第4話

 部屋を覗いたセキレイは、そこにいるはずの若者が消えているのを見て、取り乱した。

「だから、鍵位かければよかったのに」

「……釘を刺しといたから、大丈夫だと思ったんだが」

 あんな脅しでは効かなかったか、と呟くコウヒに姉が呆れるのに構わず、セキレイは外へと向かう廊下を走り出す。

 大叔父と繋ぎを取る間もなく、子供を見失うとはと嘆きながら走る男は、向こうから歩いて来る若者と、まともにぶつかった。

 誰かを跳ね飛ばしたのに気づいて立ち止まると、跳ね飛ばされた若者が廊下の先で倒れていた。

 慌てて近づくと、小さな体を起こしながらセキレイを見上げ、冷ややかに言った。

「その目、飾りですか?」

 取り乱していた胸に、深々と刺さる言葉だった。

「い、いや。すまん。大丈夫、だったか?」

「かろうじて。ここにいる娘さん方や子供だったら、間違いなく大怪我でしょうけど」

 無感情な声は、容赦を知らない。

 立ち上がった若者の前に膝を折ったセキレイの後ろから、その姉と息子が歩み寄る。

「お前、どこに行ってたんだ?」

「食器を片付けに」

「そんなの、後でオレがやるのに」

 意外に馴染んでいる様子に安堵するコウヒを凝視し、隣のシュウレイを見やる。

 女は眉を寄せて、若者を見ていた。

「捕らわれの身の者に施す食事の割に、味が良かったもので、作り手が気になったんです」

 目が合った女に目を細めて見せながら、ゆっくりと言い訳した。

「チャンに会ったのか。あいつは、オレがここを任された時に、一緒に来てくれたんだ」

 何故か目を見張る女の隣で、コウヒは顔を綻ばせた。

「あいつの作る飯は、親父もオレも馴染みがあるからな。褒められたら嬉しい。あいつも、お前に褒められてたと知れば、喜ぶよ」

「そう、ですか」

 これは、駄目か。

 嬉しそうなコウヒを見てからセキレイを見下ろすと、男は膝を折ったまま俯いている。

 三人と会う前に集めた話をこの親子にして、直ぐに信じてもらうのは難しそうだ。

 それにこの人は、一体何にそこまで、落ち込んでいるのだろう?

 内心、困っている若者に声をかけたのは、そんな様子を黙って見守っていたシュウレイだ。

「まず、部屋に戻らない? こんな所で、これからの事を真面目に話すのも、なんだし」

「そ、そうだな。親父、しっかりしろ。むしろ、はっきり言って貰えてよかったじゃないか。こいつに怪我はなかったんだし」

「だ、だが、もし、こいつほど頑丈な奴じゃなかったら……」

 この人、カスミの子供じゃないのか?

 見誤ったかと、自分の考えを疑いつつ見下ろす若者に、シュウレイは溜息を吐いた。

「その辺りの話は、もう少し親しい間柄になってからにしよう。今は、この子の弱さは気にしないで」

 何とか上辺だけは立ち直った男と共に、朝いた部屋に戻る。

 机の上に、吹っ飛ばされても手から離さなかった布袋を置くと、コウヒが首を傾げた。

「何だ、それ?」

「炊事場の人に、分けて貰った食べ物です」

 その答えで約一名、顔を険しくしたが、若者は気づかぬ振りで続けた。

「考え事をする時は、こういう甘い物がいいんです」

 買うと高い筈の食べ物だと、袋の口を開けて中を見せた。

「ん? ああ、外に木があるからな。この季節、自然にたわわに実る」

「え、そうだったっけ」

 シュウレイが目を見開き、袋の中身を覗いて目を輝かせた。

「美味しそうっ」

「何だよ、昨日から何も口にしてねえから、病にでもかかったかと心配してりゃあ……。まさか小姑根性で、チャンの作るもんに口をつけなかっただけ、じゃねえよな?」

 セキレイが呆れて姉に問うと、女は不機嫌に眉を寄せた。

「あんな女に、そんな根性見せないよ。別に、あの女は誰の嫁でもないんだから」

「この屋敷の、母親みたいなもんだもんな」

 コウヒが何度も頷くのにも、眉を寄せたまま答える。

「……あんなもの、本当の母親なら、作らないと思うけどな」

 若者に目を向けると、丁度目が合った。

 合わせたまま、若者が僅かに頬を緩ませる。

「よろしければ、どうぞ」

 この子にならば、餌付けされてもいいかも。

 シュウレイは思わず顔を緩ませて頷き、袋の中の桃の実を一つ手に攫んだ。

 意外に大きい実に、思いっ切りかぶりつくのを見ながら、若者も実の一つを手に取る。

 その様子を見ながら、椅子に腰を落ち着けたセキレイが切り出した。

「お前、レンと、仲が良いのか?」

 思いっきり桃にかぶりつこうとしていた若者は、その口を開けたまま男を見た。

「どうしてですか?」

 その真面目な顔での問いかけに、思わず桃を口から遠ざけ、真面目に訊き返す。

「その石、レンからの贈り物だろう? よっぽど親密な間柄じゃねえと、それを手離そうなどとは思わねえ筈だ」

 真顔の言い分に、若者は眉を寄せた。

「贈り物と言うより、預かった物です。それに、仲が良いかどうかも……」

 そこまで躊躇いながら答え、少し言葉を濁す。

「最後に会ったのは、五十年程前なんです」

「五十年……」

 つまり、やはり、あの火事で生き残っていたのだ。

 コウヒが、秘かに舌打ちしている。

 それに気づき、若者はじっとりと睨んだ。

 その目は、何の感情も浮かんでいない分、怒りを含んでいる時よりも胸に刺さる。

「火事の後、その焼け跡に、一度でも足を運んだんですか? そうしていれば、あの人と再会することも、出来たはずです」

 レンは、火事のあと数日、主となる男が訪れるまで、あの場を動かなかったと聞いていた。

 弟の何かしらの痕跡と、この事態を引き起こした者の痕跡を、何とか見つけるために。

 言いながら向けられる白い目に、コウヒは顔を歪めつつも耐えた。

 連れて行かれた先で、暫くは周りに動く事すら止められていたなど、只の言い訳でしかない。

 あの群れを抜けた後も、あの山には近づかなかった。

 自分の目で、レンの死を確かめるのが、怖かったのだ。

 若者は、言い訳せず俯く男を睨んだ目の端で、桃にかぶりついていた女が、じっと見ているのに気づいた。

 そちらに目を向けると、シュウレイの目は若者の手にある桃の実にある。

 机に目を落とすと、そこに置かれた袋は、平たくなっていた。

「……」

 確か、五個ほど袋に詰めてきたはずだがと首を傾げ、じっと見つめる女に手の中にある、まだ口にしていなかった桃の実を差し出した。

「いいのっ?」

「ええ……よろしければ、どうぞ」

 今迄二人の男とは話をしていたから、桃の実を口にしていたのはこの人だけのはずと、つい気になってしまった若者の前で、シュウレイは大きな口を開けて桃にかぶりついた。

 そうして、息もつく間もなく、大きな実を口の中に押し込んでいく。

 小さな体の小さな口の中に、一度にそんなに入るのかと目を見開くその前で、女は瞬く間に桃の実を食いきってしまった。

 器用に種を口から吐き出し、果汁が滴る口元を満足げに腕で拭う女を、若者は感心して見やる。

「……意外に、口の中は大きいんですか? もしかして、この机も丸呑みできますか?」

「何でそうなるの? 机は食べられないよ?」

「食べられるものなら、大丈夫なんですか? なら、鹿でも狩ってきます」

 今の状況を忘れて、若者はすぐに立ち上がったが、当然前に座った男に止められた。

「こら、外に出るのは、許せねえぞ」

「というか、流石に鹿を丸ごと食べたら、色々、心配だよ。火を通した物なら、歓迎だけど」

 セキレイが低い声で言うのに続き、その姉はへらりと笑った。

「なら、丸焼きにします。大丈夫、血抜きも腑抜きも、出来ますから」

「だから、もう少し後にしろって。お前、単にこの人の奇人ぶりを、見たいだけだろう?」

 場違いな話が盛り上がってしまい、落ち込んでいたコウヒがつい、棘のある窘め方をしてしまう。

 それを聞き咎めたのは、シュウレイだ。

「誰が、奇人だよ? ただ、食べるのが大好きな年頃の娘、ってだけなのに」

 年頃?

 本当の年齢は違うが、シュウレイの見た目は二十代前半で、どちらかというと年増に近い。

 それとも、人里を離れて暮らしている内に、その辺りの呼び方が変わったのだろうかと、若者は首を傾げた。

 これからまた、国々を渡るつもりでいた若者だが、今ここでそれを深く訊くつもりはない。

 直ぐに話を変えようと前の男に目を向けると、セキレイは自分を見つめていた。

「……?」

 真剣な顔に目を瞬いた若者に、男は真顔で尋ねた。

「お前は、そう言う昔の話を、レンから聞き出せるほど、親密だったんだな?」

 まだ、そこを気にするのかと、うんざりとする若者だったが、溜息を押し隠しながら答えた。

「聞き出したわけではありません。話の流れで、その話が出ただけで」

 あの頃、レンは二人の知人を亡くした。

 一人は剣仲間の女で、もう一人は主と仰ぐ男だった。

 人には生き様を説く割に、本人は己のこれからの生き様を、決めかねていたようだった。

「……私は、私になら慰められると言う、訳の分からない事を言い出した奴の頼みで、あの人の元に向かいました」

 どういう状態で向かったのかは、言わないで置く。

 だが、それを聞いたシュウレイが、身を乗り出した。

「慰めに行ったのっ? ってことは、一夜を共に?」

「いえ……」

 これ以上答えたら、ややこしい事になりそうだが、否定に躊躇いが混じってしまったことで、話を途切れさせるには不自然になってしまった。

「二晩程、一緒でした」

 前に座っていた男が、椅子を倒す勢いで立ち上がった。

 机に両手をつき、若者の前に身を乗り出す。

「慰められたのか、レンをっ?」

「ど、どうでしょう? 功を奏したと思って、私は安心して帰ったんですが、慰めになったのかは、分かりません」

 永い付き合いだったわけではないから、その辺りは分からないが、レンの連れの男が元気になったと涙ぐんでいたので、多少は役に立ったのだと思ったのだと、若者は椅子からずれ落ちそうになりながら答えた。

「そう、か。そういうことに、なったのか」

「とうとうレンも、そう言う方向に向かっちゃったんだ……」

 姉弟が溜息と共に、何やらしみじみと言い合っている。

 そう言う方向とは、どう言う方向なのかと、若者が困惑気味に尋ねる前に、コウヒが嫌そうに尋ねた。

「力任せでどうとかって訳じゃ、ねえよな、お前の事だから」

「力任せ?」

 時を止めたレンは、この若者よりも小さい。

 力もレンより強いだろうが、あのサイカの気持ち悪い手つきでも落ちなかったこの若者が、男色を嫌がるあの兄に、無理強いするとは思えない。

 そう言う男に、色事どころか、その手の話がしっくり来ない若者は、何を言われているのか分からないまま答えた。

「私はあの人に、力では勝てないと思います。それに、私と会っていた時期は、レンの方がまだ大きかったので」

 しかも、頼んできた奴の小細工で、あの時の若者は、縦も横も一回り小さくなっていた。

「頼んできた奴?」

「何で、小さい奴を、さらに小さくしたんだ、そいつ?」

「いや、それよりも、レンよりも小さかったの? ってことは、逆だったの?」

 矢継ぎ早の三人の問いかけの内、三人目には答えられず、若者は前二人の問いにだけ、曖昧に答える。

「どうも、昔からあの人の事は気にしているらしくて、そいつに頼まれたんです。一回り小さくされたのは、その姿の方が、気を解しやすく慰められるだろうと言う事でした」

 正直言って、レンの祖父であるあの男の思惑など、知りたくもないが、その思惑は功を奏した。

「そう、か」

 何故か意味深に微笑んだセキレイに、若者は取り繕うように言った。

「礼を言われる謂れは、ありませんからね。私も、あの人には慰めて貰いましたから」

 昔の話を話し出したのはレンで、二日目の晩の事だった。

 コウヒと言う父親違いの兄弟の死が、深くあの若者の中で傷になっているのに気づいたのも、その時だ。

 話がかみ合わない、と思った。

 その火事を知る女の話では、コウヒと言う名の赤毛の男を、ロンが助け出したと言う事だった。

 中に人が残っていると言う男の言い分に、もう手遅れだと言ってそのまま見殺しにすると決めたのだと、その時のあの火の勢いは、そうせざるを得ない程だったと、女は言っていた。

 ロンの方はその話の後、血は繋がらなくても、弟として養っていたレンを、コウヒが助けたいと思う気持ちは分かったが、あの火の勢いの中助けに入るのは、無謀だったと付け加えた。

 レンを、仲間に引き入れると言う話が、出ていた頃に聞いた話だ。

 コウヒとの血の繋がりのない弟だが、非力な兄に似ず、力も考える力もある使える若者と、この国にいる間に繋ぎを取って早急に仲間に引き入れたいと、画策していた。

 その時は、勝手にしてくれと思っていたのだが、レンの素性と気性を知り、若者が語る話と以前に聞いた話の隔たりに、首を傾げた。

 コウヒと言う男の死を、助けられなかったと悔やむさまは、兄に対しての思いにしては、深すぎる気がした。

 遠い昔に抱いた疑問が、当のコウヒと顔を合わせた時に、一気に解けたのだが。

「……あなたとレンが、生き別れになったあの火事の事は、私も聞いていたので、レンが小屋の中で倒れている間に、あなたは助け出されていたはずだと言う話は、しておきました」

 それで慰められたのかは、分からない。

「でも、あの国を出て、生きながらえているとは、流石に思っていないでしょうから、早く会ってやってくださいね」

 自分の話を早く切り上げようと、若者は痛い所を敢て突きながら釘を刺す。

 時を争う話を、この三人に切り出さなければと、内心焦っているのだが、セキレイはそんな若者を見つめたまま、尋ねた。

「お前は、あの子に、気を許していたのか?」

 どうも、訊く側の本音が、見えない。

 だが、根は真面目な若者は、つい考えて答えてしまった。

「その時は、気が抜けてしまっては、いたようです」

 レンが言った言葉で、久しく流さなかった涙が、暫く止まらなかった。

 今思うと、何であんな言葉が刺さったのか、分からない。

 祖父にも兄貴分にも、再三悲しそうな顔で言われていた言葉が、レンの口から笑顔で紡がれただけだ。

「……そうか。それなら、オレとしても、構わないと思う」

「?」

 何やら、一人頷いたセキレイが、再び身を乗り出した。

「そろそろ、名前を教えて欲しいんだが?」

「こら、まず、尋ねるなら自分からっ」

 妙に迫力がある男に、珍しく慄いてしまった若者の前で、シュウレイが弟を窘めてから、まずは自分で名乗る。

「私は、カ・シュウレイ。お前の父上の甥っ子の娘だ。この子は弟で……」

 父上? 首を傾げる若者の前で、弟も名乗る。

「カ・セキレイだ。姓は、元々なかったんだが、母親がな……親父の事を、忘れられなかったらしい。生まれる前も後も、一度たりとも顔を見せない、薄情極まりない親父なんだがなっ」

 カの漢字は、霞の字を当てる。

「……なるほど」

 そう言えば、カスミのもう一人の息子の名に、その字が含まれていた。

 この国では、親の一文字を子に付けるのは、禁忌とされているが、どうしても父親の名を、子に残したかったらしい。

 子供には嫌われているが、その母親からは嫌われていなかった様だ。

「……オレは、カ・コウヒだ。本当は、この人の従兄弟の子供らしいが、会った事もねえ」

 沈んだまま名乗ったコウヒの後、若者は小さく溜息を吐いた後、謝った。

「すみません。私には、名乗れる名前がありません」

 本名が、幼い時期に親と生き別れた為に、分からない。

「どうも、つけられた名前が、長々としていたようで、いつも通称で呼ばれていたんです」

「その通称は?」

 それでもいいと言う男に、若者はようやく名乗った。

 それからようやく、姿勢を正して話したい話を強引に切り出す。

 先程からの話とは全く違うが、自分たちに大きく係わる話に、セキレイは目を剝いた。

「……ちょっと待て。それは……」

「ああ。もう、そこまで行ってた?」

 当惑気味の弟とは違い、シュウレイはやんわりと笑いながら頷いた。

「姉上? そこまでって、どう言う事だ?」

「いや、昨日からの様子で、これは何かあるとは思ってたんだ。機会が巡ったと思っただけだと思ったら、そうじゃなかったんだね」

 女は微笑んで若者を見る。

「だからお前は、早くあの屋敷を出たくて、売られたがってたんだね? 自力で逃げようにも、出来なかったから」

「そう言う事です。今は体が万全なので、すぐにでもお暇したいんですが、その前に、万全にしてもらった恩位は、返したかったんです」

 これを話すことで、本当に恩を返すことになるかは、分からない。

 だが、このままでは、この人たちに災厄が降りかかる事は、手に取るように分かった。

 放置していた部下たちの所業が、とんでもない物を呼び寄せてしまっている。

「……昨日、あなた方と一緒にいた人の中に、ある群れにいるはずの、男がいました」

 夜叉に姿を変え、セキレイの部下に紛れて控えていた、本来は目立つはずの色合いを持つ男だ。

 目が合ったので、向こうも気づいたはずだ。

 その後、こちらに繋ぎを取ることなく姿を消したところを見ると、大体の探りを終えて、戻ったのだろう。

 自分が足を洗い離れた後、係る事がなかった盗賊の群れの中に。

 探索が終わって、引いた後の彼らの動きは、早い。

 遅くても明日の昼には、ここを狙ってくるだろう。

「奴らにとってあなた方は、今迄の獲物と変わらない事をやらかしている輩です。迎え撃つ気がないのなら、早めに立ち去った方がいいです」

 静かに言う声を、目を剝いて聞いていたセキレイが、静かに目を閉じる。

「奴らが、頭を筆頭にして、やって来るか?」

「今の頭が誰かは、知りません。私が足を洗った時に、代替わりしているはずですが、それを見届けずに出て来たもので」

 誰がなるにしても、カスミが返り咲いたとは思えない。

「だから、あなたの思惑は、通じないと思います」

「……思惑?」

「ああいう男を親に持つと、出し抜いてやりたいと考えても仕方ないとは思いますが、本人がいないのでは、無意味でしょう?」

 閉じた目を開き、男は微笑んだ。

「あの親父はいなくても、その思想を継いだ奴が来るんだよな? 面白い。一度、顔を拝んでやりたかったんだ」

「……拝むだけで、済ませてくれますか?」

 初めて、若者の顔が暗くなった。

 その表情にたじろぎながら、セキレイは答える。

「それは、向こうの出方次第だろう。こちらの引き上げが間に合わねえなら、どちらにしろ、会うしかねえ」

「私たちのお姉さんが、継いでるのかな? 剣が達者だと、大叔父にも聞いてるから、楽しみ」

 その大叔父とやら、どこまであの連中の事を知っているのか。

 知っているのなら、もう少し後の話も、この人たちに話して置いて欲しかった。

 シュウレイが笑いながら話に出した姉は、すでにこの世にいない。

 代わりに、ごく最近見つかった弟が、この場に訪れるかもしれない。

 これは、もう少し話しておかなければと、気を引き締めた若者だが、その前に廊下から部屋に声がかけられた。

「お頭、出払ってた奴らが、戻ってきました」

 控えめに言った男を振り返り、セキレイは眉を寄せた。

 自分より小さな頭を、器用に仰ぎ見ながら、男は戸惑いを浮かべた顔で続ける。

「知らない奴らと一緒に、戻って来たんですが……そいつらが、頭との顔合わせを望んでいます」

 見知らぬ奴らは、三人。

 全身色白の珍しい男女と、細身の優男の三人連れだ。

「……」

 聞いた若者が、小さく舌打ちした。

 それを一瞥して、セキレイはやんわりと笑い、立ち上がる。

「早いな。いいだろう。あの親父の後を継いだ奴がどんな面してるのか、拝みに行ってやろうじゃねえか」

 引き留める様子のない若者に見送られ、三人は部屋を出て行った。

「……何を考えてるんだ?」

 嫌な考えが頭をよぎった若者が呟く声に、静かな声が答えた。

「あわよくば、という目論見だろうな、今のエンの考えそうなことだ」

 若者が顔を上げると、部屋の端にある小さな窓から、黒い小さな影が机に飛び乗った。

 机の上で、そのまま全身を思いっ切り伸ばし、ちょこんと座って見上げたのは、毛が長い黒猫だった。

 若者をしみじみと見やり、目を細める。

「意外に、元気そうだな」

「弱ってはいない。今までかかったのは、風邪くらいだった」

 若者は、力を抜いて答えた。

「良かった……かどうかは、これから次第だな。エンがジュラの言った言葉を、深く考えずにここに来ることは、ない筈だ。あそこで気づかなくとも、ジュラの奴がここの奴らの関係性や動きだけしか、話さないはずはない」

「……」

 つまり、自分が姑息な手で生死を誤魔化していたことは、見抜かれているのかと、若者は秘かにがっくりとした。

 そんな様子を見上げながら、黒猫は溜息を吐く。

「だが、今のエンは、そこまで気にしてはいないかも知れんな」

 一度手離した弟分が、別れたままの姿で現れることを、望んでいるかは分からないと言う猫に、若者は戸惑いの顔を向けた。

 その目を見ながら、黒猫は自分がエンの元に行くことになった訳を話した。

「あの小屋の片づけをする断りの便りを、ロンに出して来た。今、オレたちは二手に分かれて動いているんだが、オレはロンに言われて、一昨日この地に来た」

 近頃、盗賊としての動きを先取られ、獲物を奪われる事がよくあった為、通常の押し込みと、出し抜きをしていると見られる奴らを見つけ、片付ける者とを分けて動いている。

 二手に分かれた、もう片方を先導するロンは、気にしていた。

「エンが、何かの拍子に、自死に走るのではないかとな」

 若者が足を洗って去った後、エンは頭を押し付けられたらしい。

 若者の兄貴分は、置かれた場所で流されながら生きる、そんな所がある。

 余程の思い入れがなければ、周りの懇願で引き留められたら、何かを思い立ってもとどまってしまう。

 優しいようで厳しく、人が良いようでそうでもない、あやふやな男だが、自死にまで追いつめられる弱さは、余程の事がない限りは、ない筈だ。

 眉を寄せている若者に、黒猫は静かに話した。

「実の親父との衝突のつもりで、オレたちを出し抜こうと考えるのは、何もここの奴らだけじゃあない、という事だ」

 しかも、ここの様に、只連れ去るだけの出し抜きなら、対処も優しくできるがと続ける猫の言葉で、大体の話の流れが分かった。

「まさか、ここの人以外にも、カスミの子供がいたのか。しかも、その子供を、エンは……」

「そういう事だ。話し合いでどうこう出来るような奴らじゃなかった。そいつらはすでに、数件の金持ち一家を根絶やしにしていた。しかもオレたちの調べで、完全に白と出て、引き始めている所ばかり、な。だから、そう言う奴らが消えること自体は、悪くはないだろう」

 その残酷な押し込みをしていた盗賊の頭はエンが相手取り、完膚なきまでに文字通り潰したのだが、二人が顔を合わせた時、双方が何故か驚いた。

「何かを話したようではなかったそうだが、双方暫く動かず、見つめ合っていたらしい」

 場数が違う二人の対決では、エンの方が上手で、直ぐに勝負はついたが、その様子が気になったジュラから、その事はロンの耳に入った。

 その盗賊の事を調べ上げたロンは、困った事実を突き止めてしまったのだ。

 その盗賊の頭は二代目で、どうやら初代が、懸想して連れ去った女が生んだ双子の子供の一人を後継ぎに残し、もう一人を売り払ったらしい、と。

「どうも、盗賊の元に残ったのがそこの二代目で、売り払われたのがエンだった、らしい」

 その調べに唸ったロンは、便りが来たのを幸いに、黒猫を向かわせた。

 エンが自分の迷いに、どんな始末をつけるのか、見届けるように言われている。

「……ここの事も、ロンは知っているのか?」

「ジュラが戻ったのは、ついさっきだ。あいつの事だから、ここの頭の事も織り込み済みで話しただろうが、ロンと繋ぎを取ったのかは分からん。取ったとしてもすぐには来れない。オレがこちらに来る頃は、東の端にいた」

 急いでも、日がかかる。

「……」

 エンがどういう心算でいるにしても、ここでの衝突の恐れを無視することは出来ない。

 最悪、兄弟喧嘩が起こらなくても、他の衝突が予想できるからだ。

「……さっき見た限り、昨日今日の仕込みじゃなかったんだよ」

 呟く若者を見上げ、猫は静かに座っている。

 ここの頭と側近たちが、エン達を会っている以上、その者たちを気にするのは無駄だ。

 全員いい年の大人だから、この後何があっても、自分たちで考えて動けるだろう。

 それならば……。

「オキ」

「何だ?」

 呼びかけられた黒猫は、すぐに返事を返した。

 今は小さな獣の姿の男を見下ろし、若者は切り出す。

「ここに残った女子供を、屋敷から連れ出したい。手伝ってくれ」

 途中から、若者が部屋を出た先で、何をしていたかを見ていたオキは、躊躇わずに頷いていた。

 それが、どんな成果になるのかは分からないが、この若者がやる事には、意味があるのだろうと言う、昔からの信頼がそうさせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る