第4話
部屋を覗いたセキレイは、そこにいるはずの若者が消えているのを見て、取り乱した。
「だから、鍵位かければよかったのに」
「……釘を刺しといたから、大丈夫だと思ったんだが」
あんな脅しでは効かなかったか、と呟くコウヒに姉が呆れるのに構わず、セキレイは外へと向かう廊下を走り出す。
大叔父と繋ぎを取る間もなく、子供を見失うとはと嘆きながら走る男は、向こうから歩いて来る若者と、まともにぶつかった。
誰かを跳ね飛ばしたのに気づいて立ち止まると、跳ね飛ばされた若者が廊下の先で倒れていた。
慌てて近づくと、小さな体を起こしながらセキレイを見上げ、冷ややかに言った。
「その目、飾りですか?」
取り乱していた胸に、深々と刺さる言葉だった。
「い、いや。すまん。大丈夫、だったか?」
「かろうじて。ここにいる娘さん方や子供だったら、間違いなく大怪我でしょうけど」
無感情な声は、容赦を知らない。
立ち上がった若者の前に膝を折ったセキレイの後ろから、その姉と息子が歩み寄る。
「お前、どこに行ってたんだ?」
「食器を片付けに」
「そんなの、後でオレがやるのに」
意外に馴染んでいる様子に安堵するコウヒを凝視し、隣のシュウレイを見やる。
女は眉を寄せて、若者を見ていた。
「捕らわれの身の者に施す食事の割に、味が良かったもので、作り手が気になったんです」
目が合った女に目を細めて見せながら、ゆっくりと言い訳した。
「チャンに会ったのか。あいつは、オレがここを任された時に、一緒に来てくれたんだ」
何故か目を見張る女の隣で、コウヒは顔を綻ばせた。
「あいつの作る飯は、親父もオレも馴染みがあるからな。褒められたら嬉しい。あいつも、お前に褒められてたと知れば、喜ぶよ」
「そう、ですか」
これは、駄目か。
嬉しそうなコウヒを見てからセキレイを見下ろすと、男は膝を折ったまま俯いている。
三人と会う前に集めた話をこの親子にして、直ぐに信じてもらうのは難しそうだ。
それにこの人は、一体何にそこまで、落ち込んでいるのだろう?
内心、困っている若者に声をかけたのは、そんな様子を黙って見守っていたシュウレイだ。
「まず、部屋に戻らない? こんな所で、これからの事を真面目に話すのも、なんだし」
「そ、そうだな。親父、しっかりしろ。むしろ、はっきり言って貰えてよかったじゃないか。こいつに怪我はなかったんだし」
「だ、だが、もし、こいつほど頑丈な奴じゃなかったら……」
この人、カスミの子供じゃないのか?
見誤ったかと、自分の考えを疑いつつ見下ろす若者に、シュウレイは溜息を吐いた。
「その辺りの話は、もう少し親しい間柄になってからにしよう。今は、この子の弱さは気にしないで」
何とか上辺だけは立ち直った男と共に、朝いた部屋に戻る。
机の上に、吹っ飛ばされても手から離さなかった布袋を置くと、コウヒが首を傾げた。
「何だ、それ?」
「炊事場の人に、分けて貰った食べ物です」
その答えで約一名、顔を険しくしたが、若者は気づかぬ振りで続けた。
「考え事をする時は、こういう甘い物がいいんです」
買うと高い筈の食べ物だと、袋の口を開けて中を見せた。
「ん? ああ、外に木があるからな。この季節、自然にたわわに実る」
「え、そうだったっけ」
シュウレイが目を見開き、袋の中身を覗いて目を輝かせた。
「美味しそうっ」
「何だよ、昨日から何も口にしてねえから、病にでもかかったかと心配してりゃあ……。まさか小姑根性で、チャンの作るもんに口をつけなかっただけ、じゃねえよな?」
セキレイが呆れて姉に問うと、女は不機嫌に眉を寄せた。
「あんな女に、そんな根性見せないよ。別に、あの女は誰の嫁でもないんだから」
「この屋敷の、母親みたいなもんだもんな」
コウヒが何度も頷くのにも、眉を寄せたまま答える。
「……あんなもの、本当の母親なら、作らないと思うけどな」
若者に目を向けると、丁度目が合った。
合わせたまま、若者が僅かに頬を緩ませる。
「よろしければ、どうぞ」
この子にならば、餌付けされてもいいかも。
シュウレイは思わず顔を緩ませて頷き、袋の中の桃の実を一つ手に攫んだ。
意外に大きい実に、思いっ切りかぶりつくのを見ながら、若者も実の一つを手に取る。
その様子を見ながら、椅子に腰を落ち着けたセキレイが切り出した。
「お前、レンと、仲が良いのか?」
思いっきり桃にかぶりつこうとしていた若者は、その口を開けたまま男を見た。
「どうしてですか?」
その真面目な顔での問いかけに、思わず桃を口から遠ざけ、真面目に訊き返す。
「その石、レンからの贈り物だろう? よっぽど親密な間柄じゃねえと、それを手離そうなどとは思わねえ筈だ」
真顔の言い分に、若者は眉を寄せた。
「贈り物と言うより、預かった物です。それに、仲が良いかどうかも……」
そこまで躊躇いながら答え、少し言葉を濁す。
「最後に会ったのは、五十年程前なんです」
「五十年……」
つまり、やはり、あの火事で生き残っていたのだ。
コウヒが、秘かに舌打ちしている。
それに気づき、若者はじっとりと睨んだ。
その目は、何の感情も浮かんでいない分、怒りを含んでいる時よりも胸に刺さる。
「火事の後、その焼け跡に、一度でも足を運んだんですか? そうしていれば、あの人と再会することも、出来たはずです」
レンは、火事のあと数日、主となる男が訪れるまで、あの場を動かなかったと聞いていた。
弟の何かしらの痕跡と、この事態を引き起こした者の痕跡を、何とか見つけるために。
言いながら向けられる白い目に、コウヒは顔を歪めつつも耐えた。
連れて行かれた先で、暫くは周りに動く事すら止められていたなど、只の言い訳でしかない。
あの群れを抜けた後も、あの山には近づかなかった。
自分の目で、レンの死を確かめるのが、怖かったのだ。
若者は、言い訳せず俯く男を睨んだ目の端で、桃にかぶりついていた女が、じっと見ているのに気づいた。
そちらに目を向けると、シュウレイの目は若者の手にある桃の実にある。
机に目を落とすと、そこに置かれた袋は、平たくなっていた。
「……」
確か、五個ほど袋に詰めてきたはずだがと首を傾げ、じっと見つめる女に手の中にある、まだ口にしていなかった桃の実を差し出した。
「いいのっ?」
「ええ……よろしければ、どうぞ」
今迄二人の男とは話をしていたから、桃の実を口にしていたのはこの人だけのはずと、つい気になってしまった若者の前で、シュウレイは大きな口を開けて桃にかぶりついた。
そうして、息もつく間もなく、大きな実を口の中に押し込んでいく。
小さな体の小さな口の中に、一度にそんなに入るのかと目を見開くその前で、女は瞬く間に桃の実を食いきってしまった。
器用に種を口から吐き出し、果汁が滴る口元を満足げに腕で拭う女を、若者は感心して見やる。
「……意外に、口の中は大きいんですか? もしかして、この机も丸呑みできますか?」
「何でそうなるの? 机は食べられないよ?」
「食べられるものなら、大丈夫なんですか? なら、鹿でも狩ってきます」
今の状況を忘れて、若者はすぐに立ち上がったが、当然前に座った男に止められた。
「こら、外に出るのは、許せねえぞ」
「というか、流石に鹿を丸ごと食べたら、色々、心配だよ。火を通した物なら、歓迎だけど」
セキレイが低い声で言うのに続き、その姉はへらりと笑った。
「なら、丸焼きにします。大丈夫、血抜きも腑抜きも、出来ますから」
「だから、もう少し後にしろって。お前、単にこの人の奇人ぶりを、見たいだけだろう?」
場違いな話が盛り上がってしまい、落ち込んでいたコウヒがつい、棘のある窘め方をしてしまう。
それを聞き咎めたのは、シュウレイだ。
「誰が、奇人だよ? ただ、食べるのが大好きな年頃の娘、ってだけなのに」
年頃?
本当の年齢は違うが、シュウレイの見た目は二十代前半で、どちらかというと年増に近い。
それとも、人里を離れて暮らしている内に、その辺りの呼び方が変わったのだろうかと、若者は首を傾げた。
これからまた、国々を渡るつもりでいた若者だが、今ここでそれを深く訊くつもりはない。
直ぐに話を変えようと前の男に目を向けると、セキレイは自分を見つめていた。
「……?」
真剣な顔に目を瞬いた若者に、男は真顔で尋ねた。
「お前は、そう言う昔の話を、レンから聞き出せるほど、親密だったんだな?」
まだ、そこを気にするのかと、うんざりとする若者だったが、溜息を押し隠しながら答えた。
「聞き出したわけではありません。話の流れで、その話が出ただけで」
あの頃、レンは二人の知人を亡くした。
一人は剣仲間の女で、もう一人は主と仰ぐ男だった。
人には生き様を説く割に、本人は己のこれからの生き様を、決めかねていたようだった。
「……私は、私になら慰められると言う、訳の分からない事を言い出した奴の頼みで、あの人の元に向かいました」
どういう状態で向かったのかは、言わないで置く。
だが、それを聞いたシュウレイが、身を乗り出した。
「慰めに行ったのっ? ってことは、一夜を共に?」
「いえ……」
これ以上答えたら、ややこしい事になりそうだが、否定に躊躇いが混じってしまったことで、話を途切れさせるには不自然になってしまった。
「二晩程、一緒でした」
前に座っていた男が、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
机に両手をつき、若者の前に身を乗り出す。
「慰められたのか、レンをっ?」
「ど、どうでしょう? 功を奏したと思って、私は安心して帰ったんですが、慰めになったのかは、分かりません」
永い付き合いだったわけではないから、その辺りは分からないが、レンの連れの男が元気になったと涙ぐんでいたので、多少は役に立ったのだと思ったのだと、若者は椅子からずれ落ちそうになりながら答えた。
「そう、か。そういうことに、なったのか」
「とうとうレンも、そう言う方向に向かっちゃったんだ……」
姉弟が溜息と共に、何やらしみじみと言い合っている。
そう言う方向とは、どう言う方向なのかと、若者が困惑気味に尋ねる前に、コウヒが嫌そうに尋ねた。
「力任せでどうとかって訳じゃ、ねえよな、お前の事だから」
「力任せ?」
時を止めたレンは、この若者よりも小さい。
力もレンより強いだろうが、あのサイカの気持ち悪い手つきでも落ちなかったこの若者が、男色を嫌がるあの兄に、無理強いするとは思えない。
そう言う男に、色事どころか、その手の話がしっくり来ない若者は、何を言われているのか分からないまま答えた。
「私はあの人に、力では勝てないと思います。それに、私と会っていた時期は、レンの方がまだ大きかったので」
しかも、頼んできた奴の小細工で、あの時の若者は、縦も横も一回り小さくなっていた。
「頼んできた奴?」
「何で、小さい奴を、さらに小さくしたんだ、そいつ?」
「いや、それよりも、レンよりも小さかったの? ってことは、逆だったの?」
矢継ぎ早の三人の問いかけの内、三人目には答えられず、若者は前二人の問いにだけ、曖昧に答える。
「どうも、昔からあの人の事は気にしているらしくて、そいつに頼まれたんです。一回り小さくされたのは、その姿の方が、気を解しやすく慰められるだろうと言う事でした」
正直言って、レンの祖父であるあの男の思惑など、知りたくもないが、その思惑は功を奏した。
「そう、か」
何故か意味深に微笑んだセキレイに、若者は取り繕うように言った。
「礼を言われる謂れは、ありませんからね。私も、あの人には慰めて貰いましたから」
昔の話を話し出したのはレンで、二日目の晩の事だった。
コウヒと言う父親違いの兄弟の死が、深くあの若者の中で傷になっているのに気づいたのも、その時だ。
話がかみ合わない、と思った。
その火事を知る女の話では、コウヒと言う名の赤毛の男を、ロンが助け出したと言う事だった。
中に人が残っていると言う男の言い分に、もう手遅れだと言ってそのまま見殺しにすると決めたのだと、その時のあの火の勢いは、そうせざるを得ない程だったと、女は言っていた。
ロンの方はその話の後、血は繋がらなくても、弟として養っていたレンを、コウヒが助けたいと思う気持ちは分かったが、あの火の勢いの中助けに入るのは、無謀だったと付け加えた。
レンを、仲間に引き入れると言う話が、出ていた頃に聞いた話だ。
コウヒとの血の繋がりのない弟だが、非力な兄に似ず、力も考える力もある使える若者と、この国にいる間に繋ぎを取って早急に仲間に引き入れたいと、画策していた。
その時は、勝手にしてくれと思っていたのだが、レンの素性と気性を知り、若者が語る話と以前に聞いた話の隔たりに、首を傾げた。
コウヒと言う男の死を、助けられなかったと悔やむさまは、兄に対しての思いにしては、深すぎる気がした。
遠い昔に抱いた疑問が、当のコウヒと顔を合わせた時に、一気に解けたのだが。
「……あなたとレンが、生き別れになったあの火事の事は、私も聞いていたので、レンが小屋の中で倒れている間に、あなたは助け出されていたはずだと言う話は、しておきました」
それで慰められたのかは、分からない。
「でも、あの国を出て、生きながらえているとは、流石に思っていないでしょうから、早く会ってやってくださいね」
自分の話を早く切り上げようと、若者は痛い所を敢て突きながら釘を刺す。
時を争う話を、この三人に切り出さなければと、内心焦っているのだが、セキレイはそんな若者を見つめたまま、尋ねた。
「お前は、あの子に、気を許していたのか?」
どうも、訊く側の本音が、見えない。
だが、根は真面目な若者は、つい考えて答えてしまった。
「その時は、気が抜けてしまっては、いたようです」
レンが言った言葉で、久しく流さなかった涙が、暫く止まらなかった。
今思うと、何であんな言葉が刺さったのか、分からない。
祖父にも兄貴分にも、再三悲しそうな顔で言われていた言葉が、レンの口から笑顔で紡がれただけだ。
「……そうか。それなら、オレとしても、構わないと思う」
「?」
何やら、一人頷いたセキレイが、再び身を乗り出した。
「そろそろ、名前を教えて欲しいんだが?」
「こら、まず、尋ねるなら自分からっ」
妙に迫力がある男に、珍しく慄いてしまった若者の前で、シュウレイが弟を窘めてから、まずは自分で名乗る。
「私は、カ・シュウレイ。お前の父上の甥っ子の娘だ。この子は弟で……」
父上? 首を傾げる若者の前で、弟も名乗る。
「カ・セキレイだ。姓は、元々なかったんだが、母親がな……親父の事を、忘れられなかったらしい。生まれる前も後も、一度たりとも顔を見せない、薄情極まりない親父なんだがなっ」
カの漢字は、霞の字を当てる。
「……なるほど」
そう言えば、カスミのもう一人の息子の名に、その字が含まれていた。
この国では、親の一文字を子に付けるのは、禁忌とされているが、どうしても父親の名を、子に残したかったらしい。
子供には嫌われているが、その母親からは嫌われていなかった様だ。
「……オレは、カ・コウヒだ。本当は、この人の従兄弟の子供らしいが、会った事もねえ」
沈んだまま名乗ったコウヒの後、若者は小さく溜息を吐いた後、謝った。
「すみません。私には、名乗れる名前がありません」
本名が、幼い時期に親と生き別れた為に、分からない。
「どうも、つけられた名前が、長々としていたようで、いつも通称で呼ばれていたんです」
「その通称は?」
それでもいいと言う男に、若者はようやく名乗った。
それからようやく、姿勢を正して話したい話を強引に切り出す。
先程からの話とは全く違うが、自分たちに大きく係わる話に、セキレイは目を剝いた。
「……ちょっと待て。それは……」
「ああ。もう、そこまで行ってた?」
当惑気味の弟とは違い、シュウレイはやんわりと笑いながら頷いた。
「姉上? そこまでって、どう言う事だ?」
「いや、昨日からの様子で、これは何かあるとは思ってたんだ。機会が巡ったと思っただけだと思ったら、そうじゃなかったんだね」
女は微笑んで若者を見る。
「だからお前は、早くあの屋敷を出たくて、売られたがってたんだね? 自力で逃げようにも、出来なかったから」
「そう言う事です。今は体が万全なので、すぐにでもお暇したいんですが、その前に、万全にしてもらった恩位は、返したかったんです」
これを話すことで、本当に恩を返すことになるかは、分からない。
だが、このままでは、この人たちに災厄が降りかかる事は、手に取るように分かった。
放置していた部下たちの所業が、とんでもない物を呼び寄せてしまっている。
「……昨日、あなた方と一緒にいた人の中に、ある群れにいるはずの、男がいました」
夜叉に姿を変え、セキレイの部下に紛れて控えていた、本来は目立つはずの色合いを持つ男だ。
目が合ったので、向こうも気づいたはずだ。
その後、こちらに繋ぎを取ることなく姿を消したところを見ると、大体の探りを終えて、戻ったのだろう。
自分が足を洗い離れた後、係る事がなかった盗賊の群れの中に。
探索が終わって、引いた後の彼らの動きは、早い。
遅くても明日の昼には、ここを狙ってくるだろう。
「奴らにとってあなた方は、今迄の獲物と変わらない事をやらかしている輩です。迎え撃つ気がないのなら、早めに立ち去った方がいいです」
静かに言う声を、目を剝いて聞いていたセキレイが、静かに目を閉じる。
「奴らが、頭を筆頭にして、やって来るか?」
「今の頭が誰かは、知りません。私が足を洗った時に、代替わりしているはずですが、それを見届けずに出て来たもので」
誰がなるにしても、カスミが返り咲いたとは思えない。
「だから、あなたの思惑は、通じないと思います」
「……思惑?」
「ああいう男を親に持つと、出し抜いてやりたいと考えても仕方ないとは思いますが、本人がいないのでは、無意味でしょう?」
閉じた目を開き、男は微笑んだ。
「あの親父はいなくても、その思想を継いだ奴が来るんだよな? 面白い。一度、顔を拝んでやりたかったんだ」
「……拝むだけで、済ませてくれますか?」
初めて、若者の顔が暗くなった。
その表情にたじろぎながら、セキレイは答える。
「それは、向こうの出方次第だろう。こちらの引き上げが間に合わねえなら、どちらにしろ、会うしかねえ」
「私たちのお姉さんが、継いでるのかな? 剣が達者だと、大叔父にも聞いてるから、楽しみ」
その大叔父とやら、どこまであの連中の事を知っているのか。
知っているのなら、もう少し後の話も、この人たちに話して置いて欲しかった。
シュウレイが笑いながら話に出した姉は、すでにこの世にいない。
代わりに、ごく最近見つかった弟が、この場に訪れるかもしれない。
これは、もう少し話しておかなければと、気を引き締めた若者だが、その前に廊下から部屋に声がかけられた。
「お頭、出払ってた奴らが、戻ってきました」
控えめに言った男を振り返り、セキレイは眉を寄せた。
自分より小さな頭を、器用に仰ぎ見ながら、男は戸惑いを浮かべた顔で続ける。
「知らない奴らと一緒に、戻って来たんですが……そいつらが、頭との顔合わせを望んでいます」
見知らぬ奴らは、三人。
全身色白の珍しい男女と、細身の優男の三人連れだ。
「……」
聞いた若者が、小さく舌打ちした。
それを一瞥して、セキレイはやんわりと笑い、立ち上がる。
「早いな。いいだろう。あの親父の後を継いだ奴がどんな面してるのか、拝みに行ってやろうじゃねえか」
引き留める様子のない若者に見送られ、三人は部屋を出て行った。
「……何を考えてるんだ?」
嫌な考えが頭をよぎった若者が呟く声に、静かな声が答えた。
「あわよくば、という目論見だろうな、今のエンの考えそうなことだ」
若者が顔を上げると、部屋の端にある小さな窓から、黒い小さな影が机に飛び乗った。
机の上で、そのまま全身を思いっ切り伸ばし、ちょこんと座って見上げたのは、毛が長い黒猫だった。
若者をしみじみと見やり、目を細める。
「意外に、元気そうだな」
「弱ってはいない。今までかかったのは、風邪くらいだった」
若者は、力を抜いて答えた。
「良かった……かどうかは、これから次第だな。エンがジュラの言った言葉を、深く考えずにここに来ることは、ない筈だ。あそこで気づかなくとも、ジュラの奴がここの奴らの関係性や動きだけしか、話さないはずはない」
「……」
つまり、自分が姑息な手で生死を誤魔化していたことは、見抜かれているのかと、若者は秘かにがっくりとした。
そんな様子を見上げながら、黒猫は溜息を吐く。
「だが、今のエンは、そこまで気にしてはいないかも知れんな」
一度手離した弟分が、別れたままの姿で現れることを、望んでいるかは分からないと言う猫に、若者は戸惑いの顔を向けた。
その目を見ながら、黒猫は自分がエンの元に行くことになった訳を話した。
「あの小屋の片づけをする断りの便りを、ロンに出して来た。今、オレたちは二手に分かれて動いているんだが、オレはロンに言われて、一昨日この地に来た」
近頃、盗賊としての動きを先取られ、獲物を奪われる事がよくあった為、通常の押し込みと、出し抜きをしていると見られる奴らを見つけ、片付ける者とを分けて動いている。
二手に分かれた、もう片方を先導するロンは、気にしていた。
「エンが、何かの拍子に、自死に走るのではないかとな」
若者が足を洗って去った後、エンは頭を押し付けられたらしい。
若者の兄貴分は、置かれた場所で流されながら生きる、そんな所がある。
余程の思い入れがなければ、周りの懇願で引き留められたら、何かを思い立ってもとどまってしまう。
優しいようで厳しく、人が良いようでそうでもない、あやふやな男だが、自死にまで追いつめられる弱さは、余程の事がない限りは、ない筈だ。
眉を寄せている若者に、黒猫は静かに話した。
「実の親父との衝突のつもりで、オレたちを出し抜こうと考えるのは、何もここの奴らだけじゃあない、という事だ」
しかも、ここの様に、只連れ去るだけの出し抜きなら、対処も優しくできるがと続ける猫の言葉で、大体の話の流れが分かった。
「まさか、ここの人以外にも、カスミの子供がいたのか。しかも、その子供を、エンは……」
「そういう事だ。話し合いでどうこう出来るような奴らじゃなかった。そいつらはすでに、数件の金持ち一家を根絶やしにしていた。しかもオレたちの調べで、完全に白と出て、引き始めている所ばかり、な。だから、そう言う奴らが消えること自体は、悪くはないだろう」
その残酷な押し込みをしていた盗賊の頭はエンが相手取り、完膚なきまでに文字通り潰したのだが、二人が顔を合わせた時、双方が何故か驚いた。
「何かを話したようではなかったそうだが、双方暫く動かず、見つめ合っていたらしい」
場数が違う二人の対決では、エンの方が上手で、直ぐに勝負はついたが、その様子が気になったジュラから、その事はロンの耳に入った。
その盗賊の事を調べ上げたロンは、困った事実を突き止めてしまったのだ。
その盗賊の頭は二代目で、どうやら初代が、懸想して連れ去った女が生んだ双子の子供の一人を後継ぎに残し、もう一人を売り払ったらしい、と。
「どうも、盗賊の元に残ったのがそこの二代目で、売り払われたのがエンだった、らしい」
その調べに唸ったロンは、便りが来たのを幸いに、黒猫を向かわせた。
エンが自分の迷いに、どんな始末をつけるのか、見届けるように言われている。
「……ここの事も、ロンは知っているのか?」
「ジュラが戻ったのは、ついさっきだ。あいつの事だから、ここの頭の事も織り込み済みで話しただろうが、ロンと繋ぎを取ったのかは分からん。取ったとしてもすぐには来れない。オレがこちらに来る頃は、東の端にいた」
急いでも、日がかかる。
「……」
エンがどういう心算でいるにしても、ここでの衝突の恐れを無視することは出来ない。
最悪、兄弟喧嘩が起こらなくても、他の衝突が予想できるからだ。
「……さっき見た限り、昨日今日の仕込みじゃなかったんだよ」
呟く若者を見上げ、猫は静かに座っている。
ここの頭と側近たちが、エン達を会っている以上、その者たちを気にするのは無駄だ。
全員いい年の大人だから、この後何があっても、自分たちで考えて動けるだろう。
それならば……。
「オキ」
「何だ?」
呼びかけられた黒猫は、すぐに返事を返した。
今は小さな獣の姿の男を見下ろし、若者は切り出す。
「ここに残った女子供を、屋敷から連れ出したい。手伝ってくれ」
途中から、若者が部屋を出た先で、何をしていたかを見ていたオキは、躊躇わずに頷いていた。
それが、どんな成果になるのかは分からないが、この若者がやる事には、意味があるのだろうと言う、昔からの信頼がそうさせたのだった。
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