第4話 業務外活動

 トゥルトピアの職員は総勢1万人。その中でもNEGA回収員バキューマーは全3千人。


その仕事内容は、各地域の家庭で排泄されたNEGAの回収バキューム及び処理場への運搬のみ。


今、必死に就職説明会の事を思い出しているが、どこにも「包丁を持った血塗れの女から、男の人を救う」など記載も無ければ、説明も無かった。


つまり、この目の前の出来事をスルーしても会社からは責め立てられないし、減給もない。

むしろ、今から通常業務に戻った方が会社としては、回収バキュームの遅れがなくて助かるのでは?


と、頭の中でリピートしながら考えたが、どうやら身体は別の様だった。


武藤は走り狂う女へ突進し、収集車バキュームカーへ身体を叩きつける。

「やめろ! こんな事しても、意味がないぞ!」

 

この華奢な身体のどこから、こんなに力が湧いてくるのだろうか?

武藤は必死に抵抗する女を全力で押さえるが、少しでも気を抜けば、また男の方へ走って行きそうな勢い。

「こちゃある恨み晴らさねばあぁ!」


せっかく、若い女と身体を密着させているのに、その感触を味わう余裕などない。


唯一、感じとれるのは、女の全身から放たれる血の鉄臭さと酸味の効いた臭いのみ。

「離せっ! 離ぜっ!」

女の視線は倒れた男から逸らされず、武藤の声など全く耳に入っていない。

「もう、やめろ! とにかく落ち着け!」


武藤はとにかく、女を止める事はもちろんだが、包丁への意識をより一層高め始めた。


武藤は腕だけでなく、身体全身に疲労の波が走ってきた。

29歳の成人男性の腕力をもってしても、5分で限界を迎えつつある。


本来、リクルートスーツを着た20歳前半の女性1人を止めるなど、造作も無い事である。

しかし、彼女の場合は別。

まるで、野生の猪を人間の力で制止しているのと同じ。


「もう、限界だ」

こう言う力比べの時に弱音を吐くのは漢としてカッコ悪い事と思っていながらも、口の隙間から言葉が漏れる。


武藤は必死に抵抗しつつ、藁にもすがる思いで、運転席をチラッと見る。

すると、そこには呆然と現場を見ている甘木がいた。

消えかけた炎に再び勢いが戻る。

「テメー! 起きたんなら、手伝えよ!」


 甘木は頭を抑えながら、武藤の怒鳴り声に従いドアを開け、外へ出る。


「よし、とりあえずこの女を抑えておけ。俺はあっちの男を車へ避難させる」


武藤は一先ず、甘木と交代する前に包丁だけは何とかしようと左手を何度も収集車バキュームカーに叩きつける。が、女は包丁を放す素振りを全く見せず、より強く抵抗し返してくる。


あと少しの辛抱だと思い、武藤は最後の力を振り絞って奮闘するが、待てど応援が来ない。


「何やってんだ! 早く来んか!」

中々、バトンタッチしてこない甘木に痺れを切らし、再び運転席側に向かって怒鳴る武藤。

しかし、その声の先にはいたのは開いたままの運転席ドアだけ。

その場に人影はなく、運転席も、ものけの空。


目前の光景を理解するのに数秒かかった武藤は、空に向かって、今の感情を声で表す。

「アイツ逃げやがったのか! ふざけやがって! 口を開けばいつも人の為に頑張るって、ほざいてた癖に肝心な所で逃げやがって! 絶対許さねーからな。あのクソ野郎が!」


自分の喉を焼き尽くす程、叫ぶ武藤。だが、これがロック解除のサポートをする形となってしまう。

女は、叫ぶ武藤の隙を見逃さなかった。


ガラ空きになった首元に狙いを定め、唯一自由な口を耳元まで裂ける位に大きく広げる。


武藤も女の異変に気がついたが、遅かった。

首元から流れる熱いもの。

自分の身に何が起こったか、すぐに理解出来なかったが、首元の違和感が脳へ警報を鳴らす。


武藤は警報に従って首元を確認すると、自分を睨みつけながら、蛭の如く首元に噛み付いている女がいた。

そして、その姿を見た瞬間、武藤は強烈な痛みを感じ、地面に落ちた乾いた血を新鮮な血で上書きする。

首を左手で抑え、止血する武藤。

「くそっ! 噛みやがったな」

女は苦しむ武藤へニヤリと刃先を向ける。

2人の距離がゆっくりと縮まる。


早く逃げなければと、頭では分かっているが、疲労と首からの出血が重なり、武藤はその場に両膝をついてしまう。


「ヤバい。脚に力が…」

女の姿が二重に見え始め、これまでかと覚悟を決める武藤。

だが、女はそんな武藤の姿を見ると興味を無くしたのか、進路を倒れた男へ戻して走る。


女は倒れた男の上に跨がり、包丁を天高くかがけ、高らかに笑いながら、振り下ろす。

「これでおれの恨みは成就するうぅー!」


ただ、その姿を見る事しか出来ない力尽きた武藤。

身体が動かない今、行える事は、説得のみ。

しかし、首元を切られた状況では「よせ…」と一言言うのが精一杯。


誰にも届かず、何も止める事が出来ない細く小さな声であったが、唯一、その男だけが長いホースを抱え、「ファーーーーン」と巨大なクラクション音を鳴らし呼応してきた。


突然の轟音に包丁を胸寸前で止め、女は運転席を睨み付ける。


「お姉さん、NEGAの回収バキュームに来ました。失礼します」

甘木が吸引スイッチの入ったホースを女に向けると身体から緑色のNEGAが出現し、ホースの中に吸い込まれ始める。


「うぉーーーー」

女は腕をクロスし、必死にガードを固めるが、NEGAは止まる事なく、身体から引き剥がされていく。


この吸引力の前ではどんな微量のNEGAも逃れる事はできない。

収集車バキュームカーは衰える事なく、「キャーーーーーーー」と悲鳴の様な甲高い吸引音を轟かせながら、緑色のNEGAを吸い続ける。


そして、一部始終を武藤と甘木が見守る中、「カチンッ」と包丁の落ちる音が女のNEGA回収バキューム完了を告げた。

「武藤さん、回収バキューム終了しました。身体は大丈夫ですか?」

「こっちに来い! 一発ぶん殴らせろ!」と目で訴え、武藤はその場で気を失う。

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