その後のお話 その三 本当の元の鞘

 何も分からない振りをして、オキは頭と側近たちが集った小屋に来た。

 そこにいたのは、怪我をしたゼツ以外の顔見知り達で、一様に真顔だった。

 笑顔を絶やさない連中まで真面目な顔をしているのは、珍しい。

「ゼツの奴は、そこまで怪我が深刻だったのか?」

 腕を壊すには至っていないはずだが、己で斬った傷は、相当深刻だったのかと問うと、ジュリはゆっくり笑みを浮かべて答えた。

「ゼツの方は、心配ないわ。大人しくしていれば、数日で日常に障らないくらいには回復するはず。あなたが、あの子の心配をしてくれるとは、思わなかったわ」

「不穏なものを知らせるのが、遅れてしまったようだからな。その点は、申し訳ないと思っただけだ」

 答えたオキに、ロンがゆっくりと笑いかけた。

 ジュリのおっとりとした笑顔とは違い、一癖ある人を食ったような笑顔だ。

「その点だけ、かしら?」

「あれでも早かった方だからな。首謀者が思い切ったらすぐ動く奴だとは、思わなかった」

 ゼツを徐々に呪いで縛っていたと思っていたのに、女を一発で呪いに引っ掛けた途端、動き始めた。

 ひらめきで動いた、と言えば格好がいいのだろうが、今迄の慎重さを思うと、そうなのかと疑う動きだった。

 今、奴の周りが騒がしいのも、その疑いを裏付けている。

「あの二人を逃がしてしまったのなら、証人がいないぞ。どうやって追い詰めて罰する気だ?」

「そうね、トカゲのしっぽを切り落としてしまっただけに、過ぎない事になるわね。あなたの思惑通り」

 だからこそ、獣の連れ合いに、疑惑を押し付けたのだろう。

 そして落とされたしっぽは、害がないと解き放たれることも、予想していたのだろうとロンは笑顔で続けた。

 オキは小さく笑い、首を振った。

「オレは、そこまで考えていなかったが」

「考えた奴は、いたんだろう?」

 言ったエンを見返し、オキは黙って笑い返した。

 その方向で、治めるか。

 物事は、一つの方向から答えを得られるわけではない。

 この件も、三つほどの方角から、同じ答えに手繰り寄せられる。

 手繰り寄せる糸の方向次第で、答えに対する治め方が変わる。

 諍いの元と仲間たちの処罰が、酷くなるか否かが、大きく変わってしまう。

 エンが示唆する方向は、オキの答え方次第で、裏切り者の処罰と言う、「軽い」罰に導けるものだ。

「そうだな。ここまでうまく行かないとは、思っていなかったようだが。慎重に事を進めたが、思い切った動きが半端だったせいで、ここまでの粗になったようだな」

「粗の中に、証になる物は残っていないのかしら?」

「ない事もない。奴の呪いは、簡単そうで複雑なものだ。準備も大変な術式でな、臆病なのか慎重なのか分からんが、その準備と片づけを速やかにこなした上で、周りに疑われない素振りが出来る時期と場所を選んで、行っていた。その辺りを探せば、何かしら取りこぼしているかも知れんな」

 慎重な奴だが、見つかるかもしれない焦りで、忘れ物をしているかも知れないと、オキは答えた。

 女の時は一度だったが、ゼツの時は、何度か呪いを行っていたようだ。

 一度二度とやっている内に、少しずつ慣れてしまって、取りこぼしている事もあるだろう。

 慎重、もしくは臆病だからと言って、完璧に事を始めて終わらせられるという訳ではない。

「そうか。その場所に、案内してくれるか?」

「ああ」

 森の奥まったところで、殆どの者が近づかない場所だった。

 そこに、本当に痕跡を見つけ、一同は呆れ返った。

 呪いをかけたのは、本当に名も知らぬ、雑用の男だった。

 どこにでも馴染みそうな顔立ちの、大人しそうな四十過ぎの男だ。

 今の頭の傍に寄ろうと、邪魔な側近の排除を考えていたらしい者たちも、炙り出した。

 ばれたなら仕方ないと、尖った態度で睨む者たちを、ロンは呆れた顔で見回した。

 この件では、ゼツが大怪我をしただけで、死者は出ていない。

 だから、精々できる罰は、群れからの追放だった。

「まあ、妥当な処置ね」

 本当にそう思っているわけではないジュリの、静かな言葉だ。

「あの子ももう、起き上がれるようになったし。もっと重症だったら、うちの子たちのご飯にしてもよかったのだけれど」

 一日一人、結構な食糧だ。

 おっとりと言う女の言葉に、その目を受けた者達は、震え上がった。

 自分たちに近づかない旨と、秘密を守る旨を約束させ、早々にその場を送り出した。

「さて、これでこの件はおしまい。所でオキちゃん?」

 やんわりと、人を食った笑顔を向ける男を見返し、オキは身構えた。

 その目線の端に写った男が、穏やかに全く別な方向、群れを去ってゆく連中の背を見つめているのに気づいたが、そちらを気にする余裕は、もうなかった。


 夜襲をかけるつもりで、舞い戻ったわけではない。

 男たちは、追放された群れに、日が落ちた頃に舞い戻っていた。

 が、力の差を思い知った彼らは、残った元仲間たちが油断していても、それを襲撃する気はなかった。

 指示を出していた男が、迎えに行きたい者がいると引き返すのに、ついて来ただけだ。

「眠っているのなら、そのまま連れて行けばいいが、嫌がった時は……力づくで連れてくしかないな」

 男は苦い顔で言った。

 ここが危ない集団だと、口で説明している余裕は無い。

 そう言った男に頷き、一回り大きな男が切り出す。

 「あいつが戻って来てからこっち、気の荒い猫が傍にいただろう? この際そいつ、殺しちまっとかねえか? ここを離れても、ついて来られたら、邪魔で仕方ねえ」

 あいつには、置いて来たと告げればいいと言う男に頷き、二年前に拾い可愛がっていた若者がいるはずのそこに、足を向けた。

 木々が重なって、雨露が防げる場所だ。

 三日ほど前から姿を見せないのだが、そこにいる事だけは確かだ。

 拾った自分に感謝しているのか、永く出かける時はきちんと告げて出て行くのだ。

 数日前までの不在は長く、悶々として待っていたが、ひよっこりと戻って来た時は、ほっとした。

 そして、思った。

 何か目指す場所があるとは聞いているが、この若者を手離したくない。

「倭国に向かうとか言っていたが、遠ざかっておけば諦めるだろ」

 背高な男が、自分の心を代弁してくれた。

 自分たちは、大物にはなれないが、それなりに幸せに生きていけるだろう。

 時々長い者に巻かれながら、上手く立ち回って行けば、永く生きれるはずだ。

 あの恐れられた連中も見逃してくれたほどなのだから、悪運だけは強いのだ。

 そう自惚れ始めていた彼らは、気づくのが遅れた。

 大きな体の男が若者を抱え出、その場を去ろうとするまで、その気配に気づかなかったのだ。

「……驚いたな、まさか、案内してくれるとは、思わなかった」

 穏やかな声が、不意にかかった。

 同時に男が一人、立ち去ろうとしていた群れの前に立ちふさがる。

「程よく離れた所で、跡形もなく消し去ろうと思っていただけで、その子の所在までは知ろうと思っていなかったんだがな」

 前に姿を現したのは、昼間自分たちを見送った男だった。

 細身の優男は、穏やかな笑顔のまま、男たちを見回す。

「いい度胸だな。あれだけ早くこの場を離れろと言われていたのに、舞い戻って来るとは」

「お、お許し下さい、身の回りの物を、まとめるのに手間取ってしまいましたっ」

 物騒な気配を纏う仲間を宥め、男が下手に謝る。

 弱そうな男が一人でいるが、それだけで油断するのは、命とりだと流石に分かっている。

「言い訳はいい。どうせ、最後は同じだ。まずは、その子を汚い手で触るのを、止めてもらおうか」

 穏やかな声は、意味の分からない事を言った。

 戸惑う男たちの後ろで、何かが倒れた。

 振り返ると、若者を抱えていた男が、顔を引き攣らせて前のめりに倒れた所だった。

 首から血を吹いた男の後ろから、それより小さな男が姿を見せ、体が倒れ切る前に若者を掬い上げ、そのまま首に刺さっていた剣の刃を払う。

 呆気なく飛んだ首を目で追ってしまってから、我に返った男は、近づいてきた男エンを振り返った。

「命は助けてくれるんじゃ、なかったのかっ」

「言ったか、そんな事?」

 穏やかな声が、返す。

「ロンは、そう言ったかもしれないが、オレは、口を開いた覚え、ないぞ。お前たちを見て腹が立ちすぎて、喋れなくなってたからな」

 背筋が凍った。

「やはりか。ったく、本来ならお前が、そいつらの処置を決めなきゃならんのに、何でロン任せなのかと、思っていた。というより、ここで鉢合わせてしまうとはな。こいつらが来る前に、別な所に隠そうと思っていたんだが」

 黒い衣服に身を包んだ男オキが、呆れて言いながらも、首を刎ねた男の体を切り刻む。

 身構える男達の中で、その仲間をまとめている男は、状況の悪さに焦っているが、エンはそんな相手に構わずオキに声を投げた。

「その子を余り、血まみれにしないでくれよ。そこまで大きくなった体を拭くのは、骨が要りそうだ」

「心配するな。そこに転がしといた」

 主にするにしては雑な扱いだが、眠っている若者は、ちょっとの事では起きない。

 まあ、それならいいかと頷くエンに、小馬鹿にした笑いを浮かべながら、細身の男が言った。

「たった二人で、オレたちを追って来たのか。大した自信だな」

「よ、よせっ」

 好戦的になった仲間を宥めようとする男に笑いかけ、エンがその言葉を訂正した。

「オキは、その子を取り返しただけだ。相手は、オレ一人で充分だろう」

「何、だと、いくら何でも馬鹿にし過ぎじゃあ、ねえのか?」

「よ、よせと言ってるっ」

 恐怖で言葉がぞんざいになる男に構わず、仲間の一人がエンに襲い掛かった。

 手には大ぶりの斧がある。

 振りかざした斧を上手に避け、エンはその懐に入った。

 左手が喉笛を攫み上げ、その体を宙に浮かせる。

「お待ちくださいっっ。死人も出なかった故に、追放だけで許されたのでは、ないのですかっっ」

 斧を取り落とし、攫み上げた手を振りほどこうともがく仲間を見上げ、焦った男の言葉に、エンはあくまでも穏やかに答えた。

「死人は出てないが、追放で済ませられない重い罪を、お前たちは負ってしまったんだ。仕方ないだろう」

「気づかれたからには、黙っていてやることもないからな。お前たちが、拾ったこいつに何をしていたのか、オレの想像を交えて話した」

 ロンたちはそれを聞いて、男たちの処罰を、エンに任せる事にしたのだ。

 オキが、そう静かに話したが、それでも意味が分からない。

「オレが気づいてからは、傍に寄せ付けんようにしていたが、気づく前は、本人が気にしていないのをいいことに、好き勝手やっていたようだな。お前ら、全員」

「不穏な動きを察してくれて、こちらに牙を向けないように骨を折っていてくれたのはいいが、肝心な事を忘れているんだ、その子は」

 冷たい目を向けるオキに続き、エンもまた男たちが分からない事を言い始めた。

「自分が怪我をしたら、全て無駄なんだぞ、それですべての罪よりも、大罪になる」

 言いながら、もがく男の首を強く締め、そのまま握り落とした。

 白目を剝いた男の頭が、地面に転がり落ちる。

 舌が凍った男の前で、仲間の一人が悲鳴を上げた。

 逆にいきり立った男が、手持ちの剣を抜く。

「き、貴様っっ。よくも……」

「ああ、一人ずつでなくても、構わないぞ。手は二つあるんだから、無駄にならないように使わないとな」

 そんな男の前で、エンは穏やかに笑いながら両手を軽く振って見せた。

 煽る言葉に、怯えより怒りが沸き上がり、男たちは武器を手にした。

 穏やかな笑顔を浮かべた恐ろしい獣に、一斉に飛び掛かって行った。


 後に残ったのは、血をたっぷりと吸った地面と、その場に座り込んだ一人の男のみだった。

 軽く両手を払いながら近づく自分より若い男を仰ぎ、座ったまま後ずさる。

「恨むなら、自分の運のなさを恨むんだな。拾った子を欲のはけ口にするのは、生き物としてもあり得る話だし、相手だって長い者に巻かれるつもりだろうから、心づもりはあるだろう。だがな、世の中には、そうと分からないが、手を出しちゃいけない者もいるものだ」

 息切れ一つないまま、エンは男の前に片膝をつき、目線を合わせて続けた。

「お前が拾い、使っていたこの子は、オレの前に上にいた、先代頭だ」

 目をそらさず震えていた男が、その言葉の意を呑み込み、目を剝いた。

「う、嘘だ」

「そう言いたい気持ちは分かるが、残念ながら本当だ。永くうちにいたのなら聞いているんだろう? 先代の容姿。金色の髪に女と見まごう顔立ち、一度見たら見惚れること必至……まあ、大袈裟なロンの言い回しだが」

 魚の様に口をパクパクと動かし、剥いた目が近くの木に寄りかかって眠る、若者を見た。

「お前は、その子が何も言わないのをいいことに、どんな無体をやらかしていたんだ? 怪我をさせた事を差し引いても、万死に値すると思うんだが、お前なら、許すか? 自分の慕う者が、お前がやらかしたようなことを、されていたとしたら?」

「し、知らなかったんだ、そんな……」

「勿論そうだろう、だから、運がないと言っているんだ。この子がここにいると、オレたちに知られたのが、お前にとっても、こいつらにとっても、不運だった、それだけだ」

 こいつらと呼ばれた者たちは、もうその場にいない。

 後は、自分がその仲間入りするだけだ。

 話が尽きた時が自分の死だと、ひしひしと感じながら、男はそれでも逃げる事が出来なかった。


 翌朝、場所を移して眠らせているセイの顔を見に、ロン率いる面々が顔を見せた。

「……いつから寝てるんだ?」

 ジュラが、呆れたように呟く。

 オキは首を竦め、答えた。

「獣の牙を受けてから、今日まで、爆睡だ」

 三日前だ。

「な、永くない?」

「こいつの少しが、どう言う少しなのか、分からないのが、辛い所だ」

 ロンの心配そうな声に、オキが真顔で頷く。

「手は、余りかからんのだが」

 エンが体は拭くと言っていたと言うと、一同は首を傾げた。

「それだけで、すむか? いわゆる、寝たきりって奴だろう?」

 目を見開いたジュラに、食事を持って来たエンが笑顔で答えた。

「それが、助け出した後もそうだったんですが、この子、面白い技があるんです」

 寝たまま、はばかりには行く、らしい。

「はあ?」

「初め見た時は、驚きましたけど。だって、目を離したすきに、外に転がってるんですよ。でも、それに気づいたんで、後は楽だなと」

 不気味に思うより先に、楽だと割り切れるのが、エンのすごい所だ。

「怪我も少しずつ治って来ているようですから、焦らず待ちましょう」

 笑顔の男に言われ、一同は頷くしかなかったのだが……。

 五日経っても、セイは起きて来なかった。

 本当に大丈夫なのかと思いながらも、心には余裕があった。

「起きたら少しだけ説教して、ゆっくりと休んでもらってから、送り出しましょう」

 そんなエンの言い分に、頷くだけの余裕があった。

 ゼツの怪我も障りない位に治り、起きない若者の顔を見に行くのが日課になった十日後、ようやくいい知らせが一同に届いた。

「今朝目を覚まして、今は昼食を自分で食べています」

 エンがそう言ったのだ。

 病み上がりと言うのは分かっているが、心配していた面々は連れ立って部屋を訪れた。

 部屋の扉を叩こうとしていたエンが、目を細めて手を止めた。

 部屋の中に、先客がいる。

 ぽつぽつと聞こえる声は固く、聞き覚えのあるもので、答える声も無感情で聞き覚えがある。

 声を出さず、ジュリが目を見張って口を抑えた。

 セイの傍にはいつも、オキが控えている。

 今は猫の姿でいるだろうから、気安く話せるのだろう。

 それでも、ゼツの声は固かった。

 更に、思いつめた声になった男は、若者に真剣に切り出した。

「まず、御礼と謝罪をしたいと思っていました」

「?」

「あなたは目立たないように、ここに紛れていたんでしょう? なのに、あの女の人に襲われた時、飛び出してくれた」

「別に、あんたを助けるだけの為に、飛び出したんじゃない」

 無感情な答えに頷き、ゼツは続けた。

「……ジュリやあの女の人も、助けたかったんですね?」

 ゼツもジュリも、この群れの頭たちの近くにいる者たちだ。

 その二人に牙をむいたとなると、相当の罰が待っている。

「私は、自分の隠れ場所が知れるのが、嫌だっただけだ」

「それなら、どうして姿を見せるんですか。それさえしなければ、エン達ですら、あなたがすぐ傍にいた事に気付かなかった」

 ゼツは一気にまくし立ててから、大きな溜息を吐いた。

「……すみません。あなたは、オレが気づいてると、思っていたんですね?」

 あんなに驚かれるとは、思わなかったんだろうと言う萎んだ声に、小さな溜息が重なった。

 その溜息は、セイが吐いた物だ。

「気づいてくれていれば、良いなとは思っていたけど、あり得ないとは思ってた」

 小さく答えた若者の声を受けて、オキが静かに言った。

「そう思う分には、自由だろうとは言っておいたが、あり得ないだろうとは思っていた」

「……」

「言葉遣いが、違い過ぎるだろう」

 言葉がないゼツに、セイは無感情に言った。

「謝るのは、私の方だ。その負い目があれば、あの場に出た私を、幻と言い切ってくれるだろうと、思っていたから」

「その前に、エンに仔細を察せられてしまったから、こうなったがな」

 そこまで聞いていたエンが、こっそりとロンに声をかけた。

「先にあの子と話してください。オレは、用事が出来ました」

 穏やかな笑顔だが、妙に迫力があるように見え、ロンは眉を寄せつつも頷いた。

 まだ中の会話は続いていて、途切れる気配がない。

 暫く立ち聞きしていようと、部屋の前で待つ面々は頷き合った。


 目が覚めた時、何でここにいるのかと思った。

 そう深い怪我ではなかったから、そこまで永く眠っていたわけではないだろうが、眠る前と変わらぬ場所にいるか、どこか見知らぬ土地に運ばれているか、どちらかだと思っていたのだ。

「……と言うか、どうしてこうなってるんだ?」

 セイは、唯一話せるオキに問いかけた。

 二年前に知り合った男達を、見張るように言い置いた筈のオキが、自分の枕元にいると言う事は、あの男たちはもうここにはいないと言う事だ。

 あの後、ロンたちの調べで罪がばれ、追放にでもなったのだろうと予想できるが、一緒に連れていかれなかったのが、不思議だった。

「……落ち着いたら、話す」

「落ち着いたらって……あの人たちが、どうなったのかくらいは、教えて欲しいんだけど」

「今は、まずい。エンがどこで聞いてるか分からんところで、その話はするな。ここを無事に出たければ、な」

 何やら物騒な言い分だ。

 成り行きを察しようと、大人しく眠っていると、エンが朝食を持って様子を見に来た。

 セイが目を開いているのに気づいて、ほっとする。

「やっと起きたか」

「……どのくらい、眠っていたんだろう?」

「十日程だ。食べられるか?」

 目を細めてエンは尋ねながら、軽い食事をよそおった膳を、寝台に身を起こしたセイの膝の上に置く。

「ゆっくり食べて置け、皆にお前が起きた事、知らせて来る」

 素直に頷いて、久し振りにエンの作る食べ物に手を付ける。

 しばらくはまた、食べられないと思っていたから、妙な気分だ。

 食べながら、今後の事を考える。

 十日も経っているのなら、追放された者たちとは縁がなかったと思って、気にしない事にしよう。

 目的の場所に向かうのなら、近くに迫るまでここに止まるのもありだが、雑用に紛れているのならまだしも、正体を知られてまで長居はしたくない。

 この間の様に、これから見舞ってくれる面々に会ってから、別れる方が穏便だろうと考えていると、控えめに扉が叩かれた。

 そっと扉が開き、部屋の主が起きているのに気づくと、顔を覗かせた男が控えめに声をかけた。

「起きていたんですね。今、いいでしょうか?」

 空の器を重ねながら頷くと、大きな男が身を小さくしながら部屋に入って来た。

「怪我の方は、障りがないですか?」

「障らない程に、塞がった。知ってるだろ? 眠れば治るんだ」

「はあ……。昔は、もう少し早く、目覚めていたように思うんですが……」

 首を傾げるゼツの言葉には答えず、セイは逆に尋ねた。

「あんたの方は? 手の怪我は、もういいのか?」

「あ、はい。お陰様で」

 そんなやり取りの後、ゼツが改まって姿勢を正し、謝罪と謝意を述べた。

 別に謝られる事でも、礼を言われる事でもないので、そう言う返事をすると、男は不意に険しい顔をした。

「一つだけ、訊いておきたいんですが、いいでしょうか?」

 顔と同じように、声も険しい。

「何だ?」

 オキが身を起こして身構える程の緊張した顔を見て、セイは首を傾げた。

「あなたは、この五十年、いつもああいう人たちと、一緒だったんですか?」

 その問いに、何の意図があるのか分からないが、セイは正直に頷いた。

「流石に、あんたたちの近くの人と偶々、というのは初めてだったけど、大体同じだ。それが、どうしたんだ?」

 何故か、ゼツの動かないはずの頬が、引き攣って見えた。

「それは、どうしてそうなるのか、訊いても?」

「どうしてって……何となく、そうなってしまう、ってだけだ。私の見た目は、弱っちいからな。男に囲まれていると、人さらいにも遭いにくいんだ」

「……」

 寝具の上に、オキが頭を突っ伏した。

 そのまま、頭を前足で抱え込む。

 小さく唸ってから、ゼツが切り出した。

「本当は、こういう言い訳はしたくないんですが、少しはあなたの考えを変えられるのではと、願って言います」

「?」

 妙な前振りだと首を傾げる若者に、男は真剣に言った。

「あなたと気安く話すようになったのは最近でしたが、オレは、あなたが来た当初の事も、知っています」

 知っていたが、近づこうとは思わなかったと、ゼツは言った。

「声も似ていて、背丈も同じくらいのあなたを思い出しはしましたが、正直付き合いたくないなと敬遠していました」

 それは何故かと言うと……。

「本人の匂いがかき消されるほどに、周りの男達の匂いを、あなたが染みつかせていたからです」

 セイ自身の匂いは他の者よりかなり薄く、どこかに紛れて鼻の利く者を欺くのはたやすい。

 あの時のゼツは、当のセイがその若者だとは思っていなかったが、それでも染み付かせ過ぎだと感じていた。

「着ている服に染みつくならまだしも、体に染みついているのは、おかしいでしょう」

 不特定の男の匂いをいつも漂わせている若者を、その手の慰みを請け負った者と考え、ゼツは極力かかわらない事にしていたのだ。

「おかしいのか? どこの人たちの中に入っても、大体は雑魚寝だったから、少しぐらいは他の人に匂いもつくんじゃないのか?」

「雑魚寝? 暑い真夏でも? 寝苦しくないんですか?」

 表情を出しにくい筈の顔が、妙に動いている気がする。

 普段動かさない筋肉が引き攣るのを感じつつ、ゼツは若者に尋ねる。

 首を傾げながら考え、セイは答えた。

「暑いと更に興奮するから、それを抑えさせてくれと言ってたな、そう言えば」

 オキが頭を抱えたまま、低く唸った。

「それは、どこでお世話になっていても、ですか?」

 どうしたんだと黒猫を見下ろす若者に、ゼツは低く尋ねた。

「雑魚寝は、どこでもそうだろう?」

「……そうではなく、寝ている時に、くっつかれるのはいつもかと、訊いているんです」

 きょとんとして頷きながら、セイはそう言えばと思う。

 夜、暑くても寒くても、くっついて来る人がいた。

 自分では分からない言い訳でくっついてくる人もいたが、そんなものだろうと思っていた。

 体はもぞもぞするし、こちらとしては暑苦しく鬱陶しいのだが、世話になっているからこの位はと考えていた。

 何かおかしいのかと再び首を傾げる若者の前で、ゼツは暫く黙り込み、静かに確かめるように尋ねた。

「……この後、ここを出た後も、同じようにどこかに紛れるつもり、なんですね?」

「ああ。ここに戻るつもりはないし。そうなると思う」

 セイが答えた時、突然音を立てて、扉が開かれた。

 そこには、一様に顔を引き攣らせた、顔見知り達がいる。

「……駄目よ」

 血走った目を若者に向け、ロンがきっぱりと言い切った。

「あなたは、もう、あたしたちの傍から、離さないわ」

 突然、そう言い切られた。

 一瞬言葉を失くしたが、すぐに眉を寄せた。

「何でだ? あんたたちの傍にいないといけない理由は、どこにもない」

「世話になる人に、体を撫でられないといけないと思い込んでる子を、どうして笑って見送らなきゃ、いけないのよっっ」

 拳を固めて叫ぶ男に、セイはつい鋭く返した。

「あんただって、すぐに抱き着くじゃないかっ。同じだろ」

「ち、違うわよっっ、そういう勘違いは、止めて頂戴っっ」

 そう言う邪な考えで触る男と、一緒とみられるのは心外だと、ロンは更に叫んだ。

「セイ、頼むから、留まってくれよ。この先、どこでどんな男の所にいるのかと思うと、心配で心配で……」

 メルが涙を浮かべて言いつのるが、何をそんなに心配されているのか、セイには分からなかった。

「そんなに心配なら、分かったよ。誰かの世話にならないように、一人で動くから。それなら、いいだろ?」

「そういうことじゃないっっ」

 それはそれで心配なメルは頭を抱え、それに代わって、珍しく眉を寄せたジュリが言った。

「一人だと、人さらいに遭いやすいのでしょう? だったら、どこかの群れにいた方が、いいんじゃないのかしら?」

「でも、それだと、駄目だって、あんたたちが言ってるじゃないか」

「逆に、どうして、その世話になる群れとして、私たちを考えてくれないの?」

 悲しそうに尋ねる女に、若者は内心困りながら答えた。

「同じと考えて、これまではいたんだけど、これからは、そうはいかないだろ」

 ここにいる者たちがそうはならないと思っても、絶対に障りがある。

 近頃、生きていると知られた、三代目の頭が舞い戻ったと知られたら、地位を巡った争いが、少なからず起きてしまう。

 だから戻るとしても、目立たない位置に居続けたかったのに。

「ん? 戻る気だったのか?」

 そんな周りの様子を、只見守っていたジュラが、意外そうに声をかけた。

「もう、そんな気は失せたけど」

 うんざりとした様子で答え、しがみ付きそうな勢いのロンを牽制しながら、セイは言い聞かせるように言った。

「私はこれから、行きたい国があるんだ。そこでの用がすんでからなら、あんた達の話に耳を向けてもいいと思っているけど、今は正直、聞きたくない」

「その、行きたい国が何処かは知らないけど、あたしたちが立ち寄るかもしれないと思って、紛れてたんじゃないの?」

「行くのは避けていたかもしれないけど、近くまで行くとは思ってた。でも、こうまで大袈裟にされたら、紛れているのも無理がある」

 目を細めて何とかとどめようとする男と、眉を寄せてそれを拒否する若者が、静かに睨み合った。

 どちらも、力づくでと言う考えに行きついた時、場違いな軽い音がその緊迫した空気を遮った。

 振り返ると、誰かが寝台の向こうの壁を外から軽く叩いていた。

 ゼツが身を乗り出して木窓を開くと、そこには用を思い出したとその場を離れたエンが、穏やかに笑って立っていた。

「話は、終わりましたか?」

「終わってねえよっ。エン、お前からも、こいつに言ってやってくれよっ」

 メルが噛みつくように返したが、エンは全く動じずに寝台に座ったままの若者を見る。

「準備は整ったから、いつでも出てきていいぞ」

 そう言われて、何のことかと眉を寄せたが、エンの背中越しに整ったその準備を見て、セイは顔を引き攣らせた。

「お前が寝ている間に、下準備は上々の出来で、終わってたんだ」

 晴れ渡った空の下、賑やかな光景が、そこにあった。

 楽し気な複数の男女が、豪勢な料理を所狭しと並べ、酒樽も数個運び込んでいる。

「先代頭が、戻ってきたと話したら、皆が大喜びでご覧の通りのお祭り騒ぎだ。まさか、こんなに喜んでいる奴らを、悲しませるようなことは、しないよな?」

 穏やかに、男はしっかりと念を押した。

 固まってしまったセイのすぐ傍で、オキが小さく溜息を吐く。

「……失言云々は、意味がなかったか。そこまで、逃げ場をかき消していたとはな」

 相手が悪かったと、今は大人しく諦めるしかないと、オキは若者の膝を前足で軽く叩く。

「……じゃあ、訊いてもいいよな? あのオジサンたちは、無事なのか?」

 静かな問いだが、答えは分かっていたようだ。

 頷いて見せると、セイも小さく頷いて溜息を吐く。

「宴会が、始まるのね。セイちゃん、そんな格好じゃ見栄えが悪いから、着替えて出て来なさいね。皆待ってるんだから、早めに出て来なさいよ」

 毒気を抜かれてしまった面々の内、いち早く立ち直ったロンが、いつものような笑顔を浮かべて言い、一同を促して退出していった。

 それを見送ってから、穏やかな笑顔のまま自分を見る男を、静かに睨む。

 順番を、間違える所だった。

 自分が群れを好きに動かすにも、分散を目論むにも、邪魔になる大きな壁があった。

 まずはこの男を、この妙に自分の事を知るカスミの息子を、この群れから引き離さない事には何も始められないと、セイは今、痛感したのだった。

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語り継がれるお話 3 赤川ココ @akagawakoko

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