最終払 自慢の息子より 

 後日。

 顔見知りの墨卸の男がやってきたとき、クロシュの手元には墨が無かった。

 ラランセラの墨は半分ほどがダメになっていたし、逃げ散った四匹は逃げたまま。

 その後に追加の海龍が来ることも無かった。

 辛うじて親玉の中に残っていた墨に高値が付いたので、なんとか舳先の折れたカヌーの修理代が出たくらい。

 カツカツだった。

 今シーズンは、自分で漁に出て食料を調達しなくてはならないだろう。

「今年は海龍が少なくてねえ。どうしちゃったんだか」

 と言うと、初老の墨卸は何とも言えない複雑な顔をする。

「それがなあ、今日は言付けを届けに来たんだよ」

「言付け?」

「怒らないで聞いてくれ」

 クロシュが首を傾げると、墨卸は落ち着かない様子でズボンの腰のあたりでしきりと手を拭うのだった。

「話が見えないけど」

「クロシュさんよ、絶対に怒らないでくれな。オレは言われたままに繰り返すだけだから」

 墨卸は自身の頭と胸と爪先、つまり三柱の龍神たちの宿る場所をとんとんと叩いてから、こう切り出す。

「えー、くそババア」

「むっ」

「なあ! 本当に聞いたままだからな、オレの言葉じゃない」

「分かってる分かってる。続けて」

「殺しても死ななさそうだから大丈夫だと思うが、仕送りをする。あの緑のくそ海龍ラランセラが、ぼくはトゥトゥと一緒に戦いご飯を食べさせてもらったのだ、ぼくは偉いし度胸がある、そんな勇気の出せる海龍は他にいないだろう、とかなんとかぬかしたせいで、俺のところに蟲取り希望の阿呆が来る。どんどん来る。右から左に刺身にしてやろうかと思ったけど、ドクが嫌だって言うんでやめてやった。仕事が無くなって腹が減っているといけねえから、墨を売ったやつに仕送りを預ける。返さなくていいから飯を食え。言っとくけど、俺がそうしたいんじゃなくてドクがそうしろって言ったんだ。面倒くせえから絶対に返そうなんて思うんじゃねえぞ。絶対にだ。分かったかくそババア。返事もするんじゃねえぞ、息だけしてろ。……だそうな」

 墨卸は酸欠でぜいぜいと肩で呼吸をした。

 一気に喋るからである。

「あんた、よくその長い台詞を覚えたわねえ」

「覚えないと殺すって言われたからだよう。でも覚えてもクロシュさんに殺されそうだったから、オレぁ辛くて辛くて。怒ってないな? な?」

 泣きそうな顔をした墨卸の背中をクロシュはばんばんと叩く。

「怒ってないよ。ありがとう。うちの息子は照れ屋なんだ」

「息子だって?」

「うん。自慢のね」

 ぽかんとした表情の墨卸を見て、クロシュはからからと笑った。


(了)

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