第6話 被害

 仕事中も吉岡さんは積極的に来る。

「今急ぎの仕事がないので仕事の進め方について議論しましょう。課長もどんどんやれって言ってましたから」

 吉岡さんはそう言ってメンバーを集めた。実際仕事中にわざわざ集まる人など他にはいない。製造ラインから抜けた吉岡さんと鈴木さんは他の作業者から白い目で見られていた。吉岡さんと鈴木さんの穴埋めは、他の作業者が担当することになる。


「事務所仕事はいつ抜けたって被害がないからいいわね」

 鈴木さんが嫌味いやみを言う。被害はたくさんある。吉岡さんを鈴木さんに押しつけられている。宇和島さんに押しつけられた資料作りが終わっていない。私のパソコンスキルをあてにして仕事はどんどん増える。早くすませて次の仕事をやろうと思う、仕事が早いという理由ですぐに新しい仕事が私に来る。悪循環だ。

 本日の議題は「やりにくい仕事の改善」だそうだ。吉岡さんの提案だ。自分で議題を決めておいて「やりにくい仕事をどんどん出してください」と言っている。まず提案者の吉岡さんが例題を出すべきだと思うが誰もそんなことは言えない。課長に何を吹き込まれるか解らないからだ。


溶剤ようざいのシリンジ交換マニュアルが解りづらいです。それを改善しましょう」

 山田やまださんが発言した。山田さんは製造ラインで品質スタッフをやっている。知的な人で、このグループ唯一の救いだ。普段からあまり表情の変化がなく、黙々と品質を調べている。今もこの状況でいつもと変わりない発言をした。頼もしい存在だ。


「シリンジって何ですか?」

 吉岡さんがいつもの調子で言った。全員吉岡さんを見る。そうか、吉岡さんは製造ラインに入っているのでシリンジに触れる機会がないのだ。それにこの職場に来て日が浅い。シリンジを見たことがあってもその器具の名前を知らないのは当然かもしれない。


「神崎さん、器具の名前くらい教えてないの? 最初の教育担当だったんじゃないの」

 シリンジの説明をしようとしたら鈴木さんに口をはさまれた。教育担当とは言っても全体の基本的なことを大ざっぱに説明しただけだ。吉岡さんは製造ラインに入るので仕事の内容までは私の担当ではない。それは現場で教えるべきだ。

 そう思っても言えるはずもなく、私は小さく「すいません」と言っておいた。吉岡さんは課長と懇意こんいだと噂があるので攻撃する訳にはいかず、ターゲットを私に変えている。鈴木さん、口紅はみだしていますよ、ついでにお腹のお肉も。私は心の中でそう呟くことで自分を保っていた。



 課長命令から三週間ほど過ぎた。あと一週間の我慢だ。それだけが私の希望だった。しかしあと一週間で終わると思って焦っているのだろうか。吉岡さんがラストスパートをかけてきた。

「皆さんまじめにやってますか? 全然グループ討論してませんよね。延長した方がいいのではないでしょうか」

 などと言っている。やめてくれ。周りもうんざりしている。



「神崎さんって、私デキますーみたいな態度よね」

「パソコン関連の仕事、ほとんど一人でやっちゃうみたいよ。自分がやった方が早いからって」

「何それ。神崎さんが仕事取っちゃったら他の人が鍛えられる場面がないじゃない」

 お局グループの陰口が聞こえてきた。みんなの苛々も頂点に達しているのか鈴木さんが何かを触れ回っているのだろうか。誰が誰から何を聞いたのだろうか。噂というものを、大元おおもとまで辿ってみたい。最初に言ったのは誰なのか。パソコン仕事を自分がやった方が早いとは思っていたけれども、そんなことは誰にも言っていない。つまり想像で言っているか、周りにそう思われているかだ。

 事務所の人間が「神崎が仕事を奪っている」と思っているのだろうか。押しつけてくるのはあちらではないか。本来ならば猛烈に腹が立つのだろうが、お局ともめるのは得策とくさくではない。それに吉岡さんはそれを超えて大変な人だったため私は「お局は暇だな」くらいに思っておいた。今だけではない、私は未来を見据みすえて行動するのだ。


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