第11話 酒井宅
西が最も明るくなる頃、数百km先から残り僅かな光がリビングの白い壁に鋭い橙色を押し付ける。
酒井はその様子を見てリビングの電気をつける。
少し、足を引きずりながら移動するその姿は数日前の惨劇を物語る。
もう2度とあの悲劇を起こしてはいけない。酒井さんの為にも。そして、町田さんの為にも。
甘木は心の中でそう1人で誓いを立て、用意されたレモンティーを口は運ぶ。
「突然、上がり込んでしまい申し訳ないです」
「本当ですよ。本来なら警察に通報しますよ。でも、あなたが私を助けてくれた恩人だったので…」
甘木はレモンティーを一気に飲み干し、カップを置く。
「酒井さん、単刀直入に言います。あなたは町田亜香里さんに狙われています。どこか心当たりはありませんか? 会社でトラブってた聞きましたけど」
「どういう事ですか? だってあの日、襲ってきたのは、別の女性ですよね」
「はい。これはまだ秘密事項ですが、何者かが町田さんのNEGAを回収してあの場にいた女性に感染させ、酒井さんを襲わせた可能性があります。なので、町田さんとの関係を詳しく教えてほしいです」
「そうですね。多少は彼女と口喧嘩する事もありましたが、私と彼女とは良好な関係だったと思いますけど…」
「そ、そうですか…」
「まあ、そう落ち込まないで下さい。せっかく心配して来て下さったんですから、もう少しお茶でも飲んで行って下さいよ」
「あ、お構いなく」
と、甘木が酒井の手を止めようと立ち上がった瞬間、手を滑らせ、ガシャンッと自分のコップを落としてしまう。
「すみません。すぐ片付けますから!」
「大丈夫ですよ。すぐに掃除機を持って来ますから」
急いでリビングから出ていく酒井を横目で見ながら、甘木は四つ這いになって白い破片がソファー下やテーブル下に飛んでないかと床を舐め回す様に探す。
大きめの破片は鋭さもなく、簡単に見つかったが、目に見えない程の小さな破片は指を床に押さえつけながら、慎重に探す。
掃除機が到着する前に、もう少しだけ綺麗にしておこうと甘木は手を休めず、終わりの見えない破片集めをしばらく続けていると、人差し指に絡みついた一本の髪の毛き気がつく。
すぐに払い除けようと手に取って見ると、茶色で細長く、明らかにこの場にいる男性2人のものではなかった。
甘木はスマホを慌てて開き、町田の写真を開いて髪色を確認する。
「まさか…」
甘木は破片集めを中断し、急いでリビングを出る。
早く、掃除機を探す酒井の元へ行かなくては。
だが、どの部屋に行ってるのか分からない。
大きい声で確認をとろうと思ったが、相手にも聞こえてしまう。
甘木は自宅内全ての音を拾おうと、目を閉じ両耳に神経を集中させる。
ザーと聞こえる空気の音。
しばらく、その波の様な音を聞いていると、ギシッと2階から床を踏みしめるノイズが邪魔をして来た。
甘木はすぐさま、忍び足で階段を昇って2階へ行く。
手すりを把持し、踏み込んだ足に体重が掛かりすぎないに注意しながら。
階段を昇りきった先には、2つの部屋があり、まずはドアが開きっぱなしの左の部屋に行く事をすぐに決める。
小声で「酒井さーん。大変でーす」と呼びかけながら、ゆっくりと中へ入っていく甘木。
だが、部屋の中には冬物の洋服や段ボールの空き箱だらけ。
「ここにも居なさそうだな」
見当違いの自分の考えに頭を抱える甘木。
そして、もう一つの部屋に行こうとした時、天井から再びギシッっと音がした。
今度は曖昧な音でなく、集中してなくてもハッキリ聞こえる位の音量。
「屋根裏部屋でもあるのか?」
甘木は目を細め、天井を隅から隅まで確認する。
リビング同様に白色を基調とした壁と天井。何ら変わりない天井であるが、よく見ると後付けされた何かの管が天井を突き抜けていた。
甘木がその管を頼りに再度、見渡していると、天井の隅に小さな取手を見つける。
「ここが入り口か?」
なるべく音が鳴らない様に足場に使えそうな台を見つけ、取手に手をかけガチャとロックを解除する。
すると、天井の一部が開き、大きなハシゴがゆっくりと降りて来た。
今、驚いているのは「今時、屋根裏部屋があるなんて珍しいな」と思ったからではない。
まだ、何も見て無いのに感じる不穏な空気。
こめかみがズキンと疼いたが、そんな事を気にしてる暇はない。
甘木はすぐさま、ハシゴに手をかけ昇り、屋根裏部屋に顔を覗かせた。
中は思ったよりホコリぽくなく、咳込みを警戒していたが、その心配はなさそう。
だが、その理由は小さな天窓下へ続く管の先にあった。
甘木はスマホを取り出し、ライトをつけ、ただその場を照らそうとしただけであったが、その一瞬の光は想像以上の成果を出した。
今回の猟奇的事件の謎、酒井宅のNEGA BOXが急に動き始めた事、掃除機を取りに行ったきりの酒井の居場所。そして、町田の待つ根深い酒井への恨みの謎全ての答えがこのスマホの光の先に広がっていた。
目の前の光景に動揺を隠せない甘木は自身の口を抑えながら、言葉を漏らす。
「ま、町田さん?」
真っ暗闇の屋根裏部屋を照らす一筋の小さな光が照らし出したのは、スマイリーを強制的に顔面に装着させられた町田亜香里だったのだ。
写真で見るよりも明らかに痩せ細ってしまっている。目の下には大きな隈があり、頬もこけている。
しかし、町田は終始笑顔で甘木の事をジッと見つめている。
「町田さん!」
それまで忍者の様に静かに慎重に動いていた甘木だが、身体は無意識にそんな事は忘れ、反射的に町田の元へ動いた。
近くで見るとより一層、栄養失調である事がわかる。
両手両足には鎖付きの手錠がかけられているが、痩せ細った四肢はすぐにでも抜け出せそう。
甘木は急いで、手錠を外そうとするが、手に力が入らない事に気がつく。
「あれ? 目が霞む…」
次第に両足にも痺れを感じ、瞼も重たくなる。
全身を襲ってくる脱力感に必死に抗う甘木だが、その抵抗は虚しく、鎖に繋がった町田とその背後で笑顔を見せる酒井の姿を瞼に焼き付けながら、ゆっくりと意識を失っていくのであった。
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