第6話

 意外にも、激しい衝突もなくこの件は治まりそうだと、客三人はそれぞれ考えながら部屋から出たのだが、廊下を走って来るコウヒに気付いて、その安堵は早計だったと察した。

 顔を引き攣らせて三人とすれ違った男は、何故か出て行った時より服装が乱れていた。

 部屋に入りざま、叫ぶ。

「親父、サイカが乱心した」

 名だけしか知らない男だが、唐突な話に客三人が振り返ると、呼びかけられた男は困惑して訊き返した。

「何で、乱心する話になる?」

 今迄の所業を思うと、そちらの方が乱心していると思われても仕方がない筈だと言う父親に、コウヒは息を整えながら答えた。

「分からねえけど、この屋敷に、火を放って回ってるんだっ。乱心してるとしか、思えねえだろっ」

「……若、それを早く言って下さいっ」

 部下がつい強く叫び、頭に言う。

「女子供が、まだ残っているはずです。早いとこ外に出さないと……」

「それは、大丈夫だ。それより親父、早くここを出よう」

「その前に、サイカを止めないとね。ここだけならまだしも、村や町に出て、他の家にまで火をかけるようになってたら、洒落にならない」

 コウヒは部下に答え、シュウレイにもあっさりと言った。

「その心配はない、あいつ、火をつけながら奥の部屋の向かった。忘れ物を取りに行った奴を追って。そいつが、何とかするだろ」

 他人事の返事に眉を寄せたセキレイに、息子は苦い顔で話し出した。

「……サイカを探して回っていたら、奴と他の奴らが話している所に行きあった」

 そろそろ自分達への襲撃を始めようと言う、物騒な話に慌てつつその場から離れようとしたコウヒを、チャンの術が襲った。

 屋敷一帯を包む呪縛の檻は、父やレン程ひどくはないが、術系に弱い男を動けなくするには充分だった。

 廊下に音を立てて倒れたコウヒに気付き、部下だった男の一人がにんまりとする。

「おやおや、どうされましたか、坊ちゃん?」

 近づいて抱き起すその手つきが、妙にいかがわしい。

 鳥肌が立って硬直するコウヒを見下ろし、サイカは小さく笑った。

「チャンの命令だ、そいつは生かして置く。だが、下手な抗いで無駄な動きをされても、面倒だ」

「出来ねえと思うぜ。こいつ、あの女の甥っ子の割に、弱っちいんだ」

「弱い体は、柔らかい。色も白いし、すべすべだなあ」

 悪寒に声も出ないコウヒは、思った。

 ここに連れて来られた女たちは、こんな所業に耐えて、あんな抗う声が出せたのか。

 もう女を蔑むことは、絶対しないぞとつい考えつつも、部屋に連れ込まれた先で、必死に抗う。

 が、初め程動けないわけでもないのに、力の弱いコウヒでは、大きな男数人の力づくに、成す術もない。

 サイカが見下ろす先で、腕を封じられて組み敷かれた男は、歯を噛み締めながら目を閉じた。

「……諦め、早くないか?」

 唐突に、呟く無感情な声が聞こえ、同時に組み敷いていた男が離れた。

 目を開けた先で腕を封じていた男も、血を吹いて倒れる。

 身を起こすと、数人の大きな夜叉が、それより小さい黒づくめの男の刃にかかり、次々と絶命していた。

 色白のその顔を見上げ、コウヒは目を疑った。

「……ラン? 髪、染めたのか?」

「……」

 見下ろした男の目は、呆れ切っている。

 溜息まで吐くその後ろに立つ若者に気付き、一人残されたサイカが目を見開いた。

「お前、どこにいたんだっ」

「……あんたに、行先を告げなきゃならないとは、聞いてないけど」

 縋り付く勢いの男を上手に避け、若者はまだ座り込んでいるコウヒを見下ろす。

「それだけ背が伸びて、肉もついているんですから、その分、力もつけないと勿体ないんじゃないですか?」

「う、うるさい。オレはそう言うの、苦手なんだよ」

 そう言いながらも、こういう時に抗えない程では、流石に情けないと自覚した。

「お前、何してたんだ?」

 部屋で、大人しくしていると思っていたと言うコウヒに、若者は首を傾げた。

「あなたこそ、どうしてこんな所で、この人たちと遊んでいたんですか?」

「あ、遊んでねえっ」

「一方的に、遊ばれそうにはなっていたが、遊んでいたわけではないだろう」

 面白くなさそうに助け舟を出した男は、それとなくサイカを牽制している。

 それを聞いても、首を傾げていた若者だが、遅まきながら正直に答えた。

「セキレイさんが事を治めるにあたって、それがすんなりと行くように、動いてただけです」

「……反乱分子は、動く前に力をつけたがるからな」

 言葉少ない答えに、隣に立つ男が付け加えた。

「糧の種類で力の大小が変わることは、滅多にないのだが、それにすがっていた奴らは案の定、来たな」

 捕まっていた女子供は話を聞いたうえで、あらかじめ一つの部屋に集めていたのだが、その部屋に現れた夜叉たちを生かして置く理由がない男は、躊躇いなく斬った。

「一人逃がしたが、まあ一人ぐらいならな」

「逃げた訳じゃなく、誰かに知らせに向かったみたいだったし」

 その後屋敷を覆う術がかかったが、若者はすぐに解いて女子供の避難を誘導した。

「忘れ物がないか見て回ってたら、あんたがこの部屋に引きづり込まれるのを見たから、何事かと思って覗いたんだよ」

 何してるんだかと、呆れて見守ってしまった若者の横を過ぎて、男が動いてしまったのだった。

「……」

 つまり、こいつは、オレを助ける気は、なかったと?

 思わず睨むコウヒに首を傾げたまま、若者は再びしみじみと言った。

「図体だけの、ひ弱男なんですね。本当に、レンの弟ですか?」

「守られてるだけ、だったらしいからな、こいつは。ユウもこんな奴のどこに惚れたんだか」

 黒ずくめの男は長年の謎だと、若者に嘆いている。

 昔から一緒にいたユウの周りには、見目もよく器も腕力も整った男が、ごまんといた。

 見た事のない男の種類だったからだと、姉のランは得心していたが、真逆の男過ぎる。

「あの、赤毛の旦那の倅だからだとしても、質を落とし過ぎだ。ユウが妥協する事は、なかったはずだ」

「そうなのか。私には係わりないから、どうでもいいけど」

 まあなと、男が天井を仰ぐ横に立つ若者は、黙って睨むコウヒを見て、再び首を傾げた。

「オレが、そんなに憎かったか?」

「? 別に、憎くはないですけど」

「だったら、何で見捨てようとしてんだよっ」

 一月前に捕らえ、ここにいるサイカに凌辱させたのだから、恨まれても仕方ないとは思うのだが、若者の答えは、無感情ながらきっぱりとしていた。

「すぐに諦めるくらいだから、平気なんだと思ったんですけど」

「はあ?」

 思わず間抜けに返す男に、若者は続けて言う。

「まあ、当然ですよね。他人に強要するんですから。自分がされて嫌な事は、人にはするなと、流石に教えてもらっては、いるんでしょう?」

 自分ですら、そういう教えを知っているくらいだから、親兄弟と一緒にいたコウヒが、教えられていないはずはないと、若者は言い切る。

 胸を突かれて黙り込んだ男から目を離し、隣でコウヒを見守る男を見上げた。

「そろそろ、私は消えるから。後は頼む」

「ああ。ちゃんと自分の荷物は持って行けよ。元気でな」

「あんたも」

 短い挨拶を交わし、若者が部屋を去った後、男は生き残った二人を見た。

「そいつの処分は、お前たちに任せてもいいな?」

 というか、衣服の乱れを正すくらいしろと言う男を見上げ、コウヒは力なく尋ねた。

「あいつ、逃げる気か?」

「ああ。あの、カスミの旦那の嫡子共に伝えてやれ」

 男は、若者が言わなかった本音を、しっかりと伝えて姿を消した。

「……それ、オレに伝えろってのかっ」

 すぐに消えた男に毒づきながらも、コウヒは父親の元に連れて行くべく、座り込んでいた男を見た。

 サイカは、立ち上がっていた。

 いつの間に手にしたのか、明かりのついた行燈を攫み、コウヒを睨んでいた。

 その目を見返して、ぎょっとする男に、サイカは絞る様に声を出す。

「あいつを、どこに売る気だっ」

「な、何を言ってる?」

 目が、いつもと違う意思を宿しているが、それが歪んだ物だとすぐに分かる。

 努めて静かに尋ねたのだが、血走った目のサイカには伝わらない。

「私から引き離す気だなっ? チャンが言ったとおりだ、お前ら、極悪だなっ」

「……お前らに言われるとは、すげえ心外なんだが」

 吐き捨てられて、コウヒはつい言ってしまった。

 やった証はどこかに残っていて、弁明の余地はない筈なのに、自分たちがやった事を棚に上げて、気づかなかったのは悪いとはいえ、全く係わっていなかった男を捕まえて良く言うと、呆れてしまう。

「頭が命じた事を全く行っていない上に、獲物を猫ばばしてたってか。オレもお叱りを受けそうだが、お前も少しは、悪かったと言う思いを、顔に出してみたらどうだ?」

「私は、何も悪くないっっ」

 サイカは叫びながら、手にしている行燈の火を床に近づけた。

 一気に足元を炎が走る。

 異常な火の早さにコウヒがひるんだすきに、男は部屋を駆けだした。

「……どうやら、油を撒きながら火をつけているらしい」

 我に返ったコウヒが追うと、サイカは別な部屋でも同じ様に火をつけながら、奥の部屋へと進んでいった。

「火を消すのも、奴を止めるのも間に合わねえ。火が燃え広がる前に、ここを出よう」

 コウヒの訴えを廊下で聞いていた三人も、きな臭い匂いを嗅ぎ取ったが、別な意味で眉を寄せた。

「……燃え広がる火を消せないのは仕方ないが、火をつけて回る奴を、只追いかけただけ? しかも途中で諦めてここに来たって事か?」

 どこから指摘すればいいかと並べながら、エンが小声で呟くのに答えたのは、苦い顔のジュラだ。

「オキの奴、生かして置いた奴を、拘束せずに行ったな」

「時々、ランの残した思いに流されてるもの。やっぱりランも、コウヒに関しては含みがあったのね」

 力が弱いコウヒの前に、敵を自由の身のまま放置していったオキと、ジュラとジュリは同じような気持ちだったが、そのしわ寄せが、僅かにずれた立ち位置の者に向かっていた。

「出入口は、無事なのか」

「ああ、今のところは」

 内心取り乱しているコウヒに、セキレイは静かに確かめて頷く。

「よし、速やかに外に出るぞ。奴は、今のところは放って置こう」

 頷いたコウヒは目を下に向けてようやく、床に転がった部下の死体と、チャンの首に気付いて体ごと飛びのいた。

「な、何があったんだ?」

「話せば長いから、後だ。……お前らも、立ち尽くしてないで、早く外に出ろ」

 立ち上がって廊下に出たセキレイが、煙の方に目を向けている三人に声をかけた。

 煙の中に炎も見つけられる程、燃え広がりつつある。

「……奥には、誰もいないんですか?」

「いても、助けに入るのは、もう無理だ」

「……」

 見返すエンの目が僅かに揺れるのを見て、セキレイは微笑んだ。

「まずは、オレたちが無事でなければ、後を考えられないだろうが。助けがいるかどうか考えるのは、その後だ」

「そうそう。まずは、可愛い弟たちの、身の安全を考えさせてよ」

 シュウレイが言った途端、セキレイが部下の大きな腕に抱え込まれた。

「落としたら、斬り刻んじゃうからね」

「分かっていますよ」

 答えながら外に向かう男の背を見送って、シュウレイは残りの者たちを促す。

「ほら、ああいう持って行き方されたくなければ、外に走って。いっとくけど、持って行くのは、私だよ」

 それは、遠慮したい。

 大の男四人は顔を見合わせ、走り出した。

「……あなたに抱えられたら、地面に頭を引きづられそうだものね」

 おっとりと笑いながら同じように走り出したジュリが、四人の心境を代弁してくれた。ジュリ本人ならばその心配はなさそうだったが、その申し出はすぐに断った。

「走れるから、大丈夫よ」

「そう? どこかの国で聞いたことがある、お姫様抱っこ、したかったのに」

「この時代に、その言葉あったかしら?」

 呑気に話す二人の女を囲むように外に出ると、先に出た男二人と、一人の男が対峙していた。

 男の後ろには、小さく縮こまった小さな女たちと、さらに小さな子供たちが固まって座っている。

 セキレイの後ろから近づく面々に気付いて、男が小さく笑った。

「何だ、もう少し、険悪になったと思っていたんだが」

「お陰様で、平穏に話し合いは終わった。お前の方は? あそこの後片付けは、済んだのか?」

「片付ける程、荷も残っていなかったが。後は取り壊せば終わり、だ」

 穏やかな問い返しに首を竦め、オキは本格的に炎に包まれた屋敷を見た。

 屋敷の奥に当たる場の屋根が、焼き崩れ始める。

 その音に振り返ったエンは、崩れた建物の傍で燃える屋敷を見上げる、小さな人影に気付いた。

 火を気にしながら立ち尽くすその人物を見止め、エンは思わず駆けだしていた。


 火事に気付いたのは、忘れ物を取りに部屋に入った時だ。

 いつも以上に多い荷物の包みを、若者は肩に担ごうかと考えながらも、どこからか漂い、徐々に濃くなる煙の臭いに気付き、逃げ場を探している。

 一つの場所からの出火にしては火の回りが早く、まだ中に客とこの屋の主がいるはずで、手っ取り早くここを隠すための所業でもないようだ。

「……付け火、か」

 ここは奥の部屋だから、客を迎えていた部屋からは遠い。

 だから、自分が逃げる事を考えるだけでいい、はずなのだが……。

 火足と共に、一人分の足音が、こちらに近づいていた。

 非常時にしては遅い足取りだが、落ち着いている様子でもない。

 興奮しているのか、只の運動不足か、息切れ気味に部屋にかけ込んで来たのは、先程コウヒ達の傍に、置き去りにしてきた男だった。

 若者を見止めると、サイカはほっと笑みを浮かべ、すぐに近づく。

「良かった、無事だったかっ。さあ、早く逃げようっ」

 言いながら、男は壺を床に叩き割り、残った油がこぼれるそこに、手にしていた行燈を捨てた。

 炎が上がり、瞬く間に部屋に広がる中、若者はさし伸べられた手を見つめた。

「どうした? 早く逃げないと、逃げ遅れる」

「……逃げる気、あったのか、あんた?」

 サイカの背後の廊下は、すでに煙が立ち込めている。

「自死する気で、奥まで来ているんだと、思ったんだけど」

「お前を救うために、ここに来たんじゃないか。その為の足止めに、火をつけただけだ」

「……どこから、救う気だ?」

 表情だけ見ると当然そうな言い分だが、周りを見ればおかしいと嫌でも分かる。

 サイカは、この屋敷の事を知っているはずだ。

 捕まえていた女子供の逃走を防ぐために、出入り口が一つしかないこの建物は、サイカが走ってきた方向に向かうしか、逃げ場はない。

 木材の平屋建ての屋敷は、方々で火を放たれ、ただでさえ焼け落ちるのは早そうだったが、ここにも火を掛けられてしまい、若者の周りにも炎が上がり始めていた。

 煙と熱で顔を顰めながらも、若者は差し伸べられた手から目を離し、周りを見回して逃げ場を探す。

「何で、来ないんだっ? やけになるなっ。絶対に助けるからっ」

 火が囲み始め、焦ったサイカが声を荒げたが、気にせずに小さな窓を見上げた。

 板壁にも火が立ち上り始めていたが、まだまだ床よりはましだ。

 若者は無言で壁に近づき、おもむろに蹴り上げた。

 呆気なく壁は剥がれたが、ついでに屋根が崩れ落ちて来た。

 悲鳴を上げたサイカを振り返ると、男は下敷きになるのは免れたが、屋根に阻まれて若者の方に近づけない。

 くすぶる火を、崩れた屋根ごと足で押し潰し、男の傍に寄って今度は若者の方が手を伸ばす。

「生きる気があるなら、出るぞ」

 変わらない無感情な顔を見上げた男は、我に返って顔を緩める。

「ああ逃げよう。今度こそ、幸せになろうな」

 そんな事を言いながら手を攫むサイカを瓦礫に引き上げ、速やかにその場を離れる。

 一部屋崩れたものの、火の勢いは弱まらない。

 外のすぐ傍に森が広がっているのに気づき、若者は苦い顔になった。

 屋敷だけで済む勢いの、炎ではない。

 このままでは、この辺り一面炎で包まれ、収拾がつかなくなる。

 間に合うかは分からないが、火の出ている所から崩して、燃え広がらないようにして見ようと、屋敷に向かいかけた若者の手を、サイカはがっしりと攫んだ。

「どこに行くんだっ。これ以上、私を、一人にしておかないでくれっ」

「……すぐに戻るから、放してくれ」

「こんなに好いているのに、どうしていう事を聞いてくれないんだっ」

 しがみ付かれ、流石に怒鳴りそうになった若者が、それを何とか抑えて答えようとした口が、固まった。

「……これで、動かないだろう? 良かった。もう、お前は何処にもいかせない。私の元で、幸せになるんだ」

 上ずった場違いな笑いを聞きながら、若者はサイカを見据えた。

 力任せに男を引きはがして身を離しながら、言葉を吐き捨てる。

「いい加減にしろっ」

 引きはがされて草むらに転がったサイカが、きょとんとして若者を見上げる。

 血まみれの手で身を支える男を見下ろし、若者は息を荒げていた。

「これだから、話がかみ合わない奴とは、永く一緒にいたくないんだっ」

 声を絞り出す若者の腹に、短剣が刺さっていたが、男を睨みながらもよろける事なく立っていた。

「ま、待ってくれ。私は……」

「あんた、ずっと、私に好き云々の話をしていたけど、本当にそうなのか?」

 動けるうちに、動けなくなる前に動かなければと思いながらも、若者は追いすがる男に、気になっていたことを吐きだした。

「人を好きになったら、その相手の気持ちを推し量って、それで合っているのか常に不安に思って、それでもつい考えてしまう。思いが通じ合っても、その不安は続くものだと、教わった」

 誰に聞いたのだったかは覚えていないが、一人になってから後の事だ。

 ある村の、ある男女の話だ。

 若者は、人を好きになった事は、ない。

 物を好く事と、人を好く事の違いが、いまいち分からなかった時に、ある男がうんうん唸りながら、ぎこちなく教えてくれたのだ。

「私は、あんたに、欠片も関心がない。再三それを言っても分からない時点で、あんたのその考えは、思い違いだ。あんたが好きなのは私ではなく、あんた自身だろう? 誰かを好いて大切にしていると思い込んで、満足しているだけだ」

「そ、そんなことはないっ。私は、お前が……どうして、分かってくれないんだっ?」

 声を上ずらせて、サイカが再び飛びついて来る。

 身を引いたがよろけてしまい、足を踏みしめた隙に間を詰められて男に捕まりかかったが、唐突にその体が離れた。

 乱暴に、サイカの体が引き離されて放り投げられる。

「……うーん。どうして、ここに近づいてしまったのか、いまいち分からないんだが。まあ、いいか」

 穏やかな声が言い、サイカを見下ろして立っていた男が、若者を振り返った。

 思わず空を仰いでしまった若者を振り返り、その優しい顔立ちの男は肩越しに笑いかけた。

「五十年ぶりくらいか? 久し振りだな、セイ」

 久し振りに呼び名を呼ばれたが、感動する間はなかった。

 肩越しに呼び掛けながらセイを背に庇い、エンはサイカの首に手を伸ばしたのだ。

「元気そうだが、今、こいつに、何をされた?」

 穏やかに尋ねながら、男の首を軽々と攫み上げる兄貴分を見上げ、セイは少しだけ考えてから、答えた。

「一言で言うには、難しい」

「ほう」

「だから、放してやってくれよ。そのままだと、息が出来ない」

 細身の男だが、サイカよりは力にも上背にも恵まれ、男一人の足を浮かし、多少暴れられてもびくともしない。

 このままでは絞められているだけでも、命が危うい。

「短く言えばいいだろう? 答えたら、楽にしてやるし」

 静かに宥めた声に答えるエンは、このまま首を落とす気満々だ。

「それは、後にしたいんだけど」

「ん? このまま絞め上げて置けと? 構わないが、何をする気なんだ?」

「……用が終わるまでは、降ろしてて欲しいけど。火を消したいから、少し待っててくれ」

 息が止まる寸前で、白目を剝いているサイカを見ながら、セイはゆっくりと兄貴分に切り出した。

 屋敷内でオキが斬り刻むのを久し振りに見守っていたが、進んでさせたいとも見たいとも思っていない。

「それは、お前がする事じゃ、ないだろ?」

「他にできる人も、やる気のある人もいないんじゃあ、私がするしかないじゃないか」

 男の首を攫んだまま、エンは首を傾げる。

「やる気があるかは知らないが、出来そうな人は、いるだろう? あれでも、ここを縄張りにしていた人だぞ」

「……それは、して欲しくないから、私がしたいんだけど」

 男の体が、地面に落ちた。

 それを見向きもせず、エンは体ごと若者に向き直る。

 燃え盛る屋敷をみやり、もう一度セイを見ると、得心したように頷いた。

「この燃え具合だと、相当なものになりそうだからな」

 平然と話し込んでいるが、炎が間近に迫って肌をちりちりと焼く痛みが、強くなっていた。

「そういう事だから……」

「恐らくあの人は、お前が自力で奥から出てくるのは、分かっていたんだな」

 セイの言葉を遮ったエンは、言いながら人差し指で若者の後ろを指した。

「無駄に体力を使わないように外に出ていたから、この屋敷全体を的にする気では、あったんだ」

 指さされた方を見上げ、若者は思わず顔を顰めた。

 逃げ場を探して後ずさるセイの口元を、エンは後ろから腕で覆う。

 足元に倒れたサイカは蹴飛ばして避けながら、そのまま後ずさった時、火に包まれた建物が、轟音と共に崩れた。

 いや、上から降ってきた何かに、押し潰された。

「おっと、量が多いから、雪崩れそうだな」

 呟いて、セイを抱え込んだまま更に後退するエンの目の前で、屋敷を押し潰した物が、こちらに流れて来る。

 水ではない、何かの粉、だ。

 塩にしては粒が細かく、餅粉程細かくはないが、その粉が火を一瞬でかき消してしまった。

「……体力はなさそうだが、敵に回しては、厄介そうだな」

 粉の種によっては、逆に火を大きくすることもあると知るエンは、この量の粉を瞬時に作ったであろう男を思い浮かべ、小さく笑った。

 セキレイとシュウレイの姉弟の母は、薬師であったのではと、ジュラは言っていた。

 この一年の、彼らの所業とみられる押し込み内、一件だけ他とは違う跡があったのだ。

 同じような薬は使われていたが、その一件だけ、症状のみがその薬を匂わせただけで、残された人間に薬の形跡を残していなかった。

 他の家では、正気を失った家人が取り残されていたが、その家だけは、役人の取り調べを受けられるまでに、回復していたのだ。

 その件だけかなりの薬の玄人が係わっていたからか、その件だけ他の件とは無関係なのか、更に調べを深める事にし、そのせいでここの連中の内輪もめに気付いたのだった。

「……あの人、無意識に、近くの人間の病を吸い出して、薬を作り出してる」

 作るまでなら分かるが、それを、無意識に外に放出している。

 それに気づいたセイは、出来るだけ早く、あの男から離れる事を、望んでいたのだった。

「部屋で向かい合うまでが、限界だ」

「……」

 エンの腕の中で、若者は小さく吐き捨てた。

 その上、何もない所から、火を消せる薬を作り出して、空から落として見せた。

 これ以上、係りたくない。

 息を詰め気味に雪崩れる粉を見守っていたエンは、目を細めたまま目線を下に向けた。

 それから、そのまま崩れ落ちた建物の方を見やり、呟く。

「……生き埋めは、その対価としては優しすぎたか」

 顔を上げたセイは、兄貴分が見ている辺りに、何が埋まっているのかを思い出す。

「どうせなら念入りに料理して、同じことをやっている奴らに、食べさせてやりたかったんだが」

 目を丸くしている若者は、その言葉に真っすぐ答えた。

「あんな奴を何人も探す方が、大変だぞ。探している間に、料理が痛むかもしれない」

「そうなんだが、気絶したまま生き埋めじゃあ、苦しみもしなかっただろう。怒り任せに、絞めるんじゃなかったな」

 穏やかに言って首を振るエンも、全くひねっていなかったので、問題なく言い返す。

 きわどい言い方のようで全く違う言葉を交わした二人は、粉煙が収まってきたころようやく気を抜いた。

 途端に、セイの体がよろめく。

 すかさず支えるエンが、腹に刺さっている短剣を見下ろした。

「……そのままじゃあ、治せないだろう?」

 内腑にまでは達していないと、少しだけ安堵しながら声をかける男に、セイはゆっくりと首を振った。

「今剣を抜いたら、血が噴き出る。落ち着く所に行って抜いて、血を止めてから休むから、大丈夫だ」

「……最後に大丈夫と言えば、何でも済むと思ってるのか?」

 どこに、大丈夫と思える言葉があったのか。

 目を更に細めてしまった男を見返し、若者も目を細める。

「本人が大丈夫と言ってるんだから、信じて欲しいんだけど」

「信じてもいいが、まずは、血を止めるのだけは、手伝わせてくれ」

 ゆっくりと頼んだエンに渋々頷き、取りあえずはと向こうにいるはずの男達の元へと歩き出す。

 流れる血が多くなっている筈なのだが、若者はしっかりとした足取りでセキレイたちの前に姿を見せた。

 セイがその安堵した顔を見上げて何かを言う前に、セキレイは無言でその体を抱きしめた。

「良かった。すまない。お前が出てくると勝手に考えて、あんな火の消し方をしちまった」

 後ろからやって来ていたエンが、顔を強張らせた。

 セイも苦手な相手に抱きしめられたからか、体を強張らせて動かない。

「……おい、あんた、いい加減な所で……」

 オキが呆れて声をかけて気づき、途中で言葉を切った。

 セキレイも、抱きしめた体と自分の間に、何か出っ張った物があるのに気づき、身を離す。

 唐突に、そのセキレイの顔が、無造作に攫み上げられた。

「あなた、やはり、ここで死んでください」

「ち、ちょっと待てっ。セイっ? お前、腹に何を生やしてんだっ?」

 喚く男から、オキが慌ててセイを引きはがし、シュウレイがその若者の有様に目を剝く。

「今、普通に歩いてたじゃないかっ」

「うわあ、他の奴は何とかなるが、この姐さんだけは、自信ないぞ」

「そうね。あ、皆、目を閉じててね。あなた達は、何も見てない事にしないと」

 騒々しくなった中、聞き覚えのある声と言い回しを耳にしたが、宥める事も止めることも出来ず、セイは深い眠りについていた。

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