第42話 終章
「お父さん……。」
私は雪が降りしきる中で彼の墓石の前に座り込み、ため息交じりに呼びかける。
昨夜降った雪で薄化粧が施されたそれを、私は石面を撫でるようにして雪を払った。
それは簡素な墓だった。山小屋のすぐ側の開けた土地に、亡骸と遺品を埋め、手頃な墓石を立てただけの、彼の功績を考えればあり得ない程質素な墓だ。
だが、これでいい。彼の事だから特別扱いなど眉間に皺を寄せて怒るだろう。その様子が容易に想像でき、ふと出会った頃に散々怒られた事を思い出して口元が綻んだ。
その時、ひゅるりと一風が吹いて思わず首を竦める。
「……寒い。」
先程髪を切ったばかりで露わになった首筋が慣れない寒気に凍えたのだ。まだ細かい髪が払いきれてないのだろうかチクチクとしたむず痒さを覚えたのもあって、私は首筋を撫でながら独り言ちた。
今までずっと長髪だったので、一気に頭が軽くなったのは新鮮な気分だ。
少しだけ、気分が上向きになったような気がする。
だけど髪切ったこと、お父さんには𠮟られるだろうな。そう思うとまたくすりと笑みを浮かべていた。
私は徐に懐から一通の手紙と細長い包みを取り出す。そして、見付けてから何度も読み返したその手紙を、大切に丁寧に広げていった。
それは私に向けて綴られた行命様の遺書だった。
私が知る耀日様以外にも彼の知己について書かれており、もしもの時はその方々に頼る事、または旅の生活では持ち歩けなかった品を各所に預けてあるから、必要なら使って欲しいとの事、等々、私の今後を心配する言葉が書き連ねてある。
それは私に未来がある事を疑っていない文面だった。
その中にはこんな一文もある。
『儂では教えてやることが出来なかったが、お前は女子なのだから着物に興味がないとは言わず、身だしなみには気を付けること。』
「それでこれか……。」
手紙に添えられていた細長い包みを開くと、そこには椿の花をあしらった簪があった。
ごめんなさいお父さん。折角くれたのに、簪を挿せるようになるのはだいぶ先になりそう。
心の中で謝りながら私は遺書の最後の数行を見返し、途端に泣き顔に歪みそうになるのを押し留め、思いを込めるように椿の花のそれを胸の前に握りしめた。
「ありがとう、お父さん。お父さんが信じたように私やってみるよ。辛くても立ち上がる。目を背けないで前を向くよ。私を希望だって言ってくれたから。」
滲んだ涙が一粒の雫となって頬を伝っていく。私はそれを拭って深く息を吸うと、祈りを込めて経文の一声を発した。
『落椿如き終生 されど花散りし後こそ 果実は色づく』
椿の花が落ちるかの如く悲惨な人生だったかもしれない。されど花が散った後に残された果実は、未来に向けて希望に色づいていくのだ。
三蔵法師 行命
第一部 完
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ仇桜 一ノ瀬星羅 @pomera-
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