第5話

 クッションに仕込まれていたボロ人形を清川さんに託した日を境に、怪異はぴたりと止んだ。もう、誰かが布団の周りを歩き回ることはない。肩はすっかり軽くなり、頬の赤みは跡も残さず綺麗に消えた。信号を見間違えるみたいなこともない。

 もしかしたら、あれを手元に置いたままでいたならばたとえば駅のホームから落ちるみたいな、もっと危ないことが起こっていたかもしれない。そんなことになる前に人形を八丈島のある巫女さんに預けることができたのは、幸運と言うべきだろう。




 清川さんから「あれのお祓いが済んだって。親戚から聞いたことをざっと教えるから都合のいい日を教えて」とメールが来たのは、 エキナカのインドカレー屋さんで会ってからちょうど十日目のことだった。


 今度はおやつの時間帯に、パフェの美味しいお店で私たちは会った。

 今回はこの前とは逆に、私の方が聞き役に回る時間の方が長かった。


 「これはいい知らせになるのかな。あれは型だけを真似て面白半分につくられたもので、命まで取るほどのものではもともとなかったって。怖がらせてちょっと危ない目にも遭わせる、それだけのもので、まぁそれでも念のためしっかりお祓いして、浄めた火で焼いたから大丈夫、って、親戚が言ってた」

 

 おそらく清川さんも知らないのだろう、ボロ人形が真似ようとした型やお祓いの内容といったことの、詳細については教えてもらえなかった。それでも、もう大丈夫なのだということは伝わり、私は胸をなで下ろした。


 「ものすごく怖かったし、ちょっとどころじゃなく危ない目に遭ったような気がしますけど……それならよかった」


 「ただね、あれを仕込んだのが誰なのかまではわからないって。110番通報してれば、何かわかってたかもしれないけどね」


 それを言われると弱い。正直、何も言い返せない。「そうですよね」と認めるしかない。  


 「それにしても、面白半分でわざわざ人んちに入って出来損ないの人形を仕込んでいった人はいるってことですよね。なんかそういうことされたのは気持ち悪いです……」  


 イチゴがたくさん載ったパフェからバニラアイスと生クリームを半々くらいの割合になるように掬い取りながら嘆くと、「気持ち悪いどころの話じゃないでしょうに」と呆れ声が帰ってきた。 

 清川さんは真剣な顔をしている。これはお説教が来るな、いや、アドバイスかな、と私は身構える。


 「そんなわけわからない悪戯、普通に怖いから。ここからは私の意見だけどね、もう一日も早くそこから引っ越しなさいよ。できるだけ遠くに。そこに住み続けてたら、また何かされるかもしれないよ。……いや、もう何かされてたりしてね? 盗聴器仕掛けられてたり、とか」


 「やめてください怖い、ていうか盗聴器は嫌、シャレにならない」


 握りこぶしで耳を塞ぐようなポーズを取り、首をぶんぶん降ってキャーキャー騒ぎながら、確かに、あのボロ人形以外に何か仕込まれている可能性はゼロではないのだと思った。

 案外、あのボロ人形は陽動みたいなもので、実は盗聴器とかカメラとか、実害の大きいものが本命として隠されているのかも――




 私は、思い切ってC県からK県へと、県をまたいだ引っ越しをした。会社がある東京までは、方向は変わったけど通勤距離はあまり変わらない。これだけ大きく離れてしまえば、悪戯をした何者かは私の移動先を負えないはず。

 あまり考えたくはない可能性として、会社つながりの誰かが犯人だったとしても、出掛ける時はちゃんと鍵を掛けるようにすれば、まさかピッキングみたいなことをしてまで入り込むことはないのではないか。そう、思いたい。


 だけど、私がものの管理をきちんとできるようになったかといえば――実のところ、いろいろなものを家の中で見失ってしまうところは相変わらずだ。

 ボロ人形の一件で懲りたのはもちろんだけど、だからといって生来の欠点がなくなることはないらしい。私はどこかおかしいのかもしれない。


 現に今だって鍵を見失って、三時間ほど探したのに見付からない。もうそろそろ寝る時間だ。このまま行くと私は、明日は鍵を掛けずに会社に行くことになりそうだった。


 鍵を掛けずに出掛けたらその間に何をされるか――わからないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍵を掛けずに出掛けてはいけないという話 金糸雀 @canary16_sing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ