第5話

 招かれて入って来たのは、若い男女だった。

 セキレイと同じくらいの背丈の細身の男と、同じくらいだが鍛えているのか肩幅が広い男と、その男と兄妹なのか同じ色合いの小さな女だ。

 兄妹らしい男女は手ぶらに見えたが、その前に立つ優し気な男は、右手に風呂敷包みを提げていた。

 その三人の客の後ろに、セキレイが探索に出した二人の部下が、青ざめた顔で立っている。

 セキレイが姉と息子を伴って現れると、優男が穏やかに微笑んだ。

「忙しい中、申し訳ない」

 本心なのか分からない断りを入れ、男は切り出した。

「実は、こちらの縄張りに、あなたの所の方が紛れ込んできまして、お返しに上がった次第なのですが」

 目を見開くシュウレイと、つい息を呑んだコウヒの前で、セキレイも微笑む。

「わざわざ、送り届けてくれたのか。それは有り難い」

「いえいえ、一応、あなたの方が、年かさのようですので、こちらから出向いただけです」

「まあ、ここでは何だ、茶の一杯でも、飲んで行ってくれ」

 答えを聞かずに踵を返すと、近くの広い部屋へと入っていく。

 自分側の部下と姉たち、客側の三人が入っても余裕がある、広い部屋の机を挟み、セキレイは優男と向かい合った。

 チャンが客の分も一緒に茶を淹れ、器を前に置く。

 女が身を引いてから、男は切り出した。

「シュウ・カエンと言います」

「カ・セキレイだ。カスミと名乗る、あの男の息子、という事で、間違いないな?」

「お互いそう言う事で、間違いないかと」

 二人は、笑い合った。

 怖っ。

 控えていた部下とコウヒは、顔を引き攣らせたが、客側の兄妹は呆れたように見守っている。

「……本当だわ、コウヒがいる」

「ユウを死なせといて、のうのうと国抜けしてたとは。呆れた話だよな」

 二人は小声で話しながら、チャンから受け取った器の中の茶を覗き込む。

「……あからさま過ぎて、笑えるな」

「本当ね」

 そんな連れたちの声は聞き流しながら、エンは机に置いた風呂敷包みを、セキレイの方へと押しやった。

「お近づきの印に、手土産をお持ちしました」

 控えていた部下の二人が、首を竦めた。

 コウヒが見やると、二人は恐怖とも怒りともつかぬ目で、男の方を見ている。

「丁度、生きのいい獲物が入りまして、新鮮な肉で作った渾身の料理です」

 穏やかに言われ、セキレイは面白そうに風呂敷包みを開ける。

 米粉で作った餅のようだ。

 一つを手に取り、二つに割って見ると、丁寧に潰された肉が、香草と共にたっぷり詰まっていた。

「旨そうだな」

「有難うございます」

「か、頭……」

 顔を引き攣らせた部下の一人を無視し、セキレイは割った餅の片方にかぶりついた。

 何故か顔を強張らせた部下二人の前で、男は咀嚼して飲み込み、隣に座ったシュウレイを見た。

「偶然とは、起こるものなんだな。姉上、鹿の肉だ」

「よくお分かりで。実は、獲った鹿の下味を染み付かせる間に外に出た所、そちらの人たちに会ったんです。あんな大物を獲っても、食う者が少なければ、無駄になりますので、丁度良かった」

「へ?」

 穏やかに笑ったまま、男はぽかんと口を開いた二人を見た。

「何か思い違いをしていませんか? あんな短い間で、人一人捌いて、料理できるはず、ないじゃないですか」

 いや、お前は出来るだろう。

 後ろに立つジュラが、無言で突っ込んでいるのは分かったが、エンは気にしない。

 客の言葉を受けて、セキレイが面白そうな顔のまま言った。

「お前たちの隠れ家の一つを探りに行かせたのは、三人だったはずだが。もう一人は、どうした?」

「か、頭っ、あいつは……」

「ここに、いるじゃないですか」

 部下の血相を変えた言葉を、客はあっさりと遮った。

 ここ、と指さされた先には、しれっとして立つ白髪の男がいる。

「はあ?」

 あんな猿芝居に引っかかってくれるとはと、エンは笑った。

 頭を冷やして見ていれば、あの時に噴き出た血が淡い色をしていたことも、血の匂いがなかった事も気づけたはずなのに。

「……つまり、随分前から、お前たちはオレたちの事を、探っていたんだな?」

「はい、そう言う事なんですが……驚いてくれないんですね」

 目を細める男に、セキレイは笑いながら首を振った。

「充分、驚いている。で、わざわざ土産付きで乗り込んだ理由を、聞かせて欲しいんだが」

 話が見えずにいる部下たちは置き去りに、本題に入った頭に、客は穏やかに言った。

「親父さんは、我々と共にはいません」

「……」

「出来れば、余計な邪魔は、止めてもらえませんか」

「無理だな」

 返事は早かった。

 予想していたのか、エンは笑顔のまま尋ねる。

「親父さんを、出し抜く為に動いているのでは、ないのですか?」

「その通りだが、別に親父だけを出し抜く為じゃない」

 静かに答え、セキレイは男を見据えた。

「親父の考えを受け継ぐ奴ら全員、出し抜くつもりでやっている」

「成程」

「お前、酷いとは思わないのか? いくら罪を持っているとしても、その家の者を皆殺しするのを?」

 立場が弱い者たちには、手が下されないのは知っているが、どちらにしても後の行き場は厳しい所になりそうなのは、よく分かっているはずだと言う男に、エンは穏やかに頷いた。

「ええ。その件に関しては、未だにうまい治め方が出来ないでいます。助かった者たちの中には、罪を被りそうになった者もいますので、悔いない押し込みは一度もないです」

 そうだろうなと頷くセキレイに、今度はエンが尋ねる。

「あなた方は、女子供を連れ去っているそうですが、その後の身の振り方を、考えてくれているんですか?」

「まっとうな所に預けるのは無理だが、子供の方は出来るだけ信頼できる家に、下男下女として売っている」

 さらっと、悪びれなく答える男を、客の女が少し目を細めて見た。

 その目には剣が籠っていたが、気づかずにセキレイは続ける。

「女の方も、大概はそうするが、見目のいい女は、少し躾けて大家に妾として売るか、女娼館に売る」

「成程……つまり、連れ去った人間も、飯の種にしているわけですね」

「まあ、そうだな」

「しかも……」

 痛い指摘に顔を顰めるセキレイに、エンは穏やかに笑いながら続けた。

「完全に無実の家を襲って主を貶め、その家を潰しながら」

 場が静まり返った。

 凍てつくような空気が漂い、シュウレイが口を開く。

「どういう意味? あんた達が探りを入れていた家を、セキレイたちは襲ったに過ぎないんだろう?」

「ええ。だから出し抜いたと、あなた方は思っているんですよね。そこが、オレたちとあなた方の違いです」

 噂や疑いが見られる家を、まずは人を使って探る事から、押し込みの準備は始まる。

 調べ上げて、疑いが濃厚になったら、そのまま仲間に呼びかけて人を集めて押し入るのだが、疑いが晴れる事もあった。

「疑いが、晴れる?」

「はい。大概、噂が独り歩きして、大袈裟に伝わってしまっていたり、その家が誰かの妬みや嫉みで悪い噂を立てられただけという時は、探っている内に疑いは晴れてしまいます」

 頷くセキレイを見ながら、男は更に言った。

「そういう時は、不自然ではないように、徐々に探りの手を引いていくんですが、手薄になった時を狙って、別な盗賊たちが襲うんです」

 ある時は、自分達でも滅多にやらない程に、皆殺しだった。

 そして、ある時は……。

「散々家を荒らした上で、その家の女子供を連れ去り、家の主人を貶めるような罪の偽証を残して去られていました」

「……」

「偶々目をつけてしまった家を、別な盗賊が襲ってしまう事も、ないとは言わない。ですが、頻繁に起こると、流石におかしいと思いますよね」

 考え込む男を見ながら、エンは続ける。

「しかも、ご存知ですか? ここ一年で、あなた方が襲った家々の内、五件までがある役人と縁深い家なんです」

 縁が深いと言っても、血縁関係ではない。

「その役人が、縁談を申し込んで、断られた家、です」

「縁談?」

「はい。どの家も、見目のいい娘さんがいました。役人は、位も程々でつり合いのとれた縁談だったはずですが、すべて断られた。素行の悪さが原因で」

 あの辺りでは有名な、荒くれ者だ。

 気に入った娘を連れ去っては慰み者にし、飽きたら家に送り返す。

 それなりの位がある家なので、訴えられても全てもみ消していた。

「まあ、その家は、もうないですけどね」

 二手に分かれる前、その家を狙い定めて押し入ったから、影も形もない。

 それなのに、どうしてこの話をするのかというと……。

「その家に押し入った時、あなた方が襲って、行方が知れなくなったはずの娘さん方が、全員見つかったんですよ」

 虫の息の娘も、気が触れてしまっていた娘もいた。

「帳簿も見つけました。何故か、娘さん方が連れ去られる以前の日付の横に、娘さんの名と売値が書かれ、連れ去られた数日後の日付が、几帳面に書かれていました。そこで、お尋ねしたいんですが、まさか、あの悪い噂を流したのも、あなた方では、ないですよね?」

無言で目を見開くセキレイの後ろで、部下とコウヒが目を剝いた。

「一年で五件も? いつの間に……」

「知らんな」

 息子の驚きに、父親は短く答えた。

「知らんて……じゃあ、オレたちがやったんじゃ、ねえってことか?」

「いや。探ってた奴を信じるなら、うちの奴らの仕業だろう。お前たちは信じてくれないだろうが、探りも慎重にやらせていたつもりだ」

 エンの後ろの男を一瞥し、セキレイは言い切った。

「そうでしょう。こちらも、不自然だと思い始めたのは、この一年ほどなんです。それまでは、押し入ろうとしていた家に、別な者の手が入り、女子供がいなくなって不正の証が見える場所に置かれていた、と知らせがある程度でした」

 穏やかに言葉を継ぐ、腹違いの弟のはずの男を再び見ると、茶の入った器を両手で持ち上げたところだった。

「気が触れていた娘と、虫の息の娘。どう言う症状だった?」

「玩具のような扱いをされたことも、そうなった理由でしょうが、その前に動けない体になっていたようです。薬で」

「……コウヒ、サイカを呼べ」

 その声音に頷き、コウヒは無言で部屋を出る。

 それを見送らず、セキレイは前に身を乗り出した。

 器を持ち上げたエンに手を伸ばし、器を跳ね飛ばす。

「……お前、死にたいのか」

 睨む腹違いの兄を軽く睨み、男は答える。

「腹の足しになるものを、無下に扱うのは、感心しませんね」

「そうだよう、セキレイ。毒入りなら、お前が飲んでやればいいだけじゃないか」

 セキレイの姉が、隣で頷きながら茶を飲んでいる。

 前に開かれた風呂敷包は、既に空だ。

「ん?」

 ジュラが、エンの後ろで目を剝く。

 少し目を離したすきに、あれだけあった肉入りの餅が、なくなっている。

 それに気づいたエンも目を見開き、笑みを浮かべた。

「良い食いっぷりですね。今度お会いする時は、牛の肉の料理を手土産にしますね」

「ほんとっ?」

「……どんどん、でかい生き物になってるじゃねえか。やめてくれ。聞いてねえ筈の奴が用意してたら、洒落にならねえ」

 そうして、その食いっぷりを見物したあの若者が、今度は虎を狩ると言い出しかねない。

 話題にしたすぐに、鹿の肉を持って訪れた男がいたから、ついついそんな不安が募った。

「いやいや、いくら何でも、牛は、村に出ないと手に入らないよ」

「そんな事ないですよ。水牛なら、野性にもいます」

 話が、全く別な所に逸れた。

 楽しそうな兄弟たちを見守りながら、客二人が呆れた顔を見合わせる。

 話を戻すか無言で話し合う二人の耳に、騒々しい足音が近づくのが聞こえて来た。

「お頭っ、大変で……す」

 慌てた声の男は、部屋に入るとその人数の多さに驚き、呆然と室内を見回した。

 無言でこちらを見るセキレイに気付き、顔を引き攣らせる。

「せ……これは、お頭、いらしていたんで?」

 何とか笑みを浮かべた男を見据え、セキレイは口の端を引き上げた。

「今、頭と呼びながら、慌てていたようだが、オレ以外の誰を、そう呼んでいるんだ、お前?」

「それは……」

 目を泳がせた男が、客に気付いた。

 エンの姿を見止め、目を剝く。

「お、お前っ」

 先程、顔を合わせた男の登場に、客は笑みをこぼした。

「セキレイさん、あなたは先程、あの隠れ家に行かせたのは三人だと、そうおっしゃっていましたよね?」

 尋ねる声は、穏やかに響く。

「そのはずだが」

「それが、頭」

 セキレイの傍に控えた部下が、控えめに告げた。

「我々がついた時には、既にこいつらがいて、あらかた調べは終わったと、そう言われました」

 頭は、不審気に顔を歪める部下の言葉に、目を細めた。

「ほう……金目の物を探すのは、随分前に終えたと、コウヒには聞いていたんだが、この上、何を探していたんだ? チャン?」

 振り返らずに、背後の女に尋ねると、にっこりと笑った女は答えた。

「よく探せば、あるかもしれないだろ? あんたたちを出し抜ける、強力な武器が」

「それは、申し訳ない」

 物騒な空気になった女に、エンは穏やかに謝った。

「我々は、武器は各自で手元に置いている。あなた方の様な輩の手に渡っては、不都合極まりない物ばかりなんで、生半可な所に隠すことが、出来ないんだ」

「謝ることはないよ。ただ、念には念を入れて、確実にこの二人を亡き者にしたかっただけだし」

 言いながらチャンは、両手を結んだ。

 何かの印を結び、小さく言葉を紡ぐ。

 周りの空気が、張り詰めたような感覚があった。

 目を細めるエンの前で、セキレイが机に突っ伏す。

 逆に立ち上がったシュウレイだが、常にない体の重さに、舌打ちする。

「くそっ、お前の作る物全部、口にしなかったのにっ」

「あんたは気づくと思ってたよ。だから、この屋敷を、まとめて檻にすることにしたんだ」

 睨む女を見ながら、チャンは前に座り込んだ男を蹴飛ばして前に出る。

 どこにいたのか、無言で部屋に入って来る男たちは、獣の目で仲間だった者たちを見下ろす。

「お、お前らっ」

 起き上がれない男たちは、信じられない思いで見上げていた。

 セキレイに従うようになって、夜叉たちは人間としての姿を、完全に取れるようになっていたが、今無事に立っている連中はその禁を破り、本来の姿に戻っていた。

 座ったまま動かない客と、立ち尽くしたままの客二人を交互に見ながら、チャンがやんわりと笑った。

「大人しく茶を飲んで、地獄に行っていた方が、幸せだったのに。運が悪いねえ、あんたたち」

「……そうね」

 おっとりと、白髪の女が微笑んだ。

「でもまだ、不幸せになるとも、決まっていないわ。あなたごときが勝手に、人の命運を決めつけないでくれる?」

「……大人しそうに見えて、言うわねえ」

 チャンは顔を歪め、顎で部下を動かす。

 ジュリ二人分の背丈の男は、女を見下ろして手を伸ばすが、男と妹の間に体を割り込ませたジュラが庇った。

「……汚い手で、妹に触らないで欲しいんだが。うちの妹は、触るだけで家一軒分の対価がいるぞ」

「ふざけるなっ、動けもしねえくせに、何を……」

「おい、いつまで、遊んでる気だ、エン?」

 大きな男の弁を遮り、ジュラが声をかけたのは、座ったままのエンだった。

 動かず座っていた男は、小さく笑う。

「いや、これを使いたくないんだよ。一応、あいつの形見みたいなものだし。使ったら、壊れるか切れるか……どちらにしても、元の形のままで持っていられないだろう?」

 ジュラが、大袈裟に溜息を吐いた。

「あのな、言っただろうがっ。あいつは、元気で生きてる。それじゃあ、形見とは言えんだろう?」

「会えないのは、変らないだろう?」

「どうでもいいから、合図だけでもお願いできる? 私もそろそろ、堪忍袋の緒が、切れそう」

 おっとりとした女の言葉に、穏やかなエンの笑顔が、僅かに引き攣った。

「……お手柔らかに、接してやってくれよ。一応、この人の部下だった人たちなんだから」

「分かったわ。お手柔らかに、足の小指一本、残しておきましょう」

「それは、お手柔らかとは、言わない。むしろ、首の方が優しいんじゃないか?」

 笑顔を苦笑に変えたエンは、そう返しながらセキレイに剣を振りかざす女に、身を乗り出した。

 突っ伏す男の首を狙った剣の刃を避ける間はなかったが、右手を犠牲にその刃の餌食にかかるのは防げた。

 右手で刃を受けたままそれを力任せに押しやり、体勢を整えて女を見る。

 血を含んだ剣を手に、チャンは目を見開いてエンを見たが、すぐに笑った。

「その女と言いお前と言い、あの男の子供は、化け物ぞろいだな」

「そこまで、化け物じみているつもりはないです。ほら、後ろの二人の方が、それに当てはまるでしょう?」

 流れる血をそのままに、男はその手で後ろを指さした。

 その先では、帯から出した木の柄に刃を形取り、夜叉を切り裂く男と、おっとりと笑いながら、何かに襲われている夜叉を見守る、女の姿がある。

「……何で、動ける? 誰でも縛れる術なのに」

 見張った目が、驚きの色に染まるのを見ながら、エンは穏やかに答えた。

「オレは、数えて四代目の頭です。五十年前、足を洗った先代の後に、頭を引き継いだ」

 ただ、言葉だけで引き継ぐのは軽すぎると考えた初代が、苦し紛れに決めたのは、先代が身を引くときに、その身の一部を譲ると言うものだった。

「先代は、その為にこれを長く伸ばしていたもので、オレ一人が持つには多すぎた。だから、仲間全員で、分けた」

 上げた血まみれの右手の袖口を、左手で少し下げて、そこに巻かれた組みひもを見せた。

 淡い金色に輝く、細い組み紐だった。

 その色に見覚えがあるシュウレイは、立ち尽くしたまま目を凝らした。

「あいつは、術類を、全く寄せ付けない奴だったからな、こういう手合いが増えた昨今では、こういう贈り物は、助かる」

 呆然とする夜叉たちを見回しながら、ジュラが笑う。

 その男と妹は、エンと同じものが首にかかっているのだが、襟を乱して見せる事まではしない。

「……そんなものだけで、そこまで動けるはずが……」

「仕方ないでしょう? 動けるんですもの。目に見える物を信じないで、あなたは何を信じているの? くだらない、夢物語?」

 激しく首を振る女に、ジュリはおっとりと首を傾げる。

 声音もおっとりとしているが、言われた言葉は辛らつだ。

「一体、何を夢見て、仕えて来た人を裏切るのかは知らないけど、失敗した時の事は、考えていたの?」

「……黙れ」

 勝敗があっさりと覆り、チャンは歯軋りして後ずさる。

 そんな女を振り返り、シュウレイは立ち尽くしたまま声をかけた。

「お前が、コウヒを思っているのは、セキレイだって知ってるよ。逆に、反目する奴らを殲滅した私たちを、憎んでいる事も」

 睨むと言うより、憐れむように見つめてからエンを振り返り、続けた。

「ここの事は、部下たちに任せきりにしていたこちらの落ち度だから、後始末の責は負う。ここも引き払って、残った女子供の事も、この子に考えさせる。それで、良しとしてもらえる?」

「……こちらの考えは、先ほど言った通りです。この後、同じような事をしないと約束していただけるなら、構いません」

「シュウレイっ、あんた、こいつらを帰す気かっ? 出し抜くなら、一人でも減らすのが一番だろうっ?」

 思わず叫んだチャンに溜息を吐き、シュウレイは再び女を振り返る。

「いくら出し抜こうと考えているからって、話を作って噂を流してまで、相手を食いつかせる気は、流石にセキレイもなかったはずだ」

 静かに言いながら、動かない手を力づくで動かして弟の頭に乗せる。

「女たちのいた屋敷中、眠薬の煙で溢れてたけど、あれ、お前の指示だろ?」

 自分たちがあの中で平然とできたのは、薬に慣れ過ぎていたからだ。

 コウヒに至っては、その状況が不自然だと気づかない程に、慣れ切ってしまっていた。

 夜叉数名を撃退できるはずの若者が、あの部屋の中で動かない理由に思い当たるまで、シュウレイも思い当たらなかった位だから、甥っ子を責められない。

「女がすぐに、サイカの手で躾けられたのは、そのせいだね?」

 手管が聞いて呆れる、寝込みを襲われた女は、逃げられなかっただけだ。

「すでに、こちらも裏が取れた。もう逃れられないから、心して聞きなさいよ」

 シュウレイは前置きしてから、先程若者から聞いた話を口にした。

「一月前から捕まってて、あちらの屋敷に閉じ込められていた子がね、教えてくれたんだ。あの屋敷もこの屋敷も、幻術の類をかけられてた」

 何故、そんな事が分かったのかは、今分かった。

 分かった上で、少しだけ不思議に思う。

 何故、自分の親父は、大叔父の子供を手元に置きながら、その事を大叔父本人に言わなかったのか。

 不思議に思いつつも、こうなったら全ての責を、親父に押し付けようかとも考えている。

 それにしても、頭領にまで昇りつめてたのに足を洗うなんて、あっさりした子だな。

 内心、感心しながらもシュウレイは続けた。

「だから、コウヒは、サイカが真面目に仕事していると思い込んでいたけど、この一月は、そんな目くらましも出来なくなってたようだね」

 いや、しなくても不自然ではない事になっていた。

「……サイカが、色に本気で溺れちゃったもんねえ」

 それまでは、売ったはずの人間の対価を誤魔化すやりくりがあったはずだが、サイカがああなった後は、その言い訳が立つようになり、最近では下手な小細工なしで、堂々と今までやってきたことを続けていた。

「売る女以外の女子供を、躾て売っている風を装い、自分の力の糧にしていたんだな?」

 不自然に見えないように、徐々に減らしながら。

 売った風を装うために、役人に顔の利く金持ちを抱き込み、便宜を図りながら。

「こちらが目を離していたのも悪いし、不相応の事をやっていた後ろめたさで、近づかなかったのも悪い。でもね、これでも、お前たちの事を信じて、セキレイはここを任せ、干渉しなかったんだ。それを、裏切っていたんだな?」

 躾ける者がいないせいで、他の奴が女を気に入り云々は、傍から見れば怪しい言い訳だが、そう言う事もあるだろうと考えてしまったコウヒが、その悩みを父親に話したことが、反発していた者たちが襲撃に転じる、思い切りになったのだろう。

 虚弱で力も強くないセキレイがなぜ、多くの夜叉たちに受け入れられ、心身ともに守られながらも上で全てを仕切る椅子に座っているのか、それを知っているはずのチャンに、シュウレイはゆっくりと向き直った。

「覚悟は、出来ているんだよな?」

「……それは、こちらの言う事だ。お前、今の私に勝てると、本気で思ってるのか?」

「困ったものだね」

 睨むチャンの後ろに目を向けながら、女は自嘲気味の笑顔になった。

「己の力を過信し過ぎて、それよりも大きな力でそれを退かれていても、気づかない。私たちも、慣れ過ぎていたから気づくのに遅れたんだけど、これは、命とりなんじゃないのか?」

「何を言って……」

 言いかけた女の体を、背後で立ち上がった男が押しのけ、エンに襲い掛かっていた男に飛び掛かった。

「……姐御、そいつは、あんたに任す」

 もう一人も身を起こし、敵となった男の首を攫む。

 飛び掛かられた男は、本来の姿で対峙するが、体当たりした男はあっさりとその体を捻じ曲げる。

「……驚いた。頭の教えを、全くしみ込ませられない奴も、中にはいたんだな」

 首を攫んだ敵を、片手であっさりと壁に叩きつけながら、もう一人の部下がしみじみと言う。

「オレたちの糧は、何でもいい。だが、仮にも姿を真似るのなら、その種には敬意を示してやれと、そう教わったはずだが」

「……お前ら、人間を食らう事で、力が宿ると、本気で思ってたのか?」

 それこそ夢物語だと、元仲間を押さえつけながら、男は吐き捨てた。

「姐御にコテンパンにやられた時、何故間違いに気づかないんだ? その愚かさゆえに、生き残った反乱者たちは、この場では三人だけになっているじゃないか」

 嘆く男の言葉に、チャンは焦って廊下の方に目を向ける。

 何故か縛りの呪いが破られ、セキレイ寄りの者たちが動き出したが、自分の仲間たちが、集まってこない。

 その様子に、ジュラが頷いた。

「調べより裏切り者の数が、大幅に少ないな」

「まさか、オキが張り切り過ぎてるのかしら」

 帰ってすぐに出かけてしまった男を思い、ジュリがおっとりと呟く。

「どうでもいいが、頼んだ片づけは終えてるんだよな、あいつ」

 まさかほったらかしで、ここに来たわけではないだろうなと、エンは目を細めながら、前に座る男とその傍に立つ女を見守った。

 セキレイは突っ伏したままだが、先程とは違って両拳が握られている。

 その傍に立つシュウレイは、チャンに目を向けたまま、腹違いの弟に声をかけた。

「裏付けをしてもらった上に、時を稼いでもらったから言いにくいんだけど、後の奴らはこちらに任せてくれる? 特にこいつは、念入りにお仕置きしてから、捨てないと」

「……舐めるなっ、阿婆擦れがっっ」

 剣を振りかざしたチャンが襲い掛かるが、シュウレイは間抜けな声を上げた。

「あー」

 飛び掛かった女の首が、落ちた。

「もう、むやみやたらに、襲い掛かるなよ。生かして捨てる気だったのに、首を落としちゃったじゃないか」

 ジュラが目を剝いて、転がった首を目で追った。

 机に立てかけていた鞘付きの剣に、シュウレイが手を伸ばしたのは分かったが、それを抜いて使い、戻す動きがいつの間に済んだのか、全く見えなかった。

「……姐御、もう少しその本能は、抑えた方が良くないですか?」

「全くだ。オレらは、殺さない盗賊を目指してたんだろ?」

 部下二人は呆れ顔で、それでも一蓮托生と考えたのか、捕らえた元仲間の肉をえぐる。

 絶命した相手を床に落とし、男の一人がそっとセキレイに声をかけた。

「お頭、申し訳ありません。落とし前をつけるには、相手が強すぎました」

「……耳元で、聞き捨てならねえ話が、聞こえてたんだがっ?」

「御免御免、でも、いいでしょう? 何人かすでに死んでるのに、首謀者を生かして置くのも、おかしいよ」

 しらじらしい謝罪をした男に、セキレイはつい顔を上げて睨むと、シュウレイが宥めるような言い訳をする。

「やっちまったもんは仕方ねえが、これじゃあこいつらを諭すのも、難しいじゃねえか」

「……諭す気、だったんですか」

 放ったらかしにされていたから、忘れられていると思ったのだが。

 実は、このまま黙ってここを辞しようかと考えていたエンが、ついつい意外そうな声を出してしまった。

 眉を寄せた男の代わりに、姉が答える。

「炊事場担当が、こうなっちゃったんだもの。ここに来れば、美味しいご飯が出るから、時々立ち寄ってたのに、その楽しみがなくなっちゃったんだ。代わりを探さないと」

 ただでさえコウヒがチャンを連れて行ってから、食べる楽しみが減っていたのにと言うシュウレイに、ジュラは何故か深々と何度も頷いた。

「分かる分かる。食が貧しいと、一層気が荒れると言うか……滅入って来るんだよな」

「分かってくれる? じゃあ、その子、頂戴」

「駄目です。うちでも、この子の食に対する拘りが、場を持たせてくれてるんだから」

「というか、そんな切実な悩みがありながら、その女を瞬殺したのか」

「だって、昨日来た時から、ご飯の中に何か呪い仕込んでる気配があって、腹が立ったんだもの」

 言い合う三人に溜息を吐き、セキレイは一言エンに言う。

「いや、何も、食う物目当てで誘うんじゃないぞ」

「……はあ」

 気の抜けた返事に構わず、真顔で切り出した。

「お前、親父の後を継いで、頭をやってるんだな?」

「まあ、そうなってしまいました」

「……部下たちに、軽んじられてるんじゃ、ねえのか?」

 それはないと思うのだがと、エンが首を傾げる。

 五十年で貫禄がつかなかったのは、その器じゃなかったからだとは思うが、軽んじられると言う所までは、いっていないと思う。

「ならなんで、お前が連れてる部下が、その二人だけなんだ?」

「それは……」

 難しい問いだ。

 エンは慎重に言葉を探しながら、答えた。

「この二人が、一番気安いからです。出し抜きをやらかす奴らを探して潰すだけなら、人数は少ない方がいい」

 ここはまた違うが、前に探し出した奴らは、こちらの獲物になってもおかしくない事を、平然とやらかしていた。

「でも、世に知らしめるやり方で襲う訳にはいかない後ろ黒い奴らを、大人数で狙うのは、何となく嫌だなと」

「それだけか? その割に、お前の所の二人の顔が、解せないんだが」

「この二人の顔は、元々こんな顔なんです」

 兄妹が目を細めて見やるのを無視し、エンは穏やかに返した。

「こちらが話すことは、もう何もありませんので、そろそろお暇します」

 まだ釈然としない顔のセキレイに、男は丁寧に頭を下げた。

 ほっとしたような、思い通りの話にならなくてがっかりしたような、そんな複雑な思いを胸に、エンは腹違いの上の姉弟たちの前を辞して、部屋を後にした。

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