第20話 立つための二対ー7
驚愕するに充分な時間はガインへ与えられなかった。風邪を斬ったルウはそのままガインを討ち取るべく刀を振るったからだ。ティミイの生み出したパンの壁がかろうじて防いだ。中のカレーの粘性と芋や肉がまとわりついたことで剣速を緩めたもののより深い傷が青年の左胸下部から肩まで刻まれた。
新たな熱によってガインは倒れ込んで、のどまでこみあげてきた吐しゃ物が脱出しようとするのを手で抑えかろうじて防いだ。胃液に食道が焼かれる感覚とわきあがる独特の匂いに、いっそ出してしまえばよかったと後悔しながらどうにか
怒とうの如く迫るパンの群れをルウは切り倒していた。数の力は偉大でルウの顔をわずかにしかめさせていたが、ティミイには疲れが見え始めていた。その実、”大ぐらいめが”による爪先の怪我でルウは突破に時間を取られているうえにガインを一撃で仕留められなかったのだが、二人の目にはそれでも彼が隔絶した力を持っているとしか映らなかった。
「弟子い~‼」
必死の叫びに彼女が
その間もパンはルウを圧殺せん勢いで迫っていた。にも拘わらず片手間で対応されてしまったことが一層ガインの血の気を失せさせた。悪夢を目の当たりにしているかのようだった。
ティミイはルウを見据えたままでガインのそばへと後退して彼の頭を叩いて髪の毛を引っ張って叫んだ。
「殺す気でやるんです! 炎も疫病も‼ あの時みたいに‼」
正鵠を射ていた。
命の危機にさいしても、風邪とやけどを負わせる程度の炎がガインが繰り出したものだった。ムアシェと男たちを消滅させた疫病、炎もより強力に扱えるはず。だが殺人への忌避が彼にその選択をためらわせている。それがティミイには歯がゆい。風邪程度の病しか使っていないのはガインの様子で容易く判別できた。
もはやルウを殺害せねば生存はあり得ないと彼もわかっている。それでも村の記憶が一線を越えるための高い壁となり立ちふさがっているのだった。意地と言い換えてもいい。自分は病ではないという意地だ。
無論その価値はガインの中にしかない。ティミイはルウを抹殺しろと彼の髪を掴んで振り回し毛が抜けてバランスを崩して転がり落ちる。ルウは弟子の仇の思想になんら興味はなくカレーにまみれながらパンを斬り断ちガインへと迫りつつあった。
その時カイサが再び“大ぐらいめが”をルウへと射出した。当然彼女もガインの思いなど知らないし知ったところで腹を立てるだけだったろう。関心ごとはただ一つルウを倒して『ホワン・カオ』としての立場を維持することのみ。黒球を斬られたことは想定外だったが爪先の損傷をみるに通じぬわけではない。直撃させるつもりで隙を狙っていてガインとティミイはそのために有用だった。
しかしルウにもそれは読めていた。黒球から逃れるのに足を犠牲にせねばならなかった二度餌食になりたいとは思えない。そのため彼女を警戒し、射出された黒球を斬り落とした時点で根源を絶たんと判断した。痛みを耐えるのでなく同居するための訓練は十分に積んでいた。足の発する断続的な信号を切り離すことで出力が落ちるのを最小限に抑える。迫るパンの壁を斬り払い、病と炎を見極めるのは難事だが不可能ではない。それをくぐり抜けると『ホワン・カオ』の枝女の喉、心臓、急所、太腿へ二つずつ刀で突きを差し込み抉ってから引き抜いた。平時よりも力が衰えていることを考えやや過剰な攻撃となった。彼女の名前を聞いたことがある気がしたが思い出すのに尽力するほどではなかった。傷口から噴き出す血の量が明らかに生存を約束しないと判断すると背を向けて残る二人へと矛先を向ける。
カイサは倒れた。血は大地に染みて草木の糧となる。しばらく後に咲く花には赤みが差すだろう。二人へ向かっていくルウの背中を顔をあげて追ったために喉の傷がより拡がって出血が激しくなったが満足だった。苦痛と冷気に満ちて行く肉体の中、男が足を引きずっていたことに僅かの喜びを覚えたからだ。誰にも期待されず恐らくは使い捨てにされたがどうだ。“立つための二対”へ傷を残してみせた。このまま死そうと生き残ろうと土産ができたのだ。
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