第9話 酒井道夫と町田亜香里
株式会社モーラルは、海外へ冷凍食品などの輸入輸出を行なっている大手の食料品メーカー。
その中でもイチオシの商品は、冷凍パンケーキ。
近年、パンケーキの流行に合わせて商品開発を行い、販売するとその生地の食感や味が女子高生を中心に世の女性達に大ハマり。
それ以降、モーラルは様々な商品開発に勤しみ、急成長を遂げ、この大都会に45階建ての高層ビルを建てる事に成功したのだ。
2人は巨大に構えるモーラル会社を見上げる。
「んで、あの刑事から男の情報はもらってんだろうな」
「まあ、少しだけですけどね。名前は酒井道夫、年齢は36歳で独身。モーラル会社の衛生管理課に所属しており、主に輸出品の衛生管理をしています。勤務態度は真面目で几帳面と評判は良いみたいです。自宅は襲われた辺りの住宅街に一軒家を買っていて、通勤はバスを利用しているとの事」
「本当に評判良いのかよ? 殺したくなる程、恨まれてたんだぜ?」
「それは調査すれば、分かってきますよ」
「とりあえず、適当に声かけてみるか」
2人は館内の埃一つない床に泥をつけながら、堂々と正面から入る。
突然、つなぎ姿の男2人が入ってきて、スーツ姿の会社員達は好機の目で見ていたが、「なに見てんだ?」と武藤が睨みを効かせ追い払う。
「ちょっと、武藤さん。話を聞きに来たんですよ。追い返してどうするんですか?」
「うるせーな。俺を変な目で見てくる奴が悪い。よし、ここからは、二手に分かれて効率よく聞き込みをするぞ」
「確かに、そっちの方が良さそうですね。とりあえず1時間後にここへ集合しましょう」
甘木はニコリと手を振りながら、早速、近くにいたOLと話を始める。
「アイツ馬鹿だな。酒井道夫は男だぞ。女に聞いても何の情報も入らねーだろ」
楽しそうに聞き込みをする甘木を鼻で笑う武藤。
「男の事は男に聞かねーとな。よし、まずはあのひ弱そうな奴からだな」
昼休みの過ごし方は、人それぞれ。
仲間達と食堂で過ごす者。部署内で弁当を食べる者。何も食べずに昼寝をする者。
各々が午前の疲れを払い、午後に向けて力を蓄えている。
その手段が何にせよ、否が応でも平等に時間は過ぎていく。
近所に新しく出来たカフェやラーメン店で昼食を済ませた職員が会社に戻り始めるのに合わせて、太陽も南中から西へ移動を始める。
本日の最高気温到達まであと1時間程度。刻々と2人の背後を秒針が追いかけてくる。
そして、エントランスに飾られた観葉植物の影がエレベーターまでに伸びた頃、甘木は予定通り武藤と合流する。
「おい! 遅ーぞ」
「え、時間ぴったりですよ」
「お前は本当に現代っ子だな。5分前行動は社会人としての常識だろうが!」
「あ、確かにそうですね。すみません。それで、武藤さんの方は調査が早く終わったんですか?」
「良いか? 聞き込みってのは言葉を聞くんじゃなくて、相手の心を覗き込むんだ。そうすれば、お前みたいに余計な話を挟まずに、手っ取り早く色々と分かるんだよ」
「さすが、武藤さんです! それで、どんな情報が入ったんですか?」
「馬鹿だな。そこは後輩のお前から上司である俺に報告するのが社会のルールだろ」
「あ、すみません。それでは先に報告させて頂きます。まずは、酒井についてですが、警察官から貰った情報とほとんど変わり無かったです」
「チッ、使えねーな」
「ですが、左利きの秋田出身の女性は見つかりました。この方です」
甘木はスマホのロックを解除し、ストローを咥えている天女と見間違える程、美しい女性の写真を見せた。
「めっちゃマブいな! 本当にこの子なのか?」
「おそらく、そうです。彼女の名前は町田亜香里、23歳独身。去年、秋田から上京してきてこの会社に就職。武藤さんの言う通り、彼女はとても綺麗で何人もの男性から告白をされてたようですが、全て振っていたそうですが」
「まぁ、並大抵の男じゃ無理だな。てか、どうやって写真ゲットしたんだよ」
「OLの皆さんと今度、一緒にランチする条件で貰えました」
甘木の頭に無言の拳骨が入る。
「痛っ! 何するんですか?」
「良いから続けろ。なんで、そのミスパーフェクトがこんな男に恨みを抱いてたんだ?」
「どうやら、2人は仕事の事でよく揉めてた様で、言い争ってるのを見たという人もいました」
「ストレスフリーの為に働いてる身からすれば、悲しい話だね。相談相手とかいなかったの?」
「どうやら、彼女、周囲とは孤立してたみたいです」
「なるほど、美人過ぎるのも得ばかりじゃねーみたいだな」
「武藤さん、重要なのはここからです」
「まだ、何かあるのか?」
「なんと、町田さんは1週間前から無断欠勤をしていて、行方が分からなくなってるそうです」
「もしかして、酒井へ恨みを晴らす為にか?」
「おそらく」
「じゃあ、この町田亜香里が自分のNEGAを何らかの方法でNEGA BOXから取り出して、たまたまいた山下に感染させたって事か?」
「その線が濃厚でしょうね。もし、町田さんが酒井が死んで無い事を知ったら…」
「また、犯行に及ぶかもしれないな」
「それで、武藤さんはどんな収穫があったんですか?」
「あん? お、俺はだな…」
武藤は、いそいそとメモ帳をめくる。その姿を期待の眼差しで見つめる甘木であったが、スマホに畳矢から着信が入る。
「はい。甘木です」
「おいおい、上司の前で堂々と電話する奴がおるか!」
注意をしながらも、ホッと胸を撫で下ろし、表情が柔らかくなる武藤に対し、甘木はしばらく、「はい」と真剣に相槌を打ち、顔色を青く染めながら通話を切る。
「大変です。武藤さん」
「どうした?」
「酒井道夫さんが、無理矢理、退院されたそうです」
「なにっ!?」
「マズいですよ! もし、町田亜香里さんが酒井さんが生きてる事を知ったら…」
「今度は、この子自身でトドメを刺す可能性があるな。よし、俺はタクシーで町田亜香里の家に行くから、お前は酒井の家に護衛に行け!」
「了解です! これ、町田さんの住所です!」
甘木は電話中に書いたメモ用紙を武藤に渡し、収集車へ走る。
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