第七章

 須依は取材を進め林の人柄とそれまで歩んできた過去を再度調べている内に、いくつか共感する点を見つけていた。転勤で各地を転々と暮らしてきたこともそうだ。

 彼の父は遠く離れた田舎の土地で暮らしていたらしく、別居している母の元で決して裕福でない家庭環境の中、育ったという。そんな生い立ちが影響してか、幼い頃より苛められて育ったようだ。

 そこで周りを見返すためには学歴しかないと信じ、懸命に勉強して一流大学に合格したという。その後一流企業に就職し、コツコツと真面目に働いてようやく課長職を得た矢先、うつ病となって会社を長期休養した挙句、退職している。

 会社での評判は可もなく不可もなく、といった感じだった。しかし皆が口を揃えて言ったことは、口数は少なく穏やかな人だったが真面目で正義感が強い分融通が利かないと言う点。そして仕事のミスに関してはそれほど怒らない人なのに、社会人としてのマナーに関してだけは厳しい人だったという点だった。

 須依は幼い頃それほど苛められずに済んだが、そうならない様周りに気を使って生活をしてきた。そして同じく勉学に励み、一流企業へ入りさあこれからだと言う時に視力を失ったのだ。立場や年齢は違うが、二人共大きな挫折を味わったことでは同じである。

 同情ではない。他にも彼と接したことのある人物達からの話を聞く度に、自分と似ている部分が多いと感じていた。融通が利かない点や正義感が強く、社会人としてのマナーに煩いことなどは特にそうだ。

 さらに取材から得た情報によると、高いハッキング能力を持っていたのは林が多重人格者のような特殊な人間でない限り、別の人物だと推測できた。彼は計画の実行に関わっていたかもしれないが、ネット知識はそれほど高くなかったようだ。

 しかし彼は高学歴者であり一流企業の課長にまでなっている。年齢からしても豊富な知識や優秀な能力を持った人物だと考えて良い。マンションを購入するまでに至る担当者との会話などを聞いた時も、冷静な分析と的確な判断ができて頭は切れる人だと感じていた。

 そう考えると彼は主犯格の追跡を逃れるため、ネットや防犯カメラなどの監視範囲から外れる場所へと避難しているはずだ。警察は転勤族だった彼がこれまで勤務していた場所なら土地勘もあるだろうと考え、その周辺を重点的に探しているという。

 しかしそれを逆手に取る程度の知恵は持っている、と考えた方が良さそうだ。逃亡中にどのような目的で行動しているかは不明だが、彼に不足しているのは何よりも情報だろう。以前の管理会社の担当者に連絡を入れていることからもそれは明らかだ。もしかすると、彼もまた主犯格の情報を集めているのかもしれない。

 もしかすると林は主犯格の人間と面識がなく、どういう人物なのかをほとんど、または何も知らないのではないか。だから逃亡し、自分の身を守ろうとしているのではないか。

 だからこそ彼が例え連続殺人の犯人だとしても、そこに至るまでに何か理由があったに違いなく逃げている彼にその話を聞いてみたいと思った。その為どうにかして力になることは出来ないかと考えたのだ。

 その結果須依達に出来ることは、逃亡している彼に新聞や雑誌などで伝えたい情報を記事にすることだと思い付いた。なぜなら主犯格がネットに詳しいことを知っているはずだ。そうなると居場所がばれる危険を避けるため、安易にパソコンなどを繋いで情報を得ようとはしないだろう。

 しかも彼は五十代であり、アナログな時代を知っている世代だ。ネット無しで情報を得る方法は良く分っているだろう。それは新聞や雑誌などの媒体である。そして須依達は記者であり、そこに情報を乗せることがそれほど難しくない立場にいた。

 そしてなによりもまず、主犯格や警察よりも先に彼と接触を図る必要があった。どこまで彼は知っていて、何を知らないのかをどうしても知りたい。そこでまずはこれまで自分達が取材によって得た情報を、時系列順に記載する手法を試みたのである。

 その媒体として須依は某有名週刊誌を選んだ。大手新聞社に乗せるよりもゴシップまがいのネタを乗せるには最適であり、以前スクープを得た際に恩を売っていた経緯があったからだ。

 それに週刊誌であれば、あらゆる新聞などの広告欄に記事の見出しが掲載される。大手とはいえ、一つの新聞に書くよりも林の目に留まる確率が高い。

 フリー記者であり今までの実績が考慮されたからだろう。須依の希望通り、連載の特集記事を書かせてくれるとの承諾を得ることが出来た。加えて東朝新聞でも不定期で小さなコラム欄ではあったが、一連の記事に関して書く許可を貰ったのだ。

 須依は特集の第一弾として、まず事件が起こったマンションは逃亡中の林が購入したものという切り口から、大衆の野次馬根性の興味をくすぐる視点を装った。どういう経緯で購入され、その後どのような事が起こっていったのか、順を追って物語風に紹介したのだ。

 もちろんその中で彼の生い立ちも綴った。マンションでは不可解なトラブルが続いたことから精神が更に崩壊していったため、狂気的な事件を起こしたのではないかという憶測も載せた。

 だが暗にあくまで単独犯ではなく、何か別の力を借りて動いていたのではないか、共犯者がいるのではないかということを匂わせて書いたのである。

 須依の記事はネットニュースで大きな話題となり、他社も追随して林の過去やマンションで起きた謎を追い始めた。こうなるとマスコミによる大きなうねりが起こり、関心を持った世論も味方して、そう簡単には止められない流れができる。

 計算通りに進んだことを見計らったように、須依は続けて第二弾を放った。それは一連の事件における動機と犯人像に迫ったものだ。

 林の名が挙がるまで、当初この事件を起こした犯人の動機は社会悪の制裁以外にも、ある特定の人物を狙ったものではないかと推測していたことを載せた。そして当初は複数犯の仕業と見られていたはずが、現在は林以外の共犯者がいたとの情報が警察から全くない事に対して疑問を投げかけたのだ。

 さらに共犯者がいたとするならば、憶測としてどういう人物像なのかをいくつかのパターンで提示した。そこで前回の記事と続けて読めば、高いハッキング能力を持ちながら陰に隠れている共犯者がいる事を強く示唆していることが分かるように書いたのである。

 さらに最後はそれが誰かを、須依が把握していると思わせるニュアンスを残して締めくくった。

 これにも他のマスコミや世論は、大きく反応を起こした。だがそこまで突っ込まれると都合が悪い人物達がいたのだろう。政治家が動いたのか、警察自体の判断なのかは分からないが、雑誌社の上層部に圧力がかけられ始めたのだ。

 しかしそれは須依が当初から予想していた展開だった。その為雑誌社に企画を持ち込んだ際から、そうなった場合の対処方を用意していた。それは共犯者とは関わりのない、本筋から外れた別の派閥の政治家達への根回しである。

 今は野党議員だが須依に怪我を負わせたにも拘らず、そのことを表沙汰にさせなかった貸しのある大物議員がいた。さらにその件を利用して与党となり、今や政府の幹部にまで上りつめた議員もいる。

 須依には大きな後悔と引き換えに手に入れた、特殊な伝手があった。それを今回、忸怩たる思いをしながらも最大限に利用させてもらったのだ。

 今回の事件は他の政治家達にとれば、共犯者の目論見により巻き込まれたに過ぎない。その為須依は、その人物達も犯人に対する強い恨みを持っていると読んだ。それを利用し、事件の真相に近づこうとする動きを支援させ、言論を弾圧する動きを封じるよう働きかけたのである。

 かつてに比べれば、政界の派閥の対立は激しくなくなった。しかし今回の事件で幹部を含めかなりの被害を受けた勢力は、これ以上黙っていられなかったのだろう。早く事件の真相を暴き、この騒ぎを収めなければならないと考える勢力を味方につけることができた。 

 そうした須依の作戦が功を奏したらしい。下手に圧力を掛けようとすればその政治家は共犯者と近しいのではないか、と疑われる空気が出来上がったという。

 こうして理不尽な圧力からなんとか逃れた須依達だったが、別の組織が動き出した。そこまで突っ込んだ記事ともなれば、犯人を把握していると捉えられるのも無理はない。

 その為任意ではあったが、須依は警察から呼び出しを受けたのである。しかも取り調べを行った刑事の一人は本木だった。もう一人は女性の刑事だ。

 視覚障害者であることから、須依は記事を書いた雑誌社の同僚や上司ではなく、烏森に同席を依頼した。これも万が一このような事態が起こった際に、と事前に打ち合わせ済みだったことである。警察としても任意での聴取のため、許可せざるを得なかったようだ。

 二人は会議室のような場所に連れて行かれ、パイプ椅子に座らされたところで本木から質問を受けた。

「須依さん。あなたが書かれた記事を拝見すると、まるで林と共に事件を起こした共犯者がいる。それが誰なのかを知っているようにも取れますが、あの記事はあくまで憶測なのですか。それとも本当に取材で得た情報により犯人だという確信を持っていて、明らかにしていないだけなのですか?」

「もちろん取材によって導いた一つの仮説に過ぎません。記事にもそうお断りを入れているはずですが」

「それにしては具体的なことまでお調べになっているようですが、もし共犯者が誰かを知った上で黙っているのなら、犯人隠避の罪に問われますよ」

「そんな事はしていません。それより警察はどこまで調べているのですか? もちろん私が取材した程度の事は、把握していますよね。もしかして林の単独犯だったなんて馬鹿な無理筋を通すつもりじゃないでしょう?」

「こちらの捜査内容や方針について、教えることはできません。第一、林は犯人ではなく、手塚のように拉致されているかもしれないのですよ」

「拉致された可能性はない、と私は確信しています」

 事件が発覚する一週間前に林は以前の管理会社へ連絡を入れ、須依と同じような質問をしていったことからそう結論付けている。警察もそれを把握しているはずだ。しかしそのことは敢えて口にしなかった。

 素直に話そうとしない為、木本は焦れた声で言った。

「あの記事に書かれていない内容で、本来なら警察に伝えなければならない情報をあなたは持っていますよね。それを素直に話してください」

「こちらが取材した内容は話せ、ただし警察の手の内は見せない、では話になりませんね」

 彼や斎藤からはこれまで非公式で様々な情報を聞き出し、その代わりに取材で得たことを伝えるなどして、持ちつ持たれつの関係を保ってきた。しかし他の刑事達がいるこの場でその話を持ち出すことは出来ない。だから皮肉ってやったのだ。

 案の定、彼は言葉を詰まらせ困っているように感じられた。すると女性刑事が横から口を挟んだ。声からは誰かは分からず、聞いたことがないために知らない人物だろう。

「ここで司法取引でもするおつもりですか」

 二〇一八年の六月から、日本でも司法取引制度が始まった。しかしそれは薬の取引や詐欺などの罪を犯した人間が、関連する他の犯人に繋がる情報などを教えれば起訴をしなかったり、罪を軽くしたりする場合のものだ。

 それに今回の事件のような殺人など人を傷つけたケースには適用されない。だから須依は言ってやった。

「まるで私が犯罪者かのような言い方をされていますが、口の利き方に気を付けてください。任意で話を聞きたいと言うから私はここに来ました。しかも何かの容疑がかかっている訳でもないでしょう。そういう態度を取るならこれで失礼します。そしてここで警察にどのような扱いをされたかを、しっかり記事に書かせていただきます」

 そこで椅子から腰を上げようとしたために、本木が慌てて止めに入った。

「す、須依さん。ちょっと待ってください。そういうつもりで言ったのではありません。少し言葉が過ぎたようです。申し訳ありません。ただこちらとしても是非捜査にご協力をいただきたいのです。ただもし裏取りをされていないことまで記事にして、いたずらに世論を煽り我々の捜査に悪い影響を与えているのならば止めていただきたい、そう申し上げたかっただけです」

 彼は先程話した刑事よりも立場が上らしく、注意をした上でそう告げた。それに免じて立ち上がることを止めたが、ふくれ面のままで答えた。

「具体的に何を知りたいのですか。変な駆け引きをしないで、率直に質問してください。ただし全てにお応えできるかどうかは分かりません」

「ではお聞きします。須依さんの記事によれば、林以外に共犯者が間違いなくいるという前提で書かれています。その根拠を教えてください」

「それは簡単です。事件の流れから考えて、単独での実行はほぼ不可能でしょう。しかも共犯者の中には、ハッキング能力に長けた人物がいることは間違いありません」

「そう言い切るのは何故ですか?」

「今回の事件では、その能力無くしての実行は不可能だからです。拉致するまでの情報収集から、拉致時における防犯カメラへの細工、監禁後の告白の場面をネットに流したことなどから分かります。ネットに関して優れた知識を持っていなければ、とっくの昔に警察は逮捕しているでしょう。それが未だに捕まっていないことが、何よりの証拠です」

「なるほど。しかし林がその能力を持っていたとすれば、単独でも可能です」

「警察では彼が高いハッキング能力を持っていた、という証拠でも掴んだのですか? 違いますよね。だったら別に共犯者がいると考えるのが自然でしょう。しかも複数である公算が高い」

 一瞬彼の戸惑っている気配が感じられた。それで須依はこれまで立てていた推理の一つが正しかったことを確信した。やはり警察でも、林がハッカーではないことを把握しているようだ。

 気持ちを立て直したらしい彼は、質問を続けた。

「私達がどういう捜査をしているかはお答えできませんが、仮に共犯者がいるとして、何故複数いると思われるのですか?」

「先程と同じように、そう考えれば辻褄が合うからです。複数と言っても中心人物が一人いて、その周辺に協力者が何人かいると言った方が正しいでしょう。それにもしかすると、林はその共犯者達のことをほとんど知らなかったのかもしれません」

 須依の推測には、さすがに彼も驚いたようだ。

「え? 共犯なのに知らない? それに辻褄が合うとはどういうことですか?」

「警察でも把握されているでしょうが、彼は精神を病んで退職しています。ですから基本的には心と体を休めることが必要だからとあのマンションを購入し、その一室を借りて引き籠っていました。何度も外出を繰り返し、拉致した人物の情報収集をしていたとは思えません。違いますか?」

「た、確かに体調を崩していたままだったとすれば、難しいでしょう」

「被害者の中でも手塚という人物は別にして、山戸や梅ノ木、そして三田坂に関しては、居場所を把握することすら困難です。ちょっとやそっと調べたぐらいでは不可能な事を、私達は取材してみて痛感しました。特に四人目の被害者である三間坂などは、半グレ達が取り巻きをしています。そんな状態の中にいる人間を、たった一人で歩き回って情報収集し、さらに拉致することなどまずできないでしょう」

「ではお聞きしますが須依さんは、どうやって情報収集していたとお考えですか?」

「ネットで複数の人物達から情報を集めたとすれば、話は別です。恐らく警察もそのような形跡があったことくらいは、掴んでいますよね。それに先程木本さんは、林がハッキング能力を持っていたならば単独犯でも可能だとおっしゃいました。ではスタンガンで気絶させた人間を、林さんはお一人で拉致した場所からマンションへと運ばれた、と警察はお考えなのでしょうか? 違いますよね?」

 彼を睨むようにして尋ね返すと、彼は怯んでいた。

「そ、それにはお答えできません。あ、あと林が共犯者のことを良く知らない、という推測は余りにも飛躍しすぎではないですか?」

「やはり林がネットにより複数の人物と接触し、情報収集していた事は把握しているようですね。それでも未だに事件関係者として、林以外の名が挙がってこないと言うことは、その情報提供者達の誰とも接触できていない、または隠している。そうですね?」

「すみません。質問しているのはこちらです。何故よく知らないと、」

 そこで彼は話しながら気づいたらしく、言葉を切った。

「そうです。優秀な警察のサイバー犯罪対策課ですら追えていない。そんな相手と林は連絡を取り、情報を得ていた。ということは林でさえも彼らと会うことはなかった可能性が高い。そう思いませんか。それは林が望んだのか、情報提供者がそう仕向けたのかは分かりませんが、連続誘拐、そして殺人に繋がる事件です。接点は極力少ない方が良い。もちろんお互い、身元を明らかにする行為をしていたとは思えません」

「でも共犯者なら構わないでしょう」

「その共犯者、という括りが曲者なのです。事件を起こすことに共感し、互いに信頼関係が成り立っている相手ならいいでしょう。しかし私達が取材する中で浮かんできた共犯者像は、全く違います。林の共犯者となった人達は、情報提供をするなどで協力していたことは確かでしょう。しかし実際は林に罪を犯すよう仕向け、裏で操っていたのではないでしょうか。つまり今回の事件における真の首謀者は林ではなく、共犯者とされる人物だと睨んでいます。だから誰なのか知らないこともあり得ると考えています」

「共犯者が、首謀者?」

「そうです。ただ厄介な事に、その首謀者は大きな力を持っているようです。それこそ国家権力に匹敵するようなレベルで。そのことに気付いたから、林は逃げたのかもしれません。最悪の場合、すでに彼は首謀者の手にかかり殺されていることもありえます」

 須依の余りにも突飛な推測に絶句したようで、本木はしばらく黙った。その為にこちらから突いてみた。

「警察ではその筋を疑った捜査をしていないようですね。それとも上からの圧力か何かがかかって、動けないとか。もしそうであるならば、ますます私の読んだ筋が真実に近い事を証明しているようなものです。もし本気で事件を解決したいとお思いなら、今言った側面からも、調べて見てはいかがでしょうか。それとも上の言うことには、逆らえませんか」

 須依の挑発に女性刑事が反応し、机を叩いて大きな音を出した。

「黙って聞いていれば好き勝手な事を言って! 警察を馬鹿にしたその態度は何ですか!」

 余りの剣幕に、横にいた本木が注意した。烏森も抗議をする。

「ちょっと待ちなさい。これは取り調べじゃない」

「そうですよ。余りにも乱暴な態度を取るようであれば、これ以上聴取には協力できませんから帰らせていただきます」 

 しかし須依はその刑事がいる方向に顔を向け、睨め付けるようにして詰問した。

「もしかして図星ですか。私達は記事の通り、あのマンションで起こった様々なトラブルと林さんの経歴に目を付けました。その事と一連の事件との間に関係性があると考えたからです。なぜなら以前から住んでいた住民が出て行き、管理会社がその後変更されました。それがどこだかはもちろんご存知ですよね? これはどういったことでしょうか? 偶然なのでしょうか。どう思われます?」

 明らかに相手が動揺していることが伺えた。本木も同様だ。さらに言葉を重ねた。

「私がここへ呼ばれたのは、そこに注目し始めたからではありませんか? 私がどこまで知っているのかを探るために、そしてこれ以上共犯者に対して深入りするな、と忠告するために呼んだのではないのですか?」

 彼がすかさず否定した。

「違いますよ。ただ共犯者がいて事件に関わっているという物証などはでていません。ですからいくら憶測とはいえ、そのような記事を書くと名誉棄損や業務妨害に当たる可能性があるので、その点はご注意ください」

「それはどなたからの指示で、そう告げるように言われたのですか?」

 須依の質問に彼は一瞬言葉が詰まったようだが、平静を装って答えた。

「誰からの指示でもありません。ただ刑事の一人として一般論を申し上げたまでです」

「つまり本木さんお一人の御意見と言うことですか?」

「い、いえ、そういう意見は捜査本部にいる他の刑事からも上がっています。ただ私も同じくそう思っていたので、今こうしてご忠告申し上げただけです」

「そういう声が捜査本部から上がっているけれど、そこからの指示で言わされたのではない、ということですか」

「そういうことです」

 しかし彼の言葉が嘘だと言うことは、その口調から須依にはすぐに分かった。その上で彼に答えた。

「それならば、ご意見の一つとして伺っておきます。それに今の段階ではこれ以上詳細に記事を書くつもりはありませんので、ご安心ください。そちらが言うように、まだ明らかな確証までは得ていませんから。それに下手に突っつくと、本当に逮捕されかねませんからね。ただし取材は今まで通り、続けさせていただきます。それを規制することはできないでしょう」

「須依さん、それはちょっと待ってください」

 彼は困り果てたような声を出した。その為、少し譲歩しながら提案した。

「警察に喧嘩を売ろうとか、立てつこうと思っている訳ではありません。あくまで私達が知りたいのは、一連の事件における真実です。単に推理小説のような、犯人は誰だと大衆の関心を煽っているだけの記事でないことはご理解ください。特集で記載するものは、あくまで取材中に浮かんできた疑問点であり、それをできるだけ明らかにするだけです。それが必ず事件解決に結びつくと信じています。ですから警察から依頼があれば、もちろん協力をいたします」

「そうですか。そう言っていただけると助かります」

 彼は恐らく捜査本部からの圧力もあり、須依の身を案じてくれていたのだろう。心の底から安堵するような声が漏れた。ただそれで話を終わらせるわけにはいかないため、言葉を続けた。

「勘違いしないでくださいよ。あくまで事件を解決するための捜査には、情報提供します。ただしそちらが掴んでいる捜査情報もある程度は頂かないと。それに事実を隠蔽または捻じ曲げようとする記事は書けません。それはご了承ください」

 須依の言葉を宣戦布告と受けたのか、それともある程度は警察に協力する態度を取ったと捉えたかは不明だが、その後も話は続いた。本木はこちらがどのような取材をして情報を得たかなどを質問し、それに対して話せる範囲で答えた。

 その上でこちらからも須依達が掴んだ情報に対し、警察がどこまで把握しているか、またはそれ以上の情報があるのかを訪ねた。彼は答えられると判断できる内容は話してくれたが、当然今後の捜査に差し触りがあると思われる部分に関しては言葉を濁した。

 そうして数時間にわたる聴取がようやく終わると、須依達は解放されて記者クラブへ戻ることができたのだ。しかし帰る途中で本木が後を追いかけてきて、烏森にこっそりとメモを渡し去っていったらしい。その内容を読んだ彼は須依に耳打ちした。

「彼が別途、須依と二人で話がしたいらしい。一時間後、場所はいつもの所で、と書いてある。しかもご丁寧に読後はメモを破棄してくれ、だと」

「多分、あの場で言えなかったことがあったからでしょう。私もそうだったから丁度良かった。彼は信頼できるし、今後の事で協力してもらいたいこともありますし」

「大丈夫か? これまでの彼は信用出来たかもしれないが、これからもそうだとは限らない。裏で厄介な人物が絡んでいるかもしれない案件だ。彼だってそんな状態で協力してくれるとは思えない。しかも須依と親しい分、それを利用して探るつもりかもしれない」

「もちろんあり得るとは思っています。それでも取り敢えず話はしてみないと」

「だったら俺も行くよ」

「烏森さんは私達から見えない離れた場所で、周辺の様子を見ていてもらっていいですか。他の刑事達がいるかどうかを監視して貰えると助かります。遠くにいる人だと私には見えませんし、気配も感じ取れないでしょうから」

「なるほど。分かった。そうしよう。後は盗聴に気を付けろよ。相手がマイクか何かを忍ばせているかもしれん」

「それは向こうも同じでしょう。レコーダーで記録されては困るでしょうから、相互チェックはさせてもらいます」

「おいおい、お前の体を触らせると言うのかよ」

「それぐらい、いいですよ。彼がおかしなことをするとは思えませんから」

「ま、まあそうだな」

「では行きましょう。ああ、メモはシュレッダーしてくださいね」

「分かった」

 記者クラブに一旦戻り、メモを処理してから机に置いてあった鞄から機械を取り出す。そして手持ちのバッグに入れてから、二人は時間差で廊下へと出た。

 場所を知っている烏森は、相当距離を取って後から来る予定だ。須依は白杖を突きながら、良く行くいつもの自販機へと向かった。

 待ち合わせ場所に着いたが彼はまだ居なかったため、先に飲み物を購入して丸テーブルに置いた。そしてバッグから取り出した盗聴探査機の電源を入れる。念のため手探りでテーブルの下も確認したが、何も見つからなかった。探査機も反応を見せない。

 さすがに短時間で盗聴器を仕掛ける時間はなかったようだ。しかもここは警視庁内だ。下手にそんなものを仕掛けてあると分かれば、他の刑事から苦情が来るだろう。

 だから設置したとしても、ごく限られた時間しかセットできないとは思っていた。本木がこの場所を指定したのもそうした理由からだと推測できたが、念には念を入れたまでだ。

 しばらくすると、こちらに向かって歩いてくる、聞きなれた彼の足音が聞こえた。他の音は聞こえないため、一人のようだ。それに先程から耳を済ませてはいるが、烏森の気配も感じない。つまりそれぐらい離れた場所にいるということだろう。

「お待たせしました」

「大丈夫ですよ。念のため、この周辺に盗聴器がないかは探らせて頂きました」

 テーブルの上に電源を入れたままの探査機を出して本木に見せる。彼は驚いていた。

「そんなことまでされたのですか?」

「あとここでの会話を録音したり盗聴したりする機器は持っていないから、好きなようにボディチェックで確認して。その代わりあなたも、その手のものを身に着けていないかは確認させてもらうわ」

 彼がかなりテーブルに身を乗り出すほど近づいていることは察知している。それでも出した探査機に反応がない所を見ると、盗聴器は身に着けていなさそうだ。

「私から先に確認させてもらうわね」

「え、ちょっと、」

 戸惑っている彼を無視し、須依は躊躇なく接近して彼の背広に手を伸ばした。胸ポケットから内側のポケット、さらにはスラックスのお尻のポケットや股間部に近い前部まで擦るように探る。

 しかしハンカチや手帳の感触以外に、特段気になる物を持っていないことは分かった。

「大丈夫みたいね。じゃあ、今度はあなたがチェックして」

「いえ、いえ、女性の体に触るなんてできません。それに僕は須依さんを信じていますから。何事にもフェアなあなたなら、確認する必要もありません。そうですよね」

「確かに持っていないし、信用してくれるのはうれしいけど。でもいいの?」

「何が、です?」

「私の体を堂々と触る折角のチャンスを逃すことになるわよ」

「な、なにを言っているんですか! そ、そんな、卑怯なことはしませんよ! からかわないでください!」

「あなたがそう言うだろうと思って、隠し持っているかもよ」

「それならそれで構いません。それに、こちらから聞かれてまずい話はありません」

「何? 私から情報を得るだけのつもりなの?」

「そういうことではありません。私より須依さんの持っている情報の方がまずくないですか?」

「どういう意味?」

「上の方が相当気にしているようで、須依さんをマークしているみたいですから」

「ああ。もしかして厄介な部署が動いているとか?」

「え? 何故そんな事を?」

「やっぱり動いているんだ」

「い、いえ、確かな情報ではありませんけど、そういう噂が耳に入ってきたものですから。須依さんが相当危ない取材をしているのではないかと心配しています」

「取材自体は違法な事なんかしていないから大丈夫。ただある人達にとって、探られたくない部分に触れちゃったからじゃないかな」

「なんですかそれは?」

 須依は小声で耳打ちして伝えると、聞き終えた彼は真剣に驚いていた。

「本当ですか、それは」

「本当かどうかは、あなたの方でも調べて見れば分かるんじゃない。いや調べられないか。手を出そうとすれば、上からストップがかかるでしょうから」

「いえ、実は実際かかっています。でもそれは一連の事件とは関係がないということで、納得していましたが、違うようですね」

「あなたが私をここへ呼び出したのは、どういう話がしたかったからなの?」

「最初は目を付けられていることを忠告しようしていただけでしたが、今の話が本当だとすれば話は変わってきますね」

「分かってくれた? 私達の取材から得た推理としてはね」

 ここでもう一度耳打ちして伝えると、彼は唸った。

「にわかには信じがたいですが、確かに須依さん達の話からすれば筋が通ります。しかしそうだとすると、私達は今後どうやって動けばいいのですか。このままだと最悪、被疑者死亡で真実が闇に葬られるかもしれません」

「そこでお願いがあるの。あなたの周りで口が堅くて正義感が強く、信頼できる刑事でチームを作ることはできる? 余り多すぎると情報漏れの危険があるから三、四人位でいいけど」

「それなら何とかいますが、捜査となると難しいかもしれません。でも何をする気ですか」

「私達を守って欲しいの。確かに上の人間や他の部署の刑事を敵に回しての捜査は難しいでしょうけど、私達を守ることは出来るでしょう。違法な形で拉致、監禁しようとする輩から守って欲しい。それならできるでしょ。それが事件解決に繋がるのなら尚更よ」

「なるほど。須依さん達が調べることを邪魔させなければいい、ということですね」

「そう。何かあっても違法な取材をしていないかを探っていたと言えば、あなた達も言い訳が立つでしょうし」

「分かりました。そういう形でなら協力できると思います」

「お願いね。この事件を解決するには、あなた達の力なくしてはできないから」

「逆に申し訳ないです。でもそれが一番いい方法ならばしょうがありません」

 須依は彼と固く握手をし、そしてその場を離れた。さあ、後は相手がどう出るか。そして林がまだ生きているとすれば、どう動くかが今後の展開を左右するだろう。

 偶然が一つ起こることはあっても二つ、三つと重なれば、それは偶然にみせかけた必然の出来事だ。何らかの意図があるとみて間違いない。

 以前生安の本木と話をした際、山戸と梅ノ木の件で、影響を受けた政治家の派閥は、与党の中でも最大派閥の城嶋派が幹部を含め五名、次に薬師田派が幹部を含め三名、その他の三つの派閥で二名ずつだと言っていた。

 その後に三間坂が殺されたことが判明したことで様相は変わった。彼女は政治家を含め、関係を持った男を脅迫していた女だ。バックには半グレ達がついており、反社会的な人間の部類には入るだろう。

 しかし前の二人とは質が違い過ぎる。これまでは社会に害をなす人間を痛めつけ、そこに絡むハイエナ達をも引きずり出し、社会的制裁を加える意図が感じられた。

 だが彼女の場合は単に痛めつけて殺しただけで、今の所は何かが暴露された訳ではない。もちろんこれまでと同じく殺す前に、彼女が持っている何らかの秘密などを聞き出していることも有り得る。

 ならば彼女が告白しているところを録音や撮影したものが、どこかにあるはずだ。しかしマンションの捜索でそのようなものが発見された気配は本木との会話では感じられなかった。それならば林が持って逃げているのか、それとも主犯格が所持しているのか。

 ただ彼女が拉致されその死が明らかになってから、相当な日数が経過している。山戸や梅ノ木の場合と照らし合わせば、犯人の手の中にあればとっくにマスコミなどへ流出していてもおかしくない頃だ。それが未だに何もないことと、林が逃げていることと関係しているのだろうか。

 須依はそう思わなかった。犯人はこれまで彼女に脅されたことがあるか、脅されているかしたのだろう。その憎しみがあったからこそ復讐または口封じの為に顔が潰れる程殴り、そして殺したのではないか。そう考えた方が辻褄は合う。

 これまでにも決して少なくない数の政治家が彼女達の被害に合い、ネットで晒されて辞職に追い込まれたと聞いている。そこで彼女に弱みを握られたことがあり、痛い目に遭った政治家は誰か、または表に出ていないが現在恐喝を受けている可能性のある人物はいないかと調べて見た。

 そんな中で驚くことに須依の知る経歴を持った人物の名が、うっすらと浮かび出て来たのである。これにはさすがの烏森も言葉を失っていた。

 その時一連の事件において、あるストーリーが頭に浮かんだ。そしてこれは主犯格の人間によりいくつかの要素をカモフラージュする為に起こされたものと確信したのである。

 須依の推理通りだとすれば、恐らく主犯格は林に全ての罪を被らせるつもりだったことは間違いなさそうだ。林がどこに隠れ、どのように逃げているかにもよるが、このままだといずれ彼は捕まるだろう。そうなれば真実が闇に葬られてしまうに違いない。須依は林の立場になって考えた。自分ならどうするだろうか。

 先を見誤らなければ光は見えてくるはずだ。そう信じて次の取材へと取り掛かる決心をした。これまで得た情報を裏付けるためにも、あの人物に事件と関わる動機があったことを明らかにしなければならない。そこで須依は半グレ達に取材を申し込むことを烏森に提案してみたのだ。

「本気か? 奴らが取材を受けるかどうか分からないが、気を付けろ。今はまだ殺気立っているだろうから、下手に刺激すると怪我をするぞ」

「そこは大丈夫でしょう。私達には他にも強い味方がいますから」

「味方? ああ、なるほど。本木達へ事前に連絡を入れておくわけか」

「はい。そうすれば何かあっても最悪の事態は避けられるでしょう。捜査本部でも彼らが暴発しないか、警戒しているはずでしょうから」

 そこで携帯から本木に連絡を取り、これから行く先と目的を告げた後、烏森の車で半グレ達が拠点としているビルへと向かった。脅迫などで得た資金で購入したのか、それとも脅し取ったのかは知らないが、普段彼らは都内のビルに集まっていることは調査済みだ。

 烏森の説明では建物の窓は全て塞がれ、頑丈に作られた扉の周辺には防犯カメラがいくつも設置してあるらしい。まるで暴力団事務所か怪しげな新興宗教が籠っているかのような、物々しい雰囲気を醸し出していることは須依も感じた。

 周辺には刑事達が見張っているらしき車両もあるようだ。これは本木達ではなく三間坂が殺された件で奴らが暴走しないよう、別途監視されているのかもしれない。そちら側の警察もいるのなら、乱暴な扱いを受ける確率は低くなる。

 それに彼らにとって須依達が交換条件としてもたらす情報は、とても重要なはずだ。感謝されることはあっても、敵視されることはないだろう。

 そうはいっても相手は暴力団とさえ対立するような奴らだ。反社会的勢力であることには変わりない。その為マスコミに対しても厳しい態度を示すだろう。

 それが分かっているからか、須依に肩を貸して前を進む烏森からは、緊張感が伝わって来た。それもやむを得ない。それだけ危ない場所に足を踏み入れているのだ。

 一呼吸置いてから烏森がインターホンを押す。しばらくして反応があった。

「どちらさんですか」

 ドスの利いた声に対し、烏森が答えた。

「東朝新聞社の者ですが、三間坂さんが殺された件でお話させていただきたいと思い伺いました」

 そこまで言うと、彼は続けて小声で囁いた。

「ただの取材ではありません。こちらからも、そちらにとって知りたい情報をお伝えできると思います。後ろにいるのは須依という同僚の記者です」

 そう伝え、須依が一連の事件について特集を書いた雑誌名とその内容を告げたのだ。彼らがあの雑誌を読んでいる見込みは高い。三間坂を殺した犯人を知りたがっているのは、彼らも同じだからだ。

 その為有益な情報はできるだけ入手しようと考えるだろう。ならば須依の記事に興味を持っているはずだ。そう考えて彼はそのことを口にしたのである。

 犯罪者集団である彼らは、普通のマスコミが取材として訪れただけだと応じてくれない。なんらかの得があると思わなければ門前払いになる。逆に必要な情報を与えると伝えたなら、必ず興味を示し合ってくれると確信していた。

 その目論見は当たった。少し間を置いてから、別の人物の声が聞こえた。

「分かった。二人だけだな。今鍵を開けるから待っていろ」

 ガチャガチャと大きな音の後、扉が開いて再び低い声がした。

「早く中に入れ」

 指示に従い、烏森が前に進みながら段差があるから気を付けろ、と声をかけてくれた。須依は置いて行かれない様、慌てて彼の肩を強く掴む。そしてつまづかない様足元に気を付けて中に入った。すぐ後ろのドアが閉められた音がする。

「こっちだ」

 周囲には数人の視線を感じた。その間を通り、先導する男の指示通りに前へ進む。そしてエレベーターに乗ったらしく、その場に足を止めたかと思うと急に足元がせり上がっていくのが分かった。

 確か外観から五階建てのビルだと烏森が言っていた気がする。恐らくその最上階に辿り着いたようだ。

「降りろ」

 同じエレベーターに須依達の他は三人ほど乗っていたと思う。その人達に取り囲まれながら前に進み、しばらくして止まった。

「そこへ座れ」

 また別の男の声がした。烏森が小声で教えてくれたのは、そこに長いソファがあることだ。手探りで座る場所を確認した後、須依はゆっくりと腰を下ろした。それを見届けたからか、その後すぐ横に彼が座ったようだ。

「その女は目が見えないのか」

 真正面から初めて耳にする声がした。同じく座っているらしく、聞こえてくる場所から推測するとその人物がこの場では一番のリーダー格のようだ。気配からはその周りを数人の男達が立ったまま囲んでいる事が感じ取れた。

「はい。須依と言います。三間坂さんが拉致され殺された一連の事件について、記事を書いたのは私です」

 胸ポケットから名刺を出して、前にあるだろう机の上に差し出した。

「へぇ。あんたがあの記事を書いたのか。そういえば南海という名前だったな。勝手に男だと思っていたが、これでみなみと読むのか。なるほどね」

「よく間違えられます。父親が野球の南海ホークスのファンだったのでこういう名を付けられました」

「なんかいホークス? なんだ、それは?」

 今のソフトバンクホークスの前身であるダイエーホークスに身売りして無くなった球団名だ。三十年ほど前の事だから、それを知らないと言うことは目の前の人間は結構若いのか、野球を全く知らないのかのどちらかだろう。声を聞く限り、前者のような気がする。

 先程から耳にする男達は凄みを出そうと意識的に低い声を出しているが、全体的に若い集団のようだ。須依達のような四十代とは世代間ギャップがあっても仕方がない。

 それに殺された三間坂もまだ二十代後半だった。その取り巻きの半グレともなれば、南海ホークスの名で盛り上がれる四、五十代のおっさんなどいないのだろう。

 周辺にいた相手に理解できる人間がいなかったらしく、代わりに烏森が説明をする。ついでに新聞社名の入った名刺を出したのだろう。二人の関係も伝えていた。

「なるほどね。まあそんなことより、俺達が知りたいのはそんな事じゃねぇ。あの記事が本当なら、月々奈をさらって殺した本当の犯人をあんたらは知っているように読める。一体誰だ。教えろ」

「私達が怪しいと睨んでいる人物がいることは確かです。ただその人が犯人かどうか、証拠がありません。それを手に入れるために、こちらへ伺ったのです。まずこれから数名の方の写真をお見せします。その中でこれまでにもしあなた方が三間坂さんを使って弱みを握り、脅したり強請ったりするなどで関わったことがおありなら、頷いてください。それだけで結構です。私達は脅迫した事件で、あなた達の罪を暴こうと言う気はありません。あくまで私達が疑っている人物が、三間坂さんを殺す動機があったかを知りたいだけなのです」

 事前に用意していたカラーの顔写真を、胸ポケットから取り出して机の上に置く。そして相手がどのような反応をするかを全身で感じ取るために、意識を集中した。

 まず一人目はある政治家だ。しかしこれには多少反応したが動きはなかった。確認のため横にいる彼に顔を向けると教えてくれた。

「頷いてはいない」

 それでは、と次の写真を出した。こちらが本命だ。すると明らかに先方が動揺した気配を感じた。さらにこいつか、と声を出す複数の男達がいた。写真を覗き込んでいたのは、リーダー格の人物以外にもいたらしい。

 そこで横から囁き声が聞こえた。

「頷いたよ」

 それだけで十分だった。残りの数枚はまず関係ないだろうが念のためにと用意したものだ。予想通り、他の写真に彼らは全く興味を示さなかった。

 睨んだ通り彼には三間坂と関係があり、個人的な恨みを持っていたのだろう。それが彼女を殺した動機に違いない。

「お伺いしますが、この人物の弱点をあなた達は今でもお持ちですか?」

「いや、無い。こいつに連絡を入れて話があると呼び出して会う約束をしたんだが、その前に事務所のパソコンがぶっ壊れたんだ。ウイルスか何かが入り込んだらしい。そのせいで証拠となる写真や音声データが全て消えちまった。別でバックアップしてあったものは何とかなったから、被害は最小限で済んだが」

「この方のデータは、バックアップされてなかったのですか」

「別のUSBに移したはずだったが、それも何故か紛失しちまっていたんだよ。あるとすれば月々奈自身の証言だけだったから、この男との取引は成立しなかったんだ。もしかしてこいつはそれすら消したかったってことか」

 怒りに満ちた声が返ってくる。

「それではこの人物がどういうところに勤めていて、どういう立場の人間なのかはご存知ですか」

「当たり前だ。それを知っているからネタになった。あんたらこそこいつが誰なのか、分かっているのか」

「もちろんです。だから私達も簡単に手を出せない。しかも一連の事件には、彼の仲間も何人かは加わっているようですから。もしかすると事務所のパソコンが壊れてデータが消えたのは、彼らにハッキングされたからでしょう。しかもUSBはこの事務所に忍び込んだ仲間が奪ったのではないでしょうか。彼らにかかればこれだけ厳重な防犯設備を整えていても、人がいなくなった隙を狙ってハッキングし、カメラの映像を入れ替えられます。そして誰にも気づかれずに、ここへ忍び込む位の事はやりかねません」

「マジか。そんなことをしていいのかよ。そういえば月々奈だけじゃなかったよな。一連の事件ということは、こいつとその仲間が他に三人も殺したっていうのか」

「その可能性が高いと私達は睨んでいます。ただ物的証拠が余りにも足りません。このままでは握りつぶされてしまう。今逃げている林という人物一人の責任にされるでしょう」

「そうだ。その林という奴と俺達は関わったことがない。だから何故月々奈がそんな奴に拉致されて殺されなきゃならなかったのかが、どうしても分からなかった。一体どうなっている。教えろ!」

「林という人物が、何らかの形で事件に関係していたことは間違いないでしょう。ただそれは、この男とその仲間達に上手く利用されたからだと、私達は考えています」

「そういうことか。じゃあ今逃げていると言うことは、仲間割れしたのか。いや、既に口封じされているかもしれないな。おい、そうじゃないのか!」

「それはまだ私達にも分かりません」

 今のところは逃げきれていると信じているが、それを彼らに告げる必要はないためそう答えた。

「ありがとうございます。これでこの人物に、三間坂さんを殺す動機があったことが分かりました。握られた彼の弱みを入手できなかった事は残念ですが、取材の方向性が間違っていないと分かっただけでも良かったです。私達からは以上です。これで失礼したいと思いますが、念のためにお聞きします。あなた方は彼女の復讐をお考えですか?」

「当たり前だ!」

 目の前の男が怒鳴ったが、周辺の男達からは微妙な空気が発せられていた。それはそうだろう。正面切ってぶつかるには相手が悪すぎる。下手に動けば、ここにいる半グレ達が全滅してもおかしくない。

 しかしリーダー格の男は本気のようだ。それならば何らかの動きは期待できる。彼らが動けば先方も動かざるを得ない。そこに何か付け入る隙が産まれることもあり得た。

 なんとしても相手を揺さぶらなければ、埒が明かない。そう簡単に証拠が手に入ることなど望めないからだ。よって打てる手はなんでも試してみればいい。そうしている中で何かが掴めるはずだ。須依はそう信じていた。

 そして須依は一連の事件における特集記事について、第三弾の掲載に踏み切ったのである。それは具体的な名前を伏せた上で、反グレ達にも確認した人物の生い立ちを綴ったものだ。その背景から今回の一連の事件を起こす動機を持ち、また共犯者となりえる能力を持っていると書いたのだ。

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