第3話

 荷物を引き上げに行ったはずの頭が、全く別な手土産を掲げて戻って来た。

「それはいいけど、どうして三人も?」

 何となく事情を察したジュリは、束縛されて外に転がされた大きな男たちを見下ろした。

 夜叉と呼ばれる、この国でもあまり見ない種だ。

 珍しいとはいえ、そんな大きな嵩張る男を三人も持ってこられては、置き場もない。

「どうやら、例の獲物を横取りした奴らの、一味らしい。色々訊かないといけないだろ?」

 男を下ろしてすぐに踵を返すオキの背を見送りながら、エンが穏やかに答えると、女は首を傾げる。

「でも、訊いた後はどうするの? 言っておくけれど、力仕事の人手は、足りているからいらないわよ」

「戻ってもらうに決まってるだろ? どうせ、話如何では、乗り込む形になるんだ、どんな形で戻しても、おかしくないだろう」

「……」

 ようやく得心して、ジュリはおっとりと笑った。

「なら、夕ご飯前に、終わらせてしまいましょう。早く帰ってもらわないと」

「そうだな」

 寝床にしている小屋の扉を閉め、二人は外で男たちと向き合った。

「さて、まずは、何を訊こうかな」

 エンが呟くのを睨みながら、男の一人が吐き捨てる。

「お前の様な人殺し野郎、頭にかかれば一ひねりだ」

 オキに、初めのうちに打ちのめされた男だ。

 その失態を取り戻すかのように、憎まれ口をたたく。

「その頭に会った事がないから分からないが、ここにいない奴の名を出されても、脅しにはならないな」

 穏やかに答え、エンはその男の前に立った。

「何でも話せるように、素直になってもらうのが、先のようだ。まずは、足の小指から、潰していってみようか」

 さらりと言われ、目を剝く男たちの前で、女がおっとりと返した。

「それより、私の子たちのご飯にした方が、無駄がないんじゃないかしら?」

「いいんですか? あなたの子たちって、こいつらと同じ様な者なんじゃ? 共食いになりますよ?」

「大丈夫よ、大きさが違うし、この人たちからしても、うちの子たちと同じと言われるのは、心外と思うんじゃないかしら」

 分からないやり取りの後、エンは頷いて後ろに引いた。

 代わりに、ジュリがその男を見下ろして前に出る。

 何かを感じて男は後ずさったが、遠くには逃げられない。

「エンの言うように、足の小指から、徐々にいただきましょうね」

 おっとりと告げる女の背後で何かが動き、男の足に飛び移った。

 絹を裂くような悲鳴が、男の口から洩れる。

 目を剝く仲間たちの目の先で、男の足から血が噴き出た。

 泣き叫ぶ声に紛れて、ネズミに似た鳴き声が、無数に響く。

 男の履いていた靴が、仲間の目の前に落ち、そのすぐ傍の地面で、何かが固まってうごめいていた。

「まずは、右足の小指、ね」

「大きい割に、細くて小さいんだな」

 おっとりとした女の声と、穏やかな男の声が、場違いなほどに長閑に響く。

「歯ごたえがあって、おいしいんですって」

「エビの殻、みたいなものか?」

「そこまで、固くは無いと思うけど。でも、爪が鋭くてお肉もついていない印象が、強いわよね。夜叉って」

 ジュリは微笑みながら、泣き叫ぶ男を見下ろす。

「お話、出来る?」

「だ、誰が、お前らなんかに……」

「お次は、左足の小指ね」

「や、やめろっっ」

 叫んだのは、まだ無傷の仲間二人だ。

 が、その叫び声に、更なる苦痛の叫び声が重なる。

「話すっ、オレたちが話すから、そいつを……」

「何を、言ってるんだ?」

 喚くように言う男を遮った声は、あくまでも穏やかに続けた。

 振り返った顔も、笑みを浮かべたままだ。

「お前たちには、何も訊いてない。黙ってろ」

 何故か、舌が凍る。

「そうよ、黙っててもらわないと、うちの子たちが興奮しちゃって……ほら、あなた達のせいよ」

 おっとりとした女が、残念そうに足元を見下ろした。

 仲間だった男は、もう泣き叫んでいなかった。

 仰向けに倒れ、動かない。

 その上に、こぶし大の生き物が群がっていた。

「ただでさえお腹がすいているのに、あんな刺激的な声を聞いたら、我慢なんかできないのよ」

「人手がないから、これからの事を考えたら、空腹のままでいて欲しかったな」

「ねえ」

 長閑に話す男女の前で、一人の男が何かに食い散らされている。

「……貴様ら……」

 歯噛みする男の横で、もう一人の男は、女の肩に飛び乗って来た生き物を見止め、顔を歪ませた。

 自分の拳大の鼠にも見えるが、よく見るとそれは、人の形をしている。

 甘えん坊なのか、女の顔にすり寄るその口は、食っていた物の血をべっとりとつけたままだ。

「美味しかった? 良かったわね」

 鼠の様な鳴き声で答えるその生き物に、見目麗しい女がおっとりと笑いかけるさまは、男たちから見ても異様だった。

「よ、妖物めっ」

 つい吐き捨てたが、男女ともまったく気にしている様子はない。

 男の方は、全く話が聞けなかったと、残念そうにしていたが、気を取り直して首を竦めた。

「まあ、いいか。こいつらの頭の居る場所は、もう調べがついてるからな。詳しい事が訊きたかっただけで、このまま乗り込んでも大丈夫だろう」

 信じられない言葉に目を剝く大男たちを見下ろし、エンは笑顔で告げた。

「送り届けてやろう。ついでに、手土産も作って持って行こうか」

「流石に、三人も、こんな大きな人たちを食べさせたら、肝心な時に動けなくなっちゃうものね」

「見張り、頼む。本当は明日の昼間にしたいんだが、こんな嵩張る奴ら、永く置いて置けない」

 言いながら、男は小鬼に見える生き物たちを手で払い、血まみれで絶命する男の襟首を攫んだ。

 半端に食い散らかされた体が、仲間たちの目にも見える。

 無残な死にざまを目の当たりにし、顔を歪めている男たちに構わず、エンは小屋の中に死体を引きずっていく。

「貴様、死んだ者に、何をする気だっっ」

 声を裏返して叫ぶ男の声を背に、小屋の中に入ると扉をしっかりと閉めた。

 どうやら、死人を取り返そうと、束縛された身で暴れているようだが、ジュリはそれを見守っているだけだろう。

 永くこの稼業についていると、どんな大きな奴だろうが、縛り方次第で動けなくできると分かっている。

 人外でも同じで、何よりもこちらにはその手の奴用の縄も、隠れ家にそれぞれいくつか常備されている。

「卑怯な手なのは、盗賊だからと許してもらうしか、ないよな」

 小さく笑い、エンは肉をまな板の上に乗せた。

「さて、料理を作る間に、詳しい話を聞かせてくれ」

 穏やかな声に、笑いが滲む声が答えた。

「中々、面白い奴らが揃った群れ、だったぞ」

 扉の前に、いつの間にか立っていた男は、外の様子を伺いながら、話し出した。

 日が傾き始めた頃、エンは外に再び出て来た。

 後ろから、白髪の男が続いく。

 その男を見て、ジュリはわざとらしく驚いた。

「あら、お兄さん、帰ってたの?」

「おう、ついさっきな。留守の間に、面白い事になってるじゃないか」

「そうなの」

 おっとりと返す女の足元には、抗い続けたものの全く手も足も出ず、疲れ果てた男たちが転がっていた。

 焦燥した顔でエンを見上げた男が、その手に持つ包みを見て頭を上げた。

 その目を受け、エンは穏やかに言う。

「こんな刻限にお邪魔するんだ、手土産くらいはいるだろう? うまい肉が、先程手に入ったんでね」

 その言葉を聞いて、二人の男は目を剝いて包みを見上げた。

「散々邪魔してくれたんだ、これで終わりだとは、思うんじゃないぞ」

 疲れ切った身心に、その穏やかな脅しは真っすぐ突き刺さった。


 やはり、自分ではまとめきれないと、コウヒは言ったのだが、もう少し頑張れと宥められて今に至る。

 あの後、女たちを閉じ込める屋敷から出て、子供たちの躾を施す屋敷へと移り、今後の事を話し合ったのだが、まずはと、セキレイは一緒に連れてきた若者を見た。

「お前、名前は?」

「……」

 げっそりとはしているが、少しは気を取り直したのか、若者は周りを目で伺っていた。

 が、名乗る気はないらしい。

「おい、自分の立場が、分かってるのか?」

 目を険しくした息子が、思わず口を挟んだ。

「名前なんか、あんたらが決めて売ればいいだろう? 今更、名乗る名前なんか、ない」

 確かにと、つい思ったコウヒの前で、父親は深い溜息を吐いた。

「売る気で、名を聞いたんじゃねえよ。名を知らねえと、どう呼べばいいか、分からねえだろう?」

「呼ばれないと、いけないのか?」

 無感情な声に、男は大きく頷いた。

「お前は、オレが傍に置く」

 傍で聞いていた部下も、コウヒも肩を跳ね上げて驚いた。

「親父っ? 気は確かかっ?」

 セキレイは心身ともに弱いが、何故か人に好かれる。

 だが、最愛の連れ合いを亡くしてからは、同じ人間を傍に侍らせた事がない。

 傍に置くときも、相手から申し出られ、頼まれた時だけだ。

 それなのに、先程から、この若者を見てから様子がおかしい。

 サイカに続き、親父までこいつの毒牙にっ?

 頭を抱えた倅に、父親は呆れた目を向けた。

「お前、考え方がサイカ寄りに、なっちまってるぞ」

 その日は、とうとう名を知らぬまま、仕方なく小さな部屋に入れて置いた。

「知ったからには、知らせねえとな」

 セキレイは、自室で姉と倅に言った。

 話が見えないコウヒに、自分達から見ると大叔父に当たる人と、若者の関係を話す。

 そうして、青くなった倅を見ながら、溜息を吐いた。

「それだけでも、不味いと言うのに……どうすりゃあ、いいんだろうな」

「何の話?」

 若者との対面の時の弟の動揺を、不思議に思っていたシュウレイが首を傾げた。

 大叔父の子供への対応を嘆くだけにしては、様子がおかしい。

「……あれ、レンが持ってた石、だよな」

 コウヒは、覚えていた。

 レンと共にセキレイの元を離れる時、自分も貰った石だ。

 レンは、隠れ住む前にそれを貰っていたらしく、手慣れた様子で布切れを縫って袋を作ってくれ、今首にかかる物も、その時の物だ。

「何で、あいつが、持ってんだ?」

 あの火事で、死んでしまっただろう兄の形見の品を、セキレイは受け取らなかった。

 やはり、手渡されたと言う、若者の言を信じたとしか、思えない。

 どうして、自分がレンの弟で、セキレイが父親だと分かったのかは知らないが、どういう経緯で手に入れたか分からないそれを渡すことで、命乞いしているともとれると言うのに。

「……あれは、本人が手離すと決めねえ限りは、死んでも奪えねえんだ」

 それは、コウヒの物も同じだと、セキレイは言った。

 男の子供が生まれると、一族の男はその子に色違いの石を贈る。

 ある霊山で取れる石で、見た目も種類としても小さな紅玉と翡翠だが、その二つを持つことで、呪いに特に弱い男児を守る役割をする。

「所帯を持つときには片方の石を連れ合いに贈り、連れ合いが世を去った時は、その墓に両方の石を一緒に入れる。そうすることで、連れ合いが呪いをはねのける壁になってくれるようになる」

 その話、聞いた事がないぞと、コウヒは眉を寄せた。

 知っていれば、自分も伴侶とした女の傍に、この石を置いて来た。

 呪いが弱いと言う程ではないが、連れ合いに贈る習わしなのなら、求婚する時に贈りたかった。

 言葉が足りないと少し憮然とした男は、話を反芻して思い当たった。

「……盗むとか、死体からは、奪えねえってことか?」

「あの人の子供なら、出来かねないが、やるような奴には、見えないだろう」

「……まあ、な」

 妙な感じの若者だが、あいつらの仲間にしては、手癖が悪そうでもない。

「見えないだけかもよ。だって、あの子の両手、紛い物だよ」

 どこからがそうなのかは分からないが、生まれつきならまだしも、もし誰かに切り落とされたのであれば、罪人だったからに他ならないだろう。

「あの見目のせいか、あいつらにも大切にされてはいたんじゃねえのか? 本当に足を洗ったかどうかは、兎も角」

 そうでないと、隠し部屋の中に、高価な物や武器薬類と共に、あの若者仕様の紛い物の手が、大量に保管されているはずがない。

「半分ほどはボロボロだったが、まだ一度も使っていない綺麗な物もあった。売りもんにはならねえから、一応置いてあるが」

「明日にでも、あの子に渡してやれ」

 セキレイは、倅を見つめた。

「お前が、手癖が悪くねえように見えたんなら、その通りなんだろう。お前に、あいつの世話を任せる。しばらく様子を見て、教えてくれ。レンが、完全に気を許した奴だ。丁重に扱えよ」

「……あの子って、女の子じゃなくても、大丈夫な子だったっけ?」

 シュウレイの疑いは、コウヒの思いでもある。

「だって、あの位の子相手でも、レンは小さいと思うよ? もしかして……」

 甥っ子の方は、鳥肌が全身に立って身を縮ませたが、弟は唸って頭を抱えた。

「もしそうでも、レンがいいなら、オレは許そうと思う」

 血を、吐きそうな声音だ。

「だが、詳しい話を聞いてから、その辺りの事は考えたい。もし、考え通りなら……どちらかを、女にできる術を考える」

「……いや、そこまで考えなくても、よくない?」

「何を言ってるんだっ。オレは、孫が見たいっ」

 その想いの元では、男女の壁も険しいと思わないらしい。

 戦の世だった倭国から、女を連れて逃げて来れず、子供も死なせてしまったコウヒは、それを話していない事と合わせて、負い目を感じている。

「……分かった。客として世話する。だが……向こうが、話してくれるかどうか」

 さっきの様子では、かなり怒っていた。

 あの目の前では、よっぽど図太くなければ、悪い事をしていなくても身を縮めたくなる。

「ならまず、あの子の中に残っている薬を、どうにかしてあげたら?」

 シュウレイの言葉に首を傾げてしまったが、翌日訪ねた部屋で、若者がうとうととしているのを目撃し、つい声をかけた。

「おい、まさか、あの時の薬が、まだ残ってるのか?」

 無言で一瞥してくる目も、妙に眠そうだ。

 もしや、そのせいで不機嫌なのかと呆れ、コウヒは傍に膝をついて若者の腕を取った。

 生身の部分は、肘の辺りからだ。

 肘の関節は曲がるから、一見しては紛い物の腕だと気づかなかったのだ。

 あまりうまくできる技ではないのだが、コウヒは慎重にその体に残る薬に意識を集中し、引き出していく。

 意外に多く残っていた薬を全て取り出すと、コウヒは溜息を吐いて若者を見た。

「悪かったな。まさか、ここまで永く残す程、薬に弱いとは思わなかったんだ」

「……」

 見返すその目は、何故か呆れている。

「な、何だ?」

「いや。何でもないです。どう言う心づもりであれ、助かりました」

 無感情なままだが、声は少し尖りがなくなった。

 内心ほっとして、コウヒは切り出す。

「朝飯、持って来たから、食ってくれ。後から、親父も来るから」

 黙った若者が、目だけを部屋の小窓に向けた。

 踵を返した時の目の端でそれに気づき、男はつい、釘を刺した。

「逃げるんじゃねえぞ。あの人、やろうと思えばすぐお前くらい探し出せる。諦めるまで薬詰めにするくらい、平気でする。そんな生活、したくねえだろ?」

「……何で、そこまで?」

 昨日会ったばかりの男の執着に、若者は若干引いているようだ。

 そりゃあそうだと溜息を吐き、コウヒは答えた。

「お前、レンと親しいんだろ? 詳しく聞きたいんだとさ」

「いや、親しいって程じゃあ……」

「そう言う話は、親父にしてくれ」

 コウヒは言い捨て、部屋を出て行った。


 赤毛の男が部屋を後にする背を見送り、若者は深く溜息を吐いた。

 体中の息を全て吐き出す勢いで吐きながら、どうしてこうなったと思いを巡らせる。

 倭国に向かおうと思い立ったのは、最近だ。

 年月を過ごす内に、年を数えるのを忘れていたのだが、偶々人里に出て、知っている顔が随分と年食っている事に気付き、もうそんな年齢なのかと実感したのだ。

 六十過ぎたと言う事は、人間だとするとすでに老衰で往生している年だ。

 そう考えると、色々と考える事が出来た。

 祖父母が眠る地に足を運び、その荒れ具合を見ながら考えた。

 そして、約束の事を考えたのだ。

 遠い日の、幼い頃に交わした約束だ。

 あの時の自分より、少し年長の若者と、ある約束をして形見の品を預かった。

 年老いた自分が、墓にまでその形見を持って逝き、その頃を見計らって、その若者レンが墓を探し出して形見を取り戻す、そんな奇妙な約束事だ。

 それは、まずは自分が寿命で往生するならの話だったが、こうして若くして時を止めて、生き続けてしまっている。

 探しに出られてもし、ばったりと顔を合わせてしまったら、レンはどういう顔をするだろうか。

 想像が出来ないそれを考えて悩むより、自分から行って預かり物を返し、すぐに逃げた方が、後々の憂いはなくなるのではないかと、そう考えた。

 その思い付きより、つい、あそこでコウヒを沈めるのを躊躇った事の方が、今の厄介な事態の原因だろう。

 今から思えば、知り合いの兄弟の息子なのだから、レンほどではないにしろ、多少の頑丈さはあるだろう。

 捕まり損の上に、この数十日無駄に過ごしてしまった。

 穏便に、ここから逃げようとしていたのだが、朝から晩まで居続ける男が、それを妨げた上に、売り飛ばしてもらった後で逃げると言う手段も、失敗に終わった。

 こういう事態は、数年に一度ある。

 どういう企みをしても、相手が意図せず裏を突き、中々抜け出せない事が。

 だが、それは一つ一つの企みごとで、ここまで何個もの画策が裏を突かれる事態は、初めてだった。

「……嫌な感じだな。あんな人まで出て来るなんて」

 ここでの足止めが、長丁場になりそうな予感に、若者はうんざりとした気持ちが隠せなかった。

 セキレイと呼ばれていた男。

 あれは昔数度会った事があるきりの、ある盗賊の頭の血を引く男で、遠い日に約束した若者の父親だ。。

 力の方は、姉らしき女の方が強いが、得体が知れない空気がひしひしとあった。

 自分の顔を見てなぜか驚き、レンからの預かり物を見た時も、目を剝いて驚いていた。

 石を見て驚くのは分かるのだが、どうして自分を見て驚くのか。

 しかも、預かり物を受け取って自分を売り飛ばすなり、始末を命じるなりすると思ったのだが、経緯も訊かずに傍に置くなどと、寝ぼけた事を言い始めた。

 突拍子のない事を言い出す者は、あの盗賊たちの中で慣れたつもりでいたが、まだまだ足りなかったようだ。

 今は兎に角、大人しくしていようと決め、若者は小さな机の上に置かれた料理に手を付けた。

 動く機会をここまで永く伺えたのは、毎日食べる物にはありつけたからだ。

 途中で体力がなくなる心配はなかったが、別な事で逃げると言う動きが取れなかった。

 それが、体に残っていた薬、だったのだが。

「……」

 頭である男とその姉が来たことで、ここの様子も変わってきたようだ。

 食べる物の質は同じだが、若者には影響はない。

 このまま逃げるのは簡単だが、差し引きであいこにするには、多すぎる借りが出来てしまった。

 それを返すべく、若者は食事を食べた後の空の器を手に、部屋の扉の前に立った。

 両手を塞いだままだったために、使った足で軽く触れた扉は、すぐに開いた。

 どうやら、閉じ込める気も、ないようだ。

 廊下に出て、他の部屋の気配を伺いながらも、炊事場を探す。

 暫く体を動かしていない為、空の器が重く感じるが、疲労する前に炊事場を探し当てた。

 そこには、忙しく動き回る、一人の女の姿があった。

 小さな体で火を大きく熾し、包丁を巧みに操って野菜や肉を切り分けて、鍋に放り込んでいる。

 邪魔にならないように、その合間をぬって洗い場に向かい、空の器を洗って女の元へと戻った若者は、一息ついている時を見計らって声をかけた。

「洗った物は、どこに置けばいい?」

「ああ、その籠の中に……」

 言い捨てるように答えた声が、途中で途切れた。

 若者を振り返り、目を丸くする。

「あんた、誰?」

 頭の先から足先までを流し見した後、女は若者の顔を見つめた。

「あんた、まだここにいたっけ?」

 見返す若者も、女を静かに観察しながら訊き返す。

「いた事は、知ってたんだな」

「連れて来たコウヒが、珍しい毛色だと話してたからね」

 でも、一月前だから、とっくの昔に売り払われたと思っていたと、女は取り繕うことなく話した。

「まあ、他の売り物がここに溜まってるから、一人や二人出て行ったって、私には分からなかったけど」

「他の売り物?」

「分かってるんだろ? あんただって、明日売り払われるかも知れない身だ」

 意地の悪い笑みを見返し、若者は頷いた。

「そうだと思って、半分は大人しくしていたようなもの、だったんだけどな……」

 自分事に精一杯で、周りに同じように連れて来られた者がいるとは、思いもしなかった。

 そう無感情に言う若者に笑い、女は言った。

「そりゃあそうだろ。今まで、部屋の外に出てこなかったんだから。鍵はかけてないんだから、屋敷の中は自由だったはずだけど……炊事場まで来れたって事は、頭に気に入られた?」

 隣の屋敷の方は、炊事場がないから、そこからここに来る事は、流石に出来ない。

 今、頭もここに来ていると知る、女の問いかけに若者は唸った。

「気に入られたかは兎も角、こちらに移された。向こうは無人になったみたいだ」

「へえ。じゃあ、やっぱりあれ、冗談じゃなかったんだね」

 にかっと笑い、女は頷いた。

「頭ってば、本当は優しいくせに、父親と張り合ってこんなことしてたから、いつまで持つかなあって、仲間と賭けてたんだよ。やっぱり、良心の呵責に負けたか」

 声をたてて笑いながら言い、若者から器を受け取った。

「ここを閉じるようなことを、仄めかしてるって、仲間の一人が言ってたんだ。役人に探られないように、ここの屋敷全部を取り壊すって。でも、どうするんだろうね。残った女や子供は?」

「……そんなに沢山、連れ攫ってたのか?」

 意外そうな若者の顔を見つつ、女は頷く。

「あんたは、違う理由だったっけ。ここの頭はね、親父さんがいる盗賊を、出し抜く事を生きがいにしてたんだよ」

「それは……」

「そう、あんたがいた所、だよ。足を洗ったとか言ってたけど、本当?」

 真っすぐに訊かれ、若者は天井を仰いで、頷いた。

「相当、酷い事やってるんだってね。いくら後ろ黒い金持ち相手でも、そんなひどい罰を与えるのが、同じ穴の狢じゃあ、救われないじゃないか」

「……」

 最もな感想に小さく笑い、若者は全く別な事を訊いた。

「あのコウヒって人とは、親しいのか?」

「どうして?」

 手を動かしながら訊き返す女に、若者は答えた。

「仮にも頭の息子を、馴れ馴れしく呼ぶくらいだから、仲がいいのかなと」

「ああ……まあ、あの子が小さい頃、レンに預ける前は、私が面倒見てたからね」

「じゃあ、レンの事も知ってるんだな」

 女はすぐに頷いて、若者を見た。

「レンに、会った事があるのか?」

「まあ、随分前だけど」

「そうか、あの子も、残念だったよね。あの呪いさえなければ、セキレイ様と離れて暮らさなくても、良かったんだから」

 異国の地で死を迎えた頭の息子の話は、短く終えた。

「でも、後継ぎはいるんだから、大丈夫でしょ。後は、所帯を持って、早く後継者を作れば、申し分ない」

「……」

 うんうんと一人頷きながら、女は夢を語るが、若者はそこまで聞いて溜息を吐いた。

「ん? どうしたの?」

「いや。時々、あるんだ、どう言う国でも。その国の言葉が分かるつもりでいるのに、何故か、意味不明に聞こえる事がある」

「? 何の話?」

 嘆くような言葉は、女の方が首を傾げる、意味不明な言葉だった。

 不思議そうな顔に首を振って見せ、若者は軽い挨拶を投げて炊事場を後にした。

 部屋に戻る途中で、一つの扉の隙間からこちらを覗く目に気付き、立ち止まった。

 小さく悲鳴を上げて引っ込んだその目を追い、そっとその部屋に近づくと、部屋の中で異常に怯えている気配がある。

「……」

 少し躊躇ってから左右を見回し、素早く扉を開いて体を滑り込ませた。

 数人の小さな悲鳴を背に、直ぐに扉を閉める。

 若者は部屋に充満する異臭と、怯える気配に眉を寄せ、小さく溜息を吐いて浮かんだ感情を全て消してから、ゆっくりと振り返った。

 小さな部屋の中の片隅に縮こまる三人を見止め、薄暗い中では見えないかも知れないが、薄く微笑んだ。

 そのまま近づきながら、思う。

 これを明るみにして、恩を返したことになるのだろうかと。

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