エピローグ

 捜査本部が失踪中だった林秀夫の身柄を確保したことと、その後取り調べにより三人の拉致、監禁と殺人を認めたため逮捕したことを発表した。

 さらに四人目を殺し、四件の事件を主導した人物が別にいたこと、それが警視庁のサイバー対策課に所属する田端警視である証拠を掴んだことにより、逮捕したことも告げたのだ。 

 その上公安の捜査員も一連の事件に一部加担していたことも認めた。そして裏には政治家の策略があったことも示唆し、その件については検察の特捜本部と合同で捜査を始めていることも明らかにしたのである。

 それだけではない。捜査本部長である副総監並びに生活安全部長、そして公安部長が揃って会見で深く頭を下げ国民に対し謝罪した。また当然ではあるものの、上層部は揃って責任を取って辞任をし、降格処分を受けることも同時に発表されたのである。

 ちなみに三間坂の取り巻きだった半グレ達も恐喝の疑いで一斉に逮捕された。田端が彼らの事務所のパソコンに侵入した際、自分に都合の悪いデータを消しただけではなく、これまで被害を受けていた人物達のデータを盗み取っていたらしい。

 しかも須依を線路から突き落したり本木達の邪魔をしたりした人物は、そのデータを利用して脅された人達による犯行だと言うことも後に判明した。

 それらを発見した捜査本部では、被害者一人一人に被害届を出すよう説得したようだ。しかしほとんどの人物は事が事だけに渋ったり、そんな事実などないと言い張ったりしたため苦労をしたらしい。

 それでも司法取引を持ち出した所、勇気を出して告発する人間が何人か出てきたのである。二〇一八年の六月から、アメリカなど海外では広く活用されてきた司法取引が日本でも施行された。殺人や傷害など人の命に関しては使えないが、詐欺や横領、買春などの行為については対象となる。

 そこで弱みを握られた人物達の罪を問わない代わりに、犯罪グループの手口などの情報を話すことや、告発に協力させることができたのだ。

 さらに今回のケースでは、摘発した三間坂周辺にいた愚連隊達にも司法取引を持ちかけている。彼らが行った恐喝や詐欺行為における罪を一部のメンバーに対しては免除、または軽くする条件を提示した。

 それによりこれまで行ってきた行為や掴んでいる証拠全てを押収し、情報を提供させることができたのだ。そして田端が握られた弱みに関するような、データとしては残っていなかったものを供述によって得ることにも成功した。

 しかし当初の予想通り、捜査は難航した。特に公安の刑事達は高度な犯罪者を逮捕するために特別訓練されたプロ中のプロだ。逆に言えば、そんな彼らが行った犯罪で物的証拠になるものを残す確率は低いだろうと覚悟していた。実際に取り調べを受けている公安の刑事達は、しばらく黙秘を貫いていたらしい。

 そうなることを予期していたからこそ林と田端を直接対決させて、決定的な自白を引き出そうとしたのである。キャリアである彼なら公安の刑事とは違い、頭が良い分隙が生れるはずだと踏んだのだ。

 しかし対面はさせられなかったものの、違う形で予測は当たった。公安が林を捕えたことがきっかけで、より大きな証拠を掴むことができたのである。そして須依達は田端にそれらを突き付けて厳しい追及をし、一部の真相については語らせることができた。

 実の所田端が真犯人だと言う確証をほぼ掴んだ時点で、事前に斎藤を呼び今回の作戦について相談していたが、最初は一蹴されたのだ。そこで二人は激しく意見をぶつけ合った。

「馬鹿な。本当にそんなことが出来ると思っているのか。あいつはキャリアの警察官だぞ。しかも裏には大物の政治家がいるだろう。そんな奴らが連続殺人事件に関わっていたなんて、警察や検察が簡単に公表すると思うか。国会などで各省庁が行った事案のように、隠蔽されてしまうのが落ちだ」

「そんな奴らがのさばるようになったこの国の現状を、あなた達は黙認すると言うの。林さんは田端に唆されたとはいえ、そんな不甲斐ない国をなんとかしようと、命を賭けてあのような恐ろしい殺人を繰り返してきたのよ。貴方が学生時代から持ち続けて来た正義感というものはその程度だったの? 警視庁に入ってこの国を良くすると言っていた言葉は嘘だった。そうなのね!」

  しばしの沈黙の後、彼は静かに言った。

「例え警察が逮捕したとしても、起訴をするのは検察だ。その後の事まで約束することはできない。それに俺はこの事件で捜査本部の手伝いをしているが、本筋に関わっていない。逮捕その他の流れについて、どのような方針が取られるかに関わることは難しいだろう」

「何を言うの? ここまで証拠が揃いつつあると言うのに、あなたは逃げるの? 今あなたが言ったように、薄汚れた官僚達に隠蔽させるつもり? 本当に警察という組織はそこまで腐ってしまっているの?」

 興奮が収まらない須依に、彼は深く息を吐きながら妥協案を出した。今回の件に関して、一度上と相談させてくれというのだ。そんなことをして事前に潰されないかと危惧した須依は、マスコミとして世論に暴露して騒ぐこともできるのだと詰め寄った。

 それに対し彼はできるだけやってみるが、駄目な時は裏側を暴露して世論に訴えて良いと答えたのだ。

 そう言って別れた後、作戦を決行する前に公安が林の居場所を突き止め、捜査本部に隠れて独自に取り調べをしていたことから、様々な証拠を掴むことができた。

 しかし後に気づいたのだが、それよりもずっと以前に彼は田端を怪しいと睨んでいたようだ。そして林のマンションの存在を知った時点で公安が絡んでいることを知り、公安部長と直接話を通していた形跡があった。

 なぜなら今の公安部長はサッカーが大好きで、その娘さんも社会人の女子サッカー部に入っている為、親子して須依の大ファンだと言う話を昔聞いたことがあったからだ。

 山戸の次に梅ノ木が拉致され政界などが大騒ぎになっていた時、本木と犯人像について話をした。その後彼に手塚を追っていることを匂わせたところ、去り際にこう言ったのだ。

「サッカー好きな人達の中には、未だに伝説と化したお前を気にしている物好きがいるらしい。俺の大学時代の同級生だと知っている上の人との会話で、最近お前の話題が出ただけだ」

 つまりあの時点で、彼は公安部長と話をしていたことになる。彼がそのことを暗に仄めかしてくれたおかげで、須依は途中からこの事件に公安が絡んでいるのでは、と疑うことができたのだ。

 田端達を逮捕した日にその件を確認したところ、彼は苦笑しながら説明してくれた。

「正直、当初公安部長達の頭の中では、早期に揉み消すことを選択肢に入れていたと思う。しかしお前が特集記事を書きだした頃から態度が変わりだした。以前飲んでいた時に聞かされたよ。部長は五十過ぎだが、澤穂希さんの代の女子サッカーに詳しかった。若い時は一時追っかけもしていたらしい。だから日本代表ユースだったお前のことも良く知っていた。そんな人物が記者として探り出した大ネタを、握り潰す真似は出来ないと個人的に思ったのかもしれない。俺とは大学で同級生だったと教え、今でもたまに話す機会があると言ったら、羨ましがられて参ったくらいだからな。サインを貰っておいてくれとせがまれたこともある。酒の場の話だから今までずっとスルーしてきたが、今回の事件が一段落したら本気で催促されるかもしれない。覚悟しておけ」

 須依もこれには嬉しさより恥ずかしさが先行し、苦笑するしかなかった。国民栄誉賞を貰ってバロンドールまで獲得した澤さんなど、自分にとっても雲上人だ。そんな人と一緒に名前を挙げられるだけで申し訳ない。須依が世間に騒がれたことなど僅かな期間であり、もうあれからかなりの年月が経っている。

 さらに斎藤は驚くことを言っていた。

「部長は須依が新聞社を辞めるきっかけになった、あの事件の裏に何があったかをたまたま知っていたらしい。当時もあらゆる裏情報が集まってくる公安にいたからだろう。だからフリーになった今でも、警視庁の記者クラブに出入りしているお前の姿をたまに見かけると、ホッとしたようだ。それに公安が事件を隠蔽しようとしても、お前の性格から考えると必死になって大騒ぎするだろうから、かえってダメージは大きくなる。だったら潔く全てを明らかにして頭を下げよう。それに隠蔽や嘘ばかりで後になって辻褄を合わせようとする姿に、国民もうんざりしているはずだ。正直に謝った方が今の時代の流れからするとプラスに働くだろう。そうおっしゃっていたよ」

 しかしこの話を一緒に聞いていた烏森は、それを疑っていた。

「そんなはずはないでしょう。正直者が馬鹿を見るのが世の常であり、霞が関の常識です。キャリア官僚の公安部長が、本当にそんな事を言ったんですか」

「キャリア出身者が、全て霞が関のルールに縛られているわけじゃない。警察組織の上層部には、そういう人間が一部でもいることは確かだ。それに大部分の警察官は、公務員として国民の公僕となり、日々懸命に働いているんだよ」

 それでも連続殺人事件の犯人が複数犯であったことだけでなく、現職のキャリアや公安までが関係していたことに、世間は騒然となった。

 しかも犯人を逮捕し、解決に向かったと同時に警察幹部が部下の管理責任を率直に認め、処罰まで決定していたことなど前代未聞だ。これには驚きと非難の声が上がった。

 しかし斎藤が言った通り、国や官僚、大企業や公益法人のトップ達が非を認めず言い訳ばかりを口にし、責任逃れをしようとする醜い姿に世間も飽き飽きしていたのだろう。早期に過ちを認め、その後の処分と対応を素早く判断し発表した態度が、潔く清々しく映ったようだ。

 政治家の関与に対して一早く切り込んだことも評価されたらしい。時間が経つにつれて、警視庁の取った態度を称賛する声が上がり始めたのだ。

 当たり前のことが当たり前のように行われない時代において、それが稀有に見えたと言うのも皮肉なものだ。しかしそうした世の中の空気の流れを読み、警察官による悪質な犯罪行為によって受けた大きな傷を最小限に食い止めたことは間違いない。

 これも真実を知った斎藤やその上司の生活安全部長、そして公安部長や副総監までもが処分を受けることを早期に覚悟し、腹を括ったことによる賜物だ。これはそう簡単に決断できるものではない。

 部長職についていた者は、全員階級を一つ落として別の部署の課長職、または部長付となった。斎藤の階級は警視のままだったが、田端の直属の上司としての管理責任を問われ、課長職から次長職へと降格したという。

 ただし部署はこれまでの特殊性が考慮されたらしく、他には移らず失職した田端の後任として、高度情報技術犯罪を束ねる班に留まったそうだ。

 そして事件の背景に政治家の関与があったことがなかなか明らかにならない状況に対し、世論が大きく動いた。もちろん須依達マスコミによる批判記事の効果もあったようだが、警視庁の取った罪を犯した後の態度と雲泥の差があったからだろう。

 特に政治家は選挙区の住民や、所属する党の支持があってこそ大きな顔が出来る人種だ。世間の多くが批判に回れば、地元における支持者もさすがにそっぽを向かざるを得なくなる。そうした状況に苦慮した与党の他の議員達は、掌を返したように態度を変えたのだ。皆自分の身が一番大切だからだろう。

 それに与党最大派閥である城嶋派とそれに次ぐ薬師田派が大きく揺らいだことで、第三の勢力を持っていた派閥が力を発揮した。今回の事件にほとんど関与していなかったため、トップを狙うには良い機会だと捉えたのだろう。被害を受けた他の派閥や野党も巻き込んで、堀川達を攻撃しだしたのだ。

 また同じ城嶋派の議員からも裏切り者だと見放されたため、堀川の周辺にいた議員や秘書達も証言をし始めた。その為逃げ場を失った堀川は職を辞することとなり、ようやく諦めがついたようだ。特捜による強制捜査でもなかなか関与を認めなかった彼だったが、殺人教唆は否認し続けているものの、それ以外の事は少しずつ自白し始めたという。

 こうなると後ろ盾を失った田端が黙秘を貫いていても、次々と証拠は揃っていった。すると協力していた公安刑事達も、これ以上黙っていると自分達の不利になると考えたのだろう。また彼らの家族も世間から迫害を受けたことで、自白を促したことも影響したようだ。少しずつ証言をするものは増え始めたという。

 それでも事件自体の全容が広範囲に渡っていたことから、逮捕した人間達が関わった全ての犯罪に対して立証し、起訴できるまで証拠を揃えて裁判にかけるまでには、相当な時間がかかりそうだ、と斎藤は嘆いていた。

 そんな彼らとは違い、林は逮捕当初から素直に全てを自供していたため、早期に検察へと送られて起訴され、すでに裁判日程も決まっている。

 ちなみに彼が飲み込んだGPS機器は無事取り出すことが出来たらしい。密閉されたビニール袋に入れて口から入れたそうだが、本来無理なところを強引に飲み込んだため、喉や食道に傷がつき胃も荒れていたという。それでもそうした彼の決死の行動が無ければ、ここまで真相が解明されることはなかっただろう。

 彼が身を隠していた場所は、烏森が推測していたように空き別荘の多い地区で偶然発見した場所だったと言う。そこなら彼の過去から手繰っても繋がりがない為、簡単には見つからないと判断して選んだらしい。

 彼は会社を休職していた頃にその場所を訪れたそうだ。当時医者から少し体調が良い時なら、気分転換の為に旅行することも必要だと言われていた。そこで彼は余り遠出にならない程度で、関東近郊のそれほど観光客が集中しないような場所を選び、ふらふらしていたという。

 もしかすると死に場所を探していたのかもしれないが、ただ不甲斐ない自分の心と体に力を与えてくれることを無意識に願っていたのだろう。足は自然と日差しが気持ちよく、風が心地よく感じられ、空気が美味しいと思える場所へと向かっていたそうだ。

 そんな時に彼はその場所に辿り着いて愕然としたという。この豊かなはずの日本で、しかも東京とそれほど離れていない所にこんな場所があるのかと驚いたそうだ。かつては別荘地として売り出そうと多くのモダンな建物を並べたその地は、完全にゴーストタウン化していたらしい。

 バブルの崩壊や人口減少、高齢化などの原因もあったが、一番には周辺で起こった大雨による土砂災害の影響が大きかったようだ。それらの複合した原因により、集落には今やほとんど人が住んでいなかったという。

 それでも何とか売り出そうと、モデルハウスなどを建てて家財道具一式を揃え、ネット環境などのインフラを整えた家もあったらしい。しかも近くには食料だけでなく、書籍や雑貨なども買える道の駅があった。

 初めて見た時は意外な事を知ったと思った程度だったが、後に四国で刑務所から脱走した事件で再び思い出したようだ。結局その囚人は遠く離れた街中へと逃げ込み、周辺住民の通報により捕まった。

 しかし大勢の警察官達による大捜索を受けていたにも関わらず、狭い地域で長い間隠れ住んでいたことが後に判明したことは有名である。驚くことにテレビまで屋根裏部屋に引き込み、連日流れているニュースを見ていたと言うのだから呆れたものだ。

 その時想像したらしい。彼がもしこれほどまでの捜索を受けずにいたならば、さらに長い間潜伏することができただろう。そして以前訪れた千葉のあの場所ならば、逃亡犯と同じ生活が出来るに違いない。上手くいけばテレビだけでなく、無料のネット通信を使って情報を得ることもできるだろう。

 そう思いついた時、興味本位で色々と詳しく調べたそうだ。しかし体調が優れないこともあったため、いつの間にか記憶の奥へと仕舞われていったという。

 だがあの事件で、マンションから逃げなければならないと決断した時に三度(みたび)思い出したそうだ。あの場所なら見つからない。その為最終目的地は千葉だと決めて、途中にいくつかのダミーの逃走経路を経由してから、あの場所へと辿り着いたという。

 しかも彼が以前言っていたように、転勤先で阪神淡路大震災を経験していたことから、非常用の緊急避難道具一式を完璧なほど揃えていた。その中には多額の現金だけでなく、折り畳みの電動式自転車まであったそうだ。

 逃げようと決めた時に急いで身の回りの荷物をまとめ、万全の準備をしてマンションを出て群馬方面に向かったらしい。手塚名義で借りたレンタカーに“相棒”である大型犬と一緒に乗り込み、その道中の山で泣く泣くジョンと名付けた“相棒”を殺して埋めた後、車を乗り捨てたそうだ。

 その犬はマンションを購入した後に、自分を癒してくれる相手が必要だと飼い始めたらしい。防音対策を施していて外には出さないから大丈夫だと考えていたようだが、最初から大型犬にしたのは、きちんと飼育された経験があるからだという。しかし本音はしっかりと抱きしめられる“相棒”を望んでいたからではないかと須依は想像していた。

 その後彼は用意していた電動自転車に荷物を載せて移動し、なるべく防犯カメラのある大きな道路やコンビニがある通り、繁華街の道などを避けながら走ったという。

 さらには最終的な目的地へと辿り着く前、足取りを追ってきた場合に備えて捜査の攪乱の為、偽名を使い現金払いで格安の宿にわざと泊まりもしたらしい。そうして最後の隠れ家へと辿り着くまで様々な仕掛けをし、足跡を残していったそうだ。

 そこまで彼が徹底した逃走劇を繰り広げていたために、警察や田端達はそう簡単に発見できなかったのも頷ける。それでも最終的には林の身柄を確保したのだから、さすがは公安とサイバー犯罪対策課だと言える。

 彼は隠れ家から最寄りにある公衆電話を使い、須依達と連絡を取っていた。しかも長期間に渡っての逃亡生活だったため、食料を確保したり情報を得るためにと須依の書いた雑誌などを購入したりもしている。

 そうした動きをどこかの防犯カメラが捉えていたのだろう。それでも全国どこにいるか分からない中での捜索に苦労したはずだが、あの時がまさに監視の目を潜り抜ける限界だったようだ。

 斎藤からは、その後次々と明らかになっていく捜査の進捗状態を時々確認していたものの、須依自身はこの事件の経過記事を書くことで忙しかった。その上事件解決に深く関わっていたことで、各社から多くの取材依頼が舞い込んでいたのである。

 中にはテレビのワイドショー番組のコメンテーターとして呼ばれ、解説を依頼された。それがまた大きな反響を呼んだ。ただでさえ記者が事件解決に大きく関与していたと言う事実だけでも珍しい。

 それが盲目の女性記者であり、さらに過去元日本女子サッカーユース代表だったことや、テレビ映えする外見が受けたようだ。各局からひっぱりだこになり、また事件とは関係のないことでも取材依頼が殺到した。

 フリーという立場もあって声をかけやすかったのかもしれない。しかしそうなると、一人で何もかもをこなすことが難しくなり、身動きが取れなくなった。

 そこで止む無く烏森の紹介でジャーナリスト達を多く扱っている芸能事務所と業務提携をし、マネージメントをお願いしなければならないまでの事態となったのだ。

 タレントのようにもてはやされ、こんなはずではなかったと須依は嘆いていた。しかしそれを後押ししてくれたのが斎藤であり、烏森だった。彼らは異口同音で言ったのだ。

「本意ではないだろうけど、須依が注目されることで今回の事件が只の連続殺人事件でないことを、世間に知って貰えるじゃないか。事件が起こった背景に人種差別があることや、この国のトップに立つ人間達のモラルの低下が根底にあったと訴えることが出来る。さらには国民の民度の低下を嘆く人々が日本人だけでなく、この国を愛して住んでいる多くの人々の心に闇を落としていた事も伝えられるだろう。その上視覚障害者の女性記者が、健常者に負けない程頑張っている姿を見せることで、様々な人達に勇気や希望を与えることだってある。それら全てを叶えるチャンスだと捉えればいい」

 その励ましに応え、取材は厳選しながらも出来るだけ多く引き受けることにしたのだ。それでも盲目の記者であることや元サッカー選手だったこと、または容姿にだけ焦点を当て、事件に関しては触れないような取材は極力断った。

 しかしそれらのニーズを利用してメディアへの露出を増やし、ブラサカという視覚障害者スポーツの普及活動を行うことができ、少しでも事件の裏にある様々な闇について語る機会があるならば、と積極的に動いたのだ。

 林や田端は裁判が始まれば、死刑を求刑されるだろう。しかしその中で語られない、またはメディアでは大きく扱われないであろう事実を、できるだけ多くの方々に知って貰わなければならない。そして考えるきっかけを作ることが重要だ。

 それがマスコミの使命であり、この国に住む人間としての義務である。そして事件に関わった自分自身に与えられた役割だと思った。

 もちろん一朝一夕に解決するほど簡単な事ではない。だからこそコツコツと、何度も繰り返して秩序や正義とは何か、法治国家とはどうあるべきか、民主主義の問題点や重要な点は何か、を問い続けなければならないのだと思う。

 また日本人として、いや人として何が正しくて何が間違っているのか。他人とどう向き合うことが必要なのかも、一人一人考える必要があった。

 クルトワ人とのハーフとして生まれた林は、日本で生まれ育っている。クルトワ語も喋ることは出来ないという。本当は両親と共に日本で暮らす予定だったらしいが、クルトワの奥地に土地を持つ父方の祖父が急死したことで、状況が変わったらしい。

 林の父がもし日本へ移住したならば、祖父の親戚達が祖母の面倒を看る代わりに土地をよこせと言い出したらしく、止む無く父だけが故郷へと帰ったそうだ。その為日本に住む母親の元で林は育ち、長い間別居生活が続いたという。

 それほど裕福では無い田舎町で育った彼だが、生い立ちにより幼い頃から苛めにあっていた。それでもコツコツと学び育つ中、ほとんどの人はマナーが良くて親切な日本が大好きになっていったという。

 その反動もあって、逆に秩序を乱す一部の人達に対して強い嫌悪感を抱くようになったらしい。それが大人になるにつれて、マナーの悪い常識を逸脱した人達があまりにも増えていると感じたそうだ。

 それでも彼は日本を愛し続けていた。そして祖母が病気で亡くなった頃と時を同じくして、父の持っていた土地をクルトワ政府が開発の為に買い取ったそうだ。聞くところによると有無を言わせぬものだったらしい。

 それでも決して少なくない金銭を受け取った林の父は、ようやく日本へとやってきて母親と生活するようになったそうだ。その時同じような境遇にあったクルトワ人達の勧めで、政府から得たお金を日本の不動産取得に充てたという。

 運用目的でもあったようだが、それだけではなかったらしい。クルトワの相続における法律では、日本にある不動産等であれば日本人の配偶者や子供には、簡単な手続きで取得できるそうだ。

 しかしクルトワにある相続財産に関しては、かなり煩雑な手続きが必要となるらしい。そのことを避けるために、林の父は多くの資産を日本につぎ込んだという。それが両親の突然の事故死により莫大な資産として、林の手に入ったのだ。

 ただクルトワにある相続分も僅かながらあったそうで、実際にかなりの労力と手間がかかると感じた林は途中で放棄したという。両親の死とそうした苦労も重なったことで、精神的に参ってしまったことは間違いないらしい。その上会社での長年蓄積された心労により体調を崩した結果、うつ病と診断されたそうだ。

 そんな彼も公安部や林に目を付けられることが無ければ、疲れた心身を癒しながら静かに暮らしていたかもしれない。ただ日本の行く末を案じながら、マナーに煩いマンションオーナーとして余生を終えただろう。その後残された資産は寄付されて日本の社会に貢献したかもしれないと想像すると、やるせなくなる。

 一方で特捜部の事情聴取に応じ始めた堀川は、殺すことまでは指示しておらず、それは田端が勝手にやったことだと言い続けていた。しかも山戸や梅ノ木をどうにかしろと田端に指示したことは認めたものの、それは単に自分が城嶋派のトップに立ちたかった訳ではないと弁明している。

 山戸の件を筆頭に、多数勢力を維持し続けてきたことから、与党内で権力を持った議員達の腐敗が内部にいる堀川から見ても目に余ったという。それに群がる財界人やさらには反社会勢力もが甘い蜜を吸っていた。そして人事権を握られている官僚も頭が上がらず、政治家の言いなりになっていく。それどころか官僚自らも不正に手を染め始めた状況に、嫌気が差したらしい。

 社会的に模範とならなければならない立場の人間達の行動規範は、余りにも世間の常識とかけ離れ過ぎている。目をキラキラと輝かして将来の日本を背負って立つ子供達の目の前で、堂々と胸を張って説明できる言葉を発しているか。行動をしているだろうか。いや、決してそうではないと堀川は彼なりに秩序と正義を守るため、田端を頼ったのだと主張しているようだ。

 社会が抱えている闇は、個人が抱えている問題が集積したものの表れでもある。それらをどう解決すべきかを、国民一人一人が真剣に考えなければならない時代になっていることも確かだろう。それを少しずつでも克服して現実の厳しさに負けず、理想を追求することから逃げないことが大切だと須依は思った。

 しかし世の中はそう上手くはいかない。日々様々な新しい事件が起こる。また人はそれぞれその日を生きることに精一杯で忙しい。目の前の出来事をこなすことに必死だ。時が経つにつれて多くの事を忘れていく、または頭の中を切り替えなければ生きていけない程、余裕がないのだろう。

 そんな人々に今の日本を、政治を、社会を良くするためにどうすればいいかなど、長い間考えさせることは難しい。一時は関心を持ったとしても、直ぐにまた別の関心事へと心や思考が移ってしまう。

 しかも単に真実を伝えれば良いとは限らない。須依が大物議員の不倫の現場を捉えた時などがそうだ。マスコミとして知ったことを全て明らかにしただけで、社会的責任を果たしたと思うことは奢りであり、間違いだ。

 それでも須依達は訴え続けなければならないことがある。無駄だと罵られようと、もう飽きたと言われてもなお、何度でも何度でも繰り返して主張するのだ。それで例え一人でも多くの人の心を動かすことができれば、次に繋げることが出来る。

 人間は愚かな生きものであり、過ちを何度でも繰り返す。ほんの数百年の間でも争いを止めず、多くの人を殺してきた戦争など最たるものだ。人は多くの事を過去の歴史から学んでいるにも拘らず、同じ失敗を重ねてきた。

 しかし駄目なものは駄目だ、と言い続けなければならない。人がそれを止めて諦めた時こそ、全ては終わる。そうならない為に、敬うべき先人達が行ってきた通りジャーナリストは真実が何か、そしてその裏にある根底の物は何かを明らかにすることが宿命だ。

 その道のりは険しい。それでも須依はこの道を選んだ限り、そして今回の事件に大きく関わった責任を果たす必要があった。亡くなった人や傷ついた人達、そしてこれから罪を償っていく人達の為にも、綺麗ごとばかりは言っていられない。

 メディアでの露出が多くなることで、かつて受けた以上の誹謗中傷、妬みやバッシング、も覚悟しなければならなかった。以前はそれで心が折れたこともある。しかし今回は耐えなければならない。

 それにもう自分はあの頃のような幼い少女ではなく、四十を超えた大人だ。立ち向かうだけの経験や知識、そして精神力もあの頃よりは備えている。さらに多くの仲間がいた。自分一人ではない。志を共にする、または向かう方向が同じ人々と力を合わせることができた。

 目的は一つだ。今自分が生きているこの世界を少しでも生きやすくし、その環境を次の世代にも引き継ぐことである。その為に自分が出来ることはなんでもしよう。

 須依は視力を失った際、最も恐ろしいと感じたのは暗闇の世界だった。しかしぼんやりとでも光を感じられた時には、歓喜したものだ。光とは希望である。光のない暗黒の世界は恐怖しかない。それを救うものは、わずかでも感じられる希望なのだ。それを失うと人間は生きることが困難になる。逆に遠くであってもかすかに希望があると分かれば、人はそれに向かって歩き生きていけるのだ。

 そう感じたからこそ、ぼんやりとしたこの暗い世界の中に見える、小さな光に向かって須依は今日も白杖をついて歩くのだった。             (了)

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盲目女性記者・須江南海の奮闘 しまおか @SHIMAOKA_S

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