語り継がれるお話 3
赤川ココ
第1話
エンの故郷は、東洋の大国だ。
本名は、シュウ・カエンと言い、田舎から立身を夢見て都に出て来た口だ。
今の国が定まる前の、殺伐とした時期に役人を志していたのだが、その試験を受ける前にその希望はついえた。
支援してくれていた商家が盗賊に押し込まれ、偶々外出していて助かったエンは、その手引きを疑われて、罪を負ってしまったのだ。
軽い罰で出て来れはしたが試験資格は奪われ、他に身寄りがなかったエンは死を覚悟して、獣が多く住む山の中に入った先で、彼らに出会った。
人に襲い掛かる虎を嬉々として狩り、その狩った獲物の全てを使い切る老人を皮切りに、妙に楽天家な若い男達や、真面目な顔でふざけた事を平然とやってのける男がいるその集団が盗賊で、自分を窮地に落とした張本人たちだと知ったのは、命を助けられた上に、生きる術を教え込まれた後だった。
衝撃を受けたエンに、慌てて言い訳してくれたのは、大柄な皺まみれの老人と、同じような白髪の若い男だ。
その時には、師弟の間柄になっていた老人と、友人と言ってもいい位に気安くなっていた赤目の男は、エンの顔色を伺いながらも、正直に話してくれた。
押し入った商家の、裏の顔を。
驚いたが、同時に得心が行く所もある話だった。
エンは元々、あの商家に売り飛ばされた子供だった。
身重だった母を攫った盗賊が、生まれた子供の処遇に手をこまねいた挙句の、所業だ。
物心はついていたが、逃げる力もなく諦めて下男となった。
勉強をさせて貰えたのも、十代になる前から夫妻に気に入られ、大人の欲を満たす道具となっていたからだ。
都に居を構えてから妙に羽振りが良いが、働いているようにも見えず、何か良からぬ事で儲けている気配は、ひしひしと感じていた。
どういう反応をするかと伺っている二人に、エンはあっさりと得心して見せた。
「もう、取り返しのつかない事でしょう? どういう理由であれ、オレの居場所がなくなったのは事実です。落ち着いた頃に分かって、むしろ良かった。荒んでいる時に言われていたら、適わなくても恨みを晴らしたいと思ったでしょうから」
「恨みは、ないのか?」
ジュラと言う名の男が、恐る恐る尋ねる。
「あるが、晴らそうと言う程じゃないな。もう、顔を見たくない程度だ」
穏やかに笑いながら答えたエンの前で、二人の顔が凍った。
「カスミの旦那や他の人たちには、あんた達から、よろしく言っておいてくれ。今のうちに、ここから出て行くよ」
「ち、ちょっと待てっっ」
大きな老人が、全身でしがみ付いて来る。
「それだけは、止めてくれっ」
「そ、そうだ、エン。恨みなら、いくらでも晴らせっ。カスミの旦那を差し出すから、な? お前がいなくなったら、ジャックがいなくなった後また、旦那やロンのゲテモノ料理を、食う羽目になるんだぞっ」
ジュラもしがみつくと言うより、体ごとぶつかって抑えつける。
「お前がいなくなったら、儂はこの先の老後を、どう過ごせばいいのだっっ?」
恨みを晴らす前に、ジャックの面倒を見る前に、危うく潰されて死ぬところだった。
あれから年月は瞬く間に過ぎ、色々と明らかになった事もあるが、その時々で足を洗う事を考えはしても、実行するには至らない。
なのに今になって、真剣に悩み始めていた。
このまま、自分がここの頭でいいのか、と。
エンが正式に、この盗賊集団の頭となって、早五十年。
仲間の信頼は、半分も満たない。
残りの半分以上の内の一部は、ロンが勝ち取っている。
それは致し方ない。
先々代の頭カスミの親友で、何よりこの集団を作り上げた張本人だ、未だに根強い崇拝者がいるのだ。
そんなロンをも軽く上回るほど、信頼され崇拝されていた存在が、五十年前にはいた。
寿命持ちの、一見頼りない容姿の若者だったが、それが逆に保護欲をかき立てたのか、仲間内は当時、妙にまとまった。
十代に満たない頃から、若者はこの集団をまとめて来たが、約束通り五十年ほど前に十八の年で足を洗い、自分たちの前から姿を消した。
頭を継いだエンは、心の底で気にはしていたが、その慌ただしさの中で深く考えることは出来なかった。
最近になって落ち着き、ようやくジャックの孫で、自分にとっても弟のような存在だった若者が、もうこの世にいないかも知れないと、思い当たった。
六十は、とうに過ぎていたであろう若者が、どんな生涯を送ったのか。
五体満足ではないから、奇異な目で見られるのは仕方ないが、それなりに幸せな人生送れただろうか。
気にし始めたら、際限がない。
上の空で家事をするエンを、何気なく手伝っている女が呆れているが、それにも気づかずに考え込んでいた。
今、集団は二手に分かれて動いている。
広い国々を、獲物を求めて探し回るのはいいが、最近では目を付けた連中が、他の盗賊に横取りされることが、増えた。
後手に回ると、振出しに戻って情報集めから始める羽目になる。
そこで、獲物を探し襲う者と、横取りしそうな盗賊を見つけ、その集団を壊滅する者を割り振った。
獲物を探す方は、伝手が多いロンが主力に動き、盗賊の割り出しと壊滅の方は、エンの指示の下で動いていた。
割り出しの最中のこの時期、指示を飛ばす役の頭は、大いに暇だ。
だから、余計な事を考えてしまっていると、自覚はあるのだが、つい溜息が漏れてしまう。
「……そんなに、お頭業って、大変?」
やんわりと、女が問いかけた。
ジュラの妹で、同じ色合いのジュリの問いに、エンはついつい穏やかながらも答えてしまった。
「大変そうに見えないのなら、一度、やってみるか?」
「お断りです」
やんわりと微笑んでの返しは、きっぱりしている。
この集団の頭の主な仕事は、雑用だ。
カスミの時は、その家事のやり方の雑ぶりに、見かねたジャックが買って出ていただけで、元から家事も頭の仕事だった。
その上、仲間の性質や、心境を考えて指示を飛ばし、時には気の利いた事を言ってやらなければならないから、寿命があったら早死にしそうな役柄だった。
代わる気がないのなら、なぜ当然の事を訊くのかと訝しむエンに、ジュリは首を傾げた。
「だって、今迄、感傷に浸れない程だったんでしょ?」
「感傷?」
「そう、あの子を送り出した後から、今迄」
顔に出していないつもりだったのに、これだから老獪な面々は油断が出来ないのだ。
苦笑して、頷いた。
否定しても、信じて貰えないだろう。
そう言えばと思い当たったのが、言われてからだったと言うのもある。
「……ここは、あいつと別れた場所と、近いでしょう?」
苦笑したまま、本音を吐き始める。
この地は、最後にあの若者と別れた場所より、少し東に位置するだけの、土地柄だ。
その地にある倉兼隠れ家で、若者は必要な物を数個背負い、旅支度をして去って行ったのだが、その必要な物は使い込むと壊れる代物で、簡単に作れる物でもない為、定期的に取りに戻るはずだ。
「二十年前には、残っていた物が減っていたんです。だから、元気なのかは分からないが、生きてはいるんだなと。あそこまで来れる程には健康でいるんだなと、安堵したんですが……」
十年前から、その数が減らなくなった。
最近この国のこの地に入ってからも、あの隠れ家に寄ってみたが、やはり十年前と変わらない数だ。
その意味することは明白で、エンは弟分の死を受け入れるしか、ないと感じたのだ。
「……馬鹿ね。わざわざ、そう言う事を自覚するなんて」
数を数えていなければ、そんな自覚なんかする必要なく、今でも元気だと思うことも出来たはずだと、ジュリは困ったように微笑んだ。
「ええ。馬鹿な事をしたと思っています。あそこのセイの残した物は、ロンと相談して早く片づけちゃいます。ついでに、あの隠れ家も潰してしまいましょう」
何もそこまで徹底することはないだろうが、気持ちを改めるにはそこまでするしかないと、エンはきっぱりと決めた。
カ・セキレイは、薬師の母を持つ。
姉のシュウレイに、身心の強さは全て取られてしまったが、手先は器用だ。
夜叉の国に迷い込んだ後、必死で生きている間に、気づいたら夜叉の一族に重宝されるようになっていた。
故郷の村に戻った先で連れ合いを見つけ、子供が出来た。
が、故郷の風習に則って、子供に願いを託す物を採取しに行っている間に、その村は盗賊に襲われてしまった。
その盗賊が、何者かは未だに分からないが、生き別れた連れ合いと再会できたのは、女の死の直前だった。
娼婦の館に売り飛ばされ、身請けされて所帯を持っていた女は、不幸な事に再び賊に襲われた村にいて、今度こそ命が尽きた。
幼い子供が、残された。
コウヒと名付けられた少年を引き取り、その上で生き別れた自分の息子も探し出した。
が、弟のはずのコウヒが大きく成長しているのにかかわらず、実の息子の方は再会してから一寸も成長しなかった。
柄にもなく心配してしまったセキレイは、それが息子の事だとは告げず、大叔父に当たる男に相談した。
自分は、妙な男の倅の一人に当たるらしい。
その自分に血を分けた子供がいると知れたら、大叔父にも迷惑がかかる。
幼かったコウヒを見て、妙な顔をしたから、その事実を知ったら更に困惑するだろう。
「……質の悪い、呪いだな」
大叔父は、話を聞いてそう言った。
「記憶を抑える呪いに重ねて、偽りの記憶を馴染ませたせいで、その子自身の受けた衝撃が拍車をかけて、時を止めてしまったんだろう」
よりによって、とんでもない年齢で止まってしまったものだと、セキレイは内心嘆いた。
産まれた時に、村の儀式でかけられる呪いが消え切らない年齢で、息子の時は止まってしまっていたのだ。
父親の心境に気付いても、息子は平然としていたが、代わりに人前に出て来なくなった。
父親や叔母の前にも、姿を見せなくなった若者と呼ぶには幼い息子に、まだ洟垂れ小僧だったコウヒを預けようと思い当たったのは、気まぐれ以外の何物でもない。
適当な理由を作り上げて、自分が縄張りにしている土地からも、追い出す形で出した。
倭国とさげすまれている、島国に渡ったと風の便りに聞いた十数年後、大きく成長したコウヒが一人で戻って来た。
養い子の持って来た知らせは、二つ。
火事でセキレイの実の子を死なせてしまったと言うものと、もう一つ……セキレイの、父親らしい男が率いる群れが、この世にあると言うものだった。
父親が、盗賊紛いの事をしている群れの頂点にいる事は、大叔父からも聞いていたが、コウヒの話を聞いてそれだけではすませられないと、考えるようになった。
コウヒが火事の場で訴えたのにも拘らず、兄のレンを見殺しにさせる事態にしたのだ。
聞いた話によると、父親のカスミは世を見通せる何かを持っているらしい。
それなら、息子の存在も孫の存在も知っていたはずなのに、見殺しにする仲間を咎める事もなかったようだ。
自分事なら、薄情な父親だと軽蔑するだけで済んだが、子が絡むとそれだけではすませたくなくなった。
だから、決めた。
自分のやり方で父親の邪魔をし、その群れを壊滅させてやると。
西洋の地に近い土地で網を張り、そこの仕事を全面的に任せているコウヒから、奇妙な相談を受けたのは、自分が目指す動きが軌道に乗り、落ち着いた頃だ。
父親のいる群れが目を付けた家に、先に入り込み女子供を連れ去り、金銭も奪ってくる。
目をつけられた家は、大概何かしら後ろ黒い所がある。
それを奴らの様に虐殺するのではなく、主のみ残して敢て役人沙汰にした上でその悪事の証を、見える位置に置いて置くか、無い場合はそれらしいものを見繕って置いて置く。
連れ去って来るのは、その家の裕福な暮らしをしていた女子供だ。
大抵の者は、懇意にしている売人に売り飛ばす。
見目のいい女は、娼館に売り飛ばす。
その際、売られた先で逃げる事がないように、女も子供もしっかりと調教する必要があった。
子供は面倒を見つつ、躾を施していくので問題はないのだが、女の方は貞操観念が強い者が多く、それを解きほぐして妓女としての技量を身に付けさせなければならず、時と辛抱がいる仕事だった。
セキレイは、子供の面倒は造作もないが、女の扱いには慣れていない。
女が目を合わせると、十人中八人は顔を赤らめるが、好きでもない女の体を撫で回すのには、躊躇いがある。
姉のシュウレイが手を上げたが、嫁入り前の姉にそんな恥ずかしい真似、させたくないと断った。
だからやむを得ず、セキレイは躊躇いながらも教え込むと言う目的だけで、女と接していたのだが、いざ売ろうとすると、女たちがすがって来るようになった。
口先八寸で丸め込んで、まるで騙り人の様な心境で売人に引き渡し、セキレイの雀並みの心の臓は、潰れる寸前にまで追いつめられた。
それを打破してくれたのが、数年前に仲間入りした人間だった。
サイカと名乗ったその男は、色好みの人間で、甘い顔立ちと声で女を魅了し、手管を教え込んだ上で、仕事としての気概を叩きこんでくれ、悩みながらそれを行っていたセキレイは、心の底から尊敬できる男となった。
「……その、女の扱いにかけては、尊敬してもいいかもねえ」
コウヒが待つその地の隠れ家の前で、一緒に来たシュウレイがのんびりと言った。
「信頼は出来ないけど」
コウヒの相談は、そのサイカの事だった。
セキレイと同じくらいに成長したコウヒは、直ぐに二人に気付いて駆け寄った。
赤毛の色男になった息子は、少しだけやつれていた。
「最近、例の隠れ家の一つで、奴らの仲間らしい奴を捕まえた」
若い男だが見目が良く、それならとサイカが女と同じ扱いで手を出すことになった。
「それが、一月前なんだが……未だに、物にならないと言い張ってるんだ」
「ん? そんなに手強そうな奴なのか?」
「オレは、捕まえる時にちらっと見ただけで、そこまでの奴にも見えなかったんだが……どうもサイカの奴、そいつにぞっこんになっちまったようなんだ」
これは、何か不味い失態になりそうだと、コウヒは義父の意見を仰ごうと判断した。
ミイラ取りがミイラに。
その言葉が、セキレイの頭をよぎった。
「本当に、そう言う事って、あるんだねえ」
同じことを考えたのか、シュウレイがしみじみと呟く。
あの一筋縄でいかない好色男を、腰砕けにする奴がいるとはと、感心している場合ではない。
取りあえず、その捕獲した若い男とやらに会おうと、セキレイは息子に呼び掛けた。
カ・コウヒは、赤毛でどちらかというと西洋の人間の顔立ちと色をしていた。
母親はセキレイの最愛の妻だから、父親の血が濃く出てしまったのだろう。
倭国にいる時も、その姿が目立つと気づいてからレンと死に別れるまで、住まいとした山の小屋から殆ど外に出なかった。
セキレイを頼ってこの国に来て、仕事を任せてもらったものの、倭国と同様に東洋の顔立ちの者が多いこの国では、国の境目のこの領域しか受け持てなかった。
方々に隠れ家を持つ奴らの中にも、覚えているだけでもコウヒと同じような奴がいたから、こんな場所にも腰を落ち着ける場所が要ったのだろうと、そこを見つけた時は思ったが、そこは他の隠れ家と違い、殆ど何もなかった。
小さな小屋に、生活に最低限要る物はあったが、武器や保存食、もしもの為の薬の類も殆んどない。
もう使っていないのかとも思うが、埃っぽい空気もない。
忍び込んだ仲間三人と共に、しばらく小さな小屋を探索していたが、コウヒはふと足下が気になった。
見た所、壁や床には何の変哲もない。
だが、妙に気になる何かがある。
軽く足を踏み鳴らしてみるが、音に変わりはない。
「外を、見てみよう」
三人の大男たちに声を開けて外に出、気になる何かの取っ掛かりを見つけようと、辺りを見回した。
国境の雑木林の中で、何かが光ったように見えた。
目を見張り、三人に声をかける前に、大男たちは駆けだしている。
人の姿を取れる夜叉三人の足は速く、体力に自信のないコウヒは追いつけないまま走る。
辿り着いてその惨状を見た時、足が遅くて良かったと、ついつい思ってしまった。
林の木々の間に、大男が三人、めいめいに転がっていた。
呻くことも出来ない程、完全に気絶している。
それを見下ろすように見ていた人物が、整わない息を殺してしまったコウヒに構わず、踵を返す。
小さな、人物だ。
いや、女にしては大きく、男としても自分達からすると小さいだけで、大きい方だろう。
だが、この三人を、完全に気絶させる程、強い奴には見えない程には、体も細く小さい。
傘を目深にかぶり、小さな荷を背負った背に、コウヒは震える声を投げた。
「お前、こいつらに、何をやった?」
歩き出していた足を止め、相手が振り返った。
その顔に、つい目が吸い寄せられた。
西洋の国の者でも、ここまで目を引き寄せられる人物は、少ない。
抜けるような白い肌に、完全に整った顔立ち、何よりもその白い肌の中で、黒々とした目が際立っていた。
旅装束のその人物は、静かに口を開く。
「降りかかった火の粉を、払っただけだ。何かされたくなければ、突然襲い掛からない事だ。返り討ちも時にはあると、思っておいた方がいい」
感情が伺えない、低くも高くもない、平べったい声だ。
「こんな何もない所で、うろうろしている方が悪い。誰かの縄張りの中だったら、理由なく襲われる事もあると、旅人なら知っておいた方がいいんじゃないのか?」
声と同じように感情の見えない目線に、コウヒは怯みつつも何とか笑みを浮かべた。
開き直りに近い言葉に、相手は呆れた。
「縄張り? もしそうでも、あんた達のじゃあ、ないよな? どこに何があるのかも分からないからこそ、あの小屋の中で粗探ししていたんだろ?」
「へえ、よく分かったな。まるで、その様子を伺っていたような言い分だ」
返しながらも、コウヒは緊張して体を強張らせた。
先程足下から感じた、妙な感覚。
どこかにあの小屋の下に向かう、隠された入り口があるのだ。
そこから、こいつは外に出て来たところを、三人が襲撃したのだ。
つまり、こいつは……あの群れの、仲間だ。
「……こちらは、襲われたから自分の身を守っただけだけど、怖がらせたのなら謝る。こちらとしては、要る物があってここに寄っただけで、ここの縄張りの連中とは、係わりがないんだ」
男の緊迫した気配を宥めるように、そんな事を言われたのだが、それは神経を逆なでする言葉だった。
「怖がる、だと?」
顔を引き攣らせたコウヒに、小さな人物は僅かに眉を寄せた。
言葉の選び方を間違えたと悔やむような顔だったが、自尊心を傷つけられた男は、そんな様子を伺うことなく、喧嘩腰になった。
正直言って、喧嘩沙汰は苦手だったが、こんな小さな若い奴に、侮辱されるのは我慢できなかった。
何の細工もなく飛び掛かった男は、立ち尽くしていた若い人物の手を攫んだが、その硬さに驚いてついその力を抜いた。
その隙をついて腕を振りほどき、素早く身をかがませ、コウヒの胸元をつく。
そう強い力での突きではないが、鍛えていない体には充分な力だった。
よろよろと後ずさり、何かが足を取って躓いて後ろに倒れ込んだ。
「……」
若干、呆れ顔になった若い人物は、尻もちをついて自分を見上げる男を見下ろして、何故か目を細めた。
見返すコウヒも、その目を見つめて妙な感覚を覚える。
どこかで会ったわけではないが、懐かしいようなこれ以上その身を害してはいけないような、奇妙な感覚だ。
見下ろしている黒い目も、戸惑いを浮かべていたが、空を仰いでから再び見下ろして来た時には、その感情も消えていた。
いや、別な感情が、それをかき消してしまっているようだ。
「まあいいや、ここで会ったからって、どうしようもないな。……私が、代わりに殴る訳には、行かないだろうし」
自分に言い聞かせるように呟き、コウヒをそのままに踵を返した。
そこをついて、男はその足にしがみ付く。
思わず蹴り離そうとする人物が、躊躇ったのを幸いに、そのまま体を引き倒し、地面に押し付けた。
腕は妙に固く、コウヒの力が及ばなかったが、他の場所は大丈夫の様だ。
すぐにその体から力が抜け、意識を奪えた。
「……ってことで、何とかその怪しい奴を捕まえて、ここに連れ帰ったんだが……」
シュウレイの白い眼が、痛い。
それなりに成長したいい年の男が、若い小さな人物の隙を突き、薬を用いて負かすしか出来なかったのだ。
体が小さい美しい女であるのに、夜叉を負かす程の剣の腕前を持つセキレイの姉は、血の繋がらない甥のその卑劣な行いを明らかに嫌っているが、弟も同じような者だと知っている為罵ることも出来ず、黙っている。
「眠ったそいつを調べたら男で、こっちの人間にしては珍しい毛色だった」
色白の肌でもしやとは思っていたが、傘に隠れていた髪は薄い色の金髪で、持っていた荷物には妙な物が入っていた。
それは、若い男がいた所から近い木の根元に見つけた隠し扉を通って入った、あの隠れ家の隠し部屋に、武器や薬と共に大量に置かれていた。
「……まあ、そいつの使い道は想像出来る代物だったが、それよりも、金目になりそうなもんが、そいつの首にかかってた」
それは、黄金で出来た鎖で連なった装飾品で、それだけでも値が張りそうなものだと言うのに、細工が細やかな物だった。
「よく見ようと触ろうとしたんだが、何かに刺された感覚があって、オレらの誰も取り上げられなかったんで、こりゃあ、何か呪いがかかってるなと。まずは、そいつをいいなりにしねえと、割に合わないと……」
幸い、その後売り払ってもよさそうな見目をした男だ、需要もありそうだと考えたコウヒは、サイカにいつも通りの作業を命じた。
いつもなら、三日もすれば、嫌がっていた女ですら、悦びの声を室内に響かせ始めるのだが、男だと勝手が違うのか、一月経っても全く変化がない。
それどころか……。
「そいつにかかりきりでサイカの奴、最近連れて来た女たちの躾を、さぼってるんだ」
お蔭で、ここにいる仲間と、連れて来た女が番になり、所帯を持ってしまう事態が起きていた。
「……」
面白そうに顔を緩ませるシュウレイの横で、セキレイは苦い顔になった。
「おい、そいつ一人の為に、割り合わない事態になってんじゃねえか」
「そうなんだよ。たかが、装飾品一つの為に、まさか、こんな損害になるとは……」
舌打ちした男は、ほとほと困り果てている倅を従えて、その件の若い男のいる部屋に向かった。
場合によっては、その若いのを始末しなければならない。
殺さないのを売りにしていたと言うのに。
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