだったはずだ、と耳打ちしてくれた。

 そうした空室の情報などは、管理会社から外れても不動産同士の横の繋がりである程度把握できるものらしい。

 須依はこれまで推測してきたことを裏付けるかのような事実が出て来たことに驚いた。

「ちょっと待ってください。では最初に家賃滞納で出ていった人以降は、新しく入った住民がクレームを入れたことで、かつての住民が出て行ったことになりますね。三人入って二人出て行ったと。しかも新しく入った三人までもが途中で退去しています。ただ特に問題が無かった部屋の方までもが更新せずマンションを退居したのは、どういう訳ですか?

 手塚さんの書き込みが原因だったのでしょうか」

「それも関係していたと思います。しかしこれは当時林さんの耳には入れませんでしたが、更新しないと通告された時、私はその二つの部屋の住民に対して何があったのか伺いました。すると三〇二号室の方は言葉を濁してはっきりとは言いませんでしたが、書き込みも見たけれど、それ以上に下の部屋の住民が妙に怪しく、気持ち悪いからというのです。四〇三号室の方の言い分では直接の被害は無いけれど、新しい住民達が入ってきてからマンションの雰囲気が変わり、居心地が悪くなったとおっしゃっていました」

「それは妙ですね」

「そうです。それにトラブルの始まりだった家賃滞納の件だって、ご本人が悪い訳ではありません。クレジットカード会社の支払い案内もペーパーレスにしていたのが仇となったのでしょう。仕事が忙しく、日頃から残高確認や引き落とし金額のチェックもしていなかったと聞きました」

「それはどういうことですか?」

「それまで一度も家賃の引き落としが途切れたことも無く、有名な企業に勤めていた人でした。それがクレジットカードを不正利用されて、通帳残高が大幅に減っていたことに気づかなかったから起こったのです」

「そうでしたか。でも一回くらいでは、退居の理由にはなりませんよね」

「もちろんです。その方はその後も続けて詐欺に遭い、会社でもトラブルに巻き込まれてしまったと伺いました。そのために資金繰りがつかなくなり、退居せざるを得なくなったのです」

 保証人となっていた親から未払い分の家賃を回収したことも説明され、相当不運な目に遭ったことが伺い知れた。

「その後に退居した手塚さんも災難でした。今さらですが、新しく入った三〇一号室の人は悪質なクレーマーだったと思います。しかしその内容が林さんと同様の化学芳香アレルギーが元だったので、彼に出て行くように促したのは苦渋の選択でした。それがあんな事件にまで発展するとは、思いもよらなかったのです」

「掲示板への悪質な書き込みですね」

「そうです。あれがなければ、当社も林さんと揉めるようなことは無かったでしょう」

「しかし、あの書き込みは全て手塚さんが書いたものでは無い可能性が出てきています」

「え? 本当ですか? でも裁判では全て認めていましたよね?」

「実はそちらにご連絡差し上げた弁護士さんには、書き込んだのはほんの一部で、最も悪質なものは自分ではないと言っていたようです」

 そこでその経緯も説明し、今その裏付け取材を行っていると告げた。先方は悩んだ挙句、手塚が使用していたパソコンを須依達に預けてくれたのだ。その分析を須依が親しくしている会社に委託済みだったが、確かな証拠はまだ出ていない。

「本当ですか。もしそうなら、彼も被害者かもしれないのですね」

 須依はこれまでの経緯を聞きながら、頭の中にあった筋書と一致し始めたために、思わず口に出した。

「その通りです。もしかすると皆が被害者だったかもしれません。最初に家賃滞納で退去させられた件も気になります。一度調べる価値がありますね」

 中村もその他の上司や弁護士までが当惑したらしく、説明を求められた。

「ど、どういうことですか?」

 そこで簡単に説明すると、横にいた烏森までもが納得したらしく頷きながら呟いた。

「そうなると新しく入居してきた人達の事も追いかけて見た方が良いな。クレームをつけてこれまでの住民を追い出した途端に、自らも姿を消している訳だから」

 ここで中村が疑問を挟んだ。

「しかし須依さんがおっしゃられた推測が正しいとしたら、何のためにそんな手間をかけたのでしょうか?」

「最初は林さんがこれまでの犯罪に関わっていて、その為にマンションを購入したからだと思っていました。しかしお話を聞く限りそうでは無さそうです」

「もちろんです。マンションを購入すると決められてからの林さんは、とても生き生きとしていました。“これからはようやく穏やかな生活ができる。健康な体はお金では買えない。だから改装などで多少費用がかかっても、乱れた心身を整えられるのなら安いものだ。残りの人生をこのマンションで穏やかに過ごせると考えただけで幸せな気持ちになる。それに自分の死後はマンション自体を寄付するつもりだ。奨学金の必要な学生達へ無償、あるいは低家賃で貸すことができれば、社会貢献にもなる。自分の死後に残った資産をマンションの運営資金に充てればいいから”そんなことをおっしゃっていたのです。そんな人が、連続殺人をするためにあのマンションを購入したなんて、絶対に有り得ません」

「そうなるとマンションを購入した後、何らかのことがきっかけとなり、あの犯罪へと結びついたのではないでしょうか。それはもしかすると、今伺ったトラブルと関係しているかもしれません」

「私もまさか林さんがあんな大それた犯罪に加担しているかもしれないなんて、今でも信じられません。しかし立て続けにマンショントラブルが起こってからの彼は、確かに人が変わったかのように、とてもヒステリックだったことは確かです」

「それは当然だと思います。安息の場を求めて購入したマンションで、神経をすり減らすようなことが次々と起こったのですから」

「そうだと思います。ですからなるべく林さんには負担をかけない様、気を使っていたつもりでした。それでも配慮が足らなかったと今は反省しています。良かれと思ってやっていたことが、逆効果だったのでしょう」

「本当にそれらのことがきっかけだったかは、引き続き取材を続けてみないと分かりません。しかしその前にもう一点、伺いたいことがあるのでよろしいですか。今おっしゃった、逆効果になったと言う点と関係するかもしれません」

 ここからの質問は管理会社としても答えにくい事だっただろう。しばらくは口を濁していたが、これはあくまで事件の謎を解くために必要なことだと説得した。

 もちろん会社を糾弾するつもりはなく、記事に書くとしてもあくまで罠にかかった被害者として扱うことを約束した。そこでようやく様々な裏のやり取りを聞くことができたのである。さらには最後になって彼は驚くべき話をし出したのだ。

「実は今まで黙っていましたが、記者さんに今聞かれたことやトラブルの件などでは、ほぼ同じような質問を、最近になって林さんにされました」

「なんですって? それはいつ頃の事ですか?」

「あのマンションで死体が発見されたというニュースが流れる、ほんの一週間ほど前だったと思います。ですからその時は林さんが失踪していたことなど知りませんでした。あのマンションと当社はすでに関係が無くなっています。しかし当時ご迷惑をおかけしたことには間違いありません。ですから急な連絡で驚きましたが、聞かれた通りお答えしました」

「その事は警察に話されましたか?」

「はい。林さんがあのマンションを購入された時の経緯や、どういう方だったかなどを質問された際に伝えました。最後に連絡を取ったのはいつかと聞かれましたので。それとこれも警察の方にはお話ししましたが、あのマンションでは林さんだけ、こっそり特別なことを容認していたのです」

 公にはされていない、新たな話を耳にした須依は身震いがした。それが本当ならば、これまで考えていた共犯者というものの概念が大きく覆る。そして連絡があったこととその内容から、彼が共犯者達に拉致されている見込みは薄まったが、事件に大きく関わっている可能性が高まった。

 有益な情報を手に入れた須依達は、最後にお願いをした。

「最初の住民だった方達の中で連絡先が分かる人がいるなら、取材の依頼が来ていて受ける気があるか、電話を入れて尋ねて貰えませんか。個人情報ですから私達から連絡先を聞くことはできませんよね? ですからお手数をお掛けしますがご協力いただけませんか」

 幸い勤め先の連絡先が残っていたらしい。担当者も須依の推理が本当ならば問題だと考えたらしく、彼は協力することを約束してくれた。

 そうして管理会社からの取材を終えてしばらく経ったある日、中村からあの出来事は仕掛けられたものかもしれないとかつての住民達にコンタクトを取り、説明したとの連絡があった。そのおかげで最初に住んでいた、手塚を除く五名全員の住民達から話をして良いとの承諾が得られたのである。

 そしてこれは予想していたが、前にいた住民の退去後に入居しすぐに出て行った人達とは、全く連絡が付かなかったようだ。連絡先として教わっていた電話番号にかけてみると、全て“現在使われていません”というお決まりの文言が帰って来たという。

 須依達は所在不明の人を追いかけることは後回しにし、五名の方々に取材することから始めた。そしてあのマンションで起こった出来事について話を聞き、つぶさに確認したのである。

 すると人によって所々食い違う部分があったにせよ、話を聞けば聞くほど疑惑は深まっていった。そして須依の推理は確信へと変わっていく。やはり犯人に繋がる者が後ろで糸を引いていた公算が高い。

 そこで連絡がつかなくなった住民だけでなく、新しく契約した管理会社についても調べてみようと試みた。加えてあのマンションと契約し、入居していた人物達についても調査をすすめようとしたのである。しかしやはりそこには大きな壁が立ち塞がった。

 警察の天下り先である管理会社の対応は、取り付く島もなかったのだ。当然だろう。知らなかったとはいえ、自分達が途中から管理し始めたマンションで連続殺人が行われていたのだ。管理会社として何も気づかなかったのか、何をしていたのかと非難を浴びても仕方がない。

 取材を進めれば進める程、この事件は予想もつかないものに繋がっているかもしれないと考えるようになった。そこで須依は取材で得た事実をどう発表していくか迷った。取り扱いを間違えれば、とんでもない誤報として扱われてしまう。人権侵害に当たると潰される可能性もある。

 しかしこのままでは一連の事件が、真実とはかけ離れた形で終結されてしまうかもしれない。いや、そのまま闇に葬られることもあるだろう。

 警察は林が前のマンション管理会社に連絡を入れ、何を聞いたのかも知っている。須依達と同じく、以前のマンションの住民達とも接触していた。

 そこで彼らは林がどういう人物だったのかを聞くとともに、マンションで気になることが無かったかという質問をされている。しかし警察は話を聞いただけで何も言わなかったようだ。

 そこで不安を感じた。須依は捜査本部に情報を流した人物は、林ではないかと考えている。何故なら彼は事件が表沙汰になる前、以前の管理会社の担当者である中村に電話を入れ、須依達と同じく詳細な事情を確認していた。

 そこから推測するに、彼は何らかの理由で事件を起こした主犯格の人物から逃げたのではないか、と考えたのだ。少なくとも事件が表沙汰になり、中村に連絡を入れる以前から逃走していたことは間違いないはずだ。

 そうなると現在無事なのかが心配になる。それなりに時間が経過している為、既に主犯格達に捕まり殺されてしまっていることもあり得た。

 そこで須依は思考を変えた。何故、三間坂の死体は放置されたままだったのだろう。そして逃走したと思われる林がマンションを捜索させる情報を流したとすれば、その理由は何だろうか。

 須依の推理では、主犯格もしくはその仲間が林を陥れるために情報を流したとは考え難かった。もし流すとすればあのタイミングではおかしい。何故なら林に全ての罪を擦り付けるつもりだったならば、彼が逃げ出す前に情報を流すはずだ。

 となると林は主犯格の罠に気付いたか、身の危険を感じて逃げたとも考えられる。だとしたらまだ彼が生きているならば何の狙いがあったのか、次に何を企むだろうかと想像してみた。その時頭の中にある可能性が浮かんだ。

 もしそうだと仮定すると林の狙いは須依達と同じかもしれない。ならば自分達が動くことで主犯格達を炙りだすこともできるだろう。そうなると書く記事の内容は自ずと決まる。

 林が生きているなら、恐らくこちらの情報に食いつくはずだ。そして次なる行動を起こすだろう。そうすれば林だけでなく主犯格達も新たな動きを見せるに違いない。

 疑問は他にもあった。彼らは何故、そしてどのようにして林に狙いを定め、彼を計画に巻き込んだのか。また手塚はともかく、何故山戸、梅ノ木、そして三間坂の順に拉致し、監禁して殺したのか。

 さらに何故最後の三間坂だけが、あのような殺され方をした上で放置されていたのか。林と主犯格の間に何かがあったのだろう。

 殺された三人の共通点を探れば、必ず主犯格に繋がる点が見えるはずだ。須依は烏森にこれまで考えて来た推理を伝え、相談に乗ってもらうことにした。そこでどのような手段が最適かを二人は検討し、新たな行動を起こすことを決め、さらなる取材を開始したのだ。

 その第一弾として、某有名雑誌社に一連の事件の特集記事を書き上げ掲載したのである。

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