復讐のとき「パラン氏」③

 ブラッスリーの店員の勧めで郊外へ気分転換にやってきたパラン氏。


 目の前には遮るもののない地平線。緑の匂いをたっぷりと含んだ風が気持ちよく肌を撫でます。胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込み、美しい景色に目を奪われる。なんという清々しい心地だろう。


 でも同時に、初夏のまばゆい太陽は、かえって彼の悲壮感を晒し出すようでもありました。ブラッスリーで浪費するだけだった20年。悲しみに沈んだ、暗く、単調な日々──。

 自分は人生を無駄にしたのだ。後悔してもすでに遅い。家族も友も、希望も好奇心もみんな失った。今はただ、酒から酒を渡り歩きながら死へと向かうだけなのだ。

 ここから逃げたい、パリに帰り、ブラッスリーに隠れて酔いの中に溺れてしまいたい。

 美しい景色とは裏腹に、言いようのない苦しみに襲われた彼は、せめてどこかでアルコールの力を借りて誰かと話ができればと、昼食時の賑やかなレストランへ逃げ込みました。やっと人心地つくパラン氏。


 しかし、そばのテーブルから聞き覚えのある声が。


「ジョルジュ、この鶏を切って頂戴」

「はい、母さん」


 パラン氏はハッとして目を上げました。そう、そのテーブルにいたのは、紛れもなくだったのです。

 ジョルジュはすっかり一人前の若者になっていました。ひげまで生え、山高帽をかぶりお洒落をして。妻の髪はすでに白く、威厳を持った婦人に。リムザンは少し猫背の背中をこちらに向け。

 彼らは幸せそうに、嬉しそうに、何不足ない平和で穏やかな家族の顔をして食事をしていました。彼らはずっとこうやって生きてきたのです。パラン氏を騙し、裏切り、すべてを奪い去ったあと、そののおかげで、なんの苦労もなく楽しい人生を送ってきたのです。


 パラン氏の胸に復讐の炎が燃えたぎりました。食事を終えてのんびりと散歩を始めた家族のあとを追い、彼も気づかれないように森の中へと入っていきます。そして破裂しそうな心臓を抑えて、木陰に腰をおろしている3人の前に飛び出しました。


「俺だよ! 俺! 会いたかったろう?」


 家族は突然の不審者にびっくり。


「分からないのかい。よく見ろ。俺だよ。パランだよ。あんたら、俺を待っていたんだろう? それともきれいさっぱり忘れたつもりかい。お生憎さま、あんたらは全部終わったつもりだろうが、そうは問屋が卸さない。さあ、今こそはっきりさせようじゃないか」


 恐れおののく夫人。母を庇って立ち上がる息子。


「あんた頭がおかしいのか! どういうつもりだ!」

「どういうつもり? 俺がお前の父親だと教えに来たんだよ!」


 思わずたじろいだジョルジュをよそにパラン氏は夫人に詰め寄ります。


「この子に言ってやれよ。ジョルジュ・パランの父はこの俺だということを。お前さんが俺の妻だってことを。俺がお前さんを追い出したあの日から、あんたらは俺の金で、俺がくれてやる1万フランのお手当で生活してきたってことを。なぜお前さんが追い出されたかも言ってやれ。金目当てに結婚して、そこにいる悪党とずーっと不倫してましたと言ってやれ。自分はそういう女だと言ってやれ!」

「あなた、助けて!」

「おい、やめないか!」


 あわてて助けに入ろうとしたリムザンに向かい、パラン氏はさらに続けます。


「それだけじゃない。俺が20年間ずっと苦しんできたことをはっきりさせろ。リムザンよ、いったいジョルジュはお前の子なのか? お前なら分かるだろ。言えよ、ほら言えよ! ──ふん、やっぱり分からないか。だろうな。この女だって知りやしないさ。なんたって二人の男と寝てたんだからな。ハハハ! 坊や、お前が誰の子かなんて、誰も知りやしないのさ。誰にもね。お前さんが決めりゃいい……。もしお前のママが白状してくれたら、俺のところにも教えてくれよ……じゃあな。ごきげんよう。お幸せに」


 そう言い残してパラン氏は去っていきました。


 パリに帰った彼はまたいつものブラッスリーに直行します。

「どうでした、田舎は?」

「疲れたよ……疲れた。もう二度とあそこへは行かない。私はもう、どこへも行くものか……」

 そう呟き、はじめて自分をなくすほど酔いつぶれたのでした。


 了


 ついに自分を裏切った者たちへ復讐を遂げたパラン氏。でもこの暴露によって一番傷ついたのは、妻とリムザンよりもジョルジュ君ではないでしょうか。

 一見「ざまあ」な展開でありながら、酒場へ戻って泥酔する最後はむしろ苦い後味を残します。復讐したからといって失われた家庭も時間も戻ってくるわけではない。それを噛みしめるかのような虚しいラストシーンです。


 ちなみにパラン氏(Monsieur Parent)の名前は「親」という意味。

 モーパッサンは生涯独身でありながら、親子の業や父性をテーマに、身につまされるような話をいくつも書いています。そこには喪失や悲しみ、孤独といった痛みがつきまとっているように感じます。もしかしたらそれは、先生自身が隠し持っていた痛みなのかもしれません。

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