第五章

 悪い予感は的中した。今度はヘイトスピーチを行う政治団体の代表、梅ノ木うめのぎ雷太らいたが何者かに拉致されたとの続報が入って来たのだ。

 状況からして山戸の時と同様の手口と警察は見たらしい。連続誘拐事件として山戸の事件を追っていた対策本部が、引き続き捜査を行うとの情報が入った。

 これにはマスコミも再び飛びつき、大きく取り扱った。その為か世論の反応だけでなく彼の所属する政治団体も動いた。敵対する反ヘイトスピーチ団体の仕業ではないかと騒ぎ、大きな衝突を起こしたのである。

 梅ノ木の所属する団体は、言論の自由を楯に好き勝手なことを罵り凄まじい騒音をもたらしてきた。しかも日本における差別意識を必要以上に刺激する危険人物達だ。日本人とそうでない人々の対立を生みだそうとする過激派集団でもある。

 それに反抗する団体も彼らに煽られるように発言や行動が激しくなり、どちらが過激派集団なのかが区別できないほどの状態に陥っていた。その為通常時のデモを行う際にも警察や機動隊が出るほど物々しい状態だった関係が、さらに悪化したのだから質が悪い。 

 代表を失った団体の怒りは激しくなる一方で、反ヘイトスピーチ団体は天罰が下ったのだと大いに喜んだ。それが火に油を注ぐことになって大規模な暴動にまで発展し、死傷者が出て逮捕される者もいた。

 しかし大筋の世論が梅ノ木の誘拐に関して、同情的な捉え方をしなかった。それまでの行動に嫌悪感を抱いていた人々が少なくなかったからだろう。しかも死者を出すほどの暴力的で感情的な行動が、余りにもヒステリックだとマスコミも含めて大いに攻撃したのだ。 

 その為彼の政治団体と協力関係にあった、同様の思想を持つ団体までもが非難を受け始めた。そして暴力団がバックについていることなどが暴露され、またこれまで彼らに同調、または擁護する発言をしてきた政治家達までクローズアップされ始めたのだ。

 おそらくそういった人達は恐怖を感じたのだろう。次に拉致されるのは自分かもしれないと恐れたようだ。そして犯人は誰だと探すうちに、仲間の中に裏切り者がいるのではと疑心暗鬼に陥ったらしい。そうして内部でも新たな対立が生まれたという。

 これだけ大ネタが続きさらに関連する案件が次々と発生したため、須依はこれらの事件に関する仕事に追われる毎日が続いた。そこにさらなる追い討ちがかかる。山戸との時とは少し異なるが、誘拐された梅ノ木が暴露したと思われる情報がネットで晒されたのだ。

 所属する団体に関係する政治家や他の団体、さらには暴力団や財界人達が、梅ノ木達を使って様々な工作を行った経緯などの情報が流れた。またはその際に交わされたのだろう詳細なやり取りも公にされたのである。 

 その内容は明らかに梅ノ木を含めた、特定の人しか知り得ない内容だったらしい。そのためマスコミや警察は、山戸の時と同様にこぞってこれらの裏取りに走ったのだ。

 名前が挙げられた人物達は慌てただろう。さらには彼らが行った不法行為により苦しめられながらも声を上げられなかった人々が、この機会を逃すまいと次々に証言をし始めた。 その為に今まで表に出てこなかった犯罪が、新たに明らかとなったのだ。

 具体的に名前が出された暴力団は、警察による摘発を受けた。次には裏で団体に活動資金を出していたと噂された財界人達がマスコミから叩かれ、税務調査なども開始された。そして山戸の時と同しく官僚や政治家の関与までもが指摘され、彼らは次々と辞任、辞職へと追い込まれていったのである。

 須依達は派生していく事件について追いかけ、毎日のように目まぐるしく動く事態に翻弄されていた。それは他の新聞や雑誌、テレビの記者達も同様だったはずだ。

 事件の元となった誘拐犯は誰か、という推測も各々の媒体で語られてはいる。しかしそれ以上に次は誰が逮捕されるか、そして誰が拉致の対象となるのか、という憶測記事の方がより関心を呼んでいた。

 そうなるとマスコミは大衆が喜ぶネタを提供しようと、過激な新型テロリストの対象となりそうな、国の敵とみなされる人物の名を取り上げだした。そして明らかに法を犯しているはずの誘拐犯を非難する声が小さくなり始めたのである。

 それどころか、陰で天罰が下されるような悪事を働いている輩を成敗しろ、と応援までする人々まで出始めたのだ。

 政界や財界に限らず、あらゆる業界団体のトップ達が繰り返し犯す愚かな行為に国民も辟易していたのだろう。それでも多くの国民は自分の生活を日々過ごすことで必死なため、沈黙してきた人々も少なくなかったはずだ。

 しかしここにきて拉致された人物達の証言や告発により、政治家や官僚、または大企業までもが余りにも腐敗している事実を突き付けられた。そして愚かな言動を繰り返す姿をあからさまに見せつけられたことで、堪忍袋の緒が切れたようだ。堰を切ったように一斉攻撃をし始めたのである。

 元々日本人は昔から時代劇などでも、勧善懲悪を好む傾向があった。よって犯人をまるで英雄扱いしだす人々まで現れたのは、やむを得ない流れだったのかもしれない。

 だが警察としては、決してそのような犯罪者を許せるはずがなかった。威信をかけて新たな被害者が出る前に、何としてでも犯人を逮捕しようと必死に捜査を行っていたようだ。 

 当然上層部からの厳しいお達しもあっただろう。次のターゲットとなりうる大物政治家達からの圧力もあったはずだ。

「その後の捜査の進展は、どうなの?」

 須依は記者クラブでの忙しいデスクワークに追われながらも、隙を見て捜査本部に出入りしている生安の本木を待ち構えて捕まえ、新たな情報を探った。

「申し訳ないですけど、何もお話しできるようなことはありませんよ」

 そう話す彼の声に、嘘は感じられなかった。

「でも山戸と梅ノ木が狙われたことで、何か共通点はみつかったの?」

 この点に関してはマスコミも散々取材を繰り返して、何かあるはずだと探っている。連続誘拐事件であり、世間的に問題があるとされる人物が立て続けに狙われたのだ。それでも過激派やテロリストにとって、憎むべき相手は他にも多数いる。

 それでは何故あの二人が狙われたのか。それは誰もが気になる所だった。何らかの共通点や規則性があれば、次のターゲットをある程度絞ることができる。犯人像も見えてくるはずだ。

 しかし須依達マスコミはもちろん、警察サイドでさえもまだ掴み切れていないらしい。

「私達も探ってはいますけどね。しかし二人の関係からは、これといったものが浮かんできません」

「それは私達も調べているけど同じよ。だったら見方を変えたらどう? 今回の事件に巻き込まれて、多数の社会的実力者達や暴力団関係者が逮捕されたり、社会的制裁を受けたりしているよね。そこに何か関係性があるってことはない?」

「それは捜査本部でも検討されていますし、分析していますけど、」

 言葉を濁す彼に更なる質問をぶつける。

「でも暴力団関係者で被害を受けたのは、梅ノ木の時だけよね。それに企業関係の逮捕者は両方でているけれど業種やグループもばらばらで、特に競合する特定企業やグループ企業はなかった」

「須依さん達マスコミも、色々な推測を立てて取材はしているようですね。その通りです。だからそちらの線は薄いと見ています」

「官僚も両方で関わっていたけれど、省庁も違うし特定の人物やグループを狙っているとは考えにくい。だから残るは政治家だと私は睨んでいるけど、これもはっきりしない」

「そうです。山戸の時にダメージを受けた政治家は、与党の大物議員がメインでした。しかし梅ノ木の事件では、野党議員も関わっていましたからね。それに早く犯人を捕まえろと本部の上層部に迫っているのは、与野党双方からだそうです。どちらかの陰謀という訳でもなさそうだ、と言うのがもっぱらの見方です」

「じゃあ、派閥などの力も働いていないの?」

「それも分析には上がっていましたがご存知の通り、今は昔に比べて与党における派閥の対立はほとんどありません。長期政権が成り立っているのもその影響でしょうから、無理筋だと言う意見が多かったですね」

「でも辞職に追い込まれたり、追及されたりした議員の派閥には、少し偏りがあったように見えるけど。他の傾向と比べれば少しは取っ掛かりにならない?」

「須依さん達も取材済みでしょうが、今回の事件で影響を受けた派閥は与党の最大派閥の城嶋じょうしま派が幹部を含め五名と一番多く、次に多い薬師田やくしだ派も阿刀あとう利通としみちら幹部を含め三名、その他の三つの派閥で二名ずつです」

「そこに関与しなかった弱小派閥が仕掛けた、というシナリオには無理がある?」

「そうでしょうね。可能性が全くないとも言えませんが、多少上の方を切り崩したとしても、仕掛けた派閥の政治家の中で力を持てそうな人物がいるとは思えない、第一政治家がそこまでするのか、と疑問視する声が多いです」

 警察がその点も疑って分析していることは意外だった。そうしたパワーバランスは警察といっても上層部は立派なキャリア官僚である為、アンタッチャブルな世界かと思っていたが、今回に限ってそうではなさそうだ。

 恐らく圧力をかけている政治家達の間でも疑心暗鬼にかかり、そうした情報を自ら提供しているのかもしれない。

「では今回、失脚した人達が多数出たことで得をしたと言える政治家はいない、ってこと?」

「一番痛手を負ったのは城嶋派ですが、薬師田派も幹部を失っていますから、利を得たとは言い難いようです」

「そう。だったら今回の事件は、やはり義憤に駆られた過激派テロリストによるもの、という見方が有力な訳ね」

「漠然としていますし特定もできていませんが、その線が濃厚ではないでしょうか」

 彼がそう口にした時、いつかの時と似た気配を感じた。恐らくこちらへ向かっているようだと須依が耳を澄ましていたら、予想通りの聞き慣れた声がした。

「おい、また油を売りながらマスコミに捜査情報を教えているのか」

 木村が驚いて飛び跳ねるように答えた。

「い、いえ、違います!」

「これは、これは、斎藤警視。丁度いいところに。今回の連続誘拐犯は、政治的過激思想を持ったテロリストなのか、はたまた今回の事件で巻き込まれた政治家達に敵対する人物による犯行なのか、という議論をしていたところです。警視はどう思いわれます?」

 須依がわざとからかうような口調で問いかけたが、彼に冗談は通じなかった。

「何を不謹慎な事を言っている。これは推理小説の犯人当てじゃない。実際に起こっている事件だ。しかも誘拐された二人の安否が確認されていない。少なくとも山戸の方は相当負傷している。もしまだ生きているとすれば、一刻を争う事態だ」

「す、すいません! わ、私はこれで失礼します!」

 本木は飛ぶようにして離れていった。須依は苦虫を噛み潰したような表情をしているらしい彼の顔を想像しながら、敢えて笑顔で答えた。これは視覚障害者の特権だ。

「そんな怒った声を出さないで。それに冗談で推理合戦していた訳じゃないよ。真剣にこれまでの状況を分析しながら、何とか残る線はないかと探っていただけだから」

「過激なテロリストの犯行である可能性はともかく、それがどうして政治家が絡んでいる犯行と二者択一になる」

「別に二者択一だとは言ってないわよ。ただ何も共通点が見つからなくて犯人像が絞れないから、色々可能性を探っていく途中で出ただけじゃない」

 これまで本木と話していた内容を改めて彼に告げ、ここまで至った経緯を説明した。

「なるほど、そういうことか。確かに他の線に比べれば、薄いけれども多少の可能性は残るだろう。だが今のところはその程度だ」

「それは分かっている。だったら他にサイバー課の分析結果で得られた情報はないの?」

「ないよ。あったとしても、記者のお前に言える訳がないだろ」

 即答されたために、須依は頬を膨らませた。

「そんな言い方をしなくても。それにただ情報を得ようとしている訳ではないのよ。そっちも上から相当絞られて、早く犯人を逮捕しないとまずいでしょ。だから同級生として心配しているんじゃないの。それに私達だって事件の取材をしているから、犯人について有益な手掛かりを得たら警察に伝えることだってできる。持ちつ持たれつの関係じゃない」

「じゃあ、何かそっちで掴んだ新しい情報はあるのか」

 そう問われて一瞬言葉に詰まる。そこを彼は見逃さなかった。

「なんだ、ありそうだな。言ってみろ」

「まだ情報として伝えられる段階まで取材が進んでいないから、何とも言えないわ」

「それでもいい。今掴んでいる範囲でいいから、教えてくれ」

「でもこれはそっちでも調べが進んでいると思う。情報は伏せられているようだけど」

「何のことだ?」

「ほら、前に言っていた山戸が拉致された時に使用されたと思われる車から割り出した、行方不明の参考人の件よ。あれから警察でもまだ彼を追っていて、身柄を抑えてはいないでしょ」

「ああ、そうだ。それがどうした? 何かそっちで掴んだのか?」

「多分、こっちが掴んだ情報は警察もすでに把握しているはずよ。マスコミに公表できないだけで。ただ私が目を付けた人物がその人なんじゃないかな、ってところまでは取材で来たけど、そこから事件が立て続けに起きて色んな人達に波及していったから、そっちの取材ができていないの」

 一瞬の沈黙の後、彼は尋ねて来た。

「さっき何か情報を掴んでいそうな顔をしたのは、その参考人に関してか」

「そうよ。でもそれが誰か警察は教えてくれないでしょ。しかもあなたは以前ここで本木さんと一緒に振り込み詐欺の件を話していた時から知っていた。その参考人が失踪していて山戸の事件に関わっていることを、ね」

「何を根拠にそんなことを言う。それに警察が情報を公開しないのは、まだ重要参考人とまで呼べる段階じゃないからだ。下手に報道なんてされたら人権問題になる。誰を追っているかは敢えて聞かないが、しっかりとした確証が得られない限りお前も下手に書いたりするなよ」

「それくらいは、分かっているわよ」

「だったらいい」

 彼はそう言って近くにある自販機でいつも飲んでいる缶コーヒーを購入し、取り出し口から掴んだままその場を離れようとしたようだが、思い出したように尋ねて来た。

「そういえば、サッカーはまだ続けているのか?」

 急な話題の変わりように須依は戸惑い、答えながらその意図を尋ねた。

「続けているよ。でも正確に言えばサッカーじゃなくて、ブラインドサッカーだけどね。でも何で急にそんなことを聞くの?」

「いや、ふと思い出しただけだ。かつては世間を騒がした有名選手だからな。サッカー好きな人達の中には、未だに伝説と化したお前を気にしている物好きがいるらしい。俺の大学時代の同級生だと知っている上の人との会話で、最近お前の話題が出ただけだ」

 そう言い残して遠ざかって行った。須依は見えない彼の背中の気配を感じながら、改めて止まってしまっている取材を再開しようと決めた。

 今回も烏森に拝み倒し、手塚大也という元大学生の実家がある山梨へと向かった。車がないと移動にも不便で初めて行く場所だから、どうしても彼の協力が必要だったからだ。   

 しかし他の取材もたくさん抱えている中での同行依頼だったため、移動中の車内ではかなり愚痴られた。

「このクソ忙しい時に、どうしても行かなきゃならないのか。確かに以前埼玉の保護観察施設に行った時、担当者の対応は怪しかったさ。しかしお前が探している手塚という男が、今回の連続誘拐・監禁事件に関係している参考人だという証拠は何もないだろ」

「ありません。ただ可能性が残っている間は、追う必要があると思います」

「そうかもしれないが、優先順位というものがあるだろ。今は山戸や梅ノ木が名前を挙げた人物達が、本当に罪を犯しているかどうか、どこまで関わっていたのかの裏取りが山ほどある。他社も必死になってそれらを追っているから、先にすっぱ抜かれることだけは避けないと」

「もちろんそれもそうですが、追いかけているものは皆同じです。東朝の記者達も動いていますから、遅かれ早かれ事実は表に出てくるでしょう。それよりまだ誰も目に付けていない人物の特定と行方を掴むことができれば、これほど大きなスクープはありません」

 彼は途中で文句を言うことを諦め、ため息をついた。

「これまでお前は、そうやって多くのスクープを取ってきた。その実績は認める。だから俺もこうして付き合っている訳だからな」

「ありがとうございます。いつも我儘を言ってすみません」

「いや、その我儘に見合う以上の成果を上げているから、文句は言えん。だが警察の追っている参考人が手塚だとしたら、まず山梨にはいないだろ。逃走している人間の関係先、しかも実家をマークするのは基本の“き”だ」

「そうです。だから行くんですよ。まだ参考人を確保したとの警察発表はありません。まだ追っているなら、彼の実家は監視下に置かれているでしょう。もしそうなら、彼が参考人である可能性が高い、ということです」

「なるほど。しかし手塚は別件で行方をくらましているだけかもしれん。保護観察中の人間が行方不明になって家族から失踪届でも出ていれば、警察が追うのも当然だ。そこはどうやって区別する?」

「まず規模でしょう。手塚の犯した罪は微罪ですし、人に危害を加えた訳でもありません。そんな人物の行方が分からなくなったからといって、警察が本腰を入れて探すでしょうか。しかも山梨は警視庁や埼玉県警の管轄外ですから、協力要請をする程度でしょう。山梨県警がそんな要請に、どこまで力を入れるでしょう」

「そうだな。せいぜい定期的な巡回程度だろう。警察も暇じゃないからな」

「はい。しかしそれ以上の監視体制を引いている、もしくは警視庁の刑事自らが訪れているとなれば、参考人だと思って間違いないでしょう。一連の事件の犯人については何も進展がないため、本部も焦っているはずです。その中で彼の身柄を確保できれば、突破口になるかもしれませんからね」

「まずそれを確認する必要があるってわけか」

「はい。実際に実家へ取材を申し入れて、相手の反応をみれば分かるはずです」

「単に保護観察司から逃げただけか、それとも参考人として警察に追われているか。実家の両親なら知っているってことだな」

「参考人として追われている場合、警察は家族に詳細を伝えず監視している可能性もあります。それでも息子の失踪がどのように伝えられているかで、違いが分かるでしょう」

「だがそもそも失踪ではなく、居場所が変わっただけと言うこともあり得るだろう」

「私のカンが外れているなら、そうなるでしょう。だったら別の可能性を探るまでです」

「分かった。違うと確信できるまでは追いかける必要性があるってことか」

「そうです。スクープなんて簡単に取れません。人と違った見方で探る分、空振りも多くなります。それでもめげずに繰り返さなければ、隠された真実には辿り着けません」

「お前が言うと説得力があるな。まあ、向こうに着けば分かることだ。急ごう」

「お願いします」

 高速を飛ばして一般道に入り、そこから一時間ほど山の中に入った場所に目的地がある。烏森の説明によれば、周辺は日本における昔ながらの原風景そのものらしい。一本道を走る間に集落が点在し、段々畑がそこかしこにあるという。

 その中の一つに広大な土地を持つ彼の実家があるはずだ。しかしそこへ行くまでの道中、須依のカンが当たっていたことを示すものを彼は目にした。これには驚きを隠さなかった。

「お前の予想通りだったな。いやそれ以上か。あの覆面パトカーのナンバーは、おそらく警視庁のものだ。地図によれば手塚の実家に辿り着くには山の中を歩かない限り、必ずこの道を通らなければならない。もうすぐ着くが、すでに三台ほど見かけたぞ」

「これで車を停められて職質でもかけられたら、もっと確率が上がるでしょうけど」

「確かにこんな山の中へ、地元ナンバー以外の車が通れば間違いなく怪しまれるだろう」

 そんな会話を続けている間に、手塚の実家へ到着した。田舎にあるとはいえ、広大な敷地の中に建っている大豪邸のようだ。セキュリティの為の防犯カメラも多数設置してあるらしい。門の前に立つまでいつ監視中の警察に声を掛けられるかと身構えていたが、それは無かった。

 大きな門に設置されているインターホンを彼が押す。しばらくして反応があった。

「はい、どちら様ですか」

「東朝新聞社の烏森と言います。今取材をしておりまして、少しお話を伺いたいのですが」

 少し間があった後に聞き返された。

「どういったことでしょう」

「保護観察施設において、適正な管理が行われているかの実態調査についてです。ただ内容が内容ですので、できれば中でご説明をさせていただきたいと思いますが」

 手塚家は広大な敷地を持っているため、隣近所と言っても数百メートルは離れている。それでもインターホン越しに、保護観察処分を受けている息子の話をされては困るでしょうと、彼は暗に伝えたのだ。

「少々お待ちください」

 おそらく出た女性は手塚の母親ではなく、家政婦なのかもしれない。父親か誰かに相談しようとしているのだろうか。そうしている間に、

「ではお入りください」

 と先程と同じ女性の声がしたため、彼と一緒に二人で門をくぐった。彼の右肘を掴みながら歩いたが、玄関までの距離は相当あることが分かった。足元には石畳が敷かれているようだが、永遠に続くのではないかと思ったほど長かったからだ。

 ようやく辿り着いて扉の中へと入ったが、玄関先で立ったまま話が始まった。どうやら応対に出たのは先程の女性とは違う声だ。

「突然申し訳ございません。私、烏森と申します。こちらは同僚の須依です」

 彼が恐らく名刺を渡しながら紹介しているようだったので、須依も自分の名刺を取り出し、前に差し出した。それを彼が代わりに先方へと手渡してくれたようだ。

 おそらく片足が義足の男に加え、白杖を持っている女性記者が来たことに戸惑ったのだろう。彼が簡単に説明してくれていた。それで納得したらしい。そこで彼女は切り出した。

「施設の取材だと伺いましたが、どうして当家にいらっしゃったのですか?」

「ご子息の大也さんは、保護観察付きの執行猶予中でしたね。確か以前住んでいたマンションに対し誹謗中傷した罪で、業務妨害と名誉棄損の判決が出た。間違いないですね」

 母親とみられるその女性が息を飲む気配を感じた。すかさず須依が口を挟む。

「誤解なさらないでください。私達は大也さんがしたことを、今更とやかく言うつもりはありません。知りたいのは保護観察処分を受けた彼が、その後正当な扱いを受けていらっしゃるかどうかです。社会に戻った彼らを更生させ、その後の生活に適応できるよう指導、またはアドバイスを行うのが、保護観察施設に所属する人達の役目だと思うのです。しかし中には、その職務を全うできていないところが多い。その現実について取材しているのですが、その中で施設が大也さんの行動を把握していない、という情報を得たのです。彼は今何をしていてどこにいるのか、お母様はご存知ですか?」

 行方不明だとすれば、それは施設の責任だというニュアンスで尋ねた。すると彼女は我が意を得たとばかりに、勢い良く話しだした。

「そうなんです! 保護司の人がちゃんと見ていないから、あの子は居なくなったんですよ! その上、何かの犯罪に関わっているかのように疑われ、私達も迷惑しているんです! 大也がここへ来るのではないかと毎日警察が周辺で張り込みをしていますし、定期的に連絡は無いかと確認されるんですよ! 警察は酷すぎます! あの子が逮捕された件だって、マンションについての不満などを書き込んだのは事実ですが、罪に問われるほど酷いものでは無かったのに、そうだと決めつけられたんですよ!」

 前半部分は予想通りだったが、後半で聞き捨てならない発言が出たため、問い返した。

「それはどういうことですか? もしかして冤罪だったというのですか?」

 そこで彼女の声は小さくなった。自信がないからだろう。

「え、冤罪だとまでは言えないかもしれませんが、身に覚えのない書き込みまであの子がやったことにされたのは確かです」

「つまり実際やったこと以上の罪を着せられた、ということですか?」

「弁護士の先生はそう言っていました。私達も大也の言うことを信じています。でも警察の捜査が強引だったために、これ以上反抗しても無駄だと言われ、認めたとしても執行猶予が付くからと、渋々納得させられました」

「彼が姿を消した理由は、そこにあるのでしょうか。警察や保護司達への不信感を持っていたことになりますよね」

「不信感は持っていたと思います。でも私達に何も告げず姿を消すなんて、考えられません。大也はそんな子じゃありません。それなのに、また他の犯罪に関わっているかのような疑われ方をするなんて、心外です。私達は何かに巻き込まれて行方不明になった、と思っています」

「警察から、何の事件に関わっている疑いがあるかは聞かれましたか?」

 烏森が質問すると、彼女の戸惑う気配を感じた。

「そ、それは、」

 言い淀んでいる様子から知っていると踏んだ須依は、意識的に穏やかな口調で言った。

「今騒がれている連続誘拐・監禁事件ですね。警察は事件の参考人として大也さんの行方を捜している。しかしお母様は、その事件に巻き込まれた被害者だとお思いなのですね」

「そ、そうです」

 須依のカンが当たった。やはり警察が追っていたのは手塚大也なのだ。そして母親が心配している通り、彼は恐らく巻き込まれたに違いない。

 あの事件を起こした犯人像と取材の中で知った彼とは全く異なる。それに山戸が誘拐された時に残した証拠が、彼に繋がっている時点で須依は怪しいと踏んでいた。

 山戸達を誘拐した犯人は、綿密に計画を練った行動を取っている。よって安易に証拠を残すようなタイプではないと推測できた。現時点で警察が決定的な手がかりを何も掴めていことからそれは明らかだ。ならば手塚は利用されていると考えた方が筋は通る。

 もしかすると彼も同じように誘拐、監禁されたのかもしれない。そして悲しい推測だが、時間の経過からすると、すでに殺されている可能性が高いだろう。

 だがこれで事件の糸口が見つかった。それは手塚だ。彼はこの事件における第一の被害者なのかもしれない。最初に誘拐して監禁し、彼の名義を使ったものを利用して山戸や梅ノ木が誘拐されたのだろう。

 だとすれば、この三人に共通項があるかもしれない。または手塚を手繰れば、必ず犯人に繋がる手掛かりが掴めるはずだ。このネタは今のところ誰も気づいていない。そしてこれこそが事件解決への大きな一歩だと確信した。

 そこで警戒を解いた母親にいくつか質問をしてみた。

「大也さんが入居していたマンションでトラブルが起こり、そこを退去した後書き込みを行ったということですが、その事について何か聞かれたことはありましたか?」

「はい。これは警察でも裁判でも言ったことですが、上に住む住民から芳香剤の匂いがきついから使用するのを止めてくれと苦情が入ったことから、問題が起こったようです」

「裁判記録では、上の住民が化学物質過敏症の体質だったことから、管理会社に医師からの診断書のコピーを提出して抗議されたようですね」

「そのようです。でもあの柔軟剤は、家でいた頃から使っていたものでした。あの子は汗臭くなることを嫌がっていましたから、大学に合格してあのマンションに入居してからも、ずっと同じものを使っていたんです。それも一年以上ですよ。それが急に後から入居してきた住民から匂いがきついと言われて、管理会社だけでなくあのマンションに住んでいる実質の大家さんまで止めてくれと言っていたようでした」

 須依もマンショントラブルについて調べてみたことがある。確かに最近では芳香剤などの「香害」に関する苦情は増えているようだ。それでも騒音とは違って実際には注意することが難しいという。

 なぜなら音の場合は、大きさを示すデシベルという数値を計測することなどで、客観的な立証が可能だ。しかし匂いは余程酷い異臭がしない限り個人差があるため、それだけを理由に注意することは困難らしい。

 だが新しく入って来た住民が科学物質過敏症という診断書を示したために、管理会社も無下にできなかったのだろう。近年国民生活センターなどへの苦情も増加しているらしく、メーカー側も“香りの感じ方には個人差があります。周囲の方にもご配慮のうえお使いください”などと表示しているそうだ。

「それで上階の方と揉めだして、追い出されるような形で退去したようですね」

「はい。大也も今まで何も言われなかったことを急に注意され、個人の嗜好にまで口を挟まれたことが納得いかなかったようです。しかも毎日大量に使っているならともかく、週に一回程度の頻度で適正な量を使っていたのに、そんなことを言われて感情的になったのでしょう。今までは気にならなかったわずかな音も気に障り出したようです。時折どんどんと床を鳴らされたり壁を叩いたりもされたから、叩き返したり怒鳴り返したりしていたと言っていました。それで結局、こちらが悪者になって契約期間の途中でしたが、違約金や本来必要な家賃の支払いを免除する代わりに出て行ってくれないか、と言われたのです」

「それでマンションの管理会社やオーナーに不信感を抱いた大也さんは、退去することを選ばれた」

「私達がそうしろと言いました。大也からこういうことがあって、と報告があったものですから、最初は私達が管理会社に怒鳴り込もうと考えていたんですよ。でも知り合いの弁護士に聞いたところ、騒いでも根本的な解決にはならないと言われました。質の悪いマンションだと割り切りさっさと縁を切った方が良いと忠告されたのでそうしたんです」

「その弁護士さんというのは、大也さんが逮捕された時に弁護された方ですか?」

「そうです。うちとは古い付き合いがあるものですから、お願いしました」

 その後もいくつか質問をして答えて貰った須依達は、頃合いを見て手塚家を後にした。そしてしばらく車を走らせた後、待っていたらしい彼らに停められたのだ。覆面パトカーに乗っていた刑事達が数人降りて道を塞いだらしい。

 止む無く烏森は車を停車させた所、職質を受けた。男の一人が運転席の窓を叩き、ウインドウを下ろした彼に身分証を提示して話しかけてきた。小声で教えてくれたところによると、やはり県警ではなく警視庁のバッヂらしい。耳にイヤホンを装着しているようだ。

「警察ですが、免許証を拝見できますか」

 ある程度予測していた彼は、免許証と一緒に名刺を渡したらしい。

「時間のかかる身分照会なんて必要ありませんし、変な駆け引きも辞めましょう。私達は記者です。連続誘拐・監禁事件について調べています。警察が探していた参考人は手塚大也さんだったようですね。今、お母様にお話を伺っていたところです」

 聞きたかったことを先に話されたため、相手も驚いたようだ。それでも男性は惚けたように話を続けた。

「何か誤解しているようだが、私達は保護観察中にも拘らず、姿を消した彼の行方を捜しているだけだ。それともあの誘拐事件と関係している証拠でもあるのか」

「それは警察の仕事でしょう。私達は私達なりの方法で取材をしているだけです。微罪で執行猶予が付いた若者一人に対して、地元の県警ではなく警視庁の刑事さん達が大勢この周辺を張っている。それだけで何を意味しているか分かりますよ。もうよろしいですか。お互い忙しい身です。知りたいことは分かったはずですから、時間の無駄は省きましょう。もしまだ何かあれば、いつでもご連絡いただければ伺います。そちらの記者クラブに在席していることも多いので、直ぐに捕まると思いますから」

 相手が言葉を詰まらせたため、烏森はエンジンをかけて相手に告げた。

「失礼しますよ」

「ちょっと、待ちなさい」

 まだ話があると言わんばかりに続けようとした時、おそらく刑事達のイヤホンに何か連絡が入ったようだ。しかも内容は緊急らしく、緊張感が伝わって来た。

 刑事達の関心は既に須依達から別の物に移ったらしい。もう行っていいと解釈した烏森は、車をゆっくりと発進させる。それ以上は誰も停止させようとしなかったからだろう。速度を上げて走り出した。

「どうしました? 何かあったみたいですけど」

 ただならぬ空気が漂っていたことは察知したが、様子が分からない須依が尋ねる。

「何か動きがあったようだな。周辺にいた刑事達もイヤホンに手を当てて真剣な顔をして聞いていたから、よっぽど重要な連絡が入ったんだろう。急に慌ただしくなっていたからな。ああ、手塚家に向かう車もいるようだ。いやこっちに向かってくる車両もある」

 恐らくバックミラーで確認をしているのだろう。彼がそう言っている間に、後ろからスピードを出して走行する、車のエンジン音が聞こえた。

「何? 私達を追ってきているの?」

 だがそれは杞憂だった。刑事達が乗った車は、速度を落とした須依達の車をあっという間に追い抜き、そのまま去っていったようだ。しかもその後何台もの車が、同様に走っていった。

「何があったんだ? もう一度手塚家に戻って探ってみるか」

 彼の問いに対して少し考えてみたが、須依は首を横に振った。

「あの周辺にいた車全部が、手塚家に向かっている訳ではないですよね。ほとんどの車両が追い抜いて行ったからには、恐らく本部に戻ろうとしているのか、どこか別の場所に向かったはずです。手塚家に行ってもさっきの様子だと、警察に邪魔されて何も聞けないと思いますよ。それより手塚家周辺のマークが解かれたってことは、彼がどこかで見つかったのかもしれません」

「その可能性は高いな。だったら本部に戻って警察発表を待つか、デスクの方に何か情報が入っていないか確認して動いた方が良さそうだ」

 結局、須依達は警視庁に戻ることになった。というのもデスクに連絡した所、犯人が監禁場所に使用していたと思われるマンションが、都内で発見されたという情報が入ったからだ。しかもそれは犯人の一味らしき人物によるタレコミによって発覚したと言う。

 現場のマンションには既に別の記者達が向かった為、須依達は警視庁へ戻ってさらに詳しい情報を収集しろ、という指示を受けたからだった。

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