第10話 説得と護衛

 風の流れに身を委ね、空の中でユラユラと泳ぐ雲。

あぁ、私もあんな風になれたら良いのに。と小さな天窓から願う人もいれば、向かい風に全力で逆らい、車を疾走させる男達もいる。


「おい! もっとスピード出せよ!」

「お客さん、無理言わんでくださいよ。私が警察に捕まっちゃいますよ」

 武藤は後部座席から前のめりになり、運転手にアクセルを踏ませる。

「おい! 人の命がかかってんだぞ! 頑張らんかい!」

「ひぇーーー」

今日一番、不運なタクシー運転手は彼かもしれない。



一方、甘木は何とか会社から約15分程度の距離にある酒井宅へ到着していた。


 会社から大通りまでは一本道で、迷う事なくスムーズに進んでいたが、住宅街に入ってからは一方通行が多く悪戦苦闘し、ようやくたどり着いた。


 酒井宅は洋式スタイルの新築の一軒家。

太陽光パネルが設置された屋根に断熱素材の白い壁は、周囲の住宅と全く同じ造り。

その為、初見では住所をしっかりと確認しないと迷うのは致し方ない。


 結局、所要時間は25分と10分もオーバーしてしまった為、「まだ、大丈夫なはず」と心の中で必死に念じながら、インターホンを連打する甘木。

「酒井さん! 酒井さん! 大丈夫ですか?」

 何度も何度もインターホンを押し、呼び続けるが返答は無い。

「もしかして、まだ家に戻って無いのか? それとも既に…」

 痺れを切らした甘木は、周囲を見渡しながら柵をよじ登って裏庭へ侵入する。


 庭には綺麗に整えられた芝生が生えており、小さな花壇には花が咲いている。

本当にお手本の様な綺麗な空間だと感心する甘木は、近所の住民にバレない様に忍足で家の中が覗ける場所を探す。


所々、窓は見つかるが、どこもカーテンが閉まっていて、確認が行えない。

「もう、無理だな。一旦、武藤さんに連絡して立て直すか」とスマホを取り出した時、一台のNEGA BOXが目に止まる。

「入院してた割には溜まってるな」

他の住宅同様に屋外に設置されているNEGA BOX。

何も変わりない他のBOX同様に、緑色のNEGAが入っているが、きっと他の人間がこれを見ても見逃しただろう。


今まさに目の前でBOX内に新たなNEGAが溜まった瞬間を。


「家の中に誰かいる…」

甘木の微かな望みが現実味を帯び出したその時、背後からガラガラと窓を開ける音がした。

「ちょっとあんた、勝手に人の敷地内に入らないで下さいよ」

 甘木が声のする方を振り向くと、全身包帯まみれで瀕死状態だった筈の男がリビングに立っていた。

「酒井さん! 良かった。無事だったんですね」

「ちょっと、あんた誰ですか? 不法侵入ですよ」

喜ぶ甘木とは対照的に苦悶の表情を浮かべる酒井。


「あ、すみません。私はトゥルトピアでNEGAの収集員をしている甘木幸助と言います。酒井さんの護衛にやって来ました。さ、外は危険なので、早く家の中に戻りましょう」

「ちょ、ちょっと!」

半ば強引にリビングの窓から酒井宅へ入る甘木。




その頃、更に荒々しくアパートの大家を怒鳴りつけながら、強引に鍵を開けさせる武藤。

「早くせんか! お嬢ちゃんがドエライ事しでかす前に止めねーと!」

「ちょっと、待って下さいよ。本当にあなた、トゥルトピアの人なんですか?」

「この職員カードが見えんのか! 言いから、早く開けてくれ!」

大家は後頭部に職員カードを押し付けられながら、無理矢理、鍵を開けさせられる。


ドアが開いた瞬間、武藤はすぐさま土足のままで中に入る。

町田の住居は、女性が1人暮らしするには、丁度良い広さの1LDKのアパート。


武藤は、風呂、トイレ、台所と目に入った場所から順に探し回ったが、姿はない。

いるとしたら、もうリビングと寝室だけ。


武藤は2部屋を何度も往復し、テーブル下やベッド下、クローゼット内まで細かく確認するが、やはり人の気配は全くない。

「くそ!」

 行き場の無い怒りが拳となって壁へと発散される。

 その振動は壁から床へと伝わっていき、最終的にリビングに設置してある本棚まで届く。

 振動を受け取った本棚は誰にも気づかれない程、微かに揺れ一番上に隠されていた一冊のノートがバランスを崩し、バサッと落ちた。

 

武藤は音の鳴った方を見下ろし、「日記」と書かれたピンクの薄いノートを拾う。

「日記か…」

23歳と若い女性の密かな心の言葉を覗き込むのは、どこか背徳感を感じるが、そんな事を言ってる場合ではない。

少しでも手がかりがあるのであれば、恥を捨てでもかじりつく。

これは、あくまでも仕事の一環。彼女が事件を起こす前に止めないといけないから。そのヒント探しである。


武藤は自分の心にそう言い聞かせながら、1ページ、2ページと次々と日記を読んでいく。


たわいない日常の思い出や率直な自分の気持ちが綴られている。


赤裸々な秘密の花園だが、若さゆえだろうか?

妖艶な薔薇よりも向日葵やチューリップの様な内容ばかり。

その為だろう。武藤が男としての興味を捨てて、淡々と流れる様にページを開けるのは。


そして、もう、手がかりは無いなと落胆し始めた頃、25ページ目にて指が止まる。


そこには前半までの明るい雰囲気は全て一掃され、混沌の文字が浮かび上がっていたからだ。

必然的に速読は終わり、武藤は全神経を集中させノートを読み始める。


ページが終わりに向かっていく程、彼女の凍てつく心情がノートから伝わってくる。


この部屋に突入し、15分が経過したと同時に、武藤はノートを閉じた。


「これはマズい!」

急いで、甘木に電話をする武藤。

だが、聞こえてくるのは待機音のみ。

気がつくまでかけてやると、貧乏ゆすりをしながら、かけ直し続けるが、やはり待機音のみ。

「クソ! あのバカが!」

武藤は痺れを切らし、アパートから飛び出る。

「ちょっと、もう探し物は良いのかね?」

「あぁ、もうここには用はない。彼女の場所は分かったから!」

鬼の様な剣幕の武藤に、より心配を募らせる大家。

何か聞こうとしたが、その鬼気迫る様子に声をかける事は出来ない。


「急いで、ここに行ってくれ! 手遅れになるぞ!」

武藤は待たせていたタクシーに乗り込み、酒井宅の住所を指示する。



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