第2話 吉岡さん

 私が製造課に来て一年経った頃、新しい人が異動してきた。吉岡よしおかさんという若い女子社員だ。

 吉岡さんを初めて見た人は、一瞬凝視する。色白でスタイルが良くてショートヘアの似合う美人だ。まつ毛が長くて影を落とすということが本当にあるのだと驚いた。


 私は吉岡さんの教育係に任命された。私もここに来て一年しか経っていないけれども、私自身の向上のためにも教育係を任されたのだろう。

 私はこの一年間で覚えた職場のイロハを吉岡さんに教えた。仕事内容を一通り説明する。吉岡さんはうなずきながら聞いている。説明をしている途中、吉岡さんのシャツがズボンからはみ出しているのに気づいた。ここは基本的なルールには結構厳しい職場なので私はすぐに注意した。

「シャツが出ているので直してもらえますか」

 私は優しく言った。けれども吉岡さんは反応を示さない。聞こえなかったのだろうか、そんなはずはない。今まで説明を聞いて頷いていたではないか。聞こえないふりだろうか。私は同じセリフを再び言った。

 はい、と小さく言い吉岡さんはシャツをズボンに入れた。少しホッとした。このまま聞こえないふりを続けられたらどうしようかと思った。聞こえないふりという名のシカト。新人になめられたと噂されたらどうなるか、少しは予想がつく。


「神崎さんの髪の毛綺麗ですね。どうやったらそんなにツヤツヤになるんですか」

 吉岡さんにいきなりほめられた。コミュニケーションだろうか。不意打ちの言葉に短く「えっ」としか出てこなかった。

「髪に良い食べ物ってあるんですかね」

 私の返事を待たずに続く。髪に良い食べ物? 何だろう、少し考えていたら製造ラインのリーダーに声をかけられた。

 吉岡さんは製造ラインに入る。あとは現場組の教育担当に任せることになる。

「それじゃあ」

 私と吉岡さん、どちらが言ったか解らないような小さな音量だった。二人とも軽く会釈をして別れた。


 休み時間、早速吉岡さんの周りに人だかりが出来ていた。新しい人が馴染なじみやすいようにと積極的に話しかけに行く人が多い。あの心遣いは本当に良いと思う。本当の親切心からだと思う。

「吉岡さんって綺麗だねー」

 年配の女子社員が気さくに言う。

「そんなことないですよ、ありがとうございます」

 ちょっと困った風に笑いながら、吉岡さんは一般的な反応をしている。今回は大丈夫かな、と思いホッとする。


 数ヶ月ここに異動してきた金髪ロン毛の男子社員は問題児だった。仕事は出来るのだがケンカ早く配属後三日目にしてトラブルを起こしていた。製造ラインにいる同じ年くらいの男子と口論になっていた。手は出さなかったが今にも殴りそうな勢いだったのと普段から勤務態度が悪いことで出勤停止処分になった。その間にも飲み歩いていて夜の街でトラブルを起こし新聞に名前が載り、そのまま出社することなく解雇になった。

 私はしばらく事務所から吉岡さんの様子を気にしていた。積極的にコミュニケーションをとっているように見えたので、その内気にすることはなくなった。仕事を覚えてきた私は比例して業務量が増えていった。宇和島さんは変わらず資料作りを頼んでくるが、比例して私の資料作りも早くなっていった。


 一ヶ月ほど過ぎた頃、休憩室で現場組と一緒になった。普段事務所と現場組の休憩時間は少しずれているのだが、今日はたまたま重なった。私は自動販売機でコーヒーを買い、入り口近くの椅子に一人座った。少し離れたテーブル席には現場組のおつぼねグループが集まっていた。さすがにあのグループに混ざるのは気が引ける。しかし話の内容は聞こえてくる。

「吉岡さんって、何でも聞いてくるのよね。ごみ袋は指定なのかごみの分別はどうなってるのかってしつこく聞かれたわ。自分の住んでる町じゃないごみの話をあそこまで詳しく聞いてどうするのかしら」

「私は彼氏いるのかって聞かれたわ。いないって言ったらじゃあ旦那さんですか? ですって」

「制服のボタンは何個まで開けていいんですか? って聞くのよ。そんなの就業規則に書いてあるじゃないの」

白石しらいしくんってどんな人ですか? って聞いてきたのよ」

 ここで一気に声が上がった。

 白石くんは若くてイケメン、わが職場でおつぼねさまたちのアイドル的存在の男子社員だ。若くて綺麗な吉岡さんが若くてイケメンの白石くんを気にしている事実。雲行きが怪しい。


 予想通り、吉岡さんは一人でいることが多くなった。吉岡さんが誰かに話しかけても、他の誰かが声をかけて吉岡さんから離れていく。そんなことが続いた。周りも何かを感じ取ったのか、吉岡さんを避けるているように見える。お局様たちは白石くんをがっつりガードしている。怖い。女が多い職場って、本当に怖い。

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