第2話
上に建つ小屋は後回しにして、下の隠れ部屋を片付けようと、暇なエンはそこを訪れた。
思い立ってから、十日ほど経っている。
ロンに相談し、事情を知る人手が来るのを待っていたら、これだけの日にちが経ったと言うだけで、ぐずぐずと悩んでいたわけではない。
「使える武器も引き上げるとなると、何度か通う事になりそうだな」
面白くなさそうに、エンと同じくらいの体つきの男が呟いた。
姉であったランの姿を、そのまま貰った化け猫だ。
白髪で健康的な色合いのランと違い、黒髪の色白で草色の目を持つ男は、ロンとこの件を話した後こちらに送り出されたようだが、命令というより自主的に来ると決めたらしい。
「……本当に、往生したのか、いまだに信じられんからな」
「往生していないなら、どうなっていると言うんだ? 野垂死になんかされてたら、悔やんでも悔やみきれないだろう」
エンの溜息と共に出る嘆きに、オキと名乗る男は小さく笑った。
「あいつはああ見えて、まっとうな生き方が出来る奴だ。お前が、教え込んだんだろう?」
だから、自分たちが悔いるような死は、迎えてはいないはずだと、オキは言い切った。
「なら、何で、往生していないなんて、縁起でもない事を言うんだ?」
姿かたちがランだからなのか、エンは他の仲間よりは砕けた言葉遣いでオキと話す。
そんな男の問いかけに、オキも平然として答えた。
「真面目な奴だったが、それだけでまともな人間として死ねるという訳じゃないからな。血筋が、そんな理由で往生できるものじゃないと、お前も知ってるだろう?」
詰まって黙るエンに構わず、オキはゆっくりと頷く。
「気持ちは分かる。お前も知っているんだろう? あいつが、怪我を自然治癒できない事を? あんな状態で、寿命が消えるのは生き地獄でしかない」
「……お前も、知っていたのか。いつから?」
「初めて会った時から、だが」
頑なに、それを仲間に知られないようにしていた理由も知っているが、エンにそれも承知なのか尋ねるつもりはない。
往生したのなら、エンがそう思い込むことにしたのなら、振り切らせるのも手だと、ロンに言われてきたのだ。
オキも、同じ考えでここまで来た。
例え、あの若者がまだ健在でも、仲間たちに往生したと思い込ませる方が、双方の為だ。
だが、往生しているにしても健在だとしても、自分は本当の状況を確かめておきたいと考えていた。
いずれオキも、この群れから離れるつもりだ。
次に倭国に渡った時が、絶好の機会だと考えている。
最愛の連れ合いの元に戻れたら、後は自由にセイとも繋ぎを取れるようになるだろう。
一人そんな事を考えていたオキは、エンがやけに静かに歩いているのに気づき、振り返った。
「オレは、別れる前にジャックに聞いて、それを知ったんだが……何で、お前が、そんな大事な事を?」
この国の、上の人間が変わる戦の終わり間際、ジャックは穏やかとは言えない死を迎えた。
疑わしい人間を虐殺し始めた国の軍が迫っていて、烏合の衆で人数も減ってしまった自分達では、逃げる事しか残されておらず、大怪我をした老人は取り残されるしかなかったのだ。
最終的にそう決めたのは、ジャックの孫であるセイだ。
エンを看取り役に指名したのもセイで、もし国の連中が大挙しても、エンならば相応の動きが出来ると、踏んでの事だっただろう。
だが、ジャックがそれを拒んだ。
拒んだ上で孫の心配事を話し、エンにその思いを託して送り出した。
今迄、それを誰かに話したことはないのに、なぜこの猫もどきが知っているのか。
オキは半歩、男の傍から飛びのき、間合いを取った。
穏やかに笑うその声が、いつも以上に緊迫させないものになっているが、それで油断するのは、命とりだ。
エンが手を伸ばしても届かない所まで離れ、男は口早に答えた。
「偶々、様子を見に行った先で、あいつが、お前の仕掛けた罠に引っかかってたのを、助けたんだよっ」
「……ん?」
いつの話だと眉を寄せ、幼かったセイを、旦那たちの目からも隠している時の話だと思い当たる。
そして、思い出した不思議の数々の答えがそこに転がり出、思わず立ち止まった。
「まさか、あいつだったのか? 何で、あの隠れ家の方から、罠が動くのか不思議だったんだ。外からの敵を想定した罠が、内側から破られて……」
それが、ある時から破られなくなったので、気にしない事にしたのだったが、それはまさか……。
「大人しく言う事を聞いておけば、罠を掛けずに出かけるようになるだろうから、辛抱しろと言ってやったんだ。感謝しろ」
聞けば、四方にある罠を動かしながら、徐々に外に逃げようと目論んでいたらしい。
オキと初めて会った時の罠は、足に引っ掛けた縄が、弓矢を引く仕掛けで、セイはその罠で腕を木に縫い付けてしまった。
「どうするのかと思ったら、口で矢を加えて木から腕ごと抜いて、矢を刺したまま小屋に走り出したんだ」
「その状況を、見てただけか?」
笑みを深めるエンを見ないようにしながら、オキは続けた。
「その間、泣き言どころか涙一つ零さず、竈から火種取り出した」
何をする気なのか、ようやく気付いたオキは、そこで慌てて声をかけたのだ。
突如聞こえた声が、はっきりと話しかけているのに驚き、セイは目を丸くしていたが、オキも驚いた。
それより数年前、銀髪の男が沈んだ顔で会いに来た事があった。
カスミに伝えて来たのは、男の実の子の死。
ようやく、あの朴念仁に家族が出来たと思った矢先の事で、出来た男のはずなのに、身を固める事は難しいんだなと思ったものだったが、その死んだと諦められた子供が、目の前にいたのだ。
「カスミの旦那もロンも、お前が女を囲ったと思い込んで調べていたが、オレとしては、男女の見分けより、そっちで驚いた」
「朴念仁と言うより、考える頭が足りないだけだろう、その男は」
穏やかに、エンは見た事のない男を、そう切り捨てた。
話は逸れたが、この時にオキは、セイの怪我への処置が乱暴すぎると疑問を持ち、尋ねてみたのだった。
「血を止める方が先だろう? なのに、真っ先に傷口を塞ぐ方を考えた。血は傷が開いたままでは止まらない。だから、もしや、傷が塞がらないのかと、訊いてみた」
「……どう、答えた?」
声音が、若干震えたが気づかぬ振りで、オキは答えた。
「塞がるが、何故か起きてたら塞がらないと。あのまま眠れば、訪ねて来たお前が心配するから、血だけは止まるようにしておきたかったそうだ」
正しく言うと、血が流れたまま眠って、エンが不用意に血に触れることを恐れたのだが、それを言っていいものか、オキはまだ様子見をしていた。
「そうか。ジャックの言ったとおりだったんだな。オレはてっきり、別な理由もあって、頑ななんだと思っていたが、取り越し苦労か」
男は息をついて、その話を切り上げた。
もう、終わった話だと、割り切らなければならない。
いつまでも故人を、引きずるのは故人にも失礼だ。
気を取り直して顔を上げ、エンは隠れ家の入口へと向かったが……林に向かう足が、目の端に移った者を見て、止まった。
続くオキも同じ人物を見て、止まる。
一休みするのに使っている、小さな小屋の前に、大きな男が立ち尽くしていた。
自分達はあまり使っていないが、雨風は防げる屋根のある場所だ、この辺りの樵や猟師も、気楽に使っていると感じていたが、そのどちらでもない様だ。
何かを待っている様子のその男の傍に、数人の男が何やら周りを伺いながら集まって来た。
誰もが自分達よりも大きな、体格もがっしりとした男達だ。
狩りの道具も木を切る道具も持たぬ男たちに、怪しさが増していく。
何やら気楽に話している男たちに、エンも気楽に近づいていく。
「この家に、何か御用ですか?」
丁寧な言葉で声を掛けられ、男たちは振り返った。
その連中を間近に見て、エンの後ろに立つオキが、軽く驚いた。
人里に近いこの地に、これだけの数の夜叉が人の姿で現れるのは、珍しい。
エンも、その珍しい男たちに目を丸くしつつも、振り返った相手の様子を見守った。
強面の男は、頼りない優男にも見える二人を見止め、目を細めた。
「ここは、お前の住処か?」
「ええ。と言っても、近頃は使わないもので、そろそろ片付けようと、足を運んだ次第なんですが……」
正直に話したエンは、自分よりもかなり大きな男たちが険しい目を更に険しくし、目くばせし合うのを見て、つい小さく笑った。
「何か、良からぬ謂れのようだな」
「こういう奴らが、人の姿を取ってつるむんだ、そうとしか考えられんはずだが。何を今更」
呆れて呟くオキとエンを素早く取り囲み、男の一人が静かに問う。
「お前ら、盗賊だな?」
「そういうそちらは? 役人ではないだろうに、威勢がいいな」
「それは、こちらの台詞だ。頭が化け物だからと、自分まで強いと考えている口か?」
何がおかしいのか、男たちは嘲笑し、二人を見下ろした。
「ここは、オレたちがいただいた。随分荒稼ぎしていたんだな、お蔭で大儲けだ」
その言葉で、巧妙に隠していた入り口も、すでに見つけられていると知り、エンは溜息を吐いた。
「……まあ、埃まみれとは言え、いい品が揃っていたはずだからいいが、あんたらも盗賊なのか? その割に、小心者の集まりの様だな」
儲けていそうな盗賊の隠れ家を見つけ、留守の間に入り込む。
体が大きい、しかも夜叉と言う腕力を持つはずの種族が、情けない事だとエンは笑みを濃くした。
「口だけは一人前だな。だが、オレたちがいる内に来るとは、運がない」
値踏みするような目を受けながらも、二人は立ち尽くしたままだ。
「この間の奴には劣るが、磨けば高く売れるんじゃないか?」
目を細めたオキの腕を、男の一人が攫む。
「……痛い目見たくなければ、大人しくついて来るんだな。なに、すぐに楽しくなってくる」
言いながら笑う男に目を向け、エンは連れを見返した。
「オキ、確か、例の奴らは、狙った家から、女子供だけを連れ去っているんだったな?」
「そう言う話だったな」
腕を攫まれたまま、オキは呑気に頷いた。
「オレらは、確かに多少見目に自信があるが、年齢的に高くは売れないんじゃないか?」
「どうだろうな。この世には、信じられんほどおかしな好みを持つ者もいる。場合によっては、お前でも高く売れるだろう」
成程と頷きながらも、動く気配のないエンの腕を、焦れた男が攫んだ。
「何を訳の分からんことを言っている。さっさと来いっ」
手を引こうと力を籠める手首を、その手の半分ほどの細さの手が攫んだ。
「どの位の値で売れるのか、試してみたい気もするが、まずは仕事だな。先に、訊きたいことがある」
その手を振り払おうとして目を剝いた男に、エンは穏やかに声をかけた。
「オレたちが探っていた家を、先回りして襲っていたのは、お前たちか?」
「……だとしたら、どうする? 頭に知らせるか? どうやって?」
振りほどけない手の力に、内心焦りながらも必死で笑う大男を見上げ、優男は言い切った。
「もう少し、詳しい話が聞きたい。一緒に来てもらおう」
「ふざけるなっっ」
傍に立っていた男が、拳を振り上げた。
が、その腕は上がったまま動きを止める。
首筋に、細身の刀の刃があった。
「……全員連れて行くことはないだろう。そいつ以外は、土に捧げるか?」
腕を攫んでいた男は、既に当て身で地面に転がっている。
他の男達を気配で牽制しながら、オキが一応お伺いを立てると、エンは少し考えてからいつものように穏やかに笑った。
「いや、連れて行けるだけ、うちに御招待しよう。残りは、そちらの頭に言伝を頼む」
隙を伺う男たちを一人一人見据えながらも、穏やかな笑顔は消えない。
「近い内に、手土産付きでそちらに伺う。尻をまくって逃げてくれても構わないが、出来れば直に会って貰いたい。確かに、伝えてくれ」
表情と同じ、穏やかな口調で言い切ると、顔を歪めた男が飛び掛かるが、腕を攫んだ男の手首を攫んで解いたエンは、飛び掛かった男を一撃でのした。
そして、意外にも強い力で振りほどかれ、手首を抑えて呆然とする間近の男を見上げる。
「……」
穏やかな笑顔を崩さない優男に、ようやく何かを感じた大男は、目を合わせたままじりじりと後ずさる。
「……行くぞ」
歯を食いしばって何かに耐え、大男は籠った声を後ろで構える仲間にかけた。
笑みを濃くする優男の胸の内が、手に取るように分かる。
相手より人数がいるのにも拘らず、そう断ずるしかない役立たずと言う汚点を負う心配よりも、これ以上仲間を減らす訳にはいかないと言う、自衛の念が勝った男の言に、仲間たちは不満を漏らす事なく従い、倒れている仲間と、男が刃を突き付けている者をその場に残して、去っていく。
叱咤を覚悟して頭に伝えなくてはならない……あの盗賊の頭の、息子がもう一人いると言う事を。
大男たちが去る後姿を、オキは呆れたように見守ってから、おもむろに刃を引き柄の頭で傍の男に当て身を食らわせた。
無事倒れたのを見下ろしながら、尋ねる。
「この隠れ家はどうする?」
「有耶無耶で、片づけが出来なくなりそうだな……」
二人の大男を肩に担ぎながら、エンは嘆くように答えた。
「尋問は、お前とジュリで出来るだろう? こいつを連れて戻ってから、オレがある程度片付ける」
尋問ではなく、拷問だろうが、そんな細かい言い間違いを正すことはない。
エンは少し考えてから、頷いた。
「そうしてくれるか? あまり、品は残っていなさそうだが、こういう奴らが入ったんじゃあ、物がなくなっても散らかっているだろうから、早めに片付けた方がいいよな」
歩き出す優男の後に、一人の男を肩に担いて続いたオキは、ちらりと小屋の方を一瞥した。
先程の男の言葉に、気になる話があった。
まさかとは思うが、確かめねばならない。
それによっては、少なくとも自分は、相手方の出方を変えなければならなかった。
そこは、夜だと言うのに静かだった。
いや、大概の家ならば、それが当たり前で、昼間が騒がしいのだろうが、この大きなつくりの屋敷のこの辺りの部屋は、夜に働く女を作り込む部屋で、仕込みは夜に行っている筈なのだ。
ここが静かな代わりに、隣の子供を主に躾ける屋敷の方が、賑やかになっていた。
「……」
「連れて来た女が可愛がっていた兄弟や子供も、奴らが可愛がり始めて、ここは殆ど作業が進んでない」
苦い顔を隠さないセキレイに、コウヒも苦い顔で説明している。
そんな二人を見ながら、シュウレイは最もな事を口走った。
「人任せにしてるから、こういう事になるんだよ。出来ない事をやらせるくらいなら、初めから別な方法を考えたら?」
シュウレイは、小さな頃から大叔父について旅をし、血生臭い世の理も身についているが、この二人はどこか弱く、言い方を良くすれば優しい男たちだ。
いくら許せないからと、残酷な盗賊たちの獲物を横取りして、相応の捌きをしようと心に決めても、自分たちは同じように残酷になれるかは、別だ。
それが分からない程頭は悪くないのに、困ったものだと女は内心呆れていた。
大体、連れて来られた女子供は、経緯を考えると後ろ黒い買い手しか付かない。
その後ろ黒い買い手が、再び奴らの獲物にまで落ちてしまうこともあるだろう。
そうなると、犠牲になるのはまた、女子供だ。
終わりの見えない輪に嵌まってしまっている感覚が、シュウレイを心配させているのだが、弟と甥っ子はそこまで考えていない様だ。
今は、滞った商売を動かすべく、一月前に捕らえたと言う男の元へと向かっていた。
屋敷内の奥にあるその部屋の前に立つと、薄い壁の向こうから、熱い男の声が聞こえた。
「私の可愛い子猫よ。そろそろいい返事をしておくれ。私と二人で、幸せに暮らそう」
扉にかかったコウヒの手が、固まるように止まった。
隣で、セキレイもあまりに歯の浮く言葉に、鳥肌を立てて立ち尽くしている。
それ程に熱を帯びた、サイカの声だった。
それに答えるのは、若い声だ。
「……あの赤毛の人に、引き合わせてもらうか、これを手渡して、早く売りに出すなりなんなりしてくれと、何度言ったら分かってくれるんだ?」
男とも女とも聞けるが、抑揚の欠片もない、無感情な声だ。
「駄目だっ、そんなことしたら、お前は、売り飛ばされてしまう。お前の物はお前の物でちゃんと残しておかないと駄目だ」
「それに関しては、構わないとも、再三言っているけど。本当に、私が高く売れるのか、気になってたし」
「自棄になるんじゃないっ。わたしがきっと、お前を助けるから……」
「……何でまだ、話がかみ合わないんだ?」
それは、こっちが訊きたい。
部屋の外で、無感情な声の呟きに、三人はつい心の中で同じ事を考えていた。
無言で顔を合わせる三人の耳に、サイカの声が再び届く。
「そうだっ、矢張り、私と逃げようっ。こんな所からは逃げて、二人で幸せになろう。何、私を支持してくれる奴だって、何人かいるんだ。頭の目からは逃げられる」
思い切った事をと呆れるセキレイだが、答える声に目を険しくした。
「だから、仕事をほっぽって逃げて、無事に幸せになれるはずが、ないだろう? 何で、いつもいつも、それを切り出すんだ?」
「お前が、色よい返事をくれないからじゃないかっ。こんなに私が可愛がっているのに、どうしてそんなにつれないんだっ?」
興奮の度合いからして、サイカが一方的に懸想しているのが分かるが、この状態で一月も転ばない相手に、シュウレイは少し興味を持つ。
修羅場にも似た部屋の様子に、入るのを躊躇っていた三人だが、次の若い声で、直ぐに動いてしまった。
「あんたは猫と呼んでくれるけど、生憎と私は犬猫の様に、そうやって体中撫でまわされても、喜べないから。可愛がられているとは、感じないんだよ」
無感情の声の言葉が終わらぬうちに、三人は同時に声にならない声を上げて、扉を蹴破っていた。
力のない男二人がいた割に、扉はすんなり壊れ、部屋の中に音を立てて倒れる。
部屋に乗り込んだ三人は、座ったままのサイカが、膝を前に進めて誰かを庇うようにするのを見た。
恋煩いか、やつれている色男を睨むセキレイの息が乱れているのは、何も扉を蹴破ったせいだけではない。
「お前、何を、血迷ってんだっ?」
混乱と鳥肌で、言葉が見つからず、それしか口走れない。
そんな様子で、頭はまず吐き捨てた。
セキレイの横を通り過ぎ、シュウレイがサイカを力任せに弟の元に放り投げ、庇われていた人物を見下ろした。
慌てて女にすがろうとする部下の胸倉を攫んで立たせ、凄味のある声で言う。
「仕事を放ったらかしで、何をやってんだ、お前は?」
「お、お許しくださいっ。私は如何様の罰も受けます。その子だけは……」
「お前、頭がイかれたかっ?」
我に返って謝罪したが、出てくる言葉は相手の命乞いだ。
ここまで狂うかと、目を剝く男に、シュウレイが声をかけた。
「……セキレイ」
「何だよっ」
姉に対してもつい乱暴に返し、我に返った。
目を上げると、顔だけ振り返ったシュウレイが、目を合わせてすぐに前の人物を見下ろした。
無言のその仕草につられ、サイカの恋煩いの相手を見る。
「……ん?」
顔を強張らせすがろうとする部下を、コウヒの方へと押しやり、姉に近づく。
十代をようやく過ぎた頃の、自分達からすると若いその男は、近くで見ると目を見張る程に綺麗な顔立ちだ。
うんざりとした顔で女を見上げたまま、僅かに眉を寄せていたが、近づいて来た男に目を向けて目を見開いた。
まじまじと見るその黒い目を見やり、セキレイも目を剝く。
「なっ、お前……」
姉弟二人は、言葉が見つからず、目を見合わせた。
近くで見てようやく分かったのは、もういないと思っていたから、その存在を考える事すらしなかったからだ。
だが、ここまで近い場で顔を合わせれば、嫌でも分かった。
信じられない、だが、見間違いではない。
世話になった大叔父の、死んだはずの子供が目の前に座っていた。
驚いた後に、この状況を思い出し、頭を抱えたくなる。
知らずに自分は、この若者に何をしようとしていた?
そして、コウヒが気づかないのは仕方ないとしても、どう言う連れ去り方をして来た?
「……しまったねえ。この失敗を、どう取り戻す?」
後ずさる弟に、シュウレイは首を傾げて呟いた。
卑怯な手で連れ去って、一月もこんな場所に閉じ込め、ゲスな男の餌食にしていたと大叔父が知れば、いくら甥っ子の息子とは言え、激怒するだろう。
ここの頭を名乗るセキレイが、知らなかったでは済まされない。
いい薬になるのはいいが、その後使い物になるまで回復するまでが、また長いんだろうなあと、姉はのんびりと考えつつも、考えを巡らす弟を見守る。
そんな姉弟を見上げたまま、若者は目を見開いていたが、やがて目を細めて静かにその後ろを見た。
慈悲を訴えるサイカとコウヒを見止めたまま、両手を首に回して首にかかっている鎖を外す。
黄金の小さな粒の鎖の先に、同じような黄金の細工が下がっているそれを、そのまま前に差し出した。
「……これが、欲しかったんだろう? ここに長居したくないんだ。さっさとここから出してくれ」
高価に見える装飾品だ。
シュウレイは話には聞いていたそれを見下ろし、気づいた。
その装飾品が乗った掌。
そのひ弱そうな体つきの男にしては、節だった指だ。
よく見ると、色も違う。
白いのは同じだが、透き通り方が、足や顔と違うように感じ、近くに顔を寄せた。
「お前のその手、もしかして紛い物か?」
「そんなこと、あんた達に話す理由は、ないんだけど」
無感情な答えに唸り、セキレイを見た姉は、弟が更に目を剝いているのに気づいた。
剥き過ぎて、目が飛び出るのではと焦ったくらいだ。
「せ、セキレイ?」
「お、前、それは、どこで手に入れたっ?」
勢い込んで手首を攫み、その勢いのまま問いかける男に、座ったままの若者は答えた。
「ある人から、借り受けてる物です」
その声が、若干冷ややかになったのは、気のせいではない。
「か、借り受け? それは、どう言う……」
「あなたでもいいですよね。これ、本人に手渡して返してください。それで、私が倭国に渡らなくてもよくなる。その際、きちんとあの人には話してやってくださいね。そこに何故、死んだと思っていた弟がいるのか、きっちりと」
大叔父が怒る前に、その子供の方が怒っているように見える。
戸惑って目を瞬くシュウレイの後ろで、コウヒが音を立てて息を呑んだ。
顔を強張らせて近づき、父親が攫む掌の中の物を覗きこむ。
綺麗な細工は、黄金で出来た八尾の蛇の様だった。
荒く削られた二つの石を守る様に、蛇は包み込んでいる。
コウヒは恐る恐る、自分の首元に下がる紐を、引っ張り出した。
小さな麻の袋は、小さな頃からお守り替わりで身に付けていた。
その中に入った、二つの石。
荒く削られた形の崩れた石は、翡翠と紅玉……黄金の蛇が包む石と、同じものだった。
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