最終話 断れない女

「吉岡の父親が殺されて血液が大量に抜かれていた。吉岡が最近何かを飲食物に混ぜているという話を……」

 課長が青ざめながら言っている。みんなざわついた。何かを飲食物に混ぜた。決まっている、差し入れと言って配っていたお菓子ではないか。


「神崎さん、食べた……?」

 山田さんが青い顔をしながら聞いてきた。昼休み一緒に過ごしている私たちは、みんなに配っている差し入れの他にも手作りのチョコレートなどをもらっていた。幸い一つ一つ包装されているので「帰りに食べる」などと言ってごまかしてきた。

「食べてないです。怖くて……」


 視界に入った宇和島さんが取り乱した様子だ。宇和島さんは人一倍お菓子をもらっていた。仕事を私に押しつけてお菓子ばかり食べていたのだろう。宇和島さんがトイレに駆け込んだ。今さら吐き出してもうがいしても何も変わらないのに。いいザマだ。


「私食べちゃったわよ!」

 叫んだのは鈴木さんだった。

「神崎さん、あなた知ってたんじゃないの? 吉岡さんと仲良かったもんね。仲良いのにお菓子食べないっておかしいでしょ」

 仲良くなんてない。鈴木さんが押しつけてきただけではないか。支離しり滅裂めつれつあきれてしまう。それより否定しないと。でもこの人に逆らったら……私は波を立てずにやり過ごしたい。ああこんな時まで私は何を言っているんだ。今はそんな場合ではない。


「私は何も知りません。吉岡さんと仲良くもありません。気持ち悪いのでお菓子も食べていません」

 言いたいことと必要なことを言った。



「どうしたんですか?」

 突如とつじょ吉岡さんが現れた。今の聞かれていないだろうか。それより吉岡さんの隣には部長がいる。どういうことだろう。



「吉岡さん、大丈夫なの? あの……お父さんが」

 引きつった顔で話しかけているのは鈴木さんだ。一刻も早く事実を知りたくて話しかけているのだろう。

「父と母はとっくに離婚しています。私は最近父とは会っていないし警察には一応話を聞かれただけです」

 吉岡さんは無表情で答えた。


「みんな吉岡を色々フォローしてやってくれ」

 部長が吉岡さんの肩に触れて言った。吉岡さんは笑顔で部長を見ていた。

 そういえば飲食物に何かを混ぜた話はどうなったのだろう。課長はもう何も言わない。部長は知らないのだろうか。そもそもそんな事をしていたら警察で「一応話を聞く」だけで終わるのだろうか。もしかして吉岡さんから個人的に聞いたのだろうか。


「あの吉岡さん……お菓子に何かを混ぜていたの? 秘密の調味料があるとかって課長が言ってたんだけど」

 鈴木さんが再び聞いた、まさか直接聞くとは。しかしみんな気になっていたのか吉岡さんを凝視している。自分が一番知りたいくせに誰かをたてにする辺りがさすがだ。吉岡さんの顔つきが変わった。ぎょっとした。


「何かって、何ですか。私変なものなんて入れてませんよ。ひどいですそんな噂」

 みんな一斉いっせいに栗山課長を見た。汗をかいて下を向いている。


「栗山くん、根拠のない噂を流すなんてどういうことだ。君にはちょっと現場を離れてもらわなくてはならないようだな」

 部長が厳しい顔で言った。課長がいなくなるのは嬉しい、しかし部長の迫力は凄い。この一言で課長を異動させるなんて。吉岡さんが部長にとってそれだけの存在ということか。


 しかし戸籍こせきじょう親子ではないからといって、殺人があったのにこんなに平然としていられるものだろうか。私たちは驚愕きょうがくしている。これがもし自分の家族だったとしたら取り乱しているに違いない。吉岡さんは綺麗な表情で部長を見ていた。部長も同じ目で吉岡さんを見ていた。確実にこの二人、できている。


「吉岡は事務所の仕事に移ってもらう。現場はあまり合わないようだと相談を受けていてね。みんなも何かあったら気軽に私に言ってください」

 部長が嘘くさい笑顔で言っている。みんな引きつっている。今の発言で部長と吉岡さんの関係を確信した。けれども現場組は吉岡さんと少しでも離れられるのだ。ホッとしているだろう。


「神崎さん、私今日から事務所の仕事になりました。色々教えてくださいね」

 吉岡さんが私に近づく。どうして私なのだ。私よりベテランは他にいるじゃないか。吉岡さんの後ろでは部長が微笑んでいる。怖い。


「神崎さん、いつお家に行っていいですか?」

 今言うことじゃないだろう。断らなくては。でも……今度は部長を味方につけている。断れない……。


                                   おわり

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質問する女 青山えむ @seenaemu

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